13.帰途
夕刻、メーン伯爵邸を辞し、エレノアたちは馬車に乗り込んだ。アマリアを家に送り届け、ダルウィン公爵邸に戻る予定だ。
「寝た?」
密やかな声でエレノアは問うた。
「うん」
同じように声を潜ませて、ラティエースが言う。ラティエースの肩に首を傾げるようにもたれ掛っているアマリアから、規則的な寝息が聞こえる。
「そのままで大丈夫?代わろうか?」
「大丈夫」
下手に移動して、アマリアを起こしたくない。大口を開けて気持ちよさそうに寝息を立てるアマリアを気遣う一方、ラティエースの肩に、涎の一滴でも垂らそうものならたたき起こそうと決めていた。
馬車の中に響くのは、車輪の音と、かすかに聞こえる蹄の音。
そういえば、と頬杖をついて、車窓を見やるラティエースの横顔を見ながら気づく。
アマリアを交えると会話が弾むが、エレノアとラティエースの二人の時は、意外と会話よりも沈黙の方が多いかもしれない。何か話さなければ、と焦ることはなく、沈黙が心地よい。
(今思えば、ラティとわたしはそうだったわね)
七歳の頃だろうか、お妃教育で疲労困憊し、自信喪失したとき、いつの間にかラティエースが側にいた。膝を抱えてすすり泣くエレノアの背に、自身の背をつけ、泣き止むまで側にいてくれた。その間、「大丈夫?」、「どうしたの?」と言葉をかけることはなく、ただ側に寄り添ってくれた。黙って、夜中まで側にいてくれた。
「臭かったかな」
ラティエースがポツリと呟いた。臭い。匂いのことではなく行為のことを言っている。つまり、キザな行いだったかと問うている。
「・・・・・・。反物のこと?」
コクン、とラティエースが頷く。エレノアは思わず失笑した。ムッと顔をしかめるラティエースに、微笑を深くする。
「泣いて喜んでくれたじゃない。・・・・・・ロザーヌ様は救われたと思うわよ?」
「別に、そんな大層なことをしたかったわけじゃない」
エレノアの返答は、ラティエースのお気に召さなかったようだ。
「ロザーヌ様は、救われたと思うわよ。あなたのやったことは悪くないとは言わない。けれど、こんな罰を受けるほど、悪いわけじゃない。ラティは、そう言いたかったんでしょ?」
「まあ、概ね、そういう・・・・・・感じ」
「それにしても、ロザーヌ様が婚約破棄するなんて、よく知ってたわね」
「知ってたわけじゃないけど・・・・・・。そうなるとは予想してた。あのまま婚約を継続するとは思えなかったし。タイミング的にも、メーン伯爵は早めに手続きを済ませたかっただろうし」
「なるほどね」
エレノアも、フリッツとロザーヌの関係が維持されるとは思っていなかった。ただ婚約破棄に関しても、もう少し時間をおくのではないかと思っていた。
「ロザーヌ様は、あなたは悪くないとか、あなたはやりすぎたけど悪いのは向こうよ、とかは散々、聞かされたとは思うわ。でも、あなたがやったことは悪くないとは言えないけど、自身の幸せを求めてはいけないわけではない。あなたは幸せになって良い。愛する人を再び探しても良い。そうはっきり伝えたのはラティだけだったと思うわよ?ラティが伝えなきゃ、あの人は自責の念に苛まれて、楽しいとか嬉しいとか思うたびに、自分を責めていたと思うわ」
「そうかな?」
「そうだと、わたしは思うけどね」
うん、とラティエースは呟いて、そのまま黙りこくった。
「そういえば、あの反物、わざわざロザーヌ様のために取り寄せたの?」
再び、会話が始まったのは、アマリアを自宅へ送り届け、ダルウィン邸宅へ向う途中のことだった。いくら揺り動かしても起きる気配のないアマリア。たたき起こそうとも思ったが、あまりにも幸せそうな寝顔に毒気を抜かれてしまった。仕方なく、御者にアマリアの兄を呼びに行かせ、最終的に、アマリアは兄に「お姫様抱っこ」されて帰宅した。
「いや・・・・・・。最初はラドナのお姫様の献上品として考えてた。南部商会を通して、十本取り寄せたのよ。良い品だったし、ロザーヌ様に差し上げても問題ないかと思って」
「そう。もし余ってたら、わたしにも譲ってくれない?もちろん、御代は支払うわよ」
「いいよ。元々、三人分はよけてたし。残りも商談の手土産にしたり、店にも下げ渡したっけ。あと二本かな、手元に残っているのは。いや、一本か。リース公爵夫人に差し上げた」
「あら。喜んでくれた?」
「んにゃ。「こんな安物いらない」って、珈琲かけられて台無しになった。まあ、素直に受け取ってくれるとは思わなかったけど」
「台無しって・・・・・・。一反、いくらするのよ、アレ」
「・・・・・・。貴族街の外れに家、一軒は建つ?・・・・・・かな?」
「ちょっ・・・・・・!」
エレノアは絶句する。あの絹の価値を見誤っていたし、それをポンと他人に贈るラティエースの感覚に一瞬、言葉を失う。
「とにかく、将来の姑にしては、意地悪が過ぎるんじゃない?あの人、ちょっとやりすぎって言うか、異常じゃない?」
「息子可愛さ故でしょ」
「そんな簡単な問題じゃないと思うけど」
「おじいさまといろいろあったみたいだし、本人に復讐できないから代わりにおじいさま寄りのわたしを代理に攻撃してるんでしょう。どうせ婚約破棄するんだし。どうでもいいよ」
「どうでもって・・・・・・。アレックスの方はどうなの?」
「さあ?一応、反物を台無しにしたことは謝ってたけど」
他人ごとのように、ラティエースは言う。
「それより反物は、染めようと思うんだけど、エレノアはどうする?」
全く気にしていないのか、ラティエースは話題を変える。ラティエースがその気なら、エレノアがこの話題をいつまでも続けるのは無意味だ。
「任せるわ。そっちで染めてくれると助かるかも」
「分かった。わたしは、皇城のデビュタントのときに着るドレスに使おうと思ってるんだけど」
「わたしもそれにあわせてちょうだい。・・・・・・そっか。もうデビュタントの時期か」
初夏。学園の夏季休暇が始まる頃に、皇城で、デビュタントを迎える女性の祝いの席が設けられる。ラティエースたちは十六歳の時にデビュタントを経験しており、今回は、デビュタントを祝われる女性たちを祝う立場だ。サボりたいが、皇城での正式な儀式であるため、欠席は許されない。
「早いもんで、わたしたちも後輩を迎える立場ですよ」
「デビュタントを経験しても、本格的に社交界を経験するのは学園を卒業してからか、結婚してからだから、あまり実感がわかないわ」
確かに、とラティエースは頷く。
「どちらにせよ楽しい行事ではないわね」
「今に始まったことじゃないでしょ。今から考えても時間の無駄だよ」
その通りだわ、とエレノアは苦笑する。
「夏休みの計画を立てた方がよっぽど計画的ね」
そうそう、とラティエースが肯首する。
「ラティは、大公領で過ごすんでしょ?」
「うん。ただ、今年はおじいさまの命令で、メブロ(帝都に近い町。ミルドゥナ大公領)の視察を終えてから、大公領に来るように言われてる。その後、ラドナ王国で打ち合わせをして、戻ってくる予定」
「そう。夏休みと言えば、皇帝陛下のご静養が外遊に変わったわ。ほとんどの諸侯が御用邸の使用を拒否したそうよ」
「なるほど。今回の件に対する、貴族の無言の主張、ってことかな?」
「そうね。主導はお父様でしょうし」
「じゃあ、今年は皇子も外遊に?」
「どうかしら?外遊予定は、来週にでも発表するそうだけど。最終学年だし、外遊で夏季休暇を潰すかしら?」
「ふーん・・・・・・」
「何か分かったらお父様に教えてもらうわ。そっちでも調べてくれる?」
分かった、とラティエースは頷く。
(シナリオには、デビュタントの場面はあるが、夏季休暇については描写されていない。このまま、何事もなく過ぎてくれれば良いけど・・・・・・)
車窓から見える月を見上げながら、ラティエースはそう願った。




