15.裏の住人たち
「今のって、ロット・リースの息子かい?」
ドアに向って言ったのは、マダム・ローズ。繁華街でも屈指の高級娼館『ラキシス』の女主人で、元娼婦。年齢は七十歳を超えている。くすんだ鈍色の髪を、夜会巻きと呼ばれる髪型でまとめ、すみれ色のドレスを身にまとい、ドレスと同じ色の大ぶりのネックレスとイヤリング。口元には深紅の紅をきっちり引いている。
「はい。アレックス・リース公爵令息です」
「へー、あれがね。大きくなったものだ。目元なんてロット坊やにそっくりだ」
そう言って、応接用ソファーに座り、骨張った手でキセルを取り出す。ローテーブルの中央にある小箱からマッチを取り出し、煙管に火を付けた。
「ええ。ロット様も優秀な方でしたが、アレックス様もあの歳で中々に優秀です。大公が目に掛けるほどには」
マーディンは大窓を少しだけ開けてから、対面のソファーに座った。
「なるほどね」
言って、ローズは煙を吐き出した。
「早速だけど、昨晩も襲撃を受けたよ。うちの娼館じゃないけどね」
「そうですか。被害は?」
マーディンはいたって冷静に問うた。
「門番を含めた用心棒が二人死んだ。娼婦は一人。襲撃者は覆面をしてたから分からないと、そこの主人は言っていたけどね」
「ジャンスに間違いないでしょう」
「ああ。門番も娼婦も、元々はジャンスの処の奴らだったからね。ウチは痛くもかゆくもないんだけどさ」
「自分を裏切った者の始末、という感じではないんでしょう?」
「違うだろうね。ウチの子たちには、銃声や怪しい一団が襲撃に来た場合のマニュアルをしっかりたたき込んでいるからね。廊下、部屋から一番近い裏口、抜け道に飛び込むよう常日頃から言っている」
「定期的に訓練もしていますしね」
「ジャンスの処でやらかした連中をウチが迎え入れているのは、はっきり言って撒き餌と一緒だよ。餌に食いついている間に、逃げる時間を作る。わたしが守るのはあくまでわたしの子たちだけだよ」
「今回もそれが大当たりでしたね」
「お陰様でね」
言って、ローズは眉根を寄せる。
「ただ、ちと気になってね。この日、女王様がいらしてたのさ。あの店をあと10分でも遅く出て行ってたら襲撃にかち合っていただろうね」
「・・・・・・。マダムは、襲撃対象はラティエース様だったのでは?とお考えで?」
「あまりにタイミングが良かったからね。女王様はうちを密談場所としてよく使うだろ?この日も、わざわざロゼリアの宴席を独占して密談してたんだ」
ロゼリアとは、ラキシスで一番売れている娼婦である。彼女と一晩共に過ごすには、一般市民の三年分の年収が必要だと言われている。
「でも、襲撃場所はラキシスではなかったんでしょう?」
「そうなんだけどね。ただ、女王様は悪巧みの相談をするときは念には念を入れるんだ。この日も、うち以外に何件か予約を入れていたらしい。襲撃に遭った娼館に立ち寄ってからうちに来たそうだよ。その情報を知る者が襲撃者に伝えた」
「密談の相手はどなたですか?」
「さてね。ロゼリアの席でもフードを決して取らなかったそうだよ?一杯だけ酌をさせて、下がらせたそうだから」
(ラティエース様は大公様にも知られたくない相手と会っていたということか?)
マーディンは沈黙する。
「まあ、女王様ではなく密談相手が襲撃対象とも考えられる。アインスには、女王様関連のことは報告してないよ。大公に報告するかはあんたに任せる」
「ご配慮感謝します。それにしても、アインス様はさぞやお怒りでしょう」
アインスとは、歓楽街をまとめるマフィアのボスだ。帝都の歓楽街、その一画「ゼロエリア」は、警吏もうかつに手を出せない無法地帯だ。ゼロエリアで動く金は小国の国家予算を遙かにしのぐ。そのゼロエリアの覇権を争っているのが、三大マフィアと呼ばれる無法集団だ。アインス、ジャンス、そしてセキリエが、「ゼロエリア」を支配しようと常に争っている状態だ。ただし、あくまで歓楽街。ある程度の安全が保証されないとお金を落とす客が来ない。そこは誰もが分かっている。
「まあね。アインスは、早速、ジャンスの処の下っ端を数名、報復したそうだ。今のところ、ジャンスの動きはない。今回の件はこれで手打ちさね」
「それにしても、最近、頻発していますね」
「小競り合いは今に始まったことじゃないけど、確かに、最近、ジャンスの喧嘩の売り方は派手になっているね。こうも大っぴらに仕掛けてくるということは、ジャンスは、セキリエと不可侵同盟でも結んだんだろうね。今のところ、セキリエの動きはないようだけど」
セキリエも三代マフィアの一つだ。元々は、共和国から流れてきたという。
「潮時ですかね」
「そう思って、進捗状況を聞きに来たのさ。どうだい?」
「まだ少しかかりそうですが、そろそろ人員整理のリストアップをはじめてください」
「分かったよ。アインスにも、一度、顔を出すよう言っておくよ」
「そうですね。大公の意向を聞いておきます。それまでは、凌いでください」
――――――ケトル商会本部
ケトル商会は、貿易業で栄えた商会であった。主に武器関連に強く、古くなった武器を各軍から格安で払い下げてもらい、それを他国に輸出する。他国からは目新しい武器を輸入し、帝国軍に優先的に卸しているため、帝国特許を授与されてもいる。歴史は浅いが、先々代が行商から成り上がり、今では帝都に本部を置く一流の商会となっている。その商会本部長の部屋では、商会長のバルムス・ケトルが頭を抱えていた。
「なんてことをしてくれたんだ、ジャンス」
「何がだ?」
「何がだ、じゃないっ!!あれだけ大人しくするよう言ってあっただろ!!」
弾かれたように立ち上がり、バルムスが、葉巻をふかす大男に怒鳴りつけた。
「下っ端の小競り合いで死人が出ただけだ。ご丁寧にアインスは、襲撃者の首から下を俺の隠れ家に並べてきやがった。あそこはもう使えないな」
ううっ、とでっぷりとした巨漢のバルムスが呻く。
ケトル商会三代目商会長、バルムス・ケトル。事業拡大のために、無茶な資金調達を繰り返し、破産寸前に陥ったときに知り合ったのが、ジャンスであった。ジャンスは、ケトルの海外販路に目を付け、海外から違法薬物を仕入れるよう取引を持ちかけた。それを捌くのがジャンス・ファミリーだ。
ゼロエリアで薬物は売れるが、アインスが支配するエリアでは絶対に持ち込めない。アインスは薬物を御法度としているからだ。今、ゼロエリアで頭一つ出ているのが、アインスであった。底辺のたまり場であったゼロエリアに、一流の貴族や政治家、資産家しか相手にしない娼館や飲食店、カジノを次々と開店させ、桁違いの金を回している。薬物も儲かるが、最後は廃人になるし、寿命も短い。よって金が長期的に入ってこない。中毒者を増やしたくとも、アインスが邪魔で思うように売れないのが現状だ。最近は、カスバートにも小遣い稼ぎがてら貴族に流させているが、所詮は小遣い稼ぎだ。
「今は大事なときなんだ。ロフルト教皇国との貿易も順調だし、その伝でもっと大きな仕事だって来る。それは、あんたにも悪いことじゃないだろう」
すがるような口調で、バルムスは言った。
「そりゃそうだけどよぉ」
(こいつは、大きな仕事という度に、金を失っていることに何で気づかないんだろうな)
「それに、メブロでは、大規模な区画整理に伴う大改修が行われている。何かあれば、その入札審査にも影響するんだ。頼むよ」
「そうだなぁ。あんな小規模な襲撃では、アインスに大したダメージも与えられないし。しばらくは大人しくしておいてやるよ」
その言葉に、バルムスは安堵する。
「積み荷はいつも倉庫にある」
言って、バルムスは倉庫の鍵を投げてよこした。
「はいよ」
そう言って、ジャンスは部屋を出て行った。見るからに柄の悪い男に、商会の従業員たちは遠巻きに避けていく。そんな中、「ジャンスおじさん」と明るい声が飛び込んできた。
「おお、カスバート」
カスバート・ケトル。バルムスの一人息子で、血のつながりはないものの、慕って「ジャンスおじさん」と呼んでくる。ジャンスも憎からず思っていた。
「どうしたの?商会に顔出すなんて珍しいね」
「お前の親父さんにどやされてたんだ」
「親父に?」
カスバートは嫌悪感をにじませ、顔をしかめる。
「何を言われたか知らないけど、気にしなくて良いよ。あいつが気にしてるのは体面だけだから」
「ははっ。言うなぁ、カスバート」
二人は商会の両扉を潜り、階段を数段降りる。カスバートも付いてきたが、それについてジャンスが口にすることはない。
「あーあ。さっさと学校なんて卒業したい。つまんねーよ」
「そう言うな。あの学園卒業ってだけで一目置かれるんだし、親父さんが苦労して入れてくれたんだろうが」
そうだけどさあ、とカスバートは口を尖らせる。
「チマチマ薬捌くのもつまんねーし。最近、貴族のパーティーでも使うって、顧客にちらほら伯爵以上の貴族もついてくるようになってきたけど。もっと、でかい仕事がしたいんだよ」
(でかい仕事ね・・・・・・)
やはり、親子だなとジャンスは心中で呟く。
「皇子の右腕は言うことが違うねえ」
「右腕って。たまたま裏通りで絡まれている皇子たちを助けて、そのまま気に入られたってだけよ。オレがいれば、「ゼロエリア」で融通がきくからね」
「その皇子様とはどうだ?」
「どうだって、今日もホテルで騒いでるだけじゃねーの?呼び出しの手紙が来たけど、面倒だから無視してるんだ。ねぇ、おじさんは倉庫に行くんでしょ?オレ、ゼロエリアに用事があるんだ。途中まで乗せてって?」
「そりゃ構わんが。この間、抗争があったばかりだ。あまり裏通りをうろつくなよ?」
「抗争?あんなの小競り合いじゃない。おじさんが本気を出したらゼロエリアなんてあっという間にジャンス・ファミリーのものさ」
「おいっ。あまり大きな声で言うな」
分かってるって、と軽い口調でカスバートが応じる。
ジャンスは、待たせていた馬車のドアを開け、カスバートに乗るよう促す。続いて、ジャンスも乗り込み、倉庫に行くよう御者に指示を出した。
「せいぜい、皇子様のご機嫌を取っておけ。誰もが持てる伝じゃねえ」
「分かってるよ、おじさん」
ゼロエリアへ続く繁華街の道路脇に馬車が止まる。
「ありがと、おじさん」
言って、カスバートは軽やかな足取りで馬車を降りる。
「じゃあ、またな」
そうジャンスが言うと、御者が馬に鞭を打ち、馬車が動き出す。それを見届けて、カスバートは不敵な微笑を浮かべた。
「おじさん。本当の抗争ってものを教えてあげるよ。そう遠くないうちに、ね・・・・・・」
そうつぶやくと、カスバートはゼロエリアへの大通りへ足を踏み入れた。




