130.葬儀の裏で・・・
時は少し遡る。
ブルーノが、くだんの二人と面談していた頃、ビルマン・グリーニッジの葬儀はしめやかに執り行われた。
本来、貴族の葬儀は、領地で執り行うことが通例であるが皇帝の配慮によって、由緒正しいミッターマン寺院で執り行うこととなった。ビルマン少年は、多くのロザ学園の学友たちに見送られた。
ただ学友の一部の親たちは、最近のグリーニッジ家を取り巻く人や出来事を考慮して、子どもを葬儀に参列させなかった。友人に別れの手紙や花を言づけて済ませた生徒もいた。純粋に故人を悼むのは学友たちで、その背後で大人たちがひそひそと話をする。参列者の一人、ジョー・ノルン子爵令息は、その様子に嫌悪感を抱かずにはおれなかった。
「ジョー、どうしたの?」
ミーカ・フラネル伯爵令嬢が険しい顔をしているジョーに問いかける。その隣のレーナ・ブリングスも不安げにジョーを見ていた。
「何でもないよ」そう首を左右に振ってつくり笑いを浮かべ、「同じ学年じゃなかったけど、すっげーいい奴だったのにさ。あんなことになるなんて」
「そうだね。ひどいよね、犯人、捕まってないんでしょ?」とレーナ。
葬儀が終わり、制服姿の学園生たちは大通りまで続く寺院の小道を歩いていてく。その列に、3人も加わっていた。
「このまま風化して終わってしまいそうで、それが悔しい」
ジョーはぽつりと呟く。
「ほとぼりが冷めたら、学園でお別れの会を催せないか、生徒会に掛け合ってみようよ。参列できなかった生徒たちも多いし、彼は生徒会役員だったしさ」
「そうね。レーナの言う通りだわ。生徒会長も親の命令で参列できなかったし」
「そうだな」
寺院の大通りに、黒塗りの4頭馬車が待機していた。この後、棺が運び込まれる。遺体はいったん王都の邸宅に引き取られ、リネットと共に領地へ帰還、埋葬という手順になっていた。
憔悴したリネットが、娘たちに支えられて歩いてきた。小道のわきに寄り、ジョーたちは哀悼の意味を込めて頭を下げる。リネットの様子はよくわからなかったが、ただ嗚咽だけがジョーの耳に耳に残った。
ビルマンの葬儀に、アークロッド伯爵夫妻は参列しなかった。母親のリネットが拒絶したというのもあるが、マクシミリアンは供花するだけで最初から顔を出す気はなかったようだ。仮にも娘の婚約者であったというのに。
ビルマンの訃報が入ってきた瞬間、リネットは応接間で安否を心配するバーネットに張り手を食らわせた。
「あんたたちのせいで!!あんたちのせいで息子は死んだのよっ!!謀反人のくせに、どうしてこんなところにいるの!おとなしく領地に引きこもってくれれば、ビルマンは死なずに済んだのに!!返して!息子を、返してぇぇぇぇ!!」
発狂するリネットを、何人かの使用人が力づくで部屋から連れ出す。赤黒く染まった頬を手で押さえたバーネットは、肩を落としたままだった。リネットの罵倒に対し、決して口答えをしなかった。
葬儀が終わった後、グリーニッジの邸宅ではマクシミリアンを支持する貴族が集っていた。それも、リネットには気に入らないことであった。誰もビルマンの死を悼んでいない。
こんなことが許されていいのか、と声を荒げたくなる。
「まずは、王統の正当性を問うことから始めるべきだ」
「ええ。そして、やはり、正当なお血筋を引くお世継ぎが必要です」
「・・・・・・。分かっている。アーシアの件が片付いたら、バーネットと相談してみる」
「ぶしつけな物言いで申し訳ありませんが、今から申し上げることはひとえにマクシミリアン様の御代を安寧にするためのこと。よろしいでしょうか?」
「構わん、許す」
「お子は、もう少し位の高い、できれば侯爵位と縁続きの娘との間に設けてはいかがか?娘はもちろん側妃という扱いで」
「それは俺も考えてはいる。バーネットでは正妃は務まらん」
娘に正妃のチャンスが回ってくるやもしれん。一族を栄光の階へ。当主として、このような功績が打ち立てることができようとは。実際、夢物語りともいえない。バーネットはその資質に疑問視されているのは今に始まったことではない。誰も口にはしないが、バーネットは伯爵夫人であるが、元をたどれば爵位すらないオットー・ミルドゥナの養女である。実質、平民ということだ。さらにいえば、オットーはすでに家から放逐されているため、ミルドゥナ家が後ろ盾になることは決してあり得ないことであった。
「そこまでお考えでしたか!ならば、申し上げることはありません」
「アーシア姫のことは我々も許せません。自作自演だと言う連中も多く、わたしはもう、悔しくて、悔しくて」
「全員の名を記憶しておけ。俺が一族郎党処刑してやる」
「なんてお心強い言葉だろうか」
マクシミリアンを中心とした男たちは、誰もビルマンの思い出を語らない。いや、そもそも息子のことを知る者はいないし、悼むほど親しい関係者は此処にはいない。
夫に至っては末娘をマクシミリアンの側女にと推している。こんなバカげた話があるか。あいつらのせいで、ビルマンは命を失ったというのに。
この邸宅に集っている者たちは、マクシミリアンのためにいるのだ。
「奥方」
その声は背後から響いた。小太りの男、ジェム伯爵であった。
「あのような低俗な会話に聞き耳を立てても体を壊すだけです」
そう言って、リネットの肩に手を置き、その場から離れるよう促す。リネットはジェム伯爵に支えられるようにして移動し、結局、喧騒から逃れるために厨房まで行きついてしまった。ちょうど厨房には誰もいなかった。
「誰も、誰も、ビルマンの死を悲しんでくれないの。どうして・・・・・・。あんな一族を招き入れるからこんなことになったのよ」
手近な丸椅子に座ったリネットは堰を切ったように涙を流した。ジェム伯爵は厨房からカップを探し出し、白湯を入れてリネットに差し出した。
「ビルマン君はお友達が多かったようですね。王都で葬儀ができてよかった。領地ですとどうしても足を運べない人が出てきますから」
「ええ。陛下のご配慮には感謝しております」
そうだ。皇帝の方がよほど配慮が行き届いている。式の進行や人員もすべて手配してくれた。今集っている連中は、口ばかりで誰も何もしてくれない。誰が準備したかも知らずに、すまし顔で葬儀に出ていた。夫ですら、葬儀の準備は憔悴したリネットがしたと考えているだろう。だが、そこまでの気力はリネットにはなかった。視界にアークロッド伯爵夫妻がいるだけで発狂しそうになるのだから。
追い出してほしい、と夫に懇願したが、夫は首を縦には振らなかった。「我慢してくれ」の一点張りであった。葬儀が終われば、お前は領地に引っ込めばいい。それが夫の最大限の譲歩であった。
「それにしても、アークロッド伯爵は数日で随分と雰囲気が変わられましたなぁ。娘さんが誘拐されたというのに、急に派閥の旗印のように過激な発言をなされて」
「娘の捜査協力を皇帝にお願いしに行ったけど、断られてからよ。当然よ、あいつが皇子の時、主要貴族・国外の王族関係者からどれだけ嫌われたか。うちだって、懇意にしている他国の貴族や嫁いだ一族の娘から、おたくの皇子はどういう了見なんだって問い合わせが何件も来たんだから」
「新皇帝陛下と皇妃殿下のおかげでその風向きが変わりつつありますが、マクシミリアン皇子の暴挙はいまだに語り草ですからねぇ」
「せっかく持ち直しつつある王室外交が、あいつの名前が出ただけご破算だわ。なのに、逆恨みして、ばからしいったら」
リネットはすでにマクシミリアンやバーネットに対し情は全くない。バーネットはリネットがにらみつければそそくさと姿を消すが、マクシミリアンはかつての皇子時代の時と同じで少しにらんだだけでは怯まなかった。
「今に至っても、身代金の要求といった犯人からのコンタクトはないんでしょう?」
「ええ。犯人はリートリッヒ一世の派閥の誰かだそうです。そんなもの貴族の8割がそうでしょう」
リネットは吐き捨てるように言った。
ふむ、としばらく逡巡した後に、ジェム伯爵は踵を返した。
「申し訳ありませんが、わたしも末席で元皇子の演説を聞いているふりをしないといけないもので。そろそろ戻りますね」
「ええ。伯爵、ありがとう」
いえ、とジェム伯爵は微笑み、厨房を立ち去った。
背を向けたジェム伯爵は口角を上げた。リネットは使えそうだ、と。
さて、面倒だが広間に戻らなければならない。ジェム伯爵は腹を少し搔きながら廊下に出る。すると、そこにはネーナが立っていた。
「リネットを使う気かい?」
「ダメ?」
かわいらしく小首をかしげてジェム伯爵は返す。ちっともかわいくない。ネーナが顔を歪める。
「止めやしないよ。勝手に暴走されて変な貴族の元へ駈け込まれるより、あんたにコントロールされた方がまだいいからね」
「あら、変な信頼があるようで」
「ああなっては、マクシミリアンはもう止まらないさ」
ネーナは寂しげな顔をして言った。バーネットは時おかずしてマクシミリアンに感化されるに違いない。悪い意味ではあの娘は影響を受けやすい。きっと数日もしないうちに「エレノア様のせいだ」と声高に叫ぶだろう。それがどれだけ危険かもわからずに。
ネーナとジェム伯爵は廊下を歩きながら会話を続ける。
「ところで、下手人はうちの派閥じゃないんだろうね」
「違うようだね。そこまで頭が回る連中じゃない。だが、皇帝陛下にも確認したが、あちら側というわけでもないようだ」
「とすると、第三者か。厄介だね」
「ああ。派閥のスキを突き、こうして不穏の種を芽吹かせた。お見事だよ」
「諜報員のあんたからの評価だ。敵さんも喜んでいるんじゃないかい?」
「そうだね、ぜひ、うちに欲しい人材だが、こういう奴は意外と目的なくやる場合もあるから怖いんだよね」
ネーナが眉根を寄せて不思議そうにジェム伯爵を見る。
「だからさ。ただ面白そうという理由だけで、国を滅亡させようとする人間が、この世界には一定数いるってこと」
「・・・・・・。あんたもその一人だろ?」
「まさか。わたしはそこまで大物じゃないよ。ちょっと動けるデブなだけ」
「そうかい。かつては美少年ということで、皇妃の寝所まで呼ばれていたあんたがね。意外と自己評価が正確で驚いた」
「そうそう。年月っていうのは残酷だねぇ。そして、皆に平等にやってくるんだよね、これが」
「そうだね」
ネーナは言って、自身のしわだらけの手のひらを見つめる。
かつて寵妃と呼ばれ、太陽の皇妃、月のネーナと呼ばれていた。そんな自分に悦になり、皇妃の座を欲したこともあった。だが、所詮は愛人。生まれながらに皇妃として育てられた者には太刀打ちできず、ただただ手のひらで転がされる小娘だった。ネーナが今、こうして生きていられるのは皇妃の慈悲とこの小太りの男のおかげだ。
「それで、あんたはこれからどうするんだい?」
「これまでの経緯をとりあえず皇帝陛下にご報告するよ。あとはリネットがどこまで使えるか計らないとね」
「わたしもそろそろお役御免だね。館に戻るよ。娘っ子たちも、わたしの留守の間にたるんでいるだろうからね」
「うん。ご苦労さん、ネーナ」
「そっちも気を付けなよ、・・・・・・。」
言って、彼の本当の名を呟いた。いや、ネーナの知るこの名も、偽名かもしれないが。
最後にこの名を呼んだのは、彼がまだ若く、そしてお互いが若々しい頃だった。
未来はキラキラ輝いているものと信じて疑わなかったあの時の二人はもう跡形もなくなり、再構築されたのが、今のネーナとジェム伯爵だ。それに至るまで何度も何度も喪失を繰り返した。
(今のわたしらはまるで残りかすのようだ。もしくは亡霊か・・・・・・)




