15.文化発表会⑮
――――中等部講堂
昼食を終えた生徒会役員は講堂の催し物を見るために移動した。午前中も催しものは行われており、それは主に競うものではなく、あくまで発表会という形式のもので構成されていた。有志による演奏、合唱、そして、演劇などなど。午前中の出し物は問題なく進んだ。演劇も古典演劇からオリジナルの劇まであった。いわゆる子どもから大人まで楽しめる場となっていた。
マクシミリアンはそんな午前中の催し物には全く興味を示さず見回りを選んだ。よって午前中の催し物の一部が異様な盛り上がりを見せたことなど知る由もなかった。午前中最後のプログラム、オリジナルの劇が物議を呼んでいたことに。
それは風刺劇ともいえた。脚本、衣装、舞台装置スタッフ一覧に、ラティエース・ミルドゥナ、エレノア・ダルウィン、そしてアマリア・リーの名が並んでいた。明らかに三人発案の劇であった。
あらすじはこうだ。
とある国の皇子が、学園で運命的な出会いをする。平民の女の子が学園に転入してきたのだ。皇子とその取り巻きは瞬く間にその女の子に魅了され、女の子が出す難題に挑む。
学園関係者は、皇子がマクシミリアン、取り巻きが生徒会役員の主要メンバーがモデルであることは承知していた。だが女子生徒だけは誰がモデルか分からない。ここだけは本当にオリジナルでモデルがいないのだろう、と皆がそう思っていた。
女子生徒のわがままは小さなものから大きなものまで様々だ。
―――あの子がつけているイヤリングがほしいわ。
皇子たちは、あの子と名指しされた娘からイヤリングを奪う。
―――あの子が持っている子犬が欲しいわ。
皇子たちは、子犬を奪い、女の子に差し出す。
―――あの子の亜麻色の髪がほしい。
―――あの子のとび色の瞳がほしい。
―――あの子の婚約者がほしい。
―――あの店のものがほしい。
―――あの店そのものがほしい。
―――ほしい。ほしい。ほしい。
皇子たちは一方的に奪い取り、戦利品を女の子に差し出す。
女の子は自分で頼んでおいて新たに欲しいものができると以前のものには興味を示さなくなる。亜麻色の髪も、とび色の瞳も、婚約者も、欲しがった熱意と対極な態度で、あっさりと捨てた。
―――皇妃になりたいわ。そして、ずっとあなたの側にいたいわ。もちろん、あなたたちともずっと一緒よ?
皇子たちは喜んでその申し出を受け入れ、皇子の婚約者に婚約破棄を突き付けた。由緒正しい公爵の一人娘である令嬢は喜んで受け入れた。
しかし、令嬢は一つだけ条件を出した。
―――殿下。一つだけ、わたくしは欲しいものがあります。それをいただければ、わたくしは喜んであなたがたの前から姿を消し、二度と御前には現れません。
皇子は応じた。あらゆる面で後ろ盾になり、尽くしてくれた令嬢とその家族に感謝をしていたからだ。
―――殿下。わたくしは、隣にいらっしゃる女性の桃色の髪が欲しゅうございます。
そう。その令嬢はかつて亜麻色の髪を奪われていた。皇子は拒否した。代案を用意するように。と。
―――殿下。わたくしは、隣にいる女性のダークブラウンの瞳が欲しゅうございます。
そう。その令嬢はかつてとび色の瞳を一つ、奪われていた。痛々しい眼帯がそれを物語っている。
―――髪も、瞳も、そして皇妃の地位を差し出すわたくしに、あなたは何も与えてはくれないのですね?
―――金でも、名誉でも、なんでもくれてやる。
令嬢は首を左右に振った。令嬢はすでに、金も、地位も、名誉も、知性もすべてを持っていた。
―――欲しくはないものをくれるのが、あなたの感謝なのですか?
ついに皇子は令嬢に手をかけた。令嬢の家族は嘆き、悲しみ、姿を消す。
皇妃になった女の子は、その後も「ほしい」を続けた。手に入らないと皇子たちを「ひどいわ、ひどいわ」と詰る。自分を大切に思っているなら差し出せるはずだ、と。
ついに、側近になった一人が言った。
―――君は、僕たちに「ほしい」と言って、僕たちの「ほしい」には何一つ答えてくれない。皇妃の仕事も、何一つしてくれない。僕らを大切に思っていないのか。
皇妃は不思議に首をかしげる。
―――どうして、わたしがあなたたちの「ほしい」を叶えなきゃいけないの?
その瞬間、皇子を含めた側近たちは彼女のために我慢していた「ほしい」を爆発させた。
―――僕は、君のかわいい唇がずっとほしかった。
―――俺は、君の美しい桃色の髪が欲しかった。
―――わたしは、君の瞳がほしかった。
―――オレは、オレを撫でるその白魚のような手がほしかった。
自分たちの欲しいをかなえた瞬間、彼らは我に返る。足元にはかつて彼女だったなにか。
誰もいない豪奢な部屋で、皇子たちは膝から崩れ落ちる。
遠くから響く乱暴な足音、怒声、呪いの言葉や、重なる武器の音。王政打倒を叫ぶ民衆の声。
蒼い血が欲しい、と皇子に向かって無数の手が伸びる。やがて、皇子たちは民衆の輪の中に消える。舞台上からすべてが取り払われ、最後に残ったのは真ん中に青いバラがポツンと一つだけ。
劇はそこで幕が下ろされた。
会場は水を打ったように静まり返った。劇の余韻に観客が戻ってこれない。
観客はしばらく無言であった。
講堂のカーテンが引かれ、日差しが差し込む。そこでようやく少しずつだが観客がざわつきはじめる。
「こっ、怖っ!!」
「いや、でも、やりかねないっていうか・・・・・・」
「そういう女の子が現れたら、でしょう?」
「いやー。これが中等部の作品ですか」
「すごいわねぇ・・・・・・」
「故事もふんだんに盛り込んでいるが、理解できた人はどれほどいるのかねぇ」
「現実の皇子がこうなったら、ウチはどうしましょうかね。あくまで創作と片付けるには重いわ」
「ってか、貴族の子女がこんな作品発表しちゃっていいの?」
観客の評価は様々だ。
なにこれ、と席を立つ者もいる。初等部の子は「こわい」と泣いていた。
逆にハッピーエンドばかりの劇に飽き飽きしていた観客は「生徒会、よく許可したな」と驚いている。
こうしてオリジナル劇は、賛否両論、異様な盛り上がりを見せて、幕を閉じたのであった。
後日、新聞部がラティエースに劇制作の意図を尋ねると、「いやー。悪役令嬢ものって鬱展開があんまりないような気がして」と答えが返ってきた。
悪役令嬢?鬱展開?記者が首をかしげる中、「エレノア、あそこ!!」、「見つけたー!」とエレノア、アマリアが全速力で駆けよってきた。あの淑女の手本、エレノアが息を切らして鬼の形相でこちらに向かってくるのだ。記者は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
硬直する記者の前を横切り、エレノアはラティエースの頭に扇という名のハリセンを叩きこみ、アマリアは後ろから羽交い絞めにして回収していった。「おほほほ。気になさないでね」とエレノアは力業でその場を収めた。
結局、それ以上の取材はできず、記事はお蔵入りとなったのだった。
さて、時は開演前まで遡る。生徒会も手をこまねいていたわけではない。特に講堂の監督をしていたブルーノは、この劇を最大限警戒していた。なにせ姉たちが関わっている劇なのだ。警戒しないわけがない。そして、ブルーノの予想通りの展開であった。いくらモデルを明言していなくとも、風貌を似せている。誰もが同じ人物を思い浮かべるだろう。もちろん、ブルーノもアレックスにも模した配役もあった。
「止めるぞ」
ブルーノの短い言葉に、4名の役員も頷く。
「ダメよ」
そこに毅然とした声が割って入る。振り返るとそこには、エレノア・ダルウィン公爵令嬢が立っていた。取り巻きもなく、たった一人で生徒会役員と対峙していた。
「劇は開幕したわ。終わるまで待ちなさい」
「申請と異なる劇をしてるんだ。中止にするのは当然です」
「何も知らない観客は生徒会の横暴と取るのでは?」
「ちゃんと観客にはアナウンスする」
「そう。なら、このプログラムの三分の二以上が中止となるわね」
それは自白と同義だ。申請と異なることを、三分の二以上の生徒が画策しているということ。それをすべて中止したらプログラムは空白が目立つ。それこそ、去年の二の舞だ。あの白け具合を、ブルーノは見知っていた。言葉の応酬を続けていた両者であったが、ブルーノがついに黙る。
「あなたがたはすべてが終わった後に、処分でも何でもすればいいわ。皆、わたしたちに命令されてやってるの」
(くそっ!)
ブルーノは用意周到な姉たちに苛立つ。いつもそうだ。姉のラティエースは数歩先を読んで動く。
(そのくせ、チェスはドヘタってどういうことだよ)
かろうじて駒を動かせる程度だ。以前、アレックスとの交流で見たことがある。ラティエースは心の底からどうでもいいという顔で駒に触れていた。
盤上遊戯は下手なくせに、人の動向を読むのがずば抜けている。
駒に心はない。しがらみもない。そして、感情がない。だから、チェスは苦手だ。姉はそう言っていた。当時はただの負け惜しみかと思っていたが―――。
ブルーノは、ラティエースの親友、エレノア・ダルウィン公爵令嬢を睨みつける。それを、エレノアは余裕の笑みで受け取る。こういうときのエレノアは姉とそっくりだ。
皆、こう言うはずだ。エレノア様に命令されました、と。筆頭公爵令嬢と大公の孫娘の命令に逆らえませんと言われれば、こちらも下手を打てない。もちろん、こちら側には貴族よりも上の存在、皇子がいるわけだが。
「こうなることは予想していたでしょう?プログラムが埋まった時点でこちらに有利なの。わたしが合図を送れば、彼らは講堂がいなくなるわ。あなたたちは初手からミスしてるのよ。自分たちの思い通りにしたいなら、すべてを皇子の息のかかった人間で埋めるべきだったわね。・・・・・人前に出せる人数を確保できるとは思えないけど」
学園生徒は、特に貴族の子弟は家の影響もあって、それぞれそれなりの矜持を持っている。反骨精神は別に平民だけの専売特許ではない。自分の姉などは理不尽な圧に全力で拒否する代表だ。
貴族の皆が、もろ手を挙げて皇帝の唯一の子であるマクシミリアンを歓迎しているわけではない。特に、高位貴族は幼少期から皇子と交流を持つ。その時に皇子は自分の側近を選び、対し子どもたちは皇子を見定め、親に報告する。こうして一族の方針が定まる。これらの積み重ねで出来上がったのが今の学園での力関係だ。
「どっ、どうする・・・・・?」
エレノアに圧倒された一人が、ブルーノに助けを求める。一応、ブルーノの方が年下だが、すでにアレックスの補佐として認知されている彼を頼る者は多かった。
「演目と違うことをした生徒をリスト化して、後日、処分を下すぞ」
「賢い選択ね」
エレノアはそう言って、クルリと背を向ける。
「では、ごきげんよう」
その後、ブルーノは食堂で事の顛末を報告しようと皇子を待った。しかし、現れた皇子はげっそりしていたし、アレックスの姿もない。議会の重鎮、ベン・クーファとの食事を邪魔するわけにはいかなかった。終わるまでほかの役員たちと食事をとり、校舎内での話を聞きながら待った。見回り組もいろいろと問題に直面していたらしい。その後始末でアレックスは遅れているという。アレックスが遅れて現れたと思ったら、目にまぶしい衣装をまとった生徒会役員が登場し、報告する間がなかった。さすがにあの衣装についてスルーすることはできず、アレックスの事情聴取を横で聞くことになった。思わず口をはさんでしまったくらいの内容であったし、そしてその主犯の一人が姉で、アレックスの婚約者である事実に心の中で少し泣いた。一言で言うなら「何やっとんじゃい」である。
ようやく報告できたのは、午後の演目が始まる数十分前、皇子ではなくアレックスにだった。
「そうか。そりゃ、また・・・・・・」
本番当日に、ボイコットを辞さない姿勢はさすがだ。もちろんボイコットした方が悪い面もあるが、一番の非難を受けるのは生徒会だ。なぜ、ボイコットに至ったかを知られて困るのは生徒会側だ。さらに自分たち側の人間にはあからさまな贔屓もしているのだ。同情という名の支持を得るのはどちらなのか。そんなものやってみなくても分かる。
おそらくエレノアたちは講堂にいる生徒だけでなく、校舎にいる生徒も引き揚げさせる。やるのだ。あの姉は。
「午後もその調子でいくんだろうな」
「暢気にしてる場合か!」
「だが、手は打てない」言って、アレックスは開始を待つ皇子を見やる。「殿下なら、やるかもしれんが・・・・・・」
もし、本当に実行したならば、皇子の悪評ここに極まれり、となるだろう。中には、午前中の劇を彷彿とさせる振る舞いに、嫌悪を示すだろう。
(あーあ。俺らが打てる手、ないじゃん)
アレックスは遠い目で思案する。このまま馬車に飛び乗って家に帰りたいくらいだ。ここ最近、文化発表会がらみで家にまで仕事を持ち帰っていたため、睡眠不足で疲労もたまっている。明日からの休みを心の支えにして今、この場に立っているのだ。
「午後はコンクール形式の発表だ。申請と異なる演目をすれば、一曲やり切っても失格だ」
「そっか。確かに」
ブルーノが僅かに表情を華やかせた。
(織り込み済みだろうけど)
おそらくラティエースたちの目的は、「生徒会の面目潰し、プライドをへし折る」だ。アレックスはすでに複雑骨折並みにへし折られているが、当の皇子はまだそこまで決定的な屈辱は味わっていない。
今朝、ラティエースははっきりと言った。マクシミリアンの思い上がりを、ぽっきりへし折る、と。
(それにしても、失格が分かっていてコンクール出場者は本気を出すのか?)
―――答え。ご褒美があれば、本気出します。
ラティエースは、失格予定者の演奏を審査する者を事前に選んでいた。審査員は、エレノアたちの人脈で依頼した。一般の観客に交じって、演奏を評価する。評価シートは後で回収すればよい。また、何も知らない一般客には出入り口に調査員を数名派遣。彼らが帰ろうとする観客を捕まえて、どの演者がよかったか確認するのだ。覆面審査員と調査員の票で順位を決定。入賞者には、ロイヤル・M・ホテル宿泊無料券、リー男爵が経営する高級レストラン食事券等などを用意。
この案に、失格予定者は俄然張り切った。そして、当日。彼らは実力を存分に発揮することとなる。




