18.デビュタント(中編)
デビュタントを控える令嬢たちは、大広間を控室として提供されていた。そこにドレッサーや着替え用のフィッティングルームが設置され、それぞれが連れてきた侍女やメイドと支度している。侍女を用意できない令嬢には、皇城のスタッフが手伝いとして控えていた。
そして、その控室からそう離れていない小部屋は、バーネット専用の控室となっていた。
「美しいぞ、バーネット!!」
皇子は、バーネットを絶賛した。身体のラインを強調した深紅のロングドレス。金糸で、鮮やかに、様々な花や皇子の紋章を模した刺繍が施されている。深紅のルビーで作られた宝飾品が、イヤリング、ネックレス、そして指輪として身につけられている。これらは、帝室コレクションのもので、皇子の権限で持ち出したものだ。
「殿下。本当にありがとうございます」
バーネットは嬉しそうに言った。今日の主役は間違いなく自分だ。ドレスは、D-roseのデザイナーと共に作った一級品。刺繍の図案もバーネット考えた。装飾品も新調したかったが、それはさすがに時間がなかったため、皇子に相談したら、皇子は期待以上のものをバーネットに用意してくれた。レンタルというのが少し残念だが、帝室のコレクションと言われれば引き下がるしかない。それも、結婚してしまえばバーネットのものになるのだから、それくらい我慢できる。
ヘアメイクをしたメイドたちは、皇子に一礼して出て行く。正直、バーネットの身支度は疲れた。あれやこれや注文が多いし、言うとおりにしても、気に入らなければ、「わたしが男爵令嬢だからって馬鹿にしてるでしょ」と繰り返す。
「本当はお前をエスコートしてやりたいが、わたしは皇子として玉座の隣に立たなければならない。エスコートは、カスバートに頼んである」
本当は、アレックスかブルーノに頼もうかと思ったが、二人とも親について社交に出なければならないと断られた。フリッツは、今回は欠席している。まだ、ロザーヌ・メーン伯爵令嬢との婚約破棄の余波が残っているため、表に出られないのだ。今回の騒動で、父親のウォルフは、軍を辞職すると言って、今は皇帝に慰留されている状態らしい。メーン伯爵は、ここ数ヶ月、社交界にも一切顔を出していない。
「はい。お仕事頑張って下さい」
「ファーストダンスは、必ず俺が踊るから、少し我慢してくれ」
「ええ。待っていますね」
マクシミリアンは、満足げに頷いて、控え室を後にする。ドアが閉まると同時に、バーネットは笑顔を霧散させ、ドレッサーの椅子に座る。
「リンゴのジュースを用意して。軽食もお願い」
「お飲み物は結構ですが、今、何かを口にするとコルセットがきつくなり動きづらくなりますが・・・・・・」
「いいから早くなさいっ!!」
これ以上言っても、時間の無駄だ。メイドは「かしこまりました」と早口で言って部屋を出る。シン、と静まった部屋に、バーネットは慌てて振り替えると、室内には誰もいなかった。
「ちょっと・・・・・・」
(皇子のパートナーに、メイド一人つかないってどういうこと?身支度のメイドものろまだったし。これも、エレノア・・・・・・。いえ、それはないわね。皇子は誰にも内緒でこの部屋も宝石も用意してくれたんだから)
とすると、メイドたちの態度はエレノアの命令によるものではなく、バーネットを侮ってのものということだ。
(覚えてらっしゃい。皇太子妃になったら、あいつら全員クビなんだから)
デビュタントを控える娘たちが謁見の間に赴き、皇帝陛下と謁見する時間がやってきた。
謁見の間には、柔らかい陽光が降り注いでいた。天井には無数の梁が張り巡らされ、その梁から紋章旗が吊り下げられていた。ロザ帝国を構成する貴族たちの紋章旗だ。
左右に儀仗兵が並び、その後ろに貴族たちが並ぶ。
大扉がゆっくりと開かれた。
デビュタントの娘たちが一列に整列して、姿勢を正す儀仗兵の間、深紅の絨毯の上を踏みしめ、玉座を目指す。軍楽兵が、帝国国家を奏でる。
その先頭は深紅のドレスをまとったバーネットであった。先頭を飾る娘は、「華の乙女」と呼ばれ、名誉な役とされている。去年は、エレノアが務めた。今年は、ペンネローエ公爵令嬢ナタリアが務めるはずだったのだが、いつの間に変更になったのだろう。ペンネローエ公爵夫妻は戸惑いを隠しきれないし、ナタリアが先頭だと聞いていた周囲も同じだった。ざわざわと動揺のざわめきが一帯を包む。
「あれが、ナタリア嬢か?」
玉座に座す皇帝、ケイオス一世は側に控える秘書官に耳打ちする。秘書官のダムル・エン子爵令息も予定にないことに動揺を隠せない。
「いえ・・・・・・。ナタリア嬢ではございません。しばしお待ちを」
言って、秘書官は慌てて下がり、確認に動く。
この急な事態に対し冷静だった者はごくわずか。その一人は、玉座の左に立つマクシミリアン皇子であった。
時は15分前に遡る。
マクシミリアンは、入場直前に「華の乙女」の役割をバーネットに譲るようナタリアに迫ったのだ。
「でっ、殿下?いきなり何を・・・・・・」
まもなく儀仗兵の合図で大扉が開く寸前。ナタリアとその友人たちが談笑しながら緊張を和らげているところであった。ナタリアのドレスは絶賛され、誰もが彼女が「華の乙女」であることに異論はなかった。ナタリア自身も大変優秀だし、特に慈善活動には精力的で、教会からも推薦があったと聞く。
「うるさい!とにかく、今年の「華の乙女」はバーネット・カンゲル男爵令嬢になったのだ。とっとと、そのブーケをバーネットに渡せ」
マクシミリアンは、混乱するナタリアからブーケを強引に奪い取り、バーネットに手渡す。
「ごめんなさいね。でも、これはシナリオ通りだから」
「はっ?」
何が何だか分からず泣き出しそうなナタリアに、バーネットは言い放つ。
「モブは大人しく後ろに控えてなさいよ」
そんなやりとりがあったのだ。
貴族たちは、重なるイレギュラーに動揺を隠せない。華の乙女がナタリアではないこと。先頭を行く娘がなぜか深紅のドレスを着ていること。清楚、純血、純粋を象徴する白のドレスの中で、赤は異様で装飾品も豪奢すぎる。そんな混乱する空間の中で、バーネットだけがいたって普通であった。
謁見の間では、皇帝陛下がまず声を掛けるという大原則がある。その間、貴族たちは私語すら許されず、場合によっては不敬罪が適用されるくらいだ。が、貴族たちは動揺を口にし始める。
――――――なぜ、「華の乙女」が深紅のドレスなのだ?あれは、先導役かなにかなのか?
――――――いや、あの絨毯はデビュタントを控える娘しか踏んではいけないものだ。
――――――ということはあの娘もデビュタントの娘なのか?では、なぜ、白のドレスではないのだ。
――――――今年の「華の乙女」はナタリア・ペンネローエ公爵令嬢だったのでは?あの娘は誰なのです?
「さすがシナリオ補正」
そう言ったのは、参列する貴族の後列に控えてたラティエースであった。
「ゲームでは、入場するデビュタントの娘たちの中からバーネットを見つけた皇子が駆け寄って、「わたしにとっての華の乙女はそなただ」とか言って、自分の胸元のコサージュを手渡すんじゃなかったっけ?」
言って、アマリアはエレノアを横目で見る。この中でゲームに一番詳しいのはエレノアだ。
「そのはずだったんだけどね・・・・・・」
「過程はともかくバーネットが「華の乙女」になるという結果は同じだ。だから、バーネットが「華の乙女」の役割をナタリアから奪っても、シナリオの補正はかからなかったんだろうね」
「ナタリアちゃんかわいそすぎる・・・・・・」
そんな会話がなされているうちに、バーネットたちが玉座の手前、白い絨毯の前に到着する。段取りでは、跪くことになっている。が、バーネットはいつまで経ってもニコニコ笑って立っているだけで、跪こうとしない。
貴族たちがざわつき始めるが、バーネットは気づかない。耐え切れなくなったのは、バーネットの後ろを歩いたミンス・スコット伯爵令嬢だ。
「カンゲル男爵令嬢。跪いて下さい」
声を低めて、ミンスが言った。
「えっ?」
聞こえなかったのか、バーネットは振り返る。
「何?」
「跪くんです」
「ああ、そうなの?」
言って、バーネットは跪いた。皇帝だけでなく、儀仗兵たちも胸をなで下ろす。
「ロザ帝国の乙女たち。ロザの祝福を受けよ」
ケイオス一世が重々しく口を開いた。秘書官が皇帝に耳打ちする。
「華の乙女、カンゲル男爵令嬢バーネット。乙女たちを代表して祝福を受けるがよい」
「はいっ!」
シン、と静まりかえる。静寂が続き、ついに誰かの「ぷっ」という吹き出しで沈黙は破られた。それを皮切りに、押し殺した笑い声が重なっていく。
本来、皇帝陛下の言葉の後、華の乙女はゆっくりと立ち上がる。そして、カーテシーを披露し、玉座の前まで進み出て、華の乙女の証したる冠を授かるのだ。元気な返事など必要はない。
「うっ、うむ。今年の華の乙女は元気が良いな」
そう言って、ケイオス一世は玉座から立ち上がり、秘書官から冠を受け取って跪いたままのバーネットに冠を授けた。自ら玉座を降りるなどありえないことなのだが、そうでもしないと儀式が終わらないと判断した結果であった。
その後、デビュタントを迎えた娘たちに皇帝が声を掛けていくのだが、参列する貴族たちはそんなことより、華の乙女の正体、その振る舞い、なぜ、ナタリアではなかったのかと密やかな声で情報を交わす。はっきり言って儀式のことなどそっちのけであった。バーネットと同じ日にデビュタントを迎えた娘たちは、恥ずかしさのあまり、この後の舞踏会など出ずに早く退出したいくらいであった。
彼女たちは口を揃えて言う。最低のデビュタントであった、と。




