17.文化発表会⑰
コンクールの審査を終えて、マクシミリアンは中等部校舎に戻ってきた。一目でわかる不機嫌そうな顔。廊下の真ん中を歩く一団を、生徒たちは気まずそうに、そして標的にならなように目をそらしたり、距離をとる。
そんな中、アレックスは見てしまった。講堂の出来事は徐々に伝わっているらしく、それを聞いた生徒たちの顔が晴れやかに変化するその瞬間を。やってくれた、さすがはあの三人、と影のヒーローをこっそりと称賛していた。
コンクールの黒幕は、誰が見たってエレノアたちだ。マクシミリアンは生徒会役員にあの三人を探し出し、自分の前につれてこいと厳命した。怒りを圧し殺した低い声で。怒れるマクシミリアンから逃げるようにして散り散りになった生徒会役員からは、今のところ捕獲したという知らせはない。
「いやー、嫌わてるねぇ」
そんなことお構いなしのベンはアレックスの隣に立って言う。
「これが皇子の治世ですか。なんちゃって恐怖政治だ。生徒たちも強かだなぁ。うまいこと皇子を扱ってる。何せ憎しみの対象を一点集中させているお三方がいらっしゃる。だから、生徒は案外腐ってないし、楽しい学園生活っていうのを送ってるみたいだねぇ」
ベンの言いたいことは分かる。本来、生徒会が彼らの学園生活を守らなければならないのに、やっていることは彼らを抑えつけることばかり。マクシミリアンは常々口にする。「身の程を知り、でしゃばるな」と。だが、身の程、自分たちの実力はどれほどのものか。
あの日、マクシミリアンはラティエースに「わきまえて行動しろ」と言った。そのお返しがこれだ。これでもかというほどマクシミリアンは自分の無力さに直面させられている。目をそらすな、と言わんばかりに。
―――お前こそ、弁えろ。
ラティエースからの痛烈な返答だ。
「なんちゃって恐怖政治ですか・・・・・・」
アレックスは自嘲気味に言った。ベンは加虐心丸出しの笑顔を浮かべる。
「ああ、そうだね。すべてが中途半端だ。理由は簡単。味方のふりをした敵が内部に多い。その筆頭は、君だね」
思いもよらない言葉に、アレックスは瞠目する。
「おや、無意識?あんたは皇子の一の子分でありながら、敵に同情的だ。それは構わないが、もしそうなら皇子に言葉を尽くすべきだ。それがだめなら、皇子の手先として相手を徹底的に敵を潰す。先ほどのコンクールもそうだ。半数以上が反旗を翻したのだろう?その前段階で抑え込んでおけば、ああはならなかった。生徒会が指定した曲のみを許可し、反抗しそうな生徒は排除か弱みを握り、反抗する気にさせない。清廉な人間なんて絶滅危惧種よ?何かしら弱みはある。それが家族だったり、性癖だったり、趣味だったり、はたまた恋人だったり」
「学生でそこまでするのですか?」
「現に、ラティエース侯爵令嬢はしてるだろう?まぁ、それでも手加減されているとは思うけどね」
アレックスは言葉に詰まる。
「ただ皇子殿下のすべてをかなえた上での学園は、こんな活気に満ちたもんじゃねーよ。皇子はその学園に満足するかねぇ」
どうだろうか。案外、心地よく感じるかもしれない。皆が怯え、ひれ伏し、一切の反抗もしない。生徒会の横暴に生徒たちは黙って耐え続ける。どちらが悪か分かったものではない。それにそんなことを続ければ貴族たちは離れ、学園はやがて廃校となるだろう。名門ロザ学園の廃校などありえないと思うところだが、マクシミリアンならばそれも現実にしてしまいそうだ。
この国では、皇族の力の源は貴族から生まれる構造になっている。それでも時に貴族の助力を必要としないカリスマ性を備えた皇帝が誕生する。その歴代の皇帝ですら、貴族と表立って対立したことはなかった。カリスマ性のかけらもないマクシミリアンは、その貴族の力を自分のものにしようと、そしてそれができると信じている。その背景に、自分の父親であるケイオス一世が貴族の顔色ばかり見ていると思っているからだ。それは間違いないが、皇帝は天秤の中央に立つようにしているだけだ。両天秤に乗せられた貴族は決して中央の支柱には手を出せない。むしろ、支柱を自分に傾かせようと必死になる。その結果、皇族に対して貴族は恭順の姿勢を見せているのだ。ケイオス一世は己の力を見極めて、細心の注意を払ってバランスを取っている。マクシミリアンの目にはそれが脆弱な姿に見えるのだろう。
(父親の弁える姿が気に入らない、か・・・・・・)
アレックスに父親の思い出はほとんどない。そこは、マクシミリアンと自分を重ねても分かってやれない。
「彼女は君たちの真逆をしている。生徒会への反抗心をあおり、絶対の庇護を約束する。ルーデンスの菓子もそうだが、あれだけの量の刺繍小物も学園に保管していたとは思えない。大方、倉庫でも借りて小物も別の場所で作り上げていたんだろう。あと、ほれ、この歴史研究会の冊子」
言って、ベンは冊子を取りだした。
「確実に印刷屋に頼んでるね。紙も上質だ。まぁ、「ロザ皇族恥辱史」っていうひっでータイトルだけど。民間代表のわたしとしては飛びつきましたよ。皇帝を支える貴族が嬉々として購入しているのも問題だが、皇族に対する皆の評価がわかるってもんだ。あっ、ついでに「ロザ貴族恥辱史」もある。第一章は歴代のミルドゥナ大公の話だ。なになに、三代目ミルドゥナ大公は、見合いを断るために日ごろから赤ちゃん言葉で話し、ついには未婚で終わった。4代目は叔父のマネをし、閨では・・・・・・。よくレオナルド大公が許可したな。いや、許可されなくても販売しているのか。これ、今度、大公に持っていこうかな。・・・・・・久々にぶっ飛ばされそうだけど」
皇族だけを標的にしたら皇族侮辱罪だのなんだと騒ぐところを、大公の本も出すことで抑え込んだ。大公が許し皇族が許さなければ、皇族は「狭量」だと下される。国を統治する者がこんな風刺、揶揄を受け流せないのか、と。
歴史研究会には最低限の予算しかつけなかった。マクシミリアンが予算をつけることすら嫌がった。さすがに文化発表会の参加者にゼロ予算はないと、アレックスが説得して一脚の椅子が買える程度の予算がつけられたのだった。彼らは「そうですか」とあっさりしたもので、最初から自費を投じるつもりだったらしい。強制参加にも関わらず自費なんて、とアレックスは言ったが聞き届けられなかった。
当日、彼らはベンの持つ立派な書籍をブースに並べた。長蛇の列で、買えなかったと悔しがる者も多かったらしい。
アレックスが沈痛な顔をして黙する。だが、それに同情するベンではない。
「今回は生徒会役員の弱みを握るまではいかなかったが断言できるね。彼女たちは必要とあればするだろうさ。自分たちの守る存在が害されそうだと判断すればすぐにね」
俯くアレックスに、ベンは一言も優しい言葉はかけない。それは、ベンがアレックスを対等に扱っているからに他ならないが、それに気づくにはアレックスはまだ幼かった。
「学園の延長に国があることを、君は忘れてはいけない」
ベンは鷹揚のない口調で言った。
今、マクシミリアンは学園を総べる存在だ。やがて、国を統治することになる。だが、学園ですらこんな有様なのに、これが帝国となればどんな悲惨な末路が待ち受けているのだろう。
学園ではなかったもの。それは、血だ。武器を取り、命を懸けて国民は反抗するだろう。
それを想像するだけで、アレックスは血の気が引いた。
ラティエースのオリジナル劇のあらすじが、アレックスの頭を駆け巡る。
「とにかく、俺のかわいい娘をこの学園に入れるのだけはやめておくわ。かわいい娘ならそつなくやり過ごす胆力はあるが、可能性を潰すような場所にわざわざ子どもを放り込む親はいないさ。実際、入学希望者、減ってるんだって?」
皇族と関わらないでやっていける下級貴族はロザ学園を敬遠し、留学や専門的な学校を入れるようになっているという。その傾向が、上位貴族にも徐々に見られるようになっている。特に子どもが女だった場合、万が一にも間違いが起こるといけないと他国の花嫁学校や女学校などを選び、マクシミリアンとの接点を断っていると聞く。
「今回で増えるかもしれないねぇ。エレノア公爵令嬢様様じゃないですか。・・・・・・しかも彼女らは二足わらじときてる。エレノア嬢は皇妃教育という名のマーガレット皇妃からの嫌がらせ。ラティエース嬢は大公から目をかけられていることを理由に、親と弟から蛇蝎のごとく嫌われている。別邸とかいうところで住んでるんだろう?本人はまったく気にしていないが、本当に腹を痛めて産んだ子にようやるよ。君のお母上からも何かとケチをつけられているそうじゃないの。せめて、学園ではなく他の学校に通っていれば、この学園の問題には関わらずに済んだのにねぇ」
ベンは言葉にしていないが、「それに比べて君たちは」という続きが聞こえるようだ。
「究極の究極。あの三人は退学になっても平気だろ。無駄な寄付金もよその学校に移した方がよほど有効活用してくれるさ。それでも、あの三人が残る理由、こうまでして皇子に現実を突きつける理由・・・・・・」
ベンはアレックスを見据える。
「完全に見捨てられる前に何とかした方がいいと思うけどね」
アレックスは歩調を緩め、やがてピタリと足を止めた。ベンも不思議そうに後ろに下がっていくアレックスを振り返る。
「・・・・・・。そうですね。俺の中途半端がすべての敗因です」
そう言って、アレックスは覚悟を決めたような顔をベンに向けた。
「ケケケッ。いいね、そうこなくちゃ」




