14.波紋を作る人たち
――――――帝国歴413年翠の月7日。
ロザ皇城内、第一皇子マクシミリアン自室に、主の怒声が響き渡る。
皇城の中でも日当たりの良い場所、それが歴代の皇位継承者が使用してきた部屋だ。豪奢なシャンデリアの下に、キングサイズの天蓋付きベッド、執務用の机は衝立の向こうに配置され、本来あるはずの公務の書類の代わりに酒瓶や申し訳程度の教科書や筆記具。執務机は歴史的価値も高い一品なのに、見事にその価値を損なっている。来客用の応接机もソファーも、メイドが毎日片付けているが、昼過ぎになれば、小汚い台に様変わりしているという。
(使用者と部屋の価値が明らかに逆転しているな)
シャンデリアを見上げながら、帝室管財官長ニイデル・ブロン子爵はそう思った。何でこんなことをしているかと言えば、一時的な逃避だ。だが、それもいい加減仕舞いにしなければならない。
「どういうことだ!これは」
臆面することなくニイデルはマクシミリアンを見返した。
「文書の通りにございます」
怒声に対し、平坦な声でニイデルは言った。三十を少し過ぎたばかりの細面の男だ。目つきが悪いと言われることが多いので、新妻から送られた丸眼鏡を掛けている。が、最近は、眼鏡もニイデルの怜悧な目つきを和らげることなく、さらに鋭く映してしまっている。
「だから、何ですべての別荘が使用できないんだ!!」
帝室は、国中に別荘を抱えている。長期休暇になれば、そのどれかに静養に行くというのが、恒例行事であった。マクシミリアンは中等部二年の後半あたりから、家族と過ごすのではなく、学友と過ごすようになった。形式的に、前もって使用したい別荘を管財官に連絡をする。すると、大体の場合、皇帝から勅許が出る。まれに拒否されることもあるが、その場合は、第二、第三候補を挙げる。すべて使用できないということは今までなかった。
「貴族たちが、貸与を拒否しているからにございます」
「貴族?」マクシミリアンは眉を顰め、「なんでそこで貴族どもが出てくる?」
「まっ……」
ニイデルは言いかけて、慌てて口をつぐむ。
(マジでか、こいつ)
一発で不敬罪で逮捕だ。ニイデルは新婚で、妻は妊娠しているのだ。軽い発言で、路頭に迷うわけにはいかない。ニイデルは咳払いして、心を落ち着ける。
「正確に言えば、帝室の別荘は皇帝陛下のものではなく、各家が帝室への忠誠として、無償提供しているものなのでございます」
「はぁ?では、毎度、帝室の紋の入った食器やカーテン。季節ごとに変えられる調度品もすべて無償提供しているということか」
帝室のひとりひとりに、生誕と同時に紋章が授与される。それはことあるごとに使用され、身につけるものや使用される物品に紋章を入れることも多い。別荘の場合も、皇妃が主として使用する際は皇妃の紋章を、その後に皇弟が使用する場合は、皇妃の紋章入りのものを、すべて皇弟の紋章に入れ替える。その費用はもちろん、別荘の所有者が負担する。
莫大な労力と出費だと思われがちだが、実は貴族にもメリットがないわけではない。帝室が療養するというだけで、話題になるからだ。一大観光地として発展することも夢ではない。事実、そうして賑わった街がいくつもあるのだ。ただし、帝室が国民に支持されていることが前提である。そして、現在、帝室は年々、支持を失っている。
「左様にございます」
特に、皇子が気に入っているナジ湖湖畔の別荘は、ダルウィン公爵所有のものだ。そんなことも知らずに、使っていたのか、と呆れるばかりだ。
(いや、知ってたらバーネット男爵令嬢を連れ込まないか)
誰が婚約者の別荘に、浮気相手を連れ込むだろうか。いや、皇子ならありうるか、とニイデルは心中で反問する。
「提供している貴族に、ローエン伯爵、ピロウ侯爵。ああ、ミルドゥナ侯爵はいるか?」
ニイデルは帳面をめくる。皇子が挙げた貴族名は、すべて皇子を支持する派閥のものだ。
「別荘は、侯爵以上が献上するのが習わしにございますので、ローエン伯爵は対象外です。ピロウ侯爵は、ギネムに別荘をお持ちです。ミルドゥナ侯爵は、いくつかお持ちですが、今回は、その・・・・・・」
マクシミリアンが、眉をつり上げる。
「拒否か?」
「あそこは実質、大公の意向が働きますので」
弁護のようで弁護になっていない気がする。大公は皇子を支持していないと指摘したことには変わりない。
「もう、よいっ!」
怒り任せに言って、マクシミリアンは荒々しい足取りで自室を後にする。ニイデルは礼節として、皇子の背に一礼して、帳面を閉じた。
(今日は、ダルウィン公爵令嬢との茶会だったな)
身だしなみも整えずに飛び出していったが、あの格好で向うつもりだろうか。はだけたシャツとスラックス、寝癖の付いた髪。二日酔いなのか顔色も良いとはいえず、姿を見せても、令嬢が戸惑うだけだろう。
(本当にお気の毒だな、ダルウィン公爵令嬢は)
――――――ロザ皇城内・第三ロイヤル・コート
エレノアは、朝九時からこの庭園にいた。先ほど、正午を知らせる鐘楼が鳴ったから、かれこれ三時間は此処にいることになる。
皇子との交流のために、と皇妃が用意した場所と時間だが、今のところ皇子が来る予定はない。
(まぁ、今に始まったことじゃないけど)
来る気配のない待ち人を待つのは苦痛だが、さすが帝室が誇る庭園だけあって、手入れは完璧だ。世界中から集めた5万以上もの植物コレクションで構成されたそれは、圧巻の一言である。第三と呼ばれるこの場で、約2キロメートルの広大な庭園なのだ。皇帝、皇妃のみが使用を許される第一、第二はさらに上の規模を誇る。
皇妃が、婚約者同士の交流の場を設定するのは、もちろんこれが初めてではない。お互いが十四歳頃になった頃から、月に2回程度のペースで招待状が届くようになった。エレノアにとっては勅命に近いものなので、出ざるを得ない。そして、皇子は一度も来たことはない。
(まあ、庭園を楽しみに来ていると思えば、悪くないわね)
三回目くらいから、エレノアは本や刺繍道具を持参するようになった。格下のエレノアから辞することは失礼になる。あくまで向こうから「申し訳ありません。本日、皇子は体調不良のため、エレノア公爵令嬢とお会いするのは難しいとのことです」と声を掛けられない限り、帰宅は出来ない。そして、決まってその言葉を持ってくる侍従が現れるのは、日が沈みかける頃なのだ。時折、その侍従が皇妃に代わることがあるくらいだ。謝るのは結構だが、この無駄なイベントを止めるという選択肢はないようだ。
このイベントに於いて、エレノアが気がかりなのは一つ。エレノア付きのメイドの存在だ。
「サリー。いつも悪いわね」
直立不動で、エレノアの背後に控え女性、サリーといって、エレノアの専属メイドだ。赤毛の髪をお団子にしてまとめ上げ、白のヘッドドレスを着けている。白襟付きの黒のワンピースは膝丈までで、そのワンピースの上には、肩口に簡単なレースが着いた白エプロンを着用している。
サリーは幼い頃から、エレノアの専属として働いてくれている。エレノアにとっては姉のような存在だ。普段、アマリア、ラティエースと一緒にいると、どうしても姉ポジションになってしまうので、サリーの存在はエレノアにとっては大きい。
「お気になさらず」
サリーは、皇城に来てから帰るまで、基本的にこの体勢で待機する。だらけた処を見られては、それはそのままダルウィン公爵家の不評に繋がるからだ。事実、こちらから呼ばない限り人は来ないが、様子を窺う侍従や女官は定期的に通りかかったりしている。チラリとこちらを見ては、通り過ぎていくのだ。エレノアは、皇妃付の女官と侍従の顔と名前はすべて記憶している。様子を窺うのは、すべて皇妃付きの者たちだ。五分位前に、女官の一人、ディーシュ子爵夫人が通り過ぎたから、今頃、皇妃に「変わりなし」と報告していることだろう。
「明日から三日間は休んでちょうだいね」
「いつもありがとうございます」
「それくらいしか返せないもの」
「いいえ。旦那様にもよくしていただいておりますし。家政学校でも、この姿勢を維持する訓練はありましたから。それに、まもなく夏季休暇です。夏季休暇中は、皇妃殿下のお誘いはございませんから、次は、早くとも1ヶ月半後でしょう。しばらくこの庭園ともお別れですね」
「そうね。次に来るときは初秋の花になっていると思うわ。そのときはまた違った趣の庭園を見れるわね」
「はい。ところでお嬢様。そこのガーベラの葉が少し歪んでおります」
エレノアは、ハンカチに刺繍をしていた。ガーベラをモチーフに刺繍を施していたが、少し葉の大きさが花に対して大きくなってしまっている。
「あら、大変。もう一輪入れたらごまかせるかしら」
「そうですね。その方がよろしいかと」
と、そのときであった。芝生を踏みしめる音が耳に入る。はじかれたように顔を上げれば、女官がまず姿を現す。皇子の場合は、女官ではなく侍従が先導する。と、いうことは皇子ではないというわけだ。
エレノアは刺繍を椅子に置いて立ち上がり、背をただした。
「失礼いたします。エレノア・ダルウィン公爵令嬢。マーガレット皇妃殿下がお越しにございます」
「ありがとうございます、スロウ子爵夫人」
ほんの一瞬の驚きの後、エレノアは女官に目礼した。スロウ子爵夫人は、茂みの向こうの女官に合図を送る。すると、日傘を携えた女官と、ひときわ豪奢な衣装の女性が姿を現した。
――――――マーガレット・ロザ・ケイオス・アークロッド皇妃。
たゆたう金髪、蕩かした黄金を思わせる瞳。毒々しいまでの深紅の口唇。全体的に彫りの深い顔立ちで、深紅の薔薇などと例える者もいる。豊満な体躯に、オートクチュールのすみれ色のドレス。仕事柄、最新のトレンドは研究しているから、衣装が一流ブランドのものだと分かる。ネックレスもイヤリングも、帝室の宝物庫から選んだ一品だ。大粒のダイヤが日の光に反射して、美しい光を放っている。
エレノアは左足を後ろに引き、膝を折る。ゆっくりと腰を落とし、スカートの裾をつまんで、カーテシーの姿勢をとった。
(こればっかりは、前世ではやらなかった作法だったわ)
カーテシーだけは、マナーの講師からなかなか合格がもらえず苦労したことを思い出す。
「皇妃殿下にご挨拶申し上げます」
「ごきげんよう、エレノア」
未来の義娘なのだから、と皇妃はエレノアを私的な場では敬称抜きで呼ぶ。
(白々しい・・・・・・)
大切な義娘と言いながら、実の息子の無礼に関しては特に手を打たない。それどころか、エレノアにも非があるとやんわりと忠告する始末だ。
(誰が義母なんて思うか)
「ごめんねさいね、エレノア。わたくし、マックスに今日のことを伝え忘れたみたいで、あの子、朝早くから出て行っちゃったのよ。許してちょうだいね」
「とんでもないことでございます。わたくしも、昨日のうちに日程を確認すべきでした」
エレノアはカーテシーを解き、心にもない調子で言った。
「今日は、マックスじゃないけど、わたくしと過ごしてくださる?」
辞去の礼をする前に、皇妃から先手を打たれ、エレノアは内心で舌打ちする。早めに切り上げられるという淡い期待は霧散した。
「嬉しゅうございます」
笑顔を顔面に貼り付けて、エレノアは言った。ラティエースならこう言っただろう。
女狐との腹の探り合いのはじまりだ、と。
――――――ロイヤル・M・ホテル・エグゼクティブ・スイーツ室内。
アレックスに命じ、取り巻きの招集とホテルの準備をさせ、室内に入って食事を終えても、マクシミリアンの機嫌は直らなかった。取り巻きたちは、八つ当たりの標的にならぬよう遠巻きに待機し、バーネットに希望を託す。
(こういうときだけ、わたしを利用するんじゃないわよ)
そう思いつつも、バーネットに求められている役割だ。出来なければ、此処にいる資格はない。
「殿下、お疲れですか?」
応接室のソファーに座るマクシミリアンに、バーネットは横にちょこんと座り、上目遣いで気遣いの言葉を掛ける。
「あっ、ああ・・・・・・」
バーネットが要望した別荘に今年は行けない。それをどう言い出すか迷っていた。
「ところで、アレックスはどうした?」
こういうことは、バーネットに尋ねても分からない。だから、側に控えていた生徒会役人に聞いた。
「受付で手続きをしています」
「そうか」
(やはり、あいつは優秀だな)
優秀なアレックスのことだ。マクシミリアンが過ごしやすいようホテル側と打ち合わせをしているのだろう。彼は、マクシミリアンの不祥事も黙って処理し、それを誇ることもない。「それが俺の仕事です」と言うだけで、黙々と目の前の仕事を処理する。他の連中は褒めてとばかり自分の功績を口にするが、アレックスはそれがない。だからこそ、マクシミリアンは、アレックスを一番気に入っていた。
「あの、殿下?もうすぐデビュタントの儀式がありますよね・・・・・・?」
どこか甘えるような声色。バーネットは潤んだ瞳で、マクシミリアンを見つめた。要求は言葉に出さず、相手から言わせる。マクシミリアンはあっさりバーネットの意図通りに動いた。
「ああ。お前も淑女としてデビューするんだ。ドレスを含めた装飾品は俺が贈ってやる。好きなドレスを注文するがいい。アレックスに手続きするよう伝えておく」
「いいんですか?良かった。お父様が買ってくれるって言ってたんですけど、やっぱり社交界デビューは、愛する人から送られたドレスを身にまとって出たかったんです!」
ありがとうございます、とバーネットはアレックスに抱きつく。マクシミリアンはまんざらでもない顔をして、バーネットの髪をなでた。今言えば、情けない顔を見られることはない。加えてこの態勢ならバーネットの顔を見る必要もない。そう思い、マクシミリアンは口を開いた。
「バーネット。すまないが、今年はあの別荘は使えない」
「別荘?・・・・・・去年、連れていってくださったあの湖の?」
「ああ。その、陛下が使用するとかで許可が下りなかったんだ」
バーネットはゆっくりマクシミリアンの肩口から顔を上げて、少しだけ潤んだ瞳でマクシミリアンを見る。そして、可愛らしく小首を傾げた。これで落ちない男はいないといわれる仕草だ。
「そうだったんですね。それなら仕方ないです。わたしは、殿下と過ごせるならどこでも良いです。夏季休暇も会えますよね?」
「もちろんだ」
バーネットは満面の笑みを浮かべた。
――――――皇子様も煮え切らないわね。
ふと、母の言葉がこだまする。
「・・・・・・。殿下?」
「どうした?」
オードブルを口にしたマクシミリアンが言った。
言うべきじゃない。そう心では分かっていても、母という存在が、バーネットに強制する。
「あの、仮の話なんですが・・・・・・」
バーネットの固い声に、「あっ、ああ」とマクシミリアンは不思議そうに言う。
「こっ、子ども・・・・・・」
(だめ、言っちゃ駄目だ)
言ったら、マクシミリアンの不興を買う。心臓の音がバーネットを追い立てる。聞くな、聞け、と交互に鳴っているように錯覚してしまう。
「えっと・・・・・・」
(そうよ。わたしはこんなことをしなくてもヒロインなんだから)
こんな小細工しなくても、ハッピーエンドを迎えるのだ。
バーネットを深呼吸をして、ニコリと微笑んだ。
「殿下は、子ども、好きそうですね」
「そうか?うーん、まあ、嫌いではないな」
「ですよね。あっ、こっちもおいしそうですよ」
テーブルの皿を取り、マクシミリアンに差し出す。
「ああ、バーネットも食べろ。お前たちも、遠慮せずに食べよ」
わっ、と取り巻きたちが歓声を上げ、待ってましたとばかりに祝宴を開始する。
(そうよ。わたしは皇子様と結ばれて、幸せに暮らすのよ・・・・・・)
アレックスは、支配人室を訪れていた。このホテルの支配人は、マーディン・ロッドという男だ。痩身の男で、背も高い。歳は四十歳を過ぎたくらいだろうか。
支配人室は、本棚に囲われた質素な部屋だった。出入り口の正面、大窓には、帝都を一望でき、その窓を背に、執務机が置かれている。執務机の数歩先に、申し訳程度の応接机と、年季の入ったソファーが置かれていた。
「では、確かにお預かりしました」
封蝋をした書簡を受け取り、マーディンは言った。書簡には、メーン伯爵令嬢の件における皇子の発言や周囲の者たちの動向をまとめたものである。
そう。アレックスは、皇子の懐に潜り込んだスパイである。一応、皇子派の貴族として名を連ねているが、それは大公に命じられてのことだ。皇子の動向を逐一報告する。その連絡役というのが、マーディンであった。
「よろしくお願いします。大公殿下から伝言はありますか?」
「はい。夏季休暇の間、皇子殿下は両陛下(皇帝および皇妃)の外遊に帯同されるかどうかを気にされています」
「まだ迷われているようです。お気に入りの別荘を使えず、今日は本当に機嫌が悪い」
アレックスが戻る頃には、少しでも機嫌が直っていると良いが。バーネットの手腕に期待したいところである。
「自業自得でしょうに。帯同される場合なんですが・・・・・・」
「はい」
「バーネット嬢をお連れになるよう進言するように、とのことです」
それは、とアレックスは弾かれたように立ち上がった。対面に座るマーディンは、微苦笑を落とした。
「ええ。正気ならばあなたさまを叱咤されるでしょう。ですが、我々の常識とは異なる感性をお持ちですから、ひょっとすると・・・・・・」
そうなのだ。バーネットを連れていく。ましてや海外の重鎮に彼女を紹介すると言うことが何を意味するのか、皇子が分かっているのか判じがたい。近隣諸国では、マクシミリアンの婚約者がエレノアであることは周知の事実だ。そして、エレノアは海外でも評価が高い。
「あなた様が叱咤された場合は申し訳ないですが、叱られ損です。でも、あなたならすぐに挽回し、信用を勝ち得るでしょう」
簡単に言ってくれる。そう言うか言うまいか迷ったが、アレックスは言葉を呑み込んだ。
「皇子がわたしの進言を受け入れた場合、大公は?」
「そう落胆もしないのではないでしょうか。すでに評価は地の底です。やはりか、ぐらいじゃないんですかね?」
アレックスは何も答えられなかった。
「大公殿下は不思議がっておられましたよ。バーネット男爵令嬢は、皇子との関係が噂されてから、皇子派、反皇子派のどちらからも命を狙われているのに、不思議と無事ですし。学園で騒ぎを起こしてもなぜか、退学にならない。たかが男爵程度潰せないわけないのに、いつも成功しない。神がかっているとしか言い様がない」
「確かに」
「まあ、小娘単体では特に害はないので、皆、本気ではないのでしょうね。しかし、卒業後は、そうはいきません。学生ではない皇子は、その瞬間から、権力闘争に放り込まれますよ。今、貴族たちがおとなしいのは、皇子が学生である間は準備期間と見なしているからです。皇子は、専科に進むのですか?」
「成績的には難しいでしょうが、皇妃がなんとかするかもしれません」
「準備期間が長くなるのは、皇子派にとっては不利でしょうね」
「そうですね。皇妃は、皇子を玉座に就ければなんとかなると思っている節があります」
「一理あります。皇帝に反する行為は、すべて謀反、逆賊行為としてしまえばいいのですから」
「大公は挙兵をお考えですか?」
マーディンは肩をすくめた。
「一介のホテル支配人に、そこまでは」
「ご謙遜を」
「いえいえ」
これ以上、何を聞いても教えてはくれまい。アレックスは立ち上がる。
「そろそろ戻ります。あまり遅くなると怪しまれますので」
「はい。では、今後ともよろしくお願いします」
アレックスは一礼して、部屋を出て行く。廊下に出ると1人の老婦人が壁にもたれ、キセルをふかしていた。アレックスが出て行くのと同時に、すれ違うようにして支配人室に入り、後ろ手でドアを閉める。
(あれは・・・・・・)
帝都歓楽街で最も高級な娼館『ラキシス』を営むマダム・ローズだ。
このホテルは帝国屈指の高級ホテルだ。海外の要人も利用する。となれば、いろいろな接待も必要になる。マダム・ローズと支配人が顔見知りなのは分からないでもない。
(さて、皇子の休暇の予定を聞き出すか・・・・・・)




