44.祭りの前⑥
翌日。やや二日酔いの頭を引きずりつつ、ラティエースは市庁舎に向った。
今朝のことである。
数歩進むごとに「うっ」と口元を押さえ、頭を抱えるエレノアをアマリアは不思議そうに見ていた。
「残れば?」とラティエース。
「ジョー、ミーカ、レーナの宿題を見てあげる約束だから」
相変わらず律儀なエレノアに、ラティエースもアマリアも感心した。相変わらず面倒見が良いようで、と二人は呆れてもいた。
「エレノア、帰る前にうちに寄っていこうよ。お兄ちゃんに二日酔いの薬、煎じてもらおう」
「・・・・・・特濃で頼むわ」
「それは自分で言って」
こうして、エレノアとアマリアが先行する形で、帝都に戻っていった。
ラティエースは、ガリウスに一言挨拶してから、帝都に戻ろうと考えた。そこで、同じ馬車には乗らず、あとから帝都に戻ることにした。少し遅い朝食を取り、市場に並ぶ肉や魚、野菜の値段を確認しがてら、目的地へ向った。
「ラティさん!今、迎えをよこそうかと思っていた処なんです」
ラティエースの姿を認めて、ガリウスが安堵の表情を浮かべる。一方、ラティエースの方は不思議そうに首を傾げた。何かあったのだろうか。ガリウスの表情が心なしか暗い。ガリウスの他にも数人の者たちが難しそうな顔で作業台を囲っている。
「どうかしました?」
「今、偵察を出しているのですが、二個大隊(=一個大隊500人程度)相当8個中隊(=この世界では1個中隊100人と換算する。歩兵のみ)が不規則な動きでこちらに向ってきているそうなんです」
「800人程度ね。どこの軍?」
「それが、旗をあげておらず、うち1個中隊はこちらにまっすぐ向ってきているそうなので、このまま街に入るのでは、と」
「目的が分からないね。門を閉める?」
「それを検討していたところです」
そう、と言ったきり、ラティエースは黙り込む。
「こういうときのマニュアルを渡してあったよね。アインスに連絡は?」
万が一、メブロが危機に陥ったときは、アインスとセキリエから兵力を借りられるよう契約している。元軍人も多く、定期的に訓練もしているから、練度は低くはない。
「はい、すでに信号弾は。念の為、人も送りました。皇城への連絡は、敵かどうか分かるまで控えています。それまでは、できるだけ情報を集めたいところなのですが・・・・・・」
ラティエースは壁に掛けられていた望遠鏡を掴んで、展望台へ駆ける。石壁に脚を掛け、土煙を上げてこちらに向ってくる一団を見つけた。何かヒントになるものはないか、と彼らの旅装や装備品を注意深く確認する。
(あれは、北方部隊の毛皮マントだな。旅装は新しくないし、ずいぶんと使い込まれている。黒と紫の鎧?バルフォン、いやローエンか?あの荷馬車は布で覆われているが、投石器だったら厄介だな)
兎にも角にも、このタイミングでの兵士の移動は気になる。仮にローエンであったならば、彼らは北方に駐留しているはずだ。この時期に、このタイミングでの帰還は珍しいし、戻るならローエン領の方が近い。
「どうします?」
「門を閉じて、滞在理由を聞く。大公代理として命じます。全門閉鎖、戦闘態勢に移行してください」
「かしこまりました」
毅然とした態度で言い切ったものの、ラティエースは不安でいっぱいだった。ただの商人(いや、傭兵ギルドもあるにはあるが)つまりド素人が、下手をしたら籠城戦をしなければならないのだから。
「ドヒャー、だよ。全く」
そうひとりごちて、ラティエースは踵を返し、市長室へ戻る。その道すがら、頬に貼り付けていた湿布を引き剥がし、これからやれねばならない事項を頭に並べ始めたのであった。
(まずは、非戦闘員の避難からだな・・・・・・)
一方、その頃。
ミルドゥナ侯爵邸では、当主のオットーが執事ブルックスを引き連れて、執務室から応接室に移動しているところであった。二人は渡り廊下を早足で歩く。
「全くこの程度の書類を集めるのに、今日までかかるとは。失態だぞ、ブルックス」
上等な焦げ茶色のダブルスーツに身にまとったオットーが忌々し気に言った。
「申し訳ございません。証文の手続きに時間がかかりまして。予想できなかったわたくしめの責任でございます。処分はいかようにでも」
その恭しくも、どこかふてぶてしさも含む態度に、オットーは盛大に舌打ちして正面に向き直った。ブルックスは承知しているのだ。ブルックスの主人はあくまでミルドゥナ大公であるということを。処分をすればブルックスは処分に至った経緯を大公に報告するだろう。
「……。間に合ったからいいものの……。客人は?」
「お待ちです」
オットーは角を曲がり、目的の応接間へ急ぐ。扉を自ら開け、客人たちを出迎えた。
「お待たせして申し訳ない。早速始めましょう」
オットーの姿を見て、ソファーに並んで腰かけていた母娘が腰を宙に浮かす。
「よろしくお願いします。オットー・ミルドゥナ侯爵」
ドローレスが嫣然と微笑む。ドローレスによく似た娘、バーネットも微笑んだ。
「バーネットです!今日は、よろしくお願いしますっ!」
オットーは、我が子とは全く違うタイプのバーネットに、満足げに頷いた。年頃の娘らしい溌剌とした愛らしい容貌だ。確かに、デビュタントの件は失態と言えようが、それも侯爵家で教育し直せばいいことだ。嫁入りの頃には、立派なレディーとになっているはずだ。
きっとオットーの手によって教育され、洗練されたバーネットを見れば、マクシミリアン第1皇子もさぞやお喜びになるだろう。未来の義父オットーの手腕に満足するに違いない。ただし、オットーは、そのための教育者の手配をしていない。誰かが察してするだろう、くらいにしか思っていなかった。
ブルックスが一礼して、レザー製の証書ホルダーを、オットーの前に広げる。そこには養子縁組に関する条項が並んでいた。
「こちらに、サインをお願いします」羽ペンを手渡しながら言って、「侯爵は入れず、個人名で」
「なぜだ?バーネットは侯爵家の養子になるのだろう」
「はい。ですが、あくまで個人間の契約です。家のではなく、あなたさま個人の娘となるとお考え下さい」
それもそうか、とオットーは、羽ペンを滑らせる。サインが終わると、バーネットの前にも同じようにしてホルダーを広げた。
「こちらに、署名をお願いします」
「はいっ。わー、緊張するな-」
「書き間違えちゃ駄目よ、バーネットちゃん」
「分かってるってば」
そんなやりとりを、オットーは微笑ましく、ブルックスは冷ややかな目で見守った。
「できました!」
ブルックスは無言で、ホルダーを引き、パタンと閉じる。そのまま、部屋を辞した。
これで、オットーとバーネットとの間に養子縁組が成立した。
「こんなかわいい娘ができてうれしいよ、バーネット嬢」
「はい。わたしもこんな素敵なパパができてうれしいです」
「良かったわね、バーネットちゃん」
応接用テーブルの上には、三段のサービングプレートが置かれ、それぞれの段に、プチケーキや焼き菓子、フルーツが宝石のようにキラキラと輝いて並べられている。カトラリーも見るだけで高級な銀食器だと分かる。
(男爵家と全然違う)
使うものも、調度品も、当主が着ているスーツはもちろんこと、控える執事やメイドも、一流ホテルのそれと変わらない。すべてが男爵家と大違いだ。皇子と付き合っていて、それなりの贅沢を味わってきたバーネットだが、それでもミルドゥナ侯爵家の豪華な生活に息を飲んだ。もうすぐ、この家の養女となり、侯爵令嬢として帝室に嫁ぐ。ゲームでは、卒業式のプロムの後、すぐに結婚式の映像が流れたが、さすがに翌日に結婚とはいくまい。貴族の結婚は、早くても半年から1年だという。その間は、この侯爵家で過ごすのだ。毎日、メイドたちに起こされ、身支度も自分ですることなく、誰もが未来の皇妃に跪く。想像しただけで、興奮して眠れなくなってしまいそうだ。
「部屋は、ラティエースが使っていた部屋を、そのまま君に使ってもらう」
「えっ?じゃあ、ラティエース様はどちらに?」
「ああ。あれは、ほとんど家に帰ってないんだ。帰ってきても、ほら、庭の物置があるだろう。あそこで過ごしている」
「あら……」
バーネットは頬に手を添え、瞬いた。
意外にも、ラティエースはミルドゥナ侯爵家では不遇の扱いを受けているらしい。そのことを知ってバーネットは溜飲が下がる思いであった。ただし、物置と言っても、広さ的にはバーネットの邸宅と同等であり、内装も、下手をしたら本邸よりも洗練されているのだが。その事実をオットーだけではなく、バーネットも知る由はなかった。
「あの、わたしの部屋、見に行ってもいいですか?」
「まあ、バーネットちゃん。失礼よ?」
「いいんだ、ドローレス。それは、構わないが……。まだ、壁紙の張替えや、カーテンも古いままだよ?もちろん、越してくる卒業式翌日までには間に合わせるが」
「どんな部屋か見てみたいんです」
「ああ、どうぞ」言って、オットーはメイドに「バーネット嬢を、ラティエースの部屋へ案内しろ」と告げた。頷いたメイドが一歩前に進み出る。
「バーネットお嬢様。こちらへどうぞ」
バーネットが部屋を出ていく時、扉の隙間から見えたのは、オットーが席を移動し、ドローレスの横に座ったところだった。
(なるほど。ママも鞍替えか……)
ラティエースの私室は、西向きの角部屋にあった。バーネットの部屋の3倍はあるかという広さだ。これを一人で使っていただなんて。さすがは高位貴族。その子女も贅沢なものを与えられているらしい。
(これが、わたしの部屋……)
室内は、きれいに片付けられていた。ベッドも、勉強机も置かれてはいるものの、すべての家具に埃除けの白い布が掛けられていた。試しに、クローゼットも開けてみたが、小さな女の子が着るドレスやワンピースばかりで、今のラティエースが着るような服は一着も入っていなかった。引き出しにあるものも、あくまで小さい頃のものばかり。ただ物自体は高級なものばかりであった。とにかく、この部屋はずいぶんと長い間、使われていなかったらしい。
背後に控えるメイドは、バーネットが前を向かないことをいいことに、その不躾な行いに、盛大に顔を顰めていた。
「カーテンは薄桃色がいいわ。遮光用のカーテンはレースをあしらった白で合わせて」
すでにこの家の令嬢となった気でいるバーネットは、早速注文をつける。メイドは、事前にブルックスから言い含められていたこともあり、「かしこまりました。ご当主にお伝えします」とだけ言う。
気をよくしたバーネットは、最終的に、すべての家具の取り換え、ベッドシーツの色まで希望を伝えた。すべての指示に、否定の言葉が出ることはなく、バーネットは有頂天だった。




