17.デビュタント(前編)
――――――帝国暦413年緋の月8日
ロザ帝国皇城において、貴族令嬢の成人を祝うデビュタントの儀式が始まる。
スケジュールは大まかに分けて三つ。最初は貴族たちの社交の時間。これは、参列を許された高位貴族、デビュタントを迎える娘とエスコート役の子息の家族が出席を許される式典だ。その間、デビュタントを控えた娘たちは別室で支度をする。二つ目がデビュタントの娘たちが皇帝へ謁見する儀式。これは、皇帝がひとりひとりに直々に声を掛ける。爵位の低い娘にとっては、一生のうちあるかないかの皇帝の直言である。最後に、デビュタントを祝われた娘を含めた舞踏会だ。この舞踏会では、低位貴族の出席も許されている。デビュタントの儀式を終えた娘とエスコート役の男性がホールの中央でダンスを披露する。
今は、第一段階。社交の場である。
「帰りたい」
笑顔を貼り付けたまま、ラティエースは言った。
「まだ、着いたばかりでしょうか」
エレノアもまた笑顔を貼り付け、正面を向いたまま言った。
「さっすが、皇城。すっごい広いし、豪勢な場所だね」
きょろきょろと辺りを見回し、感動しているのはアマリアである。
デビュタント会場は、皇城の中央ホール。貴賓を迎える晩餐会にも使われる大広間だ。
きらびやかな衣装の来賓が次々とホールへ入っていく。馬車を降り立った三人の令嬢、エレノア、ラティエース、アマリアもホールへ足を進める。
「さて、行くわよ」
三人は自分たちが注目の存在であることを自覚している。エスコート役がいないことはもちろんだが、それでなくとも噂の的なのだ。
エレノアたちの登場で、ホールの空気がゆっくりと、さざ波のように変わっていく。
――――――ダルウィン公爵令嬢だわ。やはり、皇子殿下のエスコートはないのね?
――――――それどころか、ドレスは碧。皇子殿下のお色ではないわ。やはり、蔑ろにされているというのは本当なのかしら?
――――――でも、素晴らしいデザインだわ。刺繍も素敵だし。色違いの群青のドレス、ミルドゥナ侯爵令嬢に似合っているわね。真珠のイヤリングも首飾りを素敵だわ。
――――――リー男爵令嬢も可愛らしいお衣装ね。
三人は数歩進んでは貴族に挨拶し、数歩進んでは立ち止まり、交流のある貴族と会話する。その繰り返しだ。その進みは牛歩並で、中々目的地であるホールの端に到着できない。悪意を持って近づこうとする者たちよりも、好意的に三人と交流しようとする者たちが圧倒的で、何より経済から政治まで幅広い話題について行けるラティエースとエレノア、流通や海外での流行に詳しいアマリアを重鎮たちが手放そうとしない。
「ご無沙汰しております、バルフォン大公殿下」
「おお、三人娘。やはり来たか」
軍門の出として名高いバルフォン大公は、カカカッと豪華に笑って、三人を迎えた。衣装も黒を基調とした軍服だ。胸元に勲章がズラリと並んでいる。真っ白な髭を蓄え、サンタクロースを彷彿とさせる老人だ。
「ラティ嬢。レオは来ないのか?」
レオとは、レオナルド・ミルドゥナ大公。つまり、祖父のことだ。
「来るわけないじゃないですか」
「まあ、そうだわな。エレノア、今日は一段と美しいぞ」
「ありがとうございます、おじさま」
ダルウィン家は、バルフォン家と親戚関係にある。一家の集まりで年に数回、顔を合わせるくらいだが、娘のようにかわいがってくれている。
「滞在中、リー男爵が手配してくれた料理人のおかげで楽しめた。お父上にお礼を言っておいてくれ」
アマリアへの気遣いも忘れない。はいっ、とアマリアは頷いた。
「そろそろお前たちを解放しないと女性陣に怒られるな。お前さんたちの衣装の出所を知りたくてうずうずしておる」
三人娘とバルフォン大公の談笑をを遠巻きに見ている一団の一つに、ラティエースの母、ミルドゥナ侯爵夫人と、ダイアナ・リース公爵夫人もいた。
「あら。あれはわたくしがいらないと言ったどこぞの絹だったかしら?質の悪い絹だったけど、あなたの娘にはお似合いね」
娘をあしざまに言われて、ミルドゥナ侯爵夫人、ヴェルゥーチェ・ミルドゥナは、怒るどころか、「まったくだわ」と同意を示した。
「我が娘ながらどうしてあんな貧相な体付きなのかしら」
ラティエースは、確かにほっそりした体付きをしていた。女性らしいというより鶴を連想させるようなスラリとした体躯なのだ。本人もそれをよく分かっているから胸を強調するドレスは着ない。着れないとも言うが、あえて着ない、と本人は主張している。
今日は、首から胸元まで黒のレースをあしらったシースルーブラウスで、両腕は素肌のまま。胸元からは、群青色の絹ドレスを合わせている。光沢を放つ群青のドレスの形はプリンセスラインと呼ばれる裾に向って大きく膨らんだデザインだが、刺繍もプリーツも入れていないシンプルなデザインのせいか仰々しく見えない。耳元で揃えた黒髪には、スズランをあしらった銀細工の髪飾りを一つ。イヤリングはやや大ぶりの真珠を付けていた。
ラティエース。確かに自分が腹を痛めて産んだ子だが、どうも自分の子と思えない。娘の方もそう思っているようで、親と言うよりミルドゥナ侯爵夫人として接してくる。貴族に対しての礼節以上の接触はなく、親子の情などそこにはない。
もう一度、娘の様子を見やる。腕は素肌を出しても問題ないが、脚や背中には小さな切り傷や打撲の跡があるはずだ。一つ一つは目立たないほど小さなものだが、令嬢としてあってはならない傷だ。初めて大きな傷を負ったとき、ヴェルゥーチェは発狂し、原因となったミルドゥナ大公に食ってかかった。「こんな大きな傷を残しては、嫁に行けない。愛娘の将来をどうしてくれるのか」と責めた。しかし、大公もラティエース本人も意に介さなかった。
曰く、「娘の価値は身体の傷で決まるのか」、と。大公は笑いながら、「なら人形でも抱いておけ」と放言した。ラティエースも「嫁に行くだけが人生じゃない」とあっさりしたものだった。
あの時、ヴェルゥーチェには、娘が別人に見えた。それまでは、深窓の令嬢として両親に従順であったのに。その後、ミルドゥナ大公は、アレックス・リース公爵令息との婚約を整えた。
――――――たとえ、ラティエースの顔が火傷まみれになっても婚姻させるとも。その対価は払ってある。
大公はそう言った。ラティエースは、大公領に行っては、怪我をして帰ってきた。やがて、侯爵邸に寄りつかなくなり、別邸住まいを開始し、今では公爵邸で過ごしている始末だ。
「ミルドゥナ侯爵夫人」
ハッと我に返り、声のした方へ振り向くと、そこには、ペンネローエ公爵夫人とその取り巻きが並び立っていた。ヴェルゥーチェは格下なのであわてて礼を取る。
「あら、セシル。久しぶりね」
ダイアナは、三歳下のセシルを気軽に呼ばわった。ヴェルゥーチェも含めて学生時代からの知り合いだ。
「はい。領地にこもりきりで、なかなかお会いできませんで。ご無沙汰しております、リース公爵夫人」
「いいのよ。あなたの領地、田舎ですものね」
嫌みだと分かっているのか、分かっていないのか。セシルは笑顔を崩さない。
「ところで、ミルドゥナ侯爵夫人。ラティエース侯爵令嬢にお礼を申し上げたいのですが」
「娘に?何かしら。あの通りダルウィン公爵令嬢に付きっ切りなの。代わりに聞いておきますわ」
それでは、とセシルはドレスの両裾をつまみ、カーテシーを披露した。
「このたびは娘のために、薙尊国の絹を取り寄せて下さってありがとうございます。夫に代わって御礼申し上げますわ」
「何のこと?」
「ほら、ラティエース侯爵令嬢様だけでなく、エレノア公爵令嬢も着てらっしゃるあの絹ですわ。とっても稀少で、ロザ帝国でも年に数本しか取り寄せられない幻の生地ですわ」
「えっ・・・・・・?」
声を上げたのは、ダイアナの方である。自身があの真っ白な絹に珈琲カップを投げつけたシーンを思い出していた。
「そうそう。元々は花嫁衣装用らしいのですが。何でもあの絹を着た娘は嫁ぎ先でも幸せになれるとかで。値段も高額ですが一生に一度のデビュタントですから、夫と共にあの絹を求めていたのです。それに、娘が「華の乙女」にも選ばれましたので。ですが、わたくしたちなんて所詮、田舎公爵でございましょう?なかなか伝すら見つからなくって。そうしたら、ラティエース侯爵令嬢にゆかりのある商会を、D-roseの店主がご紹介して下さったんですよ。元々、別の仕立屋でドレスを作る予定だったのですが、せっかく「華の乙女」に選ばれましたので、無理を言ってD-roseでドレスを仕立てることにして。慌ただしかったですが、親子共々それは満足のいくものにできましたわ」
扇で隠れたダイアナの顔は悔しさでいっぱいであった。
華の乙女はデビュタントを迎える娘たちの中でも最も将来性があり、評判や功績を元に選ばれる名誉ある役目であった。たかが田舎娘が選ばれる者ではない。歴代の「華の乙女」は、各分野でめざましい活躍をしており、釣書に「華の乙女」と書かれているだけで、見合いの申し込みが殺到するとさえ言われている。
そもそもペンネローエ公爵領は、田舎と言われる位置にあるが、マルバタ連邦と国境を接し、海を挟んでアット海洋諸国とも交易が盛んで、発展めざましい領地だ。
ダイアナの嫌みを倍返ししたセシルに微笑まれ、ヴェルゥーチェは言葉をうまく発せない。
「えっと、それは・・・・・・」
「あの?ひょっとしてご存じなかったのですか・・・・・・?」
「えっ、ええ。娘の事業には口を出さない主義なの」
ミルドゥナ大公の支援元、娘がいくつかの事業を展開していることは知っていたが、所詮子どものお遊びだと思っていたのだ。
「そうですか。貿易業ではうちと提携してくれていまして。おかげでうちの特産品が他国にも輸出できるようになり、それが軌道に乗りまして。今はまだ無理ですが、数年以内には領民たちの徴税を減らせるのではないか、と夫共々喜んでおりますのよ。本当に素晴らしいお嬢さんをお持ちですね」
「そうなの。夫にも伝えておくわ」
「ええ。是非、お願いいたします」
では、とセシルは軽く会釈して、人の波に紛れていった。ダイアナは取り巻きの一人、スコット伯爵夫人に問うた。スコット伯爵は、主に農産物を中心とした貿易業で財をなしているからだ。
「ええ。確かに、薙尊国の絹は貴重です。値段も高額で、その・・・・・・。最低ランクの絹でも1,000万ゼニロはくだらないと言われています」
ひっ、と思わず声を上げたのはダイアナである。そうなるのも当然だ。彼女はラティエースが贈った絹を安物と断じただけでなく、珈琲を掛けて台無しにしたのだから。ラティエースは一言も文句を言わず、黙ってその絹を下げた。
「あの子、何も言わなかったわよ?」
ダイアナが声を震わせながら、ヴェルゥーチェに言う。「えっ、ええ・・・・・・」としかヴェルゥーチェも返事が出来ない。
たとえ、ラティエースが絹の価値を説明しても、ダイアナは受け入れなかっただろう。偽物だとか、恩着せがましいとか言って、ラティエースの行いをとにかく否定していたに違いない。だからこそ、ラティエースは、これまでの経験も踏まえて何も言わなかったのだ。
(とんだ恥さらしじゃないの!!)
自身の失態を棚に上げて、ダイアナはラティエースに怒りを募らせ、ヨハン・メル伯爵令息とオリビエ・オーベル子爵令嬢と談笑するラティエースを睨み付けた。




