61.邂(かいこう)
――――まあ、あのかわいらしいご令嬢はどなた?
――――美しい所作ですわね。どのような先生に倣ったのかしら?
――――あら、薙尊語でご挨拶されましたわよ!?まあ、教養も大変おありなのね。
ラドナ王国第一王女ミルカ・ラドナ・アルケインは、会場に一歩踏み出した瞬間から注目された。
そうでなければならない。そのための衣装、所作、そして王女たる風格と美貌。すべてがミルカ自身のものではない。役目を果たすために与えられたものだ。
母も、兄も、かつては父もそうやって国を守り、繁栄に導いた。
フワリと微笑むだけで、貿易手数料が減る。
小鳥のような愛らしい声で相手を褒め称えれば、ラドナの産物が高く買い取られる。
夫人の持ち物の由来を言い当てれば茶会に招待され、その家の動向が分かる。
構わない。いくらでも演じてみせよう。それがミルカの役割なのだから。
「まあ、ミルカ王女殿下は博識でいらっしゃるのね」
ヴァルメリアン王国の筆頭外交官の夫人であるミーリス・ストウナーは、ミルカとの短時間の会話ですっかり虜になってしまった。愛らしく、控えめで、時折見せる子供っぽさに庇護欲を掻き立てられた。まさか、すべて計算され尽くした行動だとは思ってもいない。
「昔、ヴァルメリアン王国のクリスタル・パレスを見学したことがあって。その時にシノワズリのコーナーがありましたよね?わたくし、一目で虜になってしまって。お父様にねだってお土産屋さんにあった小鳥の茶器セットを買ってもらいました。今もガラス戸の棚に飾っています。時々、悲しなったりしたときは、お父様だと思って話しかけたりしています……」
「あら、まあ・・・・・・」
頬を染めて言うミルカに、ミーリス以外の夫人たちも優しい気持ちになってしまう。さっそく、ミルカを招待する茶会はシノワズリ風にしなければ、と意気込む夫人もいた。
「母上、そろそろ我々にもミルカ王女殿下と談笑する時間を下さい」
そう言って、正装姿の青年がミーリスの横に立った。ミーリスの息子、エリックであった。歳の頃は30を少し超えたあたりだろうか。栗毛色の髪に翡翠の瞳。優しげな風貌の御仁であった。エリックは既婚で、子どももいる。彼の妻はまた違う集団の中で談笑しているようだった。
「あら、独身男性が誘いに来たら、わたくしたちが追い払うからあなたを遣わしたのね?」
「まあ」、「ほほほ……」といった上品な声が場を包み込む。皆、好意的にミルカを送り出してくれるようだ。
「そういうことです」
微苦笑とともにエリックが言った。
「いかがでしょう、直接お誘いできない軟弱者達ですが、ぜひともミルカ王女殿下とのお話しの機会をお与えくださいませんか?」
ミルカは後ろに控えるエントと外交官に一瞬だけ視線をやり、エリックににっこり微笑みかける。
「はい、よろこんで」
(ミルカ王女の独壇場だな)
会場の隅に設置されたベルベットのソファーの真ん中にミルカは座り、その両脇、足元は跪く独身男性諸君。給仕のように飲み物やオードブルをせっせと運ぶ者もいれば、「時間だ」何だの言って席替えを要求する様子も見て取れる。ミルカの背後にはきっちり従者がガードしているので不埒なことをする者はいまい。
その様子を、ブルーノ・ミルドゥナは少し離れた場所から見ていた。
今回の交流会で女子部門一番人気は間違いなくミルカだろう。同世代の女性たちの配慮も忘れていないから、いわゆるバーネット状態にはなっていない。席替えをして外周に回った男性は、ミルカの声掛けでその場にとどまる女性と楽し気に会話をしていた。では男性部門はというと。
アレックス・リース公爵令息の周囲には、年頃の娘たちが集合していた。
「アレックス様!是非、わが家へお越しくださいませ」
「何を言っているの!?わたくしが先よ」
「あら。家格を考えれば、ウチが最適かと思うのだけど?」
「あなたの家は歴史だけで、ぱっとしないじゃない」
「何ですって!?」
目の前で小競り合いが起こっていても、アレックスはどこ吹く風というふうで、まったく興味も示さないし、止めようともしない。ただやはり煩わしいのか、ゆっくりとその場を離れていく。
ラティエース・ミルドゥナ侯爵令嬢との婚約が解消となって3年。そろそろほとぼりも冷めた頃だろうということで、アレックスには頻繁に縁談の話が舞い込んできていた。何よりアレックスはこの3年間で目覚ましい功績を残し、それは今も継続中なのだ。専科を首席で卒業し、領地には戻らず、皇城勤めを選び、宰相付き書記官として下積みを経験。その後、財務省の引き抜きにより、大臣首席補佐官として出世街道を驀進中である。彼の優秀さを聞きつけて縁続きになりたいという家々は増えていく一方であった。
今回、ブルーノはアレックスに請われて帯同している。ミルドゥナ大公の名代としての役目も担っているので、それなりに忙しいし、ブルーノも独身、婚約者なしなのでそれなりに言い寄られるのだが、アレックスには到底かなわない。
(やっぱり、姉さんはいないか……)
ブルーノが降臨祭の使節団に加わった目的の一つが、姉のラティエースとの再会を願ってのものであった。この3年間、手紙を送っても返事はなく、ラドナ王国を訪れても、居留守を使われてしまう始末だ。というよりも門前払いと言ったらいいのだろうか。一応、摂政自ら応対してくれるのだが、決して姉とは会わせてくれなかった。
姉なりのけじめなのだろうが、ブルーノは少し、いやかなり寂しい。ブルーノは自覚がないものの、見事、シスコンに進化していた。幼少期の没交渉を取り戻すかのように手紙や接触を試みて、すべて失敗に終わっていた。あの拳の重さが忘れられない。思いは募るばかりである。
(ミルカ王女にお願いしてみたかったけど、あの様子じゃ、割り込めないだろうなぁ……)
下手に、周囲から見合い申し込みと勘違いされても困る。
(とすると、チャンスは明日の大礼拝の時だろうけど。きっと、席も離れて用意されているだろうし……)
肩を落とすブルーノを、ミルカは壁際のソファーから観察していた。
(あれが、お姉さまの弟ゴミ。じゃなかった弟君。あまり似ていらっしゃらないのね……)
どちらかというとがっしりというよりも細身の体つきで、背は高く、理知的な顔立ちで、優美な印象も受ける。ラティエースと同じ黒髪と二重の瞼からのぞく黒い大きな瞳。肌色も健康的で、薄く微笑む姿は好青年そのものだ。
(ですけど、見てくれで騙されませんわよ!何せ、お姉さまをいじめたボンクラですものっ!!滞在中は、絶対に引き合わせたりしませんことよ)
ミルカから敵認定されているとも知らず、ブルーノはのほほんとした表情でパーティーの参加者と談笑している。
ブルーノのあずかり知らぬところで、姉との再会が遠のいているブルーノであった。
アレックスもまたこの交流会に、ラティエースが姿を現すことを期待していた一人であった。が、それもはかない夢だったようだ。
(そりゃそうだよな……)
ラティエースたちは、教皇自ら招待したVIPなのだ。なぜ、そういう扱いを受けているかは知らないが、彼女たちのことだ。ロザ帝国にいたとき以上に活躍しているのだろう。少しは噂を耳にしている。
アレックスは独自の外交ルートを通じてラドナに対し、正面から面会を求めた。非公式であることも、もちろん念押しした。レイナード王子はこちらの熱意を察してか、ラティエースに掛け合ってくれ、一度は良い返事をもらったが、情勢の変化により、その話もご破算となってしまった。
(伝えたいこともあったんだけどな……)
ケイオス一世の退位が決まった。以前から不安視されていたケイオス一世の体調不良。先日の近隣諸国を招いての晩餐会終了後、ケイオス一世は倒れた。診察の結果、過労となっていたが、度重なる心労で限界だったということだ。この一件には箝口令が敷かれたが、やはり秘密は漏れるものだ。ケイオス一世の退位の噂が現実味を増してきた。噂が暴走する前に、正しい情報を皇城は公表しなければならない。 その正しい情報とは、ケイオス一世の退位と、新皇帝の即位であった。
アレックスはラティエースと会って話したいことがあった。彼女がどんな反応をするかは想像はついていたけども。
カクテルグラスの水面に視線をやる。ほとんど口をつけていない透明な水面に自身の浮かない顔が映し出されていた。




