49.祭りの後①
―――――――――帝国暦414年紫の月二五日未明。
メブロでは、帝都からの応援が街に入っていた。街は、マクシミリアン近衛軍の残兵に対する処置などで、騒然としていた。短期決戦を前提として籠城していたメブロが有利だったとは言え、無傷とはいかない。特にギルドの傭兵たちからは怪我人が多く出た。
広場にはテントが張られ、その中には担架や簡易ベッドが並べられていた。帝都から派遣された医療チームが、メブロの医師や看護師と共に、治療に専念している。ボランティアも雑用に走り回っていた。
ガリウスを中心として事後処理に当たっている中、ラティエースはソッとその場を抜け出していた。市庁舎の建物を抜け、緑地公園の小さな起伏、その上を登り切ったところで、ラティエースは立ち止まった。
市庁舎も小高い丘の上に建てられているので、その横の緑地公園も同じ高さである。眼下には夕闇にまばゆい光を放つメブロの街が広がっていた。街灯をふんだんに配置したので、夜でも明るい。それがメブロの売りの一つでもあった。この明かりを消さずに済んだ。それだけで、ラティエースは誇らしい。
「あー、しんど・・・・・・」
言って、ラティエースは草原に腰を下ろした。声は涸れ、喉がガラガラだ。さすがに最前線には出なかったものの、メブロはミルドゥナ大公の街。つまり、孫のラティエースが大公の代わりに、現場で士気を上げなければならない。声を張り上げ、ギルドの傭兵に突入・撤退の指示を出し続けた。サイナスは、ラティエースの采配に感心していた。いっぱしの軍師のようだ、と。当然である。例の合宿では模擬戦闘ももちろん訓練科目に入っていたのだ。不利な条件での作戦など、何度繰り返したか分からない。
時折、向こうの投石機から飛んでくる石が顔や肩を掠めたが、気にしていられなかった。師匠のフェブタンの金言「当たる時にゃ、当たる。びびってちゃ、余計当たる」を胸に、城壁から乗り出すようにして状況を確認し、指示を出していたら、ガイナスがすっ飛んできた。それから、何度、ガイナスに羽交い締めにされて引き戻されたか分からない。「お願いです!危ないですから!わたしが大公に殺されますっ!!」と、半ば絶叫していた。
あぐらをかき、交差させた足下に、両手を潜り込ませる。少しだけ、体重を後方に移動させ、交差させた脚を少しだけ宙に浮かせる。
さすがにプロムは終わっただろう。結果については分からないが、乗り切った、と信じたい。
昊を見上げれば、前世でもあまり見られなかった満天の星が広がっていた。いいね、とラティエースは口角を上げる。
このまま引っ立てられても、ラティエースはみっともない姿は晒さないはずだ。それに、牢にはエレノアとアマリアもいるだろうから寂しくはない。お互いの健闘をたたえ合い、斬首までの時間を、3人で過ごせればいい。二人に「お疲れさん」と言えるはずだ。そして、二人からも同じ言葉を送られるはずだ。
ラティエースの口元から「ふふっ」と思わず笑いが漏れ出る。断罪・処刑を忌避する一方で、どこかで受け入れている自分に笑えてくるのだ。そうしていると、かすかな茂みを踏みしめる音がした。
振り返ると、ラティエースの婚約者が立っていた。
「よく此処が分かったね」
「探し回った。・・・・・・市長が探していた」
アレックスはくたびれた格好をしていた。ウィングカラーシャツは皺がより、側章が2本入ったスラックスも、薄汚れている。額にも汗が滲んでいる。彼の言うとおり、方々、探し回っていたのだろう。
元々、整った容姿をしているが、そこに疲労という陰りが加わると、また違った色香というか、美貌が際立っているというのか。平凡を極めるラティエースは薄汚れても、そのままま小汚い娘と評されるというのに。結論としては、前世でも現世でも容姿が優れていると、心証がいいようだ。
「メブロを守った主役だろ?行かなくていいのか?」
「主役って・・・・・・」苦笑して、「たまたま居合わせただけだよ」
本当は怖かったのかもしれない。だから、メブロの防衛に参加することになった時も、心のどこかでホッとしている自分がいた。ああ、これで卒業式に出ずに済む、と。結果は受け入れられても、その過程に耐えられるかどうか不安だったのだ。
「隣、いいか?」
「どうぞ。で、プロムは?」
アレックスはラティエースの隣にドカッと座った。
「お前たちの思い通りになったよ。殿下とバーネットは、儀仗兵に連行された。ブルーノ、フリッツも連れて行かれたけど、俺はブルーノのおかげで抜け出せた。で、プロムは解散。親に耳たぶを引っ張られて帰る貴族令息がたくさんいたよ」
そっ、とラティエースは小さな声で返した。
「嬉しくないのか?」
「嬉しいよ。それとすっごく驚いている」
「その割に、顔に出てない」
「驚きすぎると、人はこうなる」
「そういうもんか」
「そういうもんよ」
ところで、とアレックスはポケットから一枚の紙片を取り出した。あの馬券である。ラティエースはソレを見て、俯き、「はははっ・・・・・・」と笑い声を上げる。やがて、徐に顔を上げた。
「やっぱ、知ってたんだ」
「そりゃ、あんだけ皆でコソコソしてたらな。プロム開始直前に、ディーンから買った。売らなきゃ、即刻、生徒会にばらすって」
「で?結果は?」
「第2レースまでは勝った。第3レースは、自分が死刑になるかどうか。俺は殿下の後ろに控えていたからな。言い渡されなかったよ。途中で陛下がお出ましになったから、第3レースは無効じゃないか?」
「そっか・・・・・・」
大体、ラティエースの目的は賭博よりもプロムを茶番にして、バーネットの目的を挫くことにあった。よって、配当金についても正直、どうでもよかった。ディーンが聞けば、怒るだろうが。
「エレノアも、アマリアも無事なのね?」
「もちろんだ」
はー、とラティエースは深い息を吐いた。ラティエースは、ようやく胸をなで下ろした。二人が無事ならそれでいい。
「君は・・・・・・」アレックスは眼下に広がる街を見ながら、「ずっと怯えているように見えた」
ラティエースもまた視線を街に向けたまま、アレックスの話に耳を傾ける。
「俺は一度としても君から助けを求められたことがなかった。それが少し寂しかった」
ラティエースが返答することはなかった。アレックスとて答えを期待したわけではない。
「君は生き急いでいるようにもみえた」
そうかもしれない。ラティエースは心の内で同意した。
断罪・処刑を回避すべく動く一方で、死なないためにナイフを握り、死なないためにナイフを振るった。アレックスは知らないだろう。ラティエースの両の掌が血で染まっていることに。前世では考えられなかったことだ。きっと、日本だったらラティエースは殺人事件の犯人として、刑務所、いや死刑になったっておかしくない。それほどの数を消してきた。大義があろうとなかろうと、ラティエースのやっていることは命を奪うことだ。そして、もうしませんと言えない自分がいる。きっと、これからも、必要があれば迷わずラティエースはナイフを握る。
「教えてくれ。俺は君にとってどうでもいい人間だったか?」
気づけば、アレックスはラティエースを見つめていた。目をそらすことが出来ない。はぐらかすことも許されないほど、アレックスはラティエースの瞳を捉えている。静かな光を称えているはずのアレックスの瞳からは、はぐらかすことは許さないという苛烈な光もあった。ラティエースは一瞬怯んだが、目をそらしたくても、そらせない。
長い沈黙が二人の間に流れた。
「わたしは・・・・・・。君に、幸せになってほしい。そう、ずっと思っていた・・・・・・」
(人任せなんだな・・・・・・)
ラティエースの勇気を振り絞った本音に、アレックスは失望した。ラティエースは、自身の手でアレックスを幸せにしたいとは思っていないのだ。アレックスは、ラティエースの側で、彼女と共に幸せになりたい、彼女を幸せにしたいと思っているのに。この独りよがりの思いを、アレックスは持て余していた。こうまで、相手にされていなかったとは。
「ごめん・・・・・・」
ついには、謝られてしまった。立てた膝の上に顔を埋めたラティエースに、アレックスはどう応えてたらいいか分からなかった。
「本当に、ごめん・・・・・・」
ラティエースの耳は朱に染まっていた。
アレックスは、ラティエースから引き出したい言葉を引き出すことが出来なかった。此処で、無理矢理ラティエースの腕を掴めば、いいのか。いや、そうすれば、二度と、ラティエースはアレックスに心を閉ざすだろう。その場では身を委ねても、一度きりだ。二度目はない。
欲しい言葉を得るには、どうすればいいのか。アレックスは途方に暮れた。その一方で、アレックスは理解していた。
ラティエースには、アレックスよりも大事な存在があるのだ、と。
どうすれば、自分はラティエースの一番になれるのだろう。
何を捨てれば、いいのだろう。
その答えは、数術のように簡単に導き出すことはできなかった。




