131.忌み子
濛々と立ち込める土煙。強風に舞う砂粒が体中に当たる。息をするたびにそれらが侵入し、不快感は積み重なっていく。
(ああ、やってしまった・・・・・・)
ふと、脳裏に赤い血だまりに浮かんだ何人もの遺体が浮かぶ。身ぎれいな子どもたちの遺体。レッカが化け物と呼ばれる所以のワンシーン。あれよりもはるかにひどい惨状が今、目の前にある。
怒号、慟哭、涙交じりに指示を出す声。
それらを、レッカ・レイモンドは、他人事のように眺めていた。
すべて元凶が自分であるにも関わらず。
レッカを気遣う言葉を連発する従者のイノリに対しては、煩わしいという感情しか沸かない。だが、それを口にしようとするも、喉が渇き、痛み、言葉が喉元で溶けるようにして消える。
だから、レッカは、イノリの手を振り払い、強く押した。
いままで一度としてレッカを裏切らず、レッカの唯一の味方でいてくれたイノリを、レッカははじめて邪険に扱った。
「レッカ様・・・・・・」
尻もちをついたイノリは小さなレッカを見上げるようにして呟く。
生気を失った瞳は、眼前の光景にくぎ付けだ。
口元は少し開き、土ぼこりが入り込もうとも気にした様子はない。
いつもの戦闘後ならば、「風呂に入りたい。早くこの薄汚い体を清めたい」と豪快に笑う彼女はどこにもいない。
こうしている間にも、担架で運ばれていく兵士たち。堕神にやられた者も多いが、今回は違う。レッカの魔法の犠牲者が大半だ。
レッカは火魔法の使い手だ。その威力は魔法国一とまで謡われているが、あくまで威力だけを見た場合だ。レッカはこの火力をコントロールできないことがある。それは、心が揺れたとき。精神的に不安定な時は暴走する。それで何度も惨事を起こし、ついにはここに放り出された。
人の形をした黒焦げの物体が整然と並んでいる。その中には、レッカの命の恩人、ネイサンもいるかもしれない。どれが誰なのか判別は難しいが。
「お疲れさん」
その優し気な言葉は、決してレッカに向けられた言葉ではなかった。
声の主はアマネ・リアであった。すれ違う担架を呼び止め、そのたびに「ありがとう」、「お疲れさん」と声なき者たちに呼びかける。担架を運ぶ兵士たちには軽く肩をたたき「頼むね」と言う。彼ら、彼女らは涙交じりに返事をし、遺体を安置するテントへ向かう。
アマネはレッカの前に立った。
(言わなきゃ。何か言わなきゃ・・・・・・)
レッカは追い立てられるようにして、顔を上げた。
―――お前なぞ、堕神に食われてしまえ。
そう父に言い放たれた。あの時の眼光が、アマネの目と同じだった。
アマネの部下の半数を失わせ、レッカは、アマネの部下、ネイサンのおかげで生きながらえている。
今回の損失は、すべてレッカの失態だ。
暴走し、味方を巻き込んで崩落事故を起こした。崩れ落ちる岩盤、岩の隙間にレッカとネイサンが取り残された。お互いが会話できる距離にそれぞれが閉じ込められた。
そこに、腐気の嵐が襲い掛かった。レッカは血中汚染率がレッドラインを超えており、この作戦が終われば再検査後、本土で治療するかどうか命令が下ることになっていた。
(どうせ、父上はわらわが本土に戻るのを許してはくれまい)
「レッカさん。これ、飲んで」
カシャッ、と何かが投げられた音。音のする方に首をもたげるとそこには、小さなプラスチックケースがあった。
「なんじゃ、これ?」
手を伸ばし、拾い上げながら問う。
「GBタブレット。うちだけ支給されているワクチンのタブレット版です」
「ふーん・・・・・。奴隷風情がわらわを気遣うか」
「・・・・・・俺より、あんたの方が必要でしょ」
そのあとも、会話を交わしたが、どんな話をしたかあまり覚えていない。ただ、レッカが彼の妹とそう年が変わらないということだけはやけに鮮明に覚えていた。
「ここはもういい。リベルタ・フォン少佐が呼んでいる」
「でも・・・・・・」
「お前がここにいると兵士が気を散らす。行ってくれ」
返事を待つ前にアマネはレッカ背を向けた。これも父と同じだ。用件だけ言って、一秒でも早くレッカから離れたがる。
「行きましょう、レッカ様」
イノリに促され、レッカは足を踏み出す。レッカを見つめる複数の目が物語っている。
お前のせいで。
化け物が。
なんでお前じゃなくて、仲間が〇ぬのだ。
言葉にしなくとも分かる。レッカは家でも、どこにいても、この視線に晒されて生きてきたのだ。戦場でその視線は減ったが、それでも無くなることはなかった。ただ堕神を倒すと、彼らは褒めてくれる。これは、生まれて初めての体験で、心地よかった。父や母に頭を撫でられるのは決まって下の弟妹たちだった。ここでは、リベルタが時折、頭を撫でて、褒めてくれた。もっと、もっと、褒めてほしかった。
偉いね。
すごいね。
頑張っているね。
―――っざけんなよ!いきなりあんな魔法をぶっぱなしやがって・・・・・・。
ああいう不躾なことをレッカに向かっていう女性も初めてであった。怒りながらも、そこに憎悪の匂いがちっともしなかった。叱られているのに、どこか心地よかったのは、許される前提で叱られていたからだろう。
それを全部、レッカはこの手で壊してしまった。
ようやくテント近くまでたどり着いて、レッカは崩れ落ちた。地べたに両手をつく。そして、その掌に自身の涙がポツポツと降り始めの雨のように落ちてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
レッカは泣き叫んだ。そして、謝り続けた。だが、「許す」とは誰も言ってくれなかった。
リベルタ・フォン少佐は自身のこめかみを親指と人差し指でつまみ、ゆっくり揉んだ。
(さて、どうしたものか)
そうは考えても、やることはほぼ決まっている。
そう、まずはレッカ・レイモンドの件を片付ける。レイモンド家の忌み子と呼ばれる少女。
両親から疎まれ、まるで厄介払いのように戦場に追い払われた哀れな娘だが、今回のやらかしを考慮しても同情はできない。
(こういうときにちゃんとした軍規があれば、罰せるのだが)
軍規を平気で無視して、建前だけ従ってきた自分が言えたことではないが。それでも、今は心情では揺るがない、組織を守るための絶対的なルールが欲しかった。
この国の軍組織は、共和国をまねただけの張りぼてで、組織も規律もあったものではない。階級もあってないようなものだし、せいぜい「班長」程度の効力しかない。軍は七人の魔女の気持ち一つで方針ががらりと変わる。南への進軍が、明日は北に代わることだってあり得るのだ。
この国は強い魔力を持つものが偉く、それ以外はカスだ。つまり強い魔力を持つレッカは、どんなに疎まれようと前者に分類され、軍が厳罰を下すことはない。
(この国が国としていられたのは、初代大魔導士ローアンが作り出した魔法障壁。そして、それを拡大し、今の形にしたかつてのセブン・シスターズが作り上げたシステムの功績だな)
そうでなければ、たとえ魔法があったとしても、簡単に征服されていたことだろう。共和国との不可侵も魔法とそして「堕神」の存在があってこそだ。魔法でしか倒せない異形の存在。これを流出させないことを条件に、魔法国はその存在を認められている。
だからこそ、アマネ・リアの存在はこの国にとって諸刃の剣であった。彼女は魔法以外の方法で堕神を祓う方法を確立してしまったのだから。
そのとき、手元の水晶が光を帯び始めた。
(ようやくお出ましか)
赤サテンの小さな水晶置きに鎮座した握りこぶほどの水晶。一筋の光が差し、天に向けて光が伸びる。やがて、その光は鏡面のように膨張し、一人の男の姿を映し出した。
レイモンド家当主、ブライアン・レイモンド。年齢は40代頃の男で、細い目に、細い鼻梁。口元も薄く、口ひげが周りを囲っている。髭と同じ赤茶色の髪は緩やかなウェーブを描いていた。
「なんだ?レッカが〇んだか?」
開口一番に、ブライアンは不機嫌そうに言った。
「要件を早く言いたまえ。あと30分もすれば妻が支度を終える。今日はギネージュ殿の夜会なのだ」
(夜会ね。こっちはそんな優雅なイベントと真逆なんですけど。これが、格差というものかね)
そんな皮肉を心中で吐き出し、リベルタは、レッカの件を淡々と説明した。話が進むにつれ、ブライアンの眉間にしわが寄る。
「つまり、あの忌み子が本土に戻ってくるだと?やめてくれ」
「そうは言っても、此処では治療ができない」
当然のことを、当然のように返す。
「しかし、妻は今、身重なんだ。忌み子が近くにいるというだけで彼女は動揺する。今度こそ、素養のある子どもかもしれないんだ。不安要素は取り除きたい」
ブライアンの現在の妻は4人目だ。離縁の理由は、すべて「レッカ以上の魔素を持った子を産めなかったから」というものだ。
この国では、基本的に当主はその一族一番の魔法使いがなる。たとえ前当主が拒否しても、本人が当主になる意思を持ち、一族の中で一番魔素を保有していれば、当主の座を手にし、他の者たちは追従する。仮に本人が当主にまつわる煩わしい雑事をしたくがないために別の者に当主を押し付けても、一族は当主よりも一族一の魔法使いを優先する。
現在、レイモンド家一の魔法使いは、レッカだ。使い方やコントロールの有無は全く考慮されない。レッカが未成年であることでブライアンは当主の座についているが、それもレッカが成人するまでだ。レッカが未成年であることを理由に、そして彼女が起こしてきた事件の数々により、今はほかの親族たちもブライアンに物申しはしない。
だから、ブライアンはレッカが成人する前に、レッカ以上の魔法使いの素養を持つ子を作らなければならない。と同時に、レッカがいなくなれば、レッカ以外の者を当主に据えることができる。
しかし、今のところ8人いる子どもたちは誰もレッカを超える魔素を有してはいない。
「・・・・・・。本土の軍病院で治療するんだな?」
「貴族の場合は家で治療をしますが、軍病院での治療をお望みならそのように」
七人の魔女は、堕神討伐の戦績で家の力が決まる。よって送り出した一族の者が負傷した場合は、丁重に治療する。それぞれの家には基本的に治療師を抱えており、完璧な状態に治して戦場に送り出す。もちろん、戦場復帰できないほどの負傷の場合、新たに一族の者を送り出す。
「そうしてくれ。レッカには、家には入れん、と強く伝えてほしい」
「かしこまりました。ただ、軍の治療師に治療させてよろしいので?それこそ 七人の魔女の名折れでは?」
ブライアンは盛大に顔を顰め、数秒ののち「治療師はこっちから派遣する」と言い捨てて姿を消した。水晶に魔力を注ぐのをやめたのだ。通話終了といったところだ。
やれやれ、とリベルタは椅子の背もたれに体重を預けた。それまで石像のように動かなかったイーサムが歩み寄り、机に湯気の立った器を差し出す。
「とりあえず目途は立ったか」
リベルタはありがたく器を受け取った。
「ええ。子どもたちの疑似パパは大変ですなぁ」
「わたしは独身だ。・・・・・・ん?子ども、たち?」
「レッカお嬢さんと、そしてアマネさんですよ」
「彼女はすでに成人だろう」
「ですが、今回の件は父性でもってフォローしないと。さすがの彼女も参っているでしょう」
「目の前で部下を黒焦げにされてはな」
苦々しい思いを口にする。イーサムが用意してくれたはちみつ湯でも相殺しきれない苦い思いだ。
「ですが、アマネさんまで脱落させるわけにはいかないでしょう。歩みを止めさせないためにも、ここは父性でもって彼女の思いのたけを受け止めなければ」
「お前、とんでもない詐欺師だな」
ふふっ、イーサムは微笑む。
「わたしも〇にたくはないので」




