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転生令嬢の生存戦略のすゝめ  作者: 草野宝湖
第一編
16/152

16.悪意

 ――――――帝国暦413年翠の月21日

 ブルーノは、バーネットと共に、貴族街の「ロメウス通り」を歩いていた。この通りは、装飾品を中心とした高級店舗が並ぶ通りだ。大半の貴族が、舞踏会や晩餐会のための衣装を仕立てるために、この通りの店を利用する。

「今日は付き合ってくれてありがとう!」

 バーネットは、頭二つ分背の高いブルーノを見上げるようにして言った。よほど嬉しいのか、ブルーノとつないだ手をブンブンと回して興奮している。

「ああ。殿下は何かと忙しいから、僕が付き添うようにって。ただ、僕はあまり女性の衣装について詳しくないから役に立たないと思うけど。でもさっ、バーネットに似合うか似合わないかだけは分かる!僕の目は信用してくれていいよ」

「何それ。役に立たないなんて思ったことないよ。正直に言ってくれるブルーノ君のこと、誰よりも信じてる」

「じゃあ、まずはドレスだね。何か考えていることはある?」

「えっと、ドレスは「D-rose」で仕立てたいの」

 帝国一のオートクチュール専門店。元から伝統と格式がある店として名をはせていたが、さらにこの店を一躍有名のしたのは、4年前のヴァルメリアン王国の王太子の婚儀だろう。王妃となる女性のウェディングドレスを受注し、あっという間に女性たちの憧れのブランドになった。全く新しいデザインで、その優美さや刺繍の精緻さが、世界中で話題になった。以降、こぞって富裕層の女性がこのブランドを買い求めるようになった。

「さすがに疎い僕でも聞いたことあるブランドだけど。あそこは、ドレスを仕立てるのに3年待ちだって聞くよ?」

「殿下が免状を下さったわ」

「免状?」

 手渡された羊毛紙を広げる。大まかにまとめると、最優先でバーネットのドレスを、バーネットの希望通りに仕立てるよう命令している文書であった。

「これは・・・・・・。不味いんじゃないかな」

 あの店は客を選ぶという。確かに、富裕層の顧客が大半だが、デザイナーが気に入った客ならば、庶民でも舞台女優でも、それこそ娼婦でも、一点ものを仕立てるという。王妃のウェディングドレスを仕立てる一方で、田舎の村娘にも最新作のウェディングドレスを無償で提供したと聞く。

 この免状は、デザイナーの矜持を逆なでするだけのものだろう。出禁を食らうことだってあるかもしれない。

「不味い?何で?皇子の命令よ?」

 バーネットは本当に分かっていないようだった。言い淀むブルーノに、バーネットは一気に気分を害した。

「もうっ、いいわ。わたし一人でも行くから」

「そんな!いや、いいよ。僕も行く」

「あっ、そう」、と不機嫌を引きずったまま素っ気なく言って、バーネットは歩き出す。


 ――――――D-rose店内

 やはりというべきか。デビュタントに向けての準備のためか、店内の混み合いは最高潮であった。ガラス張りのショーケースの先では、お針子や案内係が、客の周りを忙しく立ち回っている。

 店内への出入り口には、スーツ姿のドアマンが、二人立っていた。

(これは、予約なしでは入れないのではないか?)

 そう不安がるブルーノを無視して、バーネットは羊毛紙を片手にドアマンの前まで颯爽と歩いて行く。

「レディ。予約はございますか?」

 柔和な微笑を浮かべて、長身のドアマンは言った。

「予約はないんですけど、これを」

 そう言って、バーネットは羊毛紙を手渡す。

 一瞬、羊毛紙を受け取ったドアマンはぐにゃりと眉を曲げ、それでもどんな客か分からないからだろう。丁寧な姿勢は崩さない。

「失礼いたします」

 そう断りを入れて、羊毛紙を広げ、文書に目を通す。

「これは・・・・・・」

「早く入れてちょうだい」

 ドアマンは今度こそ戸惑いの表情を隠そうとせず、もう一人のドアマンに羊毛紙を見せる。もう一人も同じように困った顔を浮かべた。

 その間、店を出入りする客が不思議そうにバーネットやブルーノを見やる。

 ――――――ねえ、あれって・・・・・・。

 ――――――カンゲル男爵令嬢?隣は、ミルドゥナ侯爵令息かしら?

 ――――――嘘。あの子もここのドレス着るの?お母様、わたし、キャンセルしたい。

 ――――――これっ!此処のドレスを予約するために、お父様とお母様がどれだけ苦労したか知ってるでしょう。まだ決まったわけじゃありません。

 そんな親子の会話がブルーノの耳に入る一方で、バーネットとドアマンとのやりとりは、口喧嘩の様相に発展していた。

「少々、お待ちいただけますか?責任者に確認して参ります」

 一人がそう言って、足早に店内に入っていく。

「早くしてよね!」

 上げ膳据え膳で歓迎されると思っていたのだろう。バーネットは胸元で腕を組み、苛立たしげに言った。

 ひそひそ話す声や忍び笑い、そして、バーネットとブルーノを見る視線に、ブルーノはとにかく居心地が悪い。

 ――――――あら、カンゲル男爵令嬢のエスコートは、ミルドゥナ侯爵令息がなさるのかしら?

 ――――――あの娘、皇子殿下のお手つきと噂ですわよ?

 ――――――あら、まあ。母親と同じ身体を使って?

 ――――――やだわ奥様。明るい内からそんなお話。

 婦人たちの嘲笑混じりの声は、一語一句ブルーノの耳に入ってくる。学園だったら、今頃、掴みかかっているが、ここは往来だ。騒げば、それこそ店内に入ることは出来まい。

(僕たちの行為が許されているのは、学園だけ・・・・・・?)

 ふと、そんな疑問が頭をよぎる。では、学園を出て行ったらどうなるのだろう。2年後、ブルーノはミルドゥナ侯爵の跡取りとして、年頃の近い男女だけでなく、幅広い世代の老若男女と社交をしなければならない。学園での常識が、社交界という場で通じるわけがない。バーネットだけでなく皇子、アレックス、そして生徒会役員たちはそれについて、どう考えているのだろう。

 ブルーノの背筋にスッと冷たいものが伝う。

「お待たせいたしました。どうぞ」

 その声に、ブルーノはハッと我に返る。

 ドアマンが戻り、二人を招き入れた。店内に入ると、客や店の従業員の視線が集中する。どれも、異物を見るような視線だ。

 対し、バーネットは満足げに微笑んで、チラチラ見やる客たちに、ふふん、と言わんばかりに誇らしげにドアマンの後ろに続く。

(前から思ってたけど、バーネットって何であんなに鈍感というか、無神経というか・・・・・・)

「あれ?」

 ブルーノは思わず口にする。

(僕は、バーネットのこと・・・・・・)

 初めて出会ったときから、バーネットはブルーノにとって大切な存在だった。これは理屈ではない。本能がそう言うのだ。バーネットを守れ、バーネットの言うことはすべて正しい、と。

 今、初めて、ブルーノはバーネットへの思いに疑問を持った。

「ブルーノ君、早くぅ!」

 不機嫌から上機嫌に瞬時に変わったバーネットは甘い声で、ブルーノを呼ばわる。

(そうだ。僕は彼女を幸せにしなきゃいけないんだ)

 このとき、ブルーノは自身の心境の変化に気づかなかった。しなきゃいけない。それは自分に課す義務だ。今までは、したい、と主体的な思いだった。そう、ブルーノは彼女に幻滅しつつあった。そして、この後、その思いは決定的となる。


 バーネットとブルーノは、4階建ての白亜の建物の三階。一番奥まった部屋に案内された。ドアのプレートには、「オーナールーム」と記されていた。

「ふふっ」

 特別扱いに、バーネットはご満悦だが、ブルーノは、このまま歓待されるとは思えない。

 ドアマンは、木製のドアを3回ノックした。

「ブルーノ・ミルドゥナ侯爵令息およびバーネット・カンゲル男爵令嬢をお連れしました」

「入ってちょうだい」

 くぐもった男の声が応える。ドアマンがドアを開け、中に入るよう手を室内へ向けた。

 ドアの正面には、大きな執務机が置かれ、両端には本棚が据えられていた。それ以外、何もない。応接用の机もソファーもないのだ。意外とこじんまりとした部屋で、オーナーとおぼしき人物と、バーネット、ブルーノが入れば、すでに定員に近い状態だ。

「はじめましてっ!わたし、バーネット・カンゲルです。今日はわたしのためにドレスを作ってくれるということで、ありがとうございます」

 下手くそなカーテシーを披露して、バーネットは言った。対し、オーナーとおぼしき執務机から腰を上げようとしない。三十歳くらいの若い男で、厳つい顔つき、顎の周りに青髯がうっすらあり、デザイナーと言うより武器職人のような雰囲気だ。その男は、スクエア型の黒縁眼鏡を掛けていて、衣装も独特だ。しっかりとした体躯に、レースをあしらった白いブラウス、はだけた胸元には大きなルビーのネックレスをしている。ぴっちりした黒のパンツに、同じく黒のヒールを履いている。

「あら、ご丁寧にどうも。オーナー代理のグレン・チェンよ。デザイナーの一人であもるわ。オーナーは外出中だからわたしが応対するわ」

「はい。有名なグレン・チェンさんにお会いできて光栄です」

 ブルーノは彼の名を知らなかったが、流行り物を追いかける女性にとっては常識なのだろう。といことは、彼の出で立ちもこれが普通ということか。

「そりゃどうも」

 全く気持ちのこもらない口調で、男が言った。

「それとね、出入り口の周りで騒がれたら店の品格に関わるから、とりあえずここに隔離しただけよ?作るとは言ってない」

 柔らかい口調だが内容は辛辣だ。

「でも、免状があります」

「バーネット・・・・・・」

 ブルーノはやんわりたしなめようとするが、バーネットは気づきもしない。

「免状ねぇ・・・・・・」

 オーナー代理は、頬杖をついた反対の手で羊毛紙をつまみ上げる。

「皇子殿下の命令ですよ。わたしに最高のドレスを作って下さい」

「ちなみに、お断りしたらどうなるのかしら?」

 えっ、とバーネットは目を見開く。オーナー代理はスッと立ち上がり、執務机を回って、バーネットの前に立つ。

「皇子殿下の命令を拒否したら、この店は閉店することになるのかしら?」

「それは・・・・・・」

 拒否されるなんて思ってもなかったのだろう。バーネットはしどろもどろになる。

「まあ、デビュタントを控えたお嬢様に、意地悪しても仕方ないわね。ウチは客を選ぶの。すでにスケジュールは埋まっているし、あなたのを仕立てるということは、他の令嬢がドレスを諦めなきゃいけないと言うことだわ?それについては、皇子はどうお考えなのかしら?」

 助けを求めるようにバーネットがブルーノを見る。

「それ相応の補償が帝室から支払われるはずです」

 そう言いながら、ブルーノの頭には疑問符がついて回る。あの皇子がそんなケアをするだろうか、と。

「羊毛紙にその辺については書かれていないけど、本当なのかしら?」

 返答を期待したわけではないのか、オーナー代理は手近なファイルを引き寄せる。

「さっきも言ったように、ウチは客を選ぶの。デビュタントのドレスのために娘さんが誕生したときから予約するお客さんだっているのよ?そんな選び抜いた客に、仮縫いも終わった状態でキャンセル願うのよ?誰にご退場願えば良いのかしら?」

 ジトリと睨まれて、バーネットもさすがに気まずいらしい。

「バーネット。やはり別の店で・・・・・・」

「イヤよ。わたしは皇子殿下の横に立つのよ!一流のドレスを着ないと。ただでさえ、男爵の娘って馬鹿にされるんだから」

「それは、他の男爵令嬢に失礼ねぇ。うちのドレスを着てなくても立派な男爵令嬢はいっぱいいるわ」

 オーナー代理は小馬鹿にしたように言う。

「それにね、坊や。此処一帯の店は、デビュタントに向けて、どこも繁忙期よ。大体、今頃になってドレスを作れって、無茶な話よ。皆、最低でも半年は準備にかけているわ」

(そうだったのか・・・・・・)

 姉のラティエースの時はどうだっただろうか。両親が何かしている気配はなかったが、当日は、アレックスをエスコート役に、デビュタントをこなしていた気がする。

「ウチにある既製品を元にリメイクする形なら、他のご令嬢に退場していただなくても、間に合うと思うけど?」

「リメイクなんてありえないっ!!」

「じゃあ、他所へ行きなさいな」

「そんなっ!・・・・・・これもエレノア様の策略ですか?」

 バーネットの口から、突然出てきたエレノアという名に、グレンも、ブルーノもきょとんと、バーネットを見る。

「エレノア様って、ひょっとしてエレノア・ダルウィン公爵令嬢のことかしら?」

「そうです。あの人、何かって言うとわたしの邪魔をするんです。わたしにデビュタントのドレスを作らせないのも、大貴族の力を使ってエレノア様が邪魔しているに違いないわ。あの人、自分が一番美しいデビュタントドレスじゃないと気が済まないんだわ」

 ここに、ラティエースがいたならば「なんでやねん」と呟いていたことだろう。今回は、弟のブルーノもそう思った。なぜ、そういう思考になるのだ。

「残念だけど、エレノア・ダルウィン公爵令嬢は、たかが男爵令嬢のドレスに興味なんてないと思うわ。大体、彼女は去年、デビュタントを済ませたし、今年は参列者側だから、デビュタント用のドレスのようにわざわざ新しく仕立てる必要はないもの」

「でも、でも・・・・・・!!」

 そのときであった。ノックの音が割って入った。従業員らしき若い女性がドアの隙間から顔を出して、「代理」と呼ばわる。

「ちょっと失礼」

 そう言って、グレンは部屋を出て行く。

「何なのよ、もう」

 バーネットは涙目になって呟く。何一つうまくことが進まず癇癪を起こす子どものように、バーネットはいらだちを吐き出す。ブルーノはもう、バーネットをまともに見ることすらできなかった。

「お待たせしちゃったわね」

 そう言って、グレンは部屋へ再び入ってきた。

「オーナーから免状の通り、あなたのドレスを仕立てるように言われたわ」

「本当ですか?」

 目をまん丸にして、バーネットが声を上げた。

「ええ。デザイナーはわたしが担当する。今日中に、採寸とデザインを決めるから、一日拘束されるけど大丈夫かしら?」

「ええ、それはもちろん」

 バーネットは力強く頷く。

「リネット。お連れして」

 リネットと呼ばれた女性が、「どうぞ、こちらへ」とバーネットとブルーノを案内する。

「あなたは、応接室で契約書にサインをしていただくわ」

「分かりました」

 ブルーノが承諾の意を示すと、グレンはもう一人の従業員をベルで呼び、案内させる。二人が立ち去り、静かになった頃、本棚がギギギッときしみの音を上げて押し出され、エレノアが現れた。

「よかったんですか?あんなわがまま通しちゃって」

「ええ。応対を任せて申し訳なかったわね、グレン」

「わたしはいいんですけどー。まさか、エレノア様が邪魔してるっていうのには驚きましたわ」

「彼女の論理は「うまくいかないことは、すべてわたしが邪魔をするからだ」ってことになっているから。ああ、皇子殿下もそうね。あの二人って本当にお似合いだわ」

「想像以上にひどい娘ですね、あのバーネットという娘」

「あれが、未来の皇太子妃よ」

 うえっ、とオーナー代理、グレン・チェンバーが舌を出して顔をしかめる。それを苦笑で受け止め、エレノアは執務机に放り投げていた羊毛紙を手に取る。

「欲しかったのは、この免状だもの」

 この皇子直筆の免状は、近々、波乱を呼ぶ起爆剤にする予定だ。

「法務部にもしっかりと契約書を作成させてね?」

「もちろんです」

「ところで・・・・・・。そのルビーの首飾り、素敵ね。でも、何か・・・・・・」

 エレノアは、ジッと胸元をのぞき込む。

「分かります?これ、ルビーの屑を再加工して作ったものなんですけど、いかがですか?」

「ああ。ラティがラドナ経由で加工を依頼したあれ?」

「そうです。いくつかサンプルが出来ていますよ。エメラルド、ダイヤ、ルビーに、アメジスト。新規オープン予定の『Sabrina』での目玉商品にしようかと」

 Sabrinaは、D-roseの傘下にある衣装店である。価格帯は庶民に合わせて安く抑えてあり、特に年若い女性に人気がある。

「これって、本物の10分の一の価格でおつりが来るって言ってたけど、本当に?」

「ええ、そうらしいですよ。ラドナからタカオ渓谷を通り、さらにダロー山脈を越えた先、聖ケイドン魔法国の技術を使った再加工した石。ただ同然の屑を再結晶化させる魔法自体は初歩的な魔法だそうです。費用は道中の安全を図る費用と配送料がほとんどだって言っていました」

「ふーん・・・・・・」

(相変わらずの商才ね)

 目を三日月型にして、「うしゃしゃしゃ・・・・・・」と悪徳代官のように高笑いするラティエースの姿が目に浮かぶ。もし、エレノアの前でしたならば、説教プラス作法の特訓をプレゼントしてやろう。

「さて、わたしはさっそくバーネット男爵令嬢のお相手をしてきますね」

「よろしく頼むわ」


 応接室に通されたブルーノは、そこで紅茶と菓子を振る舞われた。給仕が終わると従業員は退室し、室内にはブルーノ一人だ。紅茶は芳醇な香りを放ち、一級品だと分かる。菓子は、ルーデンスの焼き菓子だ。ようやくVIPにふさわしい待遇を受けた。

(そうだよ。本来、こういう扱いを受けるべきなんだよ、僕たちは)

 先ほどの疑念を吹き飛ばし、ブルーノは紅茶を嚥下する。やはり無礼なのは、ぶしつけ視線をよこす客たちだ。皇子に報告して、対処してもらおう。

「失礼いたします」

 ノックの後に入ってきたのは、三人の男たちだった。皆、きっちりとしたスーツに身を包み、片手にはファイルや分厚い帝国法典集を持っている。

 三人はブルーノの対面に直立不動で立ち、一礼した。

「法務部の弁護士スロウ・ワブです。こちらは、部下のウィリー・フランク、ギブソン・ダイナ。同じく弁護士です」

 そう言って、三人は名刺を差し出す。ブルーノは悠然と立ち上がり、名刺を受け取る。

「わざわざどうも。僕は、ミルドゥナ侯爵が子息、ブルーノです」

「ブルーノ侯爵令息とお呼びしますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、かまわない」

 スロウは、部下に頷き掛け、「失礼します」と断りを入れてから椅子に座った。

「さっそくですが、こちらで簡単な条項を書き出しました」

 そう言って、スロウは藁半紙(羊毛紙よりも安い紙。子どもの手習い用の安価な紙)をテーブルに滑らせた。ブルーノの眉根が読み進んでいくうちに、だんだんと寄せられていく。

 1.ドレスは、バーネット・カンゲル男爵令嬢の要望を最優先とする。たとえ慣習に背くことでも、バーネット・カンゲル男爵令嬢の意思が優先される。

 2.1.に関して、当方は一切の責任を負わない。

 3.ドレスの費用は、すべて帝室が支払うものとする。期限までに支払いがない場合、即時に訴訟するものとする。

 三項目を呼んだ時点で、ブルーノは紙から目を離した。

「ちなみに、ドレスの費用はいくらくらいか見積もれないか?」

「通常、50万ゼニロ(約50万円)を前金としていただきます。大体、100~300万ゼニロの間で作成されます。ちなみに、装飾品は入っておりません」

「たった一着に?」

「それだけ、貴族令嬢たちにとっては、大切な行事なのです」

 姉のドレスに300万の価値があったというのか。それだけの金を、両親がラティエースのために用立てるとは思えない。姉は祖父から仕事を請け負い、一定の収入があると聞く。そこから賄ったということか。

「・・・・・・なるほど。では、この1.の慣習に背く云々は何だ?」

「普通、デビュタントのドレスは白と決まっております。ですが、カンゲル男爵令嬢は、赤をご所望です。理由は、皇子殿下の瞳と同じ色だから、と。デザイナーのグレンが、白が一般的で、その由来も丁寧に伝えましたが、令嬢は聞く耳を持ちませんでした。今、免状に従い赤の布地をお見せしています」

「そっ、そうか・・・・・・」

 深い嘆息の後、「ちなみに、ドレスがなぜ白なのか。令息はご存じですか?」

「いや・・・・・・。すまない、そういったことには疎くて」

「そうですか。ラティエース侯爵令嬢も、うちで仕立ててくださったのですが、ご家族でそういうお話はされませんでしたか。いや、失礼。ご家庭の事情に立ち入りすぎましたな」

 両親が姉のドレスを仕立てるところを見たことはない。だが、新年の皇城参内はもちろん最低限の社交イベントの際は、ラティエースも出席する。その際、ラティエースは場にふさわしいドレスを身にまとっている。すべて自分で用意し、そのことを両親は恥とも思っていない。

「蛇足ではございますが、いずれ令息もご息女をもうけるやもしれません。由来をご説明します。デビュタントを迎えるご令嬢のドレスが白である理由は白が純潔さの象徴とされているからです。まだ何色にも染まっていない、これからどんな色にでも染まるのだという未来に対しての前向きな意味もあります」

 さらには、とスロウは続けた。

「先々代の皇女殿下の輿入れの時にこのデビュタントドレスを仕立て直し、ウェディングドレスとして婚儀に望みました。当時、戦時中だったこともあり、戦費が膨らむロザ帝国の国庫に負担をかけない行いで、各国が賞賛しました。皇女殿下の行いは教会にも伝わり、停戦協定の際にロザ帝国に有利に働いたのは、この逸話も関わっているといわれているくらいです。その後、ロザ帝国ではデビュタントのドレスをそのままウェディングドレスにするという風習が広がりました。祖母のデビュタントドレスをウェディングドレスにし、その娘がまたデビュタントドレスにして、婚姻時にまた仕立て直す。婚家に受け継がれ、その娘が今年、デビュタントドレスを仕立てる。うちのご贔屓筋には、そんな方々もいらっしゃいます」

 ブルーノたちの行いは、そんな伝統ある店に土足で踏み込むようなものだろう。ブルーノは羞恥で顔を上げることができなかった。スロウは、ブルーノをいたぶることを趣味にはしていないため、これ以上、此の件を口にすることはなかった。

「・・・・・・。他にも細々とした条項を入れましたが、そちらが期日までに請求書の通りの金額を当店にお支払いいただければ、問題ない契約書でございます」

「・・・・・・こういう契約書は他でも結ぶのか?」

「そうですね。当店は、世界中で展開しております。慣習や法律も特徴的な国もありますので、その国の法律に合わせた契約書を作成しております」

「そうか・・・・・・」

「こちらの草案を皇子殿下にお見せいただき、裁可をもらってください。その後、正式な契約書を作成し、お互いが署名捺印すれば、契約成立です。すでに採寸も始まっておりますので、早急に、少なくとも3日以内にご連絡下さい」

「分かった」

「くどいようですが、本来であれば前金をいただいてから作成します。それをしないのは、帝室に対する我々の信頼とお考え下さい」

(つまり、契約を反故にすれば、その信頼はなくなるって言いたいんだろ?)

「皇子殿下に伝えます」

 その後、ブルーノはバーネットに断りを入れて、皇城へ向った。

 そう、逃げるように。


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