52.祭りの後③
――――――ミルドゥナ侯爵本邸。
応接間では、罵りの応酬が続いていた。饗応用の長テーブルには、オットー、ヴェルゥーチェ、ブルーノ、そしてラティエースが一列に並んで座り、対面の席には、ダイアナ、そしてアレックスが座っていた。その二つの席の間、ミルドゥナ家の紋章が飾られた暖炉の前には、レオナルド・ミルドゥナ大公が座している。大公の後ろには姿勢を正したブルックスが控えていた。
主に口を開いているのは、オットー、ヴェルゥーチェ、そしてダイアナである。
「こんな賠償金、払えるわけないでしょう!そもそもアレックスが加害者扱いって、どういうことなの?」
「それはうちのブルーノも同じだ」
「それに、支払先はラティエースじゃない。身内でしょう?払う必要なんてないわ」
身内というより宿敵のように睨まれているのだが。
憎々しげにラティエースを睨み付けるダイアナの双眸、そして、毒々しいまでの紅い唇から吐き出す言葉は、呪詛だ。
(そういや、なんでここまで毛嫌いされてるんだろ・・・・・・)
ラティエースなりに歩み寄ろうともしたが、あまりにひどい噛み付きように、ラティエースは早々に白旗を揚げた。折を見てご機嫌伺いはしていたが、いずれも薙尊国の絹のような結果ばかりであった。
あの悪意を正面で受けていては病気になってしまう。いずれ破談になると分かっていた。そう思い、距離を取れば、相手が詰めてくるもんだから参っていたのが現状であった。
それでも、対面するのは今日限りと思えば、耐えられなくもない。
「アレックスとラティエースは婚約解消で話がついている。都合のいいときだけ、身内扱いするのはよしてくれ」
(そうそう)
オットーの言葉に賛同できないのが常なのだが、今日ばかりは諸手を挙げて賛成したい気分だ。ラティエースは、心の中だけで父を賞賛した。
意外と顔に出ている姉の百面相を、ブルーノは、気が気でない様子で見守っている。自分がしでかした賠償金について話していることは分かっているのだが、姉の方が気になってしょうがない。それに、ブルーノは半ば覚悟を決めていた。一生をかけてでも支払う気でいる。
一方、オットーの言葉に、アレックスが刹那、眉を顰めた。好んでサインしたわけではない。そう発言しようかと思ったが、それを言えばここにいる大人と何ら変わらない。そう考え直し、喉奥から言葉を引っ込めた。
「あなた?ブルーノの賠償金はラティエースに払うのでしょう?身内だから相殺よね?」
ヴェルゥーチェが夫に縋るように言った。ラティエースには、ブルーノに支払うものなどない。何が相殺なのか。ラティエースは小さく溜息を吐く。
(あっちの親もヤバイが、うちもヤバイな・・・・・・)
先ほどの心の賞賛はやはり取り消そうと、ラティエースは前言撤回する。もちろん、心の中で。
「お前たちはそろいもそろってアホか」
そう言ったのは、それまで一言も発さずにいたレオナルドである。むっつりした表情で、一同を見やる。
「賠償金は、いったん皇帝に納められ、帝室からの賠償金と合わせて、ラティエース個人に支払われる。身内だからとちょろまかしたり、誤魔化したりしたら、さらに賠償額が増える旨、勅命書に書かれておるじゃろう。それに、皇子の側に控えていたブルーノとアレックスが加害者ではなく被害者だと?バカを言うな。散々、学園で悪さをしてきたんだ。今更、被害者面なんてできるか」
それに、とレオナルドはオットーに視線を向ける。
「お前は、バーネット嬢の賠償金も肩代わりせねばならぬだろう」
えっ、と目を見開いたのは、ヴェルゥーチェである。オットーは顔をしかめた。何のことだと首を傾げるヴェルゥーチェに、答えたのはレオナルドである。
「バーネットは、今やオットーの養女だ」
「はあ?」
ヴェルゥーチェが思わず声を上げて、立ち上がった。
「何です?いつの間に?ええ・・・・・・?」
「皇子側から打診があってな。バーネットを養女にしてミルドゥナ侯爵家として嫁がせれば、将来の皇妃の養父となれる。それに騙され、ほいほいと書類にサインしたのが、そこの阿呆だ」
オットーは唇を噛んで苦悶の表情を浮かべるが、レオナルドに言い返すことはない。
「あなた!それ、本当なの?」
ヴェルゥーチェが、オットーの肩を揺するが、彼は唇を引き結んだままだ。
「いやよ!こんなの払えるわけないじゃない!陛下も分かっていてこの金額を言ってきているのよ?つまり、爵位を返上しろってことでしょう?冗談じゃないわ!しかも、騒動の元凶、バーネットが養女ですって?冗談ではないわっ!!」
「離縁したければすればいい」
レオナルドは言った。
「ええ、ええ。そうさせてもらいますわ」
「だがな、ミルドゥナ侯爵が支払いができないとなった場合、婚家や親類に請求が行くことになっている」
「お義父様が、支払って下さいな!大公でしたら、これくらいの額、簡単に支払えるでしょう!」
ふんっ、とレオナルドは鼻でせせら笑う。
「ミルドゥナ侯爵家が支払えない場合、肩代わりする家の指名は皇帝が行う。わしが手を上げても、あいつは受け取らんよ」
「そんな・・・・・・」
「それにな。バーネットはオットーの養女だが、ミルドゥナ侯爵の養女ではない」
「どっ、どういうことですか?」と反射的に立ち上がるオットー。
「お前がサインする前に、ミルドゥナ侯爵位はブルーノに引き継がせておる。つまり、バーネットの賠償金に関しては、お前個人の問題だ」
「そんな、どうして・・・・・・」
言って、オットーはハッとする。弾かれたように、ブルックスをにらみ据えた。
――――――こちらに、サインをお願いします。
――――――侯爵は入れず、個人名で。
――――――なぜだ?バーネットは侯爵家の養子になるのだろう?
――――――はい。ですが、あくまで個人間の縁組みです。家のではなく、あなたさま個人の娘となるとお考え下さい。
「貴様!謀ったな!?」
オットーは、怒声を上げた。
ブルックスは目元を緩ませるだけで、答えない。ブルックスはあくまでミルドゥナ大公の部下だ。主の指示に従ったまでのこと。何も責められることも、恥じることはしていない。むしろ、ミルドゥナ侯爵位に大きな傷が入る前に、ブルーノに渡すことが出来て誇らしいとすら思っている。
「少し、失礼します」
ラティエースは言って、席を立ち応接間を後にする。廊下を進み、近場のテラスに出た。
不毛な言い合いは、まだまだ続くだろう。このまま聞き続けるのは耐えられそうにない。少し外の空気を吸って、気分転換をしたかった。
「これで満足かよ」
振り返ると、アレックスが立っていた。走ってきたのか少しだけ息が乱れている。
「あの時、メブロで謝ったのは、婚約解消を決めていたからだろう?そうなんだろう?」
アレックスは詰め寄り、ラティエースの両肩を掴んで力任せに揺すった。俯くラティエースに、アレックスは更に力を込める。痛みで顔を歪めるラティエースの顔をこの目に焼き付けたかった。顔を上げさせるために華奢な両肩を掴み続けた。だが、ラティエースがアレックスの思い通りに動くことはなかった。
「何でだよ・・・・・・。俺に一言も相談なしかよっ!」
声を荒げたアレックスはラティエースの肩をゆっくりと押しやる。ラティエースはそのまま欄干にもたれ掛る。
「・・・・・・。わたしに、リース公爵夫人なんて務まらないし、ましてやあなたの母親とうまくやっていく自信もない。解消理由としては、それで十分だと思うよ」
ラティエースは肩をすくめて言った。アレックスの激情など、全く気にする様子もない。
「それは・・・・・・」
母親のことを出されると、アレックスは言い返せない。ダイアナが、ラティエースに対する態度を変えることは決してないだろう。
「それに、わたしだけ婚約者がいるのは不平等だろう」
エレノアは、マクシミリアンと婚約解消となった。今後、エレノアの婚姻は問題がつきまとう。彼女に問題がなくとも瑕疵が付いたと見なされるからだ。
「勝ちすぎちゃいけないんだよ、こういうことは」
皇子たちだけに苛烈な罰を与えれば、それだけ反発も大きくなる。ならば、理由を付けてラティエース側にも処分を下して、喧嘩両成敗に持って行った方がいいのだ。ラティエースたちは元々、国を出るつもりだったから、婚約解消など罰にもなっていないが、見る側がそう勘違いしてくれればそれでいい。
「そろそろ戻るよ」
ラティエースは言って、アレックスの横を通り過ぎた。
(話し合い、殴り合いになってなきゃいいけど・・・・・・)
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、レオナルドが葉巻を吸っていた。祖父も同じ理由で応接間を出たようだ。ラティエースの姿を認めて、「この恩知らずめ」と口角を上げて言った。
「まったく、国外追放など・・・・・・。今まで育ててやった恩を忘れたか」
「まあまあ。良い思いさせてきたでしょう?対価は充分支払ってきたと思うよ?」
「ふんっ。金の問題じゃないわ」
「・・・・・・。賠償金入ったら、お祖父様の口座に移動させておく。お祖父様の判断で、賠償金を肩代わりするか決めて?陛下にもその旨、ちゃんと伝えてあるから。あと、借金の帳消しもよろしく」
笑うラティエースに、レオナルドは真面目な顔を向け、そして視線を下に向けた。
「貴様の借金がこれくらいの額で帳消しになるか、馬鹿者」
「ありゃ?トントンくらいにはなると思ってたんだけど・・・・・・」
ラティエースの軽口に、レオナルドは言葉を返さなかった。代わりに別のことを口にする。
「そんなに、貴族がイヤか?この家を出たかったか?」
ラティエースは苦笑を落した。祖父がそんな些事を気にしていたとは。意外に思いつつ、言葉を紡ぐ。
「・・・・・・。違うよ。自由に世界を見て回りたかっただけ。それには、ちょっとお邪魔かな。貴族令嬢は」
「なら、気が済んだらすぐに帰ってこい。国外追放なんてどうとでもなる」
皇帝の次に権力を持つレオナルドが言うならば、そうなのだろう。
うーん、とラティエースは言って、破顔した。
「じいちゃん、それまで生きてる?」
「このバチあたりめが」
言って、レオナルドはコツン、とラティエースの頭を小突いた。
公爵邸に帰宅しても、ダイアナの機嫌が直ることはなかった。
「何なの!こういうときだけ身内扱いして、ですって?こっちの台詞だわ。婚約中は、リース公爵の権限を好き放題にしていたくせにっ!」
言って、怒りのまま、上着をソファーにたたきつける。
「アレックス!あなた、明日にでも参内して陛下に直接訴えなさい!うちは、謀反にも加担していないし、大公の命令で皇子側にいただけだって!いいこと?今回の件で、あなたの皇位継承順位は上がるのよ?大公の力添えがあれば、即位だって不可能じゃない!婚約解消になっても、大公は優秀なあなたを見捨てることはなくてよ?」
そうよ、とダイアナが欲を前にした卑しい微笑を浮かべ、勝手な論理をまくし立てていく。
「あなたが皇太子になれば、わたしは実母よ?皇太后にだってなれるわ!そうなれば、ラティエースなんて侯爵令嬢じゃ釣り合いが取れない。最低でも公爵じゃないと。親類に歳の近い娘がいたわね。いや、やはり国外から迎えた方がいいかしら?」
「いい加減にして下さい、母上!!」
アレックスは声を荒げた。突然の大声に、ダイアナがピタリと動きを止め、きょとんとした顔でアレックスを見る。
「・・・・・・母上。謀反に加担、していたじゃないですか」
えっ、とダイアナは瞬く。
「してないわよ!冗談は止めてちょうだい!」
「バーネットの養子先をミルドゥナ侯爵家に持って行く件、いやオットーさんに持っていくようマクシミリアン皇子に言ったのも、皇妃の実家、モードン侯爵家から派遣させたのも、母上が皇妃にアドバイスして、後押ししたからでしょう?渋る皇妃に、傭兵を雇って出せと言ったのも母上だ。モードン侯爵家は苦肉の策でギルドを創設して、自領の私兵ではないっていうていを取ったけど、皆、分かっているよ。あれは、モードン侯爵軍の兵士だ」
「あっ・・・・・・」
ダイアナの顔色が瞬く間に蒼白になる。
「ラティは知っていて、黙っていたんだ。これが明るみになれば、それこそ、リース公爵家は終わりだ。ラティは、皇帝陛下と直接交渉して、リース公爵家のことを黙っておいてもらう代わりに、自分たちが国外追放されることで皇帝側の不満を逸らしたんだ。ラティたちは今回の立役者だけど、相手は腐っても皇族。やり過ぎだって意見は出ていたみたいだから」
「そんな・・・・・・。だって、あれは・・・・・・。仕方なく・・・・・・。だって、だって・・・・・・」
なくし物を探すようにダイアナは両手を彷徨わせるが、彼女の欲する何かはこの場にはない。目の前には、事実を告げる息子だけで、息子もまたダイアナの欲する言葉を与えてくれそうにはない。
「俺が大公のスパイだったって公表しても、母上のやったことは消えない。それなら俺が加害者として罰せられた方が幾分かましです。賠償金を払わないということは、母上の謀反加担が明るみになると同義であるとお考えください」
アレックスは、母の罪をミルドゥナ大公から知らされた。
ラティエースが近いうちに、国外追放となることも知らされた。
テラスから戻ると、大公が葉巻を吸っていた。そのときに知らされた。
アレックスの姿を認めると、大公はすぐに言った。
――――――お前とラティの婚姻は認めん。お前は、わしのかわいい孫を毒女から守ることも出来ない男だからな。
大公はさらに言った。
――――――お前とマクシミリアンは変わらん。皇位と伴侶の両方を求めた。それが悪いとは言わんが、己たちの努力する姿を見せなんだ。無理やり従わせようとした。本当に愛していたのなら、皇位は諦めるべきであった。お前も同じだ。公爵位もラティエースも諦めず、それどころかラティエースに諦めさせようとした。そんな男に、誰が可愛い孫をやれるか。
――――――あなたがっ!あなたがそれを言うんですか?俺に、ラティをあてがったのは、他でもないあんただ!!
アレックスは激高した。マクシミリアンと同類と言われたこと。そして、「違う」と言い返せないこと。その両方に。
――――――そうだな。確かにそうだ。だがな、わしは最初からお前にラティをくれてやるつもりはなかった。ロットの最後の願いでもあったリース公爵家の窮地を助けることと、ラティを外の連中にくれてやる理由を潰すこと。この二つを同時にかなえるには、お前との婚約が手っ取り早かっただけだ。
そして、大公はダイアナの件をアレックスに伝えた。皇妃を唆したこと。バーネットの養女の件を仲立ちしたことを。
大公は条件を出した。
――――――これらを表に晒す気はない。お前が、お前の罪だけを認めるのであればな。
――――――ラティはこのことを知っているのですか?
――――――当然だ。ラティがわしに知らせたんだからな。
テラスで話したとき、ラティエースはこの件について一切触れなかった。それが、彼女の優しさだったのだと今更ながら気づく。あの小さな肩に痛みを受けながらも、ラティエースはアレックスに同じ痛みを返すことはなかった。
「財産を売り払ってでも、僕らは賠償金を納めなければなりません」
それが、せめてもの贖罪なのだから。
一週間後。
エレノア・ダルウィン公爵令嬢、ラティエース・ミルドゥナ侯爵令嬢、そして、アマリア・リー男爵令嬢の国外追放の勅命が、ロザ帝国皇帝ケイオス一世の名において下された。
このニュースは瞬く間に国内外に広まり、マクシミリアンの謀反にまつわる噂を一気に吹き飛ばしたのであった。




