2.食後の談笑
「アマリアも、ラティと同じようにフルーツにすれば良かったのに」
給仕が立ち去ってから、エレノアが口を開いた。
デザートが来る間も、エレノアが姿勢を崩すことはない。背を伸ばし、揃えた両手は膝の上に重ねられている。令嬢の手本中の手本と評されているのは伊達ではない。
エレノアの艶やかな金糸の髪は、胸元あたりで切りそろえられている。その髪を雑多にまとめて、精緻な細工の入った銀のバレッタで留めていた。勉強に邪魔だからという理由で、学校ではこの髪型が定番で、こっそり下級生がまねをするのも、これまたお約束だ。
(今日は、新しい銀細工のバレッタをしているから、これもまた流行するだろうな・・・・・・)
後で自分の予想を、仕立屋に教えて小遣いを稼ごう。と、ラティエースはやや意地汚いことを考える。
エレノアは、卵形の顔に、エメラルド色の双眸とそれを際立たせる柳眉、小作りの鼻梁、口元はやや薄く、本人のコンプレックスでもあるのだが、優美な顔立ちをしている。身長も高く、体躯もほっそりしているためか、同世代よりも大人っぽく見える。
「だってー。ダイエット中だけど、やっぱここのケーキは食べたいし、食べないと後半戦も頑張れないよ」
アマリアは、三人の中では一番ふくよかであり、身長も低い。褐色の肌、愛くるしい顔立ちで、鳶色の大きな瞳がその愛くるしさを強調している。表情も豊かで、マナー講師によくその表情について指摘を受けている。癖の強い黒髪は肩まで流れ、緩やかなカールを作っていた。
「エリー。午後の講義は政治学だっけ?」
話を変えたのは、ラティことラティーエースだ。愛想のない娘だが、気の置けない友人たちにはそれなりにわかりやすい性格をしていると言われている。顔立ちは、エレノアのように美人というわけでも、アマリアのように可愛らしいわけでもないが、どこか人を引きつける顔立ちをしていた。勝ち気そうな猫目と、小さな鼻、ぽってりとした唇。瞳と同じ黒髪は、癖はないが柔らかな髪質で耳元の長さで揃えている。黒髪からのぞく耳元にはキラリと金色の小さな丸ピアスが光っていた。
「ええ、そうよ。ラティは、世界史?」
「いや、統計学。アマリアは?」
「わたしは、帳簿の検定試験よ」
頑張れ、がんば、と二人から力ない激賞を受ける。
と、そのときであった。
「謝ってください!」
四,五席向こうのテーブルから、女子生徒の張り詰めた声が飛び込んできた。ちょうど、ラティエースの背の向こうで寸劇が始まろうとしていた。
「また、始まった」
ラティエースは顔を顰める。ラティーエースの対面、エレノアの正面で始まっているが、エレノアはスッと視線を外す。
「今度はどこの令嬢かしら」
アマリアは肘をついて、その手の甲に顎を乗せる。エレノアは咎めないが、給仕が来るまでその姿勢だった場合は、その限りではない。
「懲りないよねー。バーネット男爵令嬢も」と、アマリア。
「そりゃ、何しても最後はあの女が正当になるんだから。快感なんでしょ」
ラティーエースが、吐き捨てるように言ったところで、デザートが給仕される。ありがとう、と給仕のロイに言って、三人は紅茶を口にする。
「ありゃ、ヒロインと言うよりヒドインだろ」
「いやー。ヒドインと言うよりゲロインだよー」
ラティエースの言に、アマリアがかぶせる。
食事中よ、とエレノアが低い声で咎める。
「ほんと、ゲロゲロー」
ラティエースが言った瞬間、ダンッとテーブルに拳が落とされる。同時に、ラティエースとアマリアの背が反射的に伸びる。エレノアはにっこりと擬音がつきそうな微笑を浮かべた。
「食事中と言ったでしょ?次、言ったら、レッドカード一発退場よ?どこの鉱山に退場するかは選ばせてあげる」
はい、と二人は声を揃えた。エレノアはやると言ったらやる。過去、ラティエースは2回、アマリアは1回、鉱山に送られ、短期労働を経験したことがあるのだ。
ところで、とエレノアはラティエースに視線をやった。
「卒業まで一年を切ったけど、準備は順調?」
「問題ない。次の長期休暇で、ラドナ王国に行って、再調整してくる。店の移転も問題なく進んでいる」
「よかったー。やっぱ、書類関係はラティが一番だよね」
「まあ、前世でも似たようなことしてたしね。特に法律の抜け目を探すのは好き。超好き。そういうアマリアは計算得意じゃん」
「そりゃ、前世は簿記2級だったし。経理関係は任せてよ」
「二人に比べて、わたしはしがない専業主婦だったから、そういう方面では二人に頼りっぱなしで申し訳ないわ」
「いやいや。エリーが前世から礼儀作法を習得してたから大いに助かったよ。特にテーブルマナーに関しては、もう本当にありがたかった」
そうそう、とアマリアも大きく上下に顔を揺らす。
ラティエースは、エレノアは前世でも所謂上流階級に属していたのではないかと推測していた。三人の間には、前世のことは、自分から言わない限りは無理に聞き出さないという暗黙の了解があったので問うたことはないが。
「マナーもそうだけど、乙女ゲーム『ラブラブ学園~恋しちゃったの~』を一番やりこんでいたのは、エレノアじゃない。隠しイベントも詳しくって助かったよ」
「・・・・・・唯一の癒やし時間だったから」
エレノアが少し頬を染めて言った。良い歳して恥ずかしい、と目を伏せたが、そんなことは絶対にない。少なくともこの二人はそう思っていた。
「わたしは、兄がやってるのを横で見てたくらいだったし。まさか、エンディングで悪役令嬢が処刑って。その描写、結構リアルだったけど、あれでPGつかないのに、驚いた」
言って、ラティエースがブドウを口に放り込む。ほどよい酸味が口に広がる。皿の横に切り分けられた三つの梨がある。おそらくコックの誰かが用意してくれたのだろう。ブドウの入った小さな小鉢を手元に置いて、梨の皿は中央に滑らした。
「よく処刑の数分後に結婚式できるよね、ヒロインと攻略対象。処刑された令嬢たちの家族も参列して拍手喝采にはドン引きだよ」
前世で見ていたときはそこまで気にしなかったが、処刑される可能性のある側としては、気になることだ。
アマリアが梨をフォークで刺し口に入れた。そのまま、残り一かけになった梨の皿を、エレノアの元へ移動させる。
「そうならないために、今まで準備してきたのよ。きっと大丈夫」
「そう考えると、わたしたちって、初等部の頃からだから、もうかれこれ十年の付き合い?」
「最初に、エリーとラティが知り合ったんでしょ?今更だけど、よく、お互いが転生者って分かったよね」
「まあ、茶会で皇子がやらかしてて、壁と同化してたのが、わたしとラティだったのよ。皇子の横暴を見ながら、ラティが「バ○ス」って言ったのが聞こえて・・・・・・」
「わたしも驚いた。隣にいるのは優秀と名高い公爵令嬢。その令嬢が遠い目をしながら諦めの境地に入った様子で。すべてを達観した表情の6歳児って中々いなかったし。しかも皇子の婚約者」
「だって、わたしが止めたら、もっとひどいことになってたわ。恥をかくのは皇家だけだし。茶会後に皇妃に八つ当たりはされるけど」
言って、エレノアはカップのソーサを静かに置く。
「それからしばらくして、リー男爵が経営する店に、日本のお菓子が並んでるのをラティが町中で見つけてきて。店員に聞けば、男爵令嬢が考案したっていうじゃない」
「公爵令嬢の茶会に招待されたときには、家族全員卒倒しそうだったけど。それから、怒濤の受験勉強。わたし、近場の学校に行く予定だったし、卒業すれば有力商会の幼なじみと結婚ってのが既定路線だったから。まさか、中等部の試験を受けることになろうとは」
受験勉強中は、公爵の別邸に監禁状態であった。そのことを思い出して、アマリアは顔を顰める。あの合宿は二度とごめんだ。と思いつつ、いつも進級試験前に開催され、皆勤しているのだが。
「やっぱり、近くにいた方がいいと思ったし。アマリアだって、あのまま行けば、商売相手の元伯爵令嬢に毒薬を渡したっていう理由で家族もろとも処刑されるんだから。婚約者と結婚する前に」
ラティエースは言い訳がましく言う。ついでだから、とラティエースも公爵別邸に留め置かれ、マナーの授業の総復習を受けた。
「そうなんだよねー。元伯爵令嬢に売らないようにいろいろやったけどだめだった。だって、お父さんに内緒でお兄ちゃんが元伯爵令嬢に売っちゃうなんて。まさか、お兄ちゃんと元伯爵令嬢が恋人関係なんて思いもしなかったし」
「実際は、籠絡されてただけだけど」
ラティエースが一言付け足せば、うるさい、とアマリアが角砂糖を投げつける。エレノアが目を細めたが、何も言わなかった。
その元伯爵令嬢が毒薬を使った相手というのが、バーネットの母親である。元伯爵令嬢は懸想している相手の愛人であったバーネットの母親を消すために毒薬を使ったが、母親は一命を取り留める。その事件をきっかけに、母親だけでなくバーネットの存在も明るみになった。結局、母親は、男の取りなしによって、カンゲル男爵の後妻に収まり、バーネットも目出度く男爵令嬢となったわけだ。
「毒薬って言っても、商会は薬草を商売にしているもの。組み合わせ次第でいくらでも毒になる。毒薬の元になる薬草の商売を止めるなんてできないよ。だから、やり方を変えた。毒薬にも強いものも弱いものもあるでしょ?」
「下剤だったわよね?」
「そう。ラティの作戦通りになった。薬の取り違えってことで、罰金と一ヶ月の取引停止。それも元令嬢が伯爵の名前を使って無理を言ったっていうこちら側の訴えを認めてもらえたから。さすが、公爵付きの弁護士。助かったよ、ほんと」
「そこなのよ」
ラティエースが人差し指を天に向ける。
「ゲームは必ずシナリオを強制してくる。けれど、毒薬であればどんなものもよくって、結果も罰の重さは重要視されず、罰せられたという結果のみがあれば物語は進行する」
つまりは、処刑も解釈次第ではないか、と気づいたのが十年前。そこから処刑までの日にちを逆算し、あらゆる手立てを講じることとした。
(それに、処刑と思われるシーンはあったけど、文章には、「こうして二人を邪魔する者たちは消えたのだった」というモノローグ。死ははっきり言及されていない)
あの時は、何をやってもシナリオ通りになるという思い込みからか、とにかくアマリアたちを助けるために、下剤というものでお茶を濁した格好だ。結果さえシナリオ通りならば、手段や内容は補正を受けないということに確証があれば、バーネットの母親を消したかった。例えば、睡眠薬にすり替えた毒薬の瓶の側に、血のついたナイフを置くことで捜査を撹乱し、あくまで凶器はナイフであると誘導するとか。これでも、シナリオが求める結果は「バーネットの母親を害した元伯爵令嬢と毒薬を提供した商会の人間は全員逮捕された」というシナリオから逸脱していない。
今更だが、ラティエースは後悔している。バーネットの母親を消さなかったことを。