43.祭りの前⑤
卒業式まで一週間を切った。
この頃になるとようやくラティエースの顔の腫れも引き、化粧をすれば誤魔化せる程度まで回復していた。学園でやることよりも、他でやることの方が多く、相変わらず学園には顔を出してはいないが、エレノアたちとは毎日のように会っていた。
今日もメブロのレストランで落ち合い、3人は食事をしながら成果を報告し合う。
「ディーンからは、いい返事をもらったわ。売れ行きも絶好調で、学園生徒の殆どが加担しているそうよ。もちろん、生徒会側には一切ばれていない。こうまで結束できるのも考えものだと思うのだけど」
あの様子では生徒以外にも、教師から庭師、厩舎のスタッフまで購入しているのではないか、と疑ってしまう。
「娯楽はね、皆の気持ちを一つにさせるのよ。1等前後賞◯億円に夢をはせる人がどれだけいたことか。それと同じだ」
ラティエースはしみじみと噛みしめるように言う。
「で、ラティの方はどうなの?」
アマリアが言えば、ラティエースはVサインを二人に向ける。
「とりあえず、皆から了承をもらった。工事の方は?」
「ええ。問題なく終了したわ」とエレノアが請け合う。
「じゃ、あとは当日を待つのみ、か」
「ええ」
「長かったわね」
「絶対、成功させようね!」
アマリアがグラスを掲げる。中身はただのオレンジジュースだが、意図は伝わる。エレノアも、ラティエースも同じように杯を掲げた。
「成功を祈って」
言って、ラティエースはエレノア、アマリアの顔を見やる。
「乾杯!」
3人は杯を合わせた。
2時間後。テーブルに突っ伏して寝るアマリアと、それを苦笑しつつ見やるラティエース、エレノアの姿があった。ウェイターが気を利かせて毛布を持ってきてくれる。すでに店は閉店しているが、この店はラティエースの経営する店なので、オーナー権限で居座っても問題はない。閉じまりはするから、と従業員には帰るよう伝えた。今、店には3人のみだ。二階は仮眠室になっているから、今日は店で寝泊まりすることにした。
ラティエースとエレノアは飲み物をワインに替え、キッチンから勝手にチーズや生ハム、ドライフルーツなどを拝借し、それをつまみに飲み交わしていた。
「そういや、総合社会研究部だっけ?」
「ああ、そう。どうだった?皆、元気にしてた?」
「ええ。今日も、アマリアの差し入れに狂喜乱舞していたわ」
「そりゃ、よかった」
「教えてくれたら良かったのに」
エレノアが不服そうに口を尖らせる。
「いやー。なんか言うタイミングを逸したというか、ディーンがいたからね。問題行動を起こす生徒と一緒にいるってのも気が引けて」
「今日も悪ガキどもとポーカーしていたけど。チップコインの代わりにどんぐりを使っていたわね」
「お金を賭けてるわけじゃないよ、って言い訳になるっしょ。ジョーの拾ってくるどんぐりは評判がよくてね・・・・・・」
「どうせ、あんたがレート決めて、換金してたんでしょ?そのジョーって子、あんまり口の効き方がなってないから、今日、こめかみつぶしをしてやったわ」
ヒッ、とラティエースは両のこめかみを守るようにして両手で抑え仰け反る。さぞや、痛かったろう。そして、二度とエレノアに逆らおうとは思うまい。
「知らなかったわ。あんなに居場所のない生徒たちがいたなんて」
「んー・・・・・・」と、ラティエースは、エレノアのグラスに並々とワインを注ぐ。そのまま自分のグラスにも注いだ。
「ゲームでは描写されていないしねぇ」
「あなただから気づけた?」
それは意地悪な質問だっただろうか。言ってから、エレノアは気づき、後悔した。思わず、ラティエースから顔をそらす。
「2度目の学校生活が楽しすぎて、そのときまで忘れてたんだけどね。放課後、アリッサが独りぼっちでぼんやりと窓の外を見ていた。学校がつまらなさすぎたあの頃の自分と重ねちゃったよ。まあ、大学はそれなりに楽しかったけどね。でも心のどこかで学生生活をやり直したいって思ってたんだよね」
だからさ、とラティエースはエレノアを正面から見据え、微笑んだ。
「ありがとね、エレノア」
えっ、とエレノアは瞬く。
「なんやかんやでこの17年。いや、転生したのが5歳か?とにかく10年以上、楽しく過ごせたじゃん。このままゲーム通りになっても、後悔しない気がするんだよね」
言って、ラティエースは慌てて両手を振って、「いや、死ぬつもりはないんだけどね」と早口で言う。
「そうね。わたしもそうだわ。こんな形で2度目の人生を送るなんて思わなかった。前と違って、夫の前で自分を押し殺して、日々を過ごすなんてことはなかったもの」
「うん、悪くなかった」
ラティエースがひとりごちる。日本に居たら、剣を扱うことも、それを使って人を傷つけたこともなかっただろうが、後悔はない。
前世では、同調圧力が標準装備のような会社で、薄笑いを浮かべて過ごしていた。幸い、給与も待遇も悪くなかったが、ふと虚しくなる。虚しさのまま、ベランダの縁に足をかけようとしたこともあった。そして、翌日。何事もなかったかのように、満員電車に乗り込む。そんな毎日に嫌気が差していた。
だから、転生して得た二度目の人生は、決して自分を偽らないでいようと決めたのだ。周りに言われて動くのではなく、周囲の意見を聞いてもまずは自分の内で消化させてから行動に移した。たとえ、消化に時間がかかっても、納得してから動いた。すると、結果の如何に関わらず、逃げずに受け止めることができた。
「・・・・・・。きれい事かもしれないけど、出来るならこれ以上、犠牲を出したくないわ。皇子にしても、バーネットにしても、できることなら争わずに解決したい」
「ソレが出来たら一番いいんだけどねぇ」
「無理、かしらね」
「相手次第だろうなぁ」
言いながら、ラティエースはロゼワインを開ける。これで3本目である。しかもそれは、コック長秘蔵のコレクション棚に飾られていたものではないか。そう思いつつも、エレノアは栓を抜くラティエースを止めようとはしなかった。
勧められるまま杯を重ね、ついにエレノアの目の焦点が合わず、ろれつも回らなくなってきた。頬を真っ赤に染め、目もとろんとして眠たげだ。
「そういや、あんた。独りでマツタケを楽しんでいたそうじゃない」
ヒュー、ヒュー、と音の出ない口笛をラティエースは必死で鳴らす。息のみのヒュー、ヒューと情けない音が出るだけで、あと白々しいだけだ。
「今度、わたしに、も・・・・・・。土瓶蒸し・・・・・・」
ついに事切れたエレノアが、テーブルに沈み、寝息を立て始めた。
ようやく寝たか、とラティエースは右手を自身の肩において、左腕を大きく回し、伸びをする。
「お疲れさん、エレノア」
ラティエースは分かっていた。エレノアがゲームに一番詳しいと同時に、皇子ルートでゲームをクリアーしていたことも。もちろん、他のルートもやり込んでいたが、本命は皇子だったようだ。
転生し、婚約者となった直後は、関係改善を試みたこともあったが、マクシミリアンはただエレノアを疎むばかりだった。エレノアの才知、美貌、所作は、マクシミリアンの劣等感を刺激するばかりだった。彼が欲した相手はともに切磋琢磨して高め合う相手ではなく、自分を引き立ててくれる相手であった。それこそが、バーネットであった。バーネットはエレノアと真逆に位置する少女であった。マクシミリアンのプライドを満たし、刺激し、さらには煽ることまでやってのけた。
彼らが惹かれ合った理由。それはお互いがお互いを決して否定しない間柄だからだ。やがて、二人は他者を尊重することなく、二人だけの世界に浸り、一種の共依存のような形になっていったのだ。
どちらにせよ、さすがにこの頃になるとエレノアはマクシミリアンに何も期待しなくなっていたが。
(きっと、あなたも次は素敵な恋愛ができるよ)
席を立つと、足がもつれる。自身も少し飲みすぎたようだ。ふと見ると、テーブルには空き瓶が転がっている。その数は片手の指の数ではきかない。
(やべっ。ちょっと飲みすぎたかも)
翌日、テーブルに転がる空ビンのラベルを見たコック長は、ラティエースと口をきいてくれなくなった。全面的に非を認め、弁償+賠償をしてもしばらくは、避けられたのであった。さらに、棚は鍵付きのものに変えられ、その費用はもちろんラティエースの手出しとなったのであった。




