35.メブロ
メブロ。それは、ミルドゥナ大公領の飛び地で、未開発の土地。遺跡の発掘が終わった後は、外壁だけを補修しただけの野原と変わらぬ場所だったはずだ。
ところが、これは一体どうしたことだろう。
「こりゃ、どういうこった・・・・・・」
行商の一人が声を上げた。この間まで何もなかった場所に、突如現れた華やかな街。大門の向こうには、大通りが続き、その両脇に並ぶ真新しい建物。帝都と変わらぬ賑わいを見せる商店が並び、売り子たちの呼び声が重なり、活気に満ちている。
「ようこそ、メブロへ」
門番がにこやかに言い、手元の冊子を行商の男に差し出す。
「こちら、案内マップになっていおります」
薄い冊子には、色彩鮮やかな文字や絵が踊る。文字が読めない者にも配慮された地図で、絵や記号で店の特徴を示している。
「おいおい。こんな街、前はなかったぞ」
後続の行商団も同じような反応だった。
「商会の支部もあるじゃないか。ってことは、帝都まで行かなくても品を売れるってことか?」
「ラキシスがあるぞ。帝都にあったんじゃないのか?」
「おいおい。有力ギルドの名が連なってるぞ。護衛依頼できるのか?」
門前で賑わう行商団に、案内係が近づいてくる。案内係は近づいてくる若者だけでなく、何人もいた。そこかしこに散らばる行商団や客を、道の邪魔にならないよう広場に誘導しつつ、街の説明を行っている。
案内係と一目で判じられるのは、皆、同じ制服を着ているからだ。男女ともに少しゆったりした黄色の上下のつなぎ、肩から掛けられた襷には、ロザ語だけでなく、ロフルト語でも「わたしがガイドです」と記されている。つなぎの腕章には、かの有名なミルドゥナ家の紋章が刺繍されている。ここまでされては詐欺や不正を疑うのは難しいし、行商団もその腕章を見れば、下手に騒ぎを起こそうとか思わない。彼らはミルドゥナ家の庇護の元にあると喧伝しているようなものだからだ。
「ようこそ、メブロへ。我々はガイドをつとめるものです。よろしければ、帯同しますよ?もちろん、御代はいりません。そちらの方は、ギルドへの護衛依頼ですか?そちらは、娘さんの土産物?はいはい、ちょっと羽目を外せる店?ありますとも、ありますとも」
ガイドは愛想良く、行商団の質問に答えていく。
「我々を連れているだけで、ギルドにも話を通しやすいですよ?いかがですか?」
「是非お願いしたい!」
そう一人が飛びつけば、「俺も」、「こっちも」と次々と手が上がる。
「はいはい。お任せ下さい」
ガイドが一人、また一人と行商団を率いて街中に入っていく。この調子で、メブロに滞在する人々が爆発的増えていった。大体が、帝都を目指す商売人だ。平民でもある彼らは、メブロの街で売られている食べ物も抵抗なく受け入れた。それは、平時であるならば下品だという評される食べ歩きできる食べ物である。特に、ハンバーガーなる食べ物は、ソースや付け合わせの野菜を選べることもあって、瞬く間に評判となった。その評判は帝都にまで届き、帝都からメブロを訪れる人々も増えるようになった。
メブロの中央、緑地公園の隣には、ひときわ豪奢な建物、行政庁があった。
「おっす、市長!」
「誰が市長ですか!勝手に、肩書きを増やさないで下さいよ!!」
ガリウスが即座に返す。
ガリウスは、出来る男である。ラティエースに丸投げされ、マーディンに無理な納期を押しつけられてもやり遂げた。報酬は目を剥くような金額で、思わず「0」の数を何度も数えた。
――――――でさ、ちょっと街が落ちつくまで、まとめ役みたいなことやってくれない?(R・M氏)
――――――そうそう。どうせなら、この指揮所を市庁舎にしちゃいましょう。みすぼらしいなら街にふさわしい外観に改装しちゃって下さい。金ならあります。金なら。(M・R氏)
――――――ガリウスさん。俺、新制ラキシスに惚れた女が出来ちまって。いつか所帯を持とうって約束したんです。なので、メブロをもっと発展させましょう。(元工事責任者・某氏)
「知るかぁぁぁぁぁ!!」
ガリウスは、いつの間にか作業台が立派な執務机に換えられていることにも気づかずにいた。衝動のまま作業台をひっくり返そうと思い、縁に手を掛ければ、やたら立派な重々しい厚みのある縁に変わっているではないか。ガリウスは突き指し、ちゃぶ台返しは出来ず、ストレスと報酬、そして仕事がたまっていくのであった。
本日、メブロの流通問題で頭を悩ましているところにひょっこり顔を出したのは、ストレスの元凶ことラティエース・ミルドゥナ侯爵令嬢である。町歩き用の衣装に身を纏い、片手には「片手の王様」の紙袋下げている。今、メブロで最も評判のハンバーガー店の名だ。
「そう、カッカしなさんな。焼きそばパン、買いに行く?」
「行きません。そして、あなただったんですね。あのポスターの文句。「メブロに焼きそばパンを買ってこい!!」は」
「メブロの広告も兼ねたキャッチコピーなんだけど、どうかな?」
「あまり売れ行きはよろしくないようで」
ガリウスが嘲笑を交えて応じる。
「そうなのよ。目算が外れたわ」
エレノア考案のナポリタンパンは、売れ行き絶好調というのも納得がいかない。同じ「炭水化物on炭水化物」なのに。
対してダメージを受けた様子もなく、ラティエースは応接用のソファーに座る。
内装は、マーディン指示の元、ロイヤル・M・ホテルに負けず劣らずの豪華さになっていた。調度品もすべてが一流で、間違ってもちゃぶ台返しなんてできるはずもない。
「で、今日は視察ですか?学校もあるでしょうに」
「んー。年明け以降は、最終学年のわたしたちって、自由登校なんだよ。卒業式まで、来ても来なくてもいいんだ」
だというのに、ブルーノは最近、学園を休みがちなんだそうだ。ブルックスの話によると、ミルドゥナ大公領を行き来したり、侯爵領にもよく行っているそうだ。特に興味もないので報告だけ聞いて、こちらから詳細を尋ねることはしなかったが。
「なるほど。一時は卒業も危ないと言われていたあなた方も、無事、ご卒業できるんですね。この場で、お祝い申し上げますよ」
「おざなりだねー」
はいはい、とガリウスは、マグカップを二つ、応接机に置く。ふんわりと、チョコレートの甘い香りが漂っている。
「で、本当に今日は何用で?」
「ん。あのさ、今、メブロって手狭になってきてるでしょ?特に物資関連の置き場とか」
「そうですね・・・・・・。景観上、保管物資を表に出すことは禁じていますから。店舗裏に置くにしてもスペースがないですし。そもそも、倉庫も最低限しか準備しておりませんでした」
これは明らかに目算を誤っていたからだ。まさかこんな短期間で、人が流入するとは予想していなかったのだ。そのため、物資の消費を最低限と予想し、保管についても同様に考えていた。ラティエースもガリウスと同じ考えであった。ゆっくりと右肩上がりでメブロが繁栄するものと予想していたし、それにあわせて徐々に拡張させていくつもりであった。
「今は、物資を一度、帝都の倉庫に保管して、それらを毎日、運んでいるのよね」
「ええ。距離もそんなにありませんし、苦情らしい苦情は来てはいないのですが。ただ、これはいずれ大きな問題になるのでは、と」
「帝都の倉庫はやはり値段を上げてきてるか?」
「ええ。勘の良い議員連中なんかは、帝都に人が流入しなくなっていることに気づいています。メブロですべてが完結するとなれば、ますます帝都には人が出入りしなくなるでしょう」
「まあ、さしあたっての問題は、物資保管場所だね」
言って、ラティエースはガリウスの執務机から、羽ペンとインク瓶を拝借する。そして、壁に掛けられたメブロの地図を見上げた。額縁の上にペン先を置く。
東側の城門から、線を引き、海岸までその線を延ばした。さらに、南門からも線を延ばし、海岸まで延ばす。
「こう。ビヨーンと伸ばして、街を広げればいいのでは、と」
「できればいいですね。ええ、できれば」
ガリウスが投げやりに言う。その一方で、頭の中では港を作る算段と、倉庫の数、完成までの日取りを逆算、とめまぐるしく頭の計算機が数字をはじき出している。
にっこり、と笑顔を浮かべるラティエースがガリウスを見た。
「お仕事です」
メブロによって、帝都の商売人たちは、徐々にだが客が減っていることに気づく者も出てきた。しかし、それは貴族街や中央街の者にとっては大して打撃にならなかった。仕入れる物の質は少しだけ落ちたかもしれないが、元々、客は帝都に住まう人々が多い。困るのは、観光客等の外の客を相手にしている者たちだろう。例えば、ゼロエリアのような。
「ちくしょう!!アインスめ、謀りやがったな!」
ジャンスが怒声を上げる。部下たちはその様子に恐れをなして、すでに部屋から避難していた。ゼロエリアは今や風前の灯火といえた。かつての活気や華やかさはなく、ゴーストタウンと揶揄する者もいる。カジノも、娼館に落ちる金も減る一方で、トラブルばかりが増える。ついには、ジャンス・ファミリーの一員がなぶり殺しにあった。犯人を捜そうにも、有力な目撃情報はないし、ろれつが回らず、目の焦点も合っていない連中の言葉を真に受けるわけにもいかない。以前であれば「ファミリーの人間に手を出すのは、ファミリーだけ」という不文律があった。痴情のもつれで、ファミリーの構成員が死ぬことはあったが、それでもそう頻繁なことではなかった。エリアの一般人が、ファミリーの構成員に牙を剥くなどありえなかったのだ。所謂、もちつもたれつの関係を保っていたはずなのに。
特に娼館は閑古鳥が鳴っていた。暇な娼婦は、ジャンスが流す薬物に溺れ、客はそんな女たちに魅力を感じない。病気も蔓延しており、特に上流階級の男たちは、一切近寄らなくなった。借金の額で脅しても、もう無くすものがない女たちはカラカラと笑うだけで、ちっとも言うことを聞きやしない。
アインスは有言実行の男だ。定例会で言ったとおり、自身の持つ権利をリストにし、ジャンスとセキリエに分け与えた。不公平があってはならないと、分配には厳しく目を光らせていたが、ジャンスもセキリエも特に文句はなかった。素晴らしい采配だったと言えよう。ただ、アインスの元で働いていた娼婦やその他の従業員たちの殆どは、ジャンスやセキリエへの移籍を拒んだという。前もって、敵対グループにいようとも報復はしないし、出世も約束する。何ならアインスよりも報酬をはずむと言っても、流れてくる人間はごく僅かであった。その理由が分かったのは、メブロという街ができてからだ。
「あいつ、あいつ!最初から・・・・・・」
メブロの街に、新制「ラキシス」が出来たという噂は瞬く間に広まった。ノースエリアと呼ばれるその一帯は、入るには許可が必要となるそうだ。特に年齢制限には厳しいらしい。出入り口は頑丈な門一つで、間違っても門以外から進入や脱走もできないようになっている。そして、その門を潜れば、別世界が広がっていたそうだ。
新制「ラキシス」は、最初の3日は得意客だけを招待し、すべて無料だったときく。女性たちも前にいた娼婦たちと遜色なく、その噂を聞きつけて、客が殺到し、満員御礼状態。ラキシスを求めてメブロに赴く人々も増えているらしい。また、近くには劇場やカジノもあるそうで、そこでは有名歌手やオペラ歌手、楽団のリサイタルも開催されているのだそうだ。帝都でも滅多に聞くことの出来ない歌手を、手を伸ばせば届きそうな距離で見ることが出来、歌を聴くことも出来る。薬物なんてものが広がっていることはなく、男と女が酒とほんの少しの刺激を求めて粋な遊びをする社交場になっているという。上流階級が好みそうな謳い文句だ。遊びを遊びで終わらせられない無粋な者は、二度とノースエリアには入れないそうだ。大金を積んでようやく出禁を解いてもらった侯爵がいるとかいないとか。
アインスは、ついに自分だけの王国を作ったのだ。ノースエリアという場所で。
「クソが!!」
ジャンスは力任せに椅子を蹴り上げた。
セキリエのユエの報告では、ノースエリアに部下を送り込むことは出来なかったそうだ。出来ても、数日以内に身元を調べ尽くされ、蹴り出されるそうだ。もしくは二重スパイになることを強要され、ついに屈して、連絡が取れない者もいるらしい。ユエはその者を切らざるを得なかったと言っていた。これでは商売あがったりだ、とぼやきつつ、ノースエリアに手出しはしないと言い切った。
「こんなんじゃ・・・・・・。このままで終わらせねーぞ!!」




