5.大人たち
――――ダルウィン公爵本邸
ダルウィン家現当主、キンバート・ダルウィンが、自宅に戻ったのは夜も更けた頃であった。今朝家を発った時は、夕食前には戻り、家族団らんを楽しむ予定だったのだが。
(あんの、クソガキが・・・・・・)
キンバートの額に青筋が浮かぶ。午後三時頃、宰相付きの官吏たちに休憩を促そうとした矢先のことであった。皇城の宰相執務室で決済を行っていたキンバートの元に娘から届いた書簡。文字は少し乱れ、焦りを感じさせた。そうせざるを得ない状況が書簡には書かれていた。
「閣下。いかがされました?」
険しい表情を隠そうともしない上司に、宰相付き筆頭官吏のダスティン・ローが声をかけた。返事の代わりに書簡を向けられる。受け取って、サッと目を通したダスティンも、キンバート同様、難しい顔をした。
「これはまた・・・・・・」
「娘は、とりあえず教師を通じて理事会に報告しに行った。件の伯爵令嬢は午後の授業前に家に帰したそうだ。伯爵邸にさえ戻れば、無体なことはされまい。ラティエース嬢が早退証明書とその写しを、それぞれ伯爵と理事会に提出済み。これで、お茶をかけられ、大けがをするところだったという事実がねじ曲げられることはないだろう」
「さすがですね」
「今頃、クソガキ牛耳る生徒会が、女子寮の部屋を荒らしているだろう。本当に寮に戻さなくて良かった」
「栄えある生徒会も、今や皇子の自警団のような様相ですからね」
キンバートも、ダスティンもロザ学園の卒業生で、生徒会役員でもあった。キンバートは元生徒会長、ダスティンもキンバートに憧れ、生徒会長目指したが、そのときは、ダスティンよりも優秀な伯爵家の令嬢が生徒会長になった。生徒会メンバーは完全実力主義でメンバー入りイコール出世街道に乗ったことと同義であった。文武両道プラス人格者でないとメンバーには入れない。それが、生徒会だったのだ。この伝統も、皇子が中等部に進級して瓦解した。
皇子の所業を見越していたキンバートの娘は、生徒会入りを固辞した。代わりにメンバー入りしたのは皇子が指名した取り巻きたちで、三年前にはバーネット男爵令嬢がメンバー入りしている。以来、メンバーの変更はなかった。皇子を中心とする中等部・高等部の生徒会メンバーは、歴代最悪と評されており、誰も生徒代表としての役割を期待していなかった。そういうときは、誰もが生徒会ではなくエレノアを頼る。そのことが、皇子をさらに苛立たせていた。
「こちらからも調査を出しますか?」
少し目を瞑り、思案した後、キンバートは首を左右に振った。
「駄目だ。あくまで学生間のトラブルだ。わたしに介入して欲しければ書簡にその旨を書いているだろう。娘たちの一連の行動は、あくまで皇子の横暴を正道にしないための根回しをしているに過ぎない」
「しかし、皇子たちは件の伯爵令嬢を拉致監禁くらいやりかねません。下手すれば警吏を動員しますよ」
「だろうな。伯爵邸に私兵はいたんだったかな?」
「いたとしても護衛程度でしょう」
「ウチの私兵を送ろう。頼めるか?」
はい、とダスティンは頷く。
「わたしは、伯爵に直接説明しに行こう。誰か、先触れを。それと供も頼む」
ダスティンが、先触れにニック・バレイン、供にハインダー・デナン子爵令息、護衛騎士でもあるネスミン・ブルック士爵(一代限りの騎士の地位。宮廷序列は男爵相当)を選抜する。それが終わると、ダスティンは帝都にある公爵私兵の待機所に送る書簡の準備を始めた。
ダルウィンと同じく皇城勤めの財務省副大臣のメーン伯爵を訪い、すべての手続きを終えたのが夜更け。できる限りの手は打った。あくまで学生間でトラブルを収束させると決意する娘の一助になれればいいが。
(あんの、クソガキが・・・・・・)
もう一度、心中で呟く。
今頃、皇帝と皇妃も頭を抱えていることだろう。息子に肩入れするな、と大きな、大きな釘を刺しておいたが。これに懲りる皇妃ではない。皇妃はさておき、皇帝も頭では分かっているのだ。我が子が次代の皇帝にふさわしくないことを。それを家族の情が邪魔をする。エレノアを婚約者に据えたのも、盤石な体制で皇位を譲りたいと思う親心からだ。その思いは痛いほど分かったから、婚約の打診を条件付きで受けたのだが、婚約受諾の決断は間違っていた。エレノアはともかくマクシミリアンはエレノアを憎んでさえいるのだ。あれでは、まともな夫婦にはなれないだろうし、悲惨な結果になるのは目に見えている。高等部卒業前に、婚約解消または婚約破棄を画策したが、ことごとく失敗に終わった。
(エレノアの言うとおりになったな・・・・・・)
お父様、決して婚約解消は成就しません。そう言い切る娘に、なぜと問うても「そういう決まりなので」と困ったように微笑するだけだった。
従者を先導させていたため、キンバートが玄関の階段を登りきる前に大扉が開かれ、待機していた執事長とメイド長が出迎える。執事長がコートを受け取り、「お帰りなさいませ」と恭しく礼をする。他のメイドやフットマンたちはもう休んでいるのだろう。
「お帰りなさいませ」
清廉な娘の声が飛び込んできた。妻もキンバートを笑顔で出迎える。二人はこんな時間になっても寝ずに待っていてくれたようだった。その思いやりだけでキンバートの疲れは少しだけ軽くなる。
「ただいま、二人とも」
両脇に二人を抱き留め、頭一つ分低い娘と妻の頭頂部に軽く口づける。
「お父様、本当にごめんなさい」
「お前が謝ることはない。むしろよくやった、と褒めたいくらいだ」
「あなた、これからどうなるの?」
不安げな妻に応えることはせず、まずは移動することにする。
三人が横並びで、応接室に続く廊下を歩き始める。上等な絨毯が敷かれた廊下の両脇には、等間隔に絵画や壺、異国情緒があふれる置物が並んでいる。中には国宝級の物品も置いてある。キンバートは、外交官を迎えるための見栄と言い切るが、その効果は絶大だ。ダルウィン公爵邸は、外交官にとって国力をはかるバロメーターになっている。
「明日から、理事会の調査が始まるだろう。メーン伯爵令嬢に対する聴取も自宅で行うらしい。その結果を生徒会に報告する形をとるそうだから、今回、生徒会は直接令嬢と接することはないだろう」
よかった、とエレノアは安堵の息を吐く。
「ラティが言っていたのですが、落としどころは、ロザーヌ様とフリッツ・ローエン伯爵令息が停学。バーネット男爵令嬢たちは、厳重注意というところだと」
「わたしもそう思うよ」
帰宅時、皇城の大門前でダルウィンを乗せた馬車が止まった。止めたのは、ローエン伯爵だった。軍人であることを誇りと思っている男の日に焼けた顔色は蒼白そのもので、その場で土下座をせんばかりの勢いだった。馬車を降り、とりあえず自重することと、可能なら息子を寮から引っ張り出すよう告げた。
「今回はなんとかなっても、このままじゃ済まされないぞ。ただでさえ皇子派は・・・・・・」
ダルウィンが言い切る前に、ローエンが「分かっている。わたしも覚悟を決める」と悲壮さをにじませて言い切った。ダルウィンはその言葉に、もう自身の言葉を重ねることが出来なかった。