42.祭りの前④
マクシミリアンは、夏の外遊から戻った直後から監視付きの生活を送っていた。かつてのように、取り巻きたちとホテルで豪遊することも、バーネットと街歩きをすることもない。学園内でも、例外的に護衛がつくことになり、息苦しいことこの上なかった。護衛という名の監視がいる手前、自由に振るまえないし、もちろん、バーネットと過ごすこともできない。フリッツを通して手紙のやり取りをするくらいがやっとであった。そして、建国祭前日。マクシミリアンは、学園への登校も禁じられた。講義は家庭教師が行い、学園からの課題とテストの結果で単位が認められるいう。当初は、安全のためだとか、建国祭関連の危険性を考慮したものだとか言っていた周囲も、その目には、マクシミリアンに対する不信が映っている。
(俺が何をしたというのだ)
全く心当たりのないマクシミリアンだったが、それでもおとなしく勅命に従った。が、建国祭当日、毎年行われるバルコニーでの「お手振り」や、パレードへの参加は不要と言い渡された。
「なぜですか、父上!」
引き留める侍従たちを振り払い、マクシミリアンは父の元へ飛び込んだ。「何がだ?」ともいわず、ただ首を巡らし、マクシミリアンを見やる。その冷たい双眸に、マクシミリアンは一瞬、押し黙ったが、それでも何とか口を開いた。
「なぜ、わたしが公務に出てはならないのですが!」
「その資格がないからだ」
マクシミリアンの怒声に対し、ケイオス一世の声はあくまで平坦、朗々とした声だった。
「資格がないって!まだデビュタントの件をお怒りですか?」
「まだ、ということはお前は解決済みだと思っているのか?」
「それは……」
式典用の盛装に身を包んだ皇帝は、侍従の手を借りながら椅子に腰を下ろした。
白を基調とした軍服に、深い蒼に染められた毛布のマントを掛け、式典直前には、2㎏は下らない王冠を戴冠するのだ。歴代皇帝が使用するマントには、皇家の紋章と皇帝の紋章が金糸で刺繍され、その間には、各貴族の紋章が、一回り小さく刺繍されている。
(俺だったら、蒼一色か、貴族の紋は排除する)
「これへ」
侍従にそう告げると侍従は、心得たように銀の盆を捧げ持ち、皇帝の前で膝をついた。盆の上には、深紅のベルベット生地の箱が置いてある。皇帝はそれをおもむろにつかみ取った。その乱暴な手つきに、マクシミリアンは反射的に身をこわばらせた。
また、あの時のように、あの時は新聞紙であったが、投げつけられるのだろうか。その光景がフラシュバックした。
が、投げられはしたものの、それは飼い犬にボールを投げてやるような緩やかさであった。マクシミリアンの足元に、ガシャンと金属音が響く。ゆっくりと見やれば、そこには、見覚えのあるネックレスが、転がっていた。耳飾り、指輪も床に落ちた衝撃で散っていた。
「これは……」
見間違えようもない。デビュタントのときに、バーネットが身に着けた宝飾類一式だ。なぜ、これが皇帝の手元にあるのだ。ひょっとして、傷でもついていたのか。今更、それを理由にマクシミリアンを再び、叱責しようというのか。しかしながら、どの予想も外れていた。
「質に流れていたそうだ」
マクシミリアンは、一瞬、「質」という言葉が何なのか分からなくなった。「質」とこの宝石がどう結びつくのか、分からない。分からないから周囲を見るが、侍従たちは顔を伏せ、扉の前の儀仗兵たちは、訓練通り無表情を貫いている。
「デビュタントの騒動後、コレクションは返却せずともよい思ったのか?売却すれば、問題は解決するとでも思ったか?それとも、バーネット・カンゲルは、これを売らねばならぬほど生活に困窮していたのか?お前が、売って金にせよと許したのか?」
矢継ぎ早の問いに、マクシミリアンはますます混乱する。てっきり、宝飾類は返却されているものと思い込んでいたからだ。当然だろう。あれだけの騒ぎになったのだから。マクシミリアンに直接渡さずとも、アレックスあたりを通じて返しているとばかり思い込んで、そのまま忘却の彼方であった。
バーネットはこれを貰ったと勘違いしたのか。いや、当日、身に着けさせたときに、この宝石の歴史的由来について話し、丁重に扱うよう言ったはずだ。曾祖母も身に着け、皇城に飾られている肖像画には、この宝飾をつけた皇女や皇妃の絵が多くあることも言い含めたはずだ。数日以内に返すものと、バーネットも了解していたはずだ。
「お前が皇妃にしたいという女は、なんと浅ましい女か。帝室の財産をこうも易々と売り飛ばし、儀式の意味も、その所作すら知らぬ礼儀知らずがこの国の皇妃になるというのか。諸外国の王家の姫にしろだと?諸侯の養女にしろだと?その資格があるのか?お前が皇妃にしたい女は」
先祖が培ってきた他国の王家との絆を、マクシミリアンがバーネットを養女にするよう請うたことで、断ち切られてしまった。ケイオス自身が詫びの書簡を送ったが、返信のあった王家は数家のみ。あとは、返信しないことで絶縁を宣言しているのだ。
マクシミリアンは、ガクン、と膝を折り、震える手で首飾りのチェーンを持つ。
そんな愚息を見下げつつ、ケイオス一世は自責の念を抱いていた。あの時、デビュタントの時に、バーネットが身につけている宝飾類にもっと気をつけていれば。よく似た意匠だと思いつつも、心のどこかで、まさかあの宝飾ではない、と思い込んでいた。せいぜい似たレプリカだと。そういう思い込みが、目を曇らせた。ケイオス一世はそう自分を責め続けているが、それは会場に居た皆の責任だともいえる。
「わたしはこの国を守る責務がある。この国を繁栄に導く者に、その玉座を譲る。決して、滅びの道に突き進む愚かどもに、玉座を渡すことも、皇族と名乗らせることも、民の前に姿を現すことも許さぬ。マクシミリアン、そなたは学園卒業後、皇族籍から抜き、平民とする。今のうちに自活する術を整えておくがよい」
あれから年が明け、紫の月になっても、マクシミリアンは私室に軟禁されたままであった。時折、皇妃の女官が差し入れに本や食事を持ってきてくれたり、皇妃自らがが面会に訪れたりしてくれた。皇妃はあれから日参して皇帝の怒りを解こうとしているが、その発言がますます皇帝を怒らせているようで、ついには皇妃に対する資質まで言及されたそうだ。特にダルウィン公爵からの娘に対する苦情はマクシミリアンだけでなく皇妃にもあったらしい。今までの皇妃の言動や行いを暴露された皇妃も、しばらくは皇帝に近づかないようにすると言っていた。
幸い、フリッツの面会も許されており、彼を通じてバーネットに手紙を送った。ネックレスの件を問いただすと、「あれは母が勝手にやった」と返答があった。アレックス、ブルーノ、カスバートにも参内するよう手紙を送ったが、連絡をしてくるようなことはなかった。裏切者め、とクッションを投げつけるしかマクシミリアンはできなかった。
父は言った。マクシミリアンを皇帝にすることも、皇族とすることもない、と。このまま、唯々諾々と皇帝の言いなりになっては、マクシミリアンに未来はない。
マクシミリアンは、皇帝にならなければならない。
バーネットを皇妃に迎えねばならない。
エレノア、ラティエース、アマリアを排除しなければならない。
マクシミリアンの何かが、彼を突き動かす。
フリッツ・ローエンだけが、マクシミリアンに忠実であった。彼の忠義にマクシミリアンは言葉に尽くせないほどの感謝を示し、自分が皇帝になった暁には、ローエン大公として叙爵すると約束した。簡単な証文も作り、マクシミリアンは署名と花押もつけた。フリッツは、ローエン家の復興を大いに喜んだ。
そのフリッツが、マクシミリアンの私室を訪れた。手には、学園の課題と思しき書類が握られている。侍従たちは、皇妃に言い含められているのか、部屋の中までは入ってこなかった。
「フリッツ、よく来た」
マクシミリアンは、両手を広げてフリッツを歓待した。
「はい。遅くなりまして」
「構わん。で、どうであった?」
応接ソファーまで誘導しながら、マクシミリアンは尋ねる。フリッツは口角を上げた。
「はい。ローエンから500、モードンからは300出してもらえます。ただしモードン侯爵は、自軍ではなくすべて傭兵です。練度に関しては未知数ですね。俺のところは、正規軍の訓練も一通り受けていますので、ご安心ください。親父が軍のトップを慰留されているとはいえ、目に見えて不遇にあっていましたから。給金が払えず、泣く泣く解雇した者たちばかりです。それもこれも、ダルウィン公爵とメーン伯爵が、うちに小麦を流さなくなったからです」
自業自得だ。冷静な観客がいれば、そう言い切ったであろう。しかし、この場には冷静な観客もいなければ、今まさに計画していることが謀反であるということも指摘する者はいない。
メーン伯爵が婚約破棄を早急に結実したかった理由。それは、収穫期前に破棄してしまえば、その年の小麦を融通せずに他に定価で販売できると見ていたからだ。素直にサインすれば、賠償は求めないというメーン伯爵の申し出に飛びついたローエン伯爵の浅慮の結果だ。繰り返しになるが、自業自得である。
二人は衝立の向こうの執務机まで移動し、皇城の見取り図を広げる。
「決行は、卒業式の後のプロムだな。幸い、父からは出席を許されている。プロムは基本的に生徒だけになるから、エレノアたちを取り押さえるのも容易いだろう。まあ、エレノアたちの非道を知れば、周囲の生徒たちが捕縛するだろうがな」
「同時に皇城の陛下も押さえれば、俺たちの勝ちです」
「警備の位置、人数は俺の頭に入っている。手薄になる時間も、な」
「今、500の近衛兵はメブロの手前で野営しています。卒業式まであと1週間。小隊に分かれて移動し、当日、一気に帝都まで突入します」
「近衛兵か。悪くない響きだ」
マクシミリアンはニタリと口角を上げた。
「成功した暁には、たっぷり褒美をくれてやって下さい」
「当然だ。前から考えていた俺の直属の軍、近衛軍として大いに活躍してもらうぞ」
「ははっ。ありがたき幸せ」
フリッツ・ローエンが集めた兵士は、確かに元ローエン伯爵の指揮下にあった。解雇された理由は、軍人として不適格と判じられた者たちばかりだ。ならず者と変わらぬ彼らの練度は低く、そのことをフリッツは理解していなかった。




