33.定例会
ゼロエリアを支配する3巨頭、つまり、アインス、ジャンス、そしてセキリエのボスは、定期的に会合を開いていた。ゼロエリアでの商売を円滑にするための報告会のようなものだ。この会合は、アインスが経営するカジノで開かれる。警備はもちろん厳重で、たとえボスであろうとも入念なボディチェックを受けた上で、部屋に案内される。随行者は一名のみ許可された秘密会議だ。
毎年、建国祭の前後は、ゼロエリアで商売をする者にとって、かき入れ時だ。売り上げも跳ね上がり、懐も温かくなる。しかし、今年は違った。
ラキシスの惨劇の後、アインスは管轄の店をすべて閉めた。一時閉店と言いつつ再開は未定。もちろん、ラキシスもだ。喪に服す意味もあったのだろうが、売り上げが一番跳ね上がる建国祭を控えているというにも関わらずそういう手段を執ったアインスに、セキリエもジャンスも驚きを隠せなかった。
が、それも僅かなことで、アインスの客が、セキリエとジャンス・ファミリーに流れてくるのであれば、ありがたいことだと両陣営は考えるようになった。ところが、そうはならなかった。アインスが店を閉めたことで、ゼロエリアは一種の無法状態に陥ったのだ。一気に治安が悪化し、目を覆いたくなる事件が続発した。建国祭に近づくにつれ、客が増えていくのが通常だが、今年は逆行した。裏通りに身を潜めていた物乞いや薬物中毒者が大通りに堂々と座り込み、血まみれのナイフを持った者が大通りを闊歩するようにまでなった。女の生首を片手に、もう片方の手には鉈を持った男が歩いていたなどという噂話もあり、それを聞きつけた上客たちが、ゼロエリアに近寄らなくなった。
この件に関して、アインスは喪中を理由に手を打たなかったし、セキリエ、ジャンス・ファミリーも力不足であった。特に薬物に関してはジャンスが粗悪なものをばらまいたせいで、病気も蔓延し、かつてのゼロエリアに逆戻りした。いや、あの時よりもずっと悪い。
今回、この状況に耐えられなくなったセキリエのボス、ユエが定例会の開催を要望した。3巨頭の誰かが発案すれば、それぞれのボスは理由がない限り、出席義務がある。喪中は欠席理由とはならなかった。大体、アインスの血縁が死んだわけでもないのに、何が喪中だ。とは、口が裂けても言えない。
「毎度、毎度、五分遅れる癖、何とかならないのカ?」
ジャンスが入室した途端、セキリエのボス、ユエが不機嫌を隠そうともせずに言った。
ユエ。それが、セキリエのボスの名だ。女と見まがうほどの麗人で、薄化粧を施したかのような白い肌に、深紅の唇。細くつり上がった瞳で流し目の一つでもされれば、男女問わず惑わされるという。ユエは、太もものあたりにスリッドが入ったタイトな衣装を身にまとっている。ユエの随行者はリュウという男で、がっしりとした体躯の男だ。
「女が放してくれなくてな」
そう言いながら、いつもの席に座る。部屋はこじんまりとしていて、密談にはもってこいの部屋だ。心なしか部屋全体が煙たいのは、皆、喫煙者だからだ。
「揃ったな。はじめよう」
アインスが、席に着くジャンスを認めて言った。この中では一番の年長だ。真っ白な髪をなでつけた額の生え際には大きな切り傷。眼光も鋭く、オオカミを彷彿とさせる男だ。随行者はミセス・ローズである。
ジャンスは、アインスの変化に敏感に気づいた。『ラキシス』の惨劇と言われた襲撃から現時点で、襲撃者は未だ不明。血眼になって探しているというが本当だろうか。襲撃を命じたのは、もちろんジャンスだ。ロザリアをはじめとした人気娼婦は攫ってくるよう指示したはずなのに、結果は全滅。暴れられた、逃げられそうになった、抵抗された、と言い訳を繰り返す部下に鉄拳を加えたが、果たしてそれだけで良かったのだろうか。
アインスの変化。それは、今まではオオカミであることを隠していた男が、隠さずに佇んでいることだった。隙なんてものはなく、むしろ、その場にいるだけでかみ殺されそうな雰囲気だ。彼はもう『ラキシス』襲撃のような失態を冒さないだろう。
「ラキシスを襲撃した犯人に心当たりはないか?」
いきなり核心を問うアインスに、ジャンスは息をのんだ。まさかいきなり本題に入るとは思わなかったからだ。
「ウチは、ない」
ユエがつまらなさそうに言った。
「俺んとこもないな。前のはウチのがやらかしたが、手打ちで済んでるはずだ」
平常を保ち、ジャンスは言った。
「そうか。二人が知らんなら、新勢力でもできたか?」
ギロリとジャンスを睨み、アインスは葉巻を灰皿に押しつけた。
「おいおい。あんたとはいろいろあったが、今更事を構える気はないぜ?」
「そうか」言って、アインスは前屈みになって、ユエ、ジャンスを交互に見る。「俺は、ゼロエリアから手を引くよ」
「はっ?」
「えっ?」
自分の意思とは違うところから出た声。その反応に、アインスは満足そうに笑った。
「まあ、すぐにではない。これでも政財界の重鎮もお得意様だ。従業員たちの今後の世話もしてやらんといかんしな」
「土地やらなんやらはどうすんだ?」
「あんたらに譲ってやらんこともない。・・・・・・と言っても、ゼロエリアを円滑に回すには、あんたらのどちらかに譲るのが最善だろう。土地・建物の売却の際は、リストにしてあんたらに回す。仲良く分け合ってくれ」
「そりゃ、ありがてぇ・・・・・・」
ジャンスは、薄汚い笑いを見せるが、ユエは素直に喜べなかった。
(何ダ。この違和感・・・・・・。なぜ、このタイミングでゼロエリアから撤退すル?)
確かに、ジャンスの嫌がらせに飽き飽きしていたのは分かるが、本気を出せばアインスがジャンスを潰すことも出来るはずだ。相応の犠牲はあるだろうが、ジャンスを潰せば、下手な嫌がらせに煩わされる必要はない。
ユエの方でも、『ラキシス』襲撃は、ジャンスの仕業であると決定づけていた。アインスが気づかぬはずはないのに、今日まで、『ラキシス』襲撃に対する報復はしていない。
「ゼロエリアから手を引いて、カタギ一本でやっていくということカ?」
「すぐに、というわけにはいかないだろうさ。ゼロエリア以外にも後ろ暗い稼業はやっているし、それらは部下に下げ渡してやる予定だ。だが、ゼロエリアに関してはアインス・ファミリアは撤退だ。幸い、銀行はそれなりに儲けを出している」
「娼婦なんかは借金ごと、俺んとこで引き受けてやってもいいぜ」
引き受けて良い、ではなく売れっ子がほしいだけだろう。ユエは、目の前のニンジンに涎を垂らすようなジャンスに、嫌悪感を抱く。
アインスがいなくなったゼロエリアは、今以上に荒む。それに、いずれセキリエと対立することになる。アインスがいることで危ういバランスを保っていたのだ。
ゼロエリアは、帝都のゴミ箱だ。言い方が悪いが、そういう理由で存在しているのだ。消せないならせめて、一カ所に集めようと考えた帝都の施策。そして、その管理を任されているのがアインスたちだ。言い換えれば、管理できないのであれば、管理者を変えるか、ゼロエリアを今度こそ消すか。今、帝都は管理者たちに対して不満を募らせている。実際、セキリエは貴族を通じて、暗に何とかするよう迫られている。それこそ、帝都に粗悪な薬物でも出回れば、それ相応の責任を取らされるだろう。
「ありがたいね。このまま何もなく店じまい出来れば良いんだがね」
「俺んところの男たちにも、見回りを強化させるさ」
(何が見回りを強化させる、だ。自作自演だろうが)
その後、定例会は終わった。ジャンスがご機嫌で部屋を出て行こうとうする。さっそく、部下と祝杯でも挙げる気なのだろう。その背に向って、アインスが呼び止めた。
「お前さんのところに、ウチの猫は紛れ込んでねーか?」
スッと細められた目に、ジャンスは息をのむ。
「・・・・・・。いや、言ってる意味が分からんねーな」
「そうか。呼び止めて悪かった」
「あっ、ああ・・・・・・」
ジャンスはアインスの殺気から逃げるように部屋を後にした。その様子をユエとリュウは静かに見守っていた。そして、ユエは意を決して、アインスの元へ向った。
「アインス」
ユエは、アインスを呼び止めた。マダム・ローズに先に行くよう指示を出し、ユエに向き直る。
「何だ?」
「ウチは、あんたに付きたイ」
部下のリュウが、ギョッと目を見開く。
「何だ、お前。アインス・ファミリアに入りたいってか。本国が黙っちゃいないだろう」
本国。ユエが、共和国のスパイであることなど、アインスはとっくに知っているということか。
「確かにそうだが、あんたが抜けたら、ゼロエリアの価値はそれこそゼロになる。ジャンスは、あんたの商売をまるごと奪えるとのんきに構えているが、あんたのようにはうまくいかないだろウ」
アインスは無言でユエを見据え、フッと苦笑を落とした。
「前から思っていたが、その共和国なまりはわざとか?」
ユエは虚を突かれる。
ユエがセキリエを率いるマフィアのボスであるのは表向きの経歴で、その正体は、共和国の諜報員だ。生粋の帝国人ではないように振る舞うために、わざと訛りを交えて話す。
「・・・・・・。ゼロエリアをどうするつもりだ?」
「どうもしないさ。あんたは心配しているようだが、ジャンスもそれなりに貴族やらの人脈はあるだろうに」
「白々しい。あいつも馬鹿さ加減はあんたも分かっているはずだ。何を考えている」
「それを素直に教えるほど、俺とあんたのところは仲良しだったか?」
かつて、セキリエとアインス・ファミリアは抗争にまで発展したことがある。その頃、ユエはゼロエリアに派遣されておらず、一介の軍人であったが。
「それは・・・・・・」
「そういうこった。せいぜい、本国に叱られないよう、ジャンスとうまくやれや」
セキリエにとってアインスは邪魔な存在だったが、きっちり筋を通すやり方を、ユエは好ましく思っていた。ジャンスは目先の利益だけを追求し、筋もあったものではない。アインスが抜ければ、セキリエを潰しにかかるだろう。
「アインス。あの襲撃は・・・・・・」
アインスの苛烈な睨みに、ユエは思わず声を失う。これが、オオカミと言われる所以か。かつて、共和国との戦争で、鬼神のごとく敵を屠った男。その戦功をすべて放り投げて、ゼロエリアに根を張った男だ。
「犯人はこっちで探し出してきっちり落とし前を付けさせるさ」
アインスの口ぶりから、すでに報復の計画は発動していると見て取れる。
「そうか・・・・・・」
「邪魔すんじゃねーぞ」
しないよ、とユエは両手を挙げて降参のポーズを取った。




