46.幕間
プロム。それは、プロムナードパーティーの略で、ロザ学園では卒業式の後に開かれるダンスパーティーを意味する。出席者は卒業を迎えた生徒と、その生徒のパートナーである。卒業生であるならば、独りでも参加はできるが、少々、不思議な目で見られてしまうことを覚悟しなければならない。
同級生でペアを組むこともあれば、後輩を誘うこともある。稀に、外部からパートナーを連れてくることもある。後輩はいずれ体験するプロムを先に経験でき、それを友人に自慢できるから、卒業式間際に、数少ないフリーの先輩に猛アプローチを掛け、パートナーの座を射止める熾烈な争いが勃発する。これもロザ学園ならではの風物詩と言えた。生徒会役員として参加するブルーノは、これにしっかり巻き込まれた。結局、生徒会役員は仕事柄、パートナーを連れても独りにしてしまうから、というアレックスの説得により危機を脱したのであった。スゴスゴと引き下がる女子生徒を見送って、ブルーノは「怖かった!」と潤んだ瞳でアレックスに抱きついた。その様子は学園中に瞬く間に広まり、頬を染めて二人を見守る生徒たちが急増した。特に女子生徒からは「応援してる」、「卒業間際のご褒美ありがとうございます」だの「来春には刊行します!」とよく判らない声を掛けられた。ブルーノは恐怖から開放された勢いでアレックスに抱きついたが、アレックスからは「これがラティだったらな」と落胆された。ついでだが、ブルーノはちょっぴり女性不信になった。
卒業式当日。そこに、ラティエースの姿はなかった。メブロでは、正体不明の軍が取り囲んでいるなどという噂も流れる中、ロザ学園の生徒たちは、いつもどおりの様子でイベントを消化していった。卒業式も厳かな雰囲気の中、皇帝臨席の元、粛々と式は進められた。卒業生総代はアレックスがつとめ、挨拶も完ぺきにこなした。同級生下級生問わず女子生徒は今生の別れのように涙し、母親のダイアナはそれはもう鼻高々で保護者席に収まっていた。
やがて、卒業式が終わり、生徒たちは家に戻り、夕刻頃に再び出席者はプロム会場であるカフェテリアへ入場するのだ。保護者達もプロムだけは多少の羽目を外しても許容するつもりで子を送り出す。自分たちが若かりし頃もそうやって親に送り出されてきたからだ。
「では、お父様。行ってまいります」
デビュタントのドレスの丈を短めに仕立て直したドレスを身にまとったエレノアが、玄関先で父に見送られながら会場に向かう馬車に乗り込もうとしていた。母のポモーナは、体調不良で夏ごろから領地で療養をしていた。卒業式に行けない詫びを込めて贈ったダイヤモンドのネックレスが、エレノアの白い肌によく映え、美しい光をたたえている。
「気を付けて行くんだよ?」
「はい」
「ラティ嬢のことは任せなさい。今、密かにメブロに人員を送っている」
卒業式の最中に、キンバートの元に届いた確定情報。噂はやはり事実だったらしく、メブロととある集団が交戦中らしい。所属先も不明だという。さらに、帝都にも彼らの特徴に似た小集団が入り込んでいるとのことだった。主要な重要拠点に私兵や傭兵、ギルドから人を回し、制圧に動いている。ミルドゥナ大公の中央軍も借りることができた。彼らは精鋭中の精鋭だ。大公軍と治安維持警吏を組ませ、帝都中を巡回させた。昼の時点で、皇城を目指す一団を捕縛し、現在は尋問中だ。そろそろ白状しているころだろう。
皇帝は皇城ではなく別のところで待機中で、夜も一仕事こなす予定になっている。それに随伴するのはもちろん、キンバートである。
この日、キンバートはとにかく内密で動くことを命じていた。ロザ学園だけでなく、他の学校も卒業式というところも多かったためだ。ただでさえ遠方からわが子のために帝都まで出てきている貴族も多かったため、情報公開は余計な混乱を招くと判断した。そして、なにより子どもたちのせっかくの門出を邪魔したくはない。
エレノアは、父が紹介してくれた騎士をパートナーとして同伴する。アンリ・ケスラーと言う士爵の青年で、見るからにさわやかな青年だ。軍属を示す軍服を着用し、エレノアをエスコートしてくれた。彼は今日一日、エレノアの傍を離れるつもりはない。護衛も兼ねているからだ。むしろそちらの方に重きを置いている。この後、護衛対象はアマリアも入る予定となっている。アマリアにもキンバートが手配した護衛がつく予定だ。残念ながら、クレイは留守番である。
「本日はよろしくお願いします。アンリ様」
「こちらこそ、よろしくお願いします。精一杯、務めさせていただきます」
アンリは折り目正しく言って、二人は馬車に乗り込んだ。
豪奢なシャンデリアの光に満ちた会場。
いくつもの真っ白なテーブルクロスが掛けられた丸テーブルと椅子、その上に並ぶオードブルとグラスに注がれた飲料。
誰もが盛装し、きらびやかな世界を彩る。
今日、この場だけは学生の学び舎ではなく、大きなイベント会場と化していた。
プロム会場の入り口は込み合っていた。そのような中で、盛装姿のアレックスが一人たたずむ姿に、うっとりと見つめる令嬢たち。パートナーの男性は気を悪くしつつも、絵姿にしてもおかしくないアレックスの姿に小さく嘆息するしかなかった。
アレックスは周囲を見回しては、待ち人を探す。卒業式もラティエースの姿はなった。パートナーについても特に話はしていなかったが、アレックスは生徒会役員としてのあいさつを終えたら、彼女との時間を持ちたいと思っていた。今後について、話したいこともある。
「アレックス・リース公爵令息?」
振り返ると、そこにはエレノアとパートナーの男性が腕を組んで立っていた。
「こんばんは、エレノア公爵令嬢。今日も素敵なお召し物で」
「ええ、ありがとう。ラティを探しているの?」
「あなたと一緒ではないみたいですね」
「そうなの。ちょっとトラブルがあって、卒業式にも出られなかったみたいで」
「トラブル?」
「わたしも詳しくは知らないわ。ミルドゥナ大公が対応しているから大丈夫だと思うわ」
そうとは限らなないが、ミルドゥナ大公軍が動いていることは事実である。そして、そういえばアレックスが安心するのもエレノアは知っていた。
「そう、ですか……」
「間違っても助けに行こうとか思わない事ね。あなたが行っても邪魔なだけだわ」
エレノアの鋭い言葉に、アレックスは怯む。今まさに、会場を出て行こうか逡巡していたからだ。
「早く殿下の元へ行ってあげなさいな。きっと、今頃、不機嫌だろうから」
エレノアの言った通り、マクシミリアンは機嫌が悪かった。生徒会室では、身支度を終えたバーネットが、ソファーに座り、すまし顔でお茶をしている。彼の癇癪にはもう慣れたし、今更なだめても疲れるだけだ。それよりも今は無駄な体力を使わず、本番に向けて待機する方がずっといい。
バーネットはブルーノと共に、式を終えたマクシミリアンに会いに行ったが、一目見るなり、マクシミリアンは顔を顰めた。それでも、侯爵令嬢になったことを、バーネットが報告すれば、「そうか。これでエレノアを排除すれば問題ないな」と言った。ブルーノに対しても不満はあるものの、口にはせず、フリッツを従えてスタスタとその場を後にした。一度も面会に来なかったことを根に持っているマクシミリアンに対し、アレックスもそ知らぬ顔で、生徒会役員の今後の指示を出している。
フリッツが、ブルーノやアレックスにやたら横柄な態度で接してきたが、二人は特に気にするふうでもなく黙々と雑務をこなしていった。また実務能力がないフリッツは、結局、二人に頼らざるを得なかった。
「お願いしますだろ?」と二人に凄まれ、フリッツは大人しく復唱するしかなかった。
フリッツは会場の点検と称して、学園の校門前や会場周囲を行き来し、近衛軍の到着を待ったが、一向に姿を表さない。業を煮やしたマクシミリアンがついにフリッツを呼びつけた。そしてマクシミリアンからもたらされた情報に驚愕した。
「なぜ、近衛軍がメブロの連中と交戦しているんだ!!」
「わっ、分かりません!俺は、帝都を目指すよう指示しただけです」言い訳がましく言って、「ひょっとして、計画が漏れたとか?」
「なぜだ!細心の注意を払うよう言ったはずだぞ」
「俺だって分かっています。細心の注意を払って集めました」
「じゃあ、なぜ、俺の元に馳せ参じない。今頃、父と母は私室に軟禁したと報告が入っているはずだろう」
さすがにバーネットに聞かれるのはまずいと思ったか、マクシミリアンは顔を寄せ、フリッツの耳元でささやいた。
「抜け道もすべて教えただろう!どうなっている」
「分かりません」
フリッツも、そうとしか答えようがないのだ。
まさか、帝都に侵入できた兵士は想定の4分の一で、それもすでに制圧されているとは思ってもいない。主力は今、メブロと交戦中で、このままいけば敗北することも目に見えている。メブロの城壁の高台には、等間隔に投石器を備えているのだ。街の人間を動員して、建築予定用の資材を中心に、石運びをさせて間断なく石を飛ばし続けているし、壁によじ登る敵も、ギルドの傭兵たちが容赦くなく切り捨てている。城壁の至る所に設置されたのは投石機だけではない。隠し扉から神出鬼没に飛び出すギルド兵にも手を焼いている。
メブロ側にとって火矢は厄介な攻撃であったが、弓矢の数など高が知れていた。それに質が悪いのか、飛距離は伸びず、盾代わりにした戸板で十分防げた。逆にこちらから火矢で積み荷を狙って燃やせば、物資不足に先に陥るのはマクシミリアン軍の方だ。旗を掲げずとも、メブロは無頼者たちを「マクシミリアン軍」と呼称することにしていた。
幸い、メブロ側からは死者は出いていない。重傷者は複数出たが十分、命は助けられる。対するマクシミリアン軍は着実に死者の数を増やしていった。
迂回して帝都を目指そうとする頃には、帝都側からも兵が派兵され、挟み撃ちの状態となっていた。投降する者には攻撃せずに捕らえるよう指示されていたため、捕虜となった兵士は、そのまま縄を掛けられ、ミルドゥナ大公軍へ引き渡される。苛烈な拷問の後、彼らはすべてを白状した。
すべての報告が、ミルドゥナ大公の元に届けられたとき、大公はのけぞって笑った。今にも椅子から転げ落ちそうな大公に、控える軍人たちが戸惑うくらいだ。
「ああ、これは歴史に残る阿呆だったわ」
ブルーノは、会場の裏、渡り廊下の隅で思いがけない人との再会を果たしていた。
「カスバート!」
名を呼ばわると、咄嗟に「しっ!」と口元に立てた人差し指が押し付けられる。
「勘弁してくれ。今、オレは行方不明ってことになってるんだから」
「そう。うん、ごめん……」
「そうよー。わたしの死にかけた話を一日中聞いてくれたから、こうしてちょっとだけ連れ出してあげたんだから」
そう言って、柱の陰から顔を出したのは、カノトであった。
「死にかけた話?」
なんだそれは、と不思議そうにするブルーノに、「気にしなくていい」とカスバートは言った。
「色々話したいことはあるけど、それはまた後でな。とりあえず顔だけでも見せておこうと思って。お前、姉さんに毎日のようにオレの行方を聞いてくれてたんだろ?耳にタコができる、ウザイったらないって、こっちにも苦情が来てたよ」
「ああ、そう。うん……」ブルーノはバツの悪そうな顔で言って、「どこにかくまわれていたんだ?」
えっと、とカスバートは歯切れ悪く言う。一瞬、黙って、小さな声で「別邸」と言った。
「別邸?別邸って、うちの?」
コクン、とカスバートは肯首する。
「別邸のどこ?地下室か何かか?」
「いや、実は毎日、お前が別邸に来ていることは分かっていたんだが……。ラティエース嬢の指示で、オレから話しかけてはいけないって言われてて……」
「なんだよ、それ……。僕が誰かに告げ口するともで思ったのか?」
「メイドの格好をさせられていたからよね?」
カノトが良く通る声で言った。
「メイド?」
カスバートは俯く。
「どーしても、許せなかったラティが嫌がらせの一環でやったのよ。カスバート君は、別邸でメイドの格好をして匿われていたわけ。メイクはわたしが教えたわ。そういうわけで、恥ずかしがり屋のカスバート君はあなたが来るたびに隠れてたってわけ」
「そんな……」
ラティエースは、ブルーノにカスバートの消息をかたくなに言おうとしなかった。それは、ただの嫌がらせとストレス発散だったというわけだ。
(あの、クソ姉貴……)
しかし、ラティエースならば、いつでもカスバートを始末することができたはずだ。それをせず、ブルーノの意思を尊重してくれたのは、やはりラティエースだ。
「それで?プロムには参加、できないよな?」
「ああ。でも見てるから」
「見てる?」
「そう。隠れてみてるから、お前は楽しんでくれ」
「うっ、うん」
「そのあと、うまくいけば時間をってあげられると思うわ」と、カノトが口をはさむ。
「あの、カノトさん。他の人たちも来ているんですか?」
「そうねー。レイナードはさすがにこれなかったけど、他の連中も待機しているわ」
「待機?どこに?」
「内緒」
と、カノトはいたずらっぽく微笑んだ。
プロム開始直前。エレノアはアマリアと合流し、会場の隅で最後の打ち合わせを行うディーンの元へ向かった。一応、盛装はしているものの、すでにネクタイは外している。ダンスをする気など更々ないのだろう。
「ああ、エレノア様方。準備万端だ。さっき打ち切ったところだ」
「そう」
周囲に目をやれば、誰もが紙片を持っていることに気づくだろう。それを男子生徒はポケットに、女子生徒は手元のポーチに潜ませている。
「で、ラティエース嬢は?」
そう問うと、エレノアとアマリアは黙り込む。ややあって、エレノアが口を開いた。
「別のところで戦っているわ」




