129.父と子
久方ぶりに目にした息子は、すでに少年ではなくなっていた。
息子は貴族に染まっていた。言葉を真っ向から信じず、裏切られることは当たり前とした上で、比較的信用のおける人物と国政に携わる。まるで自分を見ているようだった。ブルーノの心身が擦り切れ、壊れていく様を容易に想像ができた。大公や皇太子が味方とはいえ、貴族社会はそんな甘くない。伴侶がいてもそれは本質的に変わらない。長生きしたければ、貴族社会を脱出するしかないのだ。
とすると、オットーは運が良かったと言えるかもしれない。さんざんやらかした後で放り出され、今は気楽な余生を送れているのだから。
そんなことをぼんやりと考えていたら、軽い足取りでブルーノが近づいてくる。
「父さん、久しぶり」
柔和な笑顔でブルーノは言った。
これも相手を信用させる言葉なのだろうか。息子が何をしに来たかは分からないが、あまりいい意味での再会とは思えない。
「ブルーノ、久しぶりだな」
オットーもまた薄く笑って言った。
「ああ。手紙、返さなくて悪いね」
「いや、忙しいだろう。気にしなくて構わない。自己満足でやってるだけだ」
「そうなんだ」
ブルーノは言って苦笑を浮かべる。
その後の沈黙がとても長く感じた。探り合いの会話であることは両者とも分かっている。
「で、今日は何の用だ?」
今更、脚本家をやめろと言うつもりではないだろう。辞めさせるなら、ブルーノ自身がこうして出てこなくてもいい。
「うん。できれば場所を変えたいんだけど」
「そうか。夕飯は?」
時刻は午後5時を過ぎたところだ。夕飯には早いが、オットーは自身が昼食抜きであることを理由に問うた。
「まだ。いい店、ある?」
「ああ、あるよ」
オットーが案内した店は、近くの酒場であった。劇場とも懇意にしているため、いい席を用意してくれた。密談にも適する奥まった席で、席からはホールを一望できるから、誰かが近づいてきたら口を閉じればいい。
オットーは蒸留酒と簡単な料理を頼み、その間、タバコを口にした。その様子をブルーノが不思議そうに見ている。屋敷にいたころから嗜んでいたはずだ。何を驚いているのか。
「あっ、ごめん。昔は葉巻だったでしょう?タバコは庶民のものだって」
「今は庶民だからタバコなんだよ。案外悪くない」
「そっ、そう」
戸惑いがちにブルーノは頷いた。
「で、何の話だ?」
「ドローレス・カンゲルとまだ会ってたりする?」
オットーは瞬いた。また、妙な名前が息子の口から出たものだ。
「養女の手続きをした際、いや、学園のアフターパーティーの時だな、最後に会ったのは。まともな会話をしたのはバーネットと一緒に屋敷に手続きに来た時だったと記憶している」
「じゃあ、最近は会ってないんだね」
「ああ。あの女は、手配書こと回っていないが、要注意人物だったんじゃないのか?」
「まあね。カンゲル夫妻に直接の罰は下らなかったけど。平気な顔をして帝都を回れるほどじゃないよ」
「あいつは目的のためなら平気で帝都を練り歩く女だけどな」
煙と共にオットーは吐き出した。
「そうなの?」
「ああ。あいつは昔からそうだ。他人の悪意にまったく気づかない。自分の行動が跳ね返ってきているとしても理解しない」
慣れた手つきでオットーは灰皿にタバコの灰を落とす。
「さすが、バーネットの母親だけはあるか」
「そうだな」
「父さんの印象を聞かせてほしい」
何かヒントになるかもしれない。そういう思いで言ったが、オットーは少し困った顔をした。確かに、一時は愛人であった女のことを息子に聞かせるのは少し躊躇われる。
「きれいな女だったよ。・・・・・・そうだな、何人かの友人と店を訪れた。わたしがわりと皇家の血筋に近いことを知ると急に接近してきた。あの人の親戚なのね、と言っていたな」
「あの人って、じいさん?」
「いや。親父はああいう店は好きじゃない。一度、そいつの名を呟いたが忘れた。とにかく、昔の男が皇族だったのか、近い血筋ってだけでドローレスは近づいてきた。店一番の美人だったから、わたしもまんざらじゃなかった」
その前に懇意にしていたのが、実は、アレックスの父親、ロット・リース公爵だったらしい。店の女将が誇らしそうに言っていたが、当のドローレスは「誰だったっけ?」と本当に忘れていた。
とにかく、ロットが娼館に出入りしていたという話を聞いたとき、あんなおとなしそうな顔をして、とオットーは驚いていた。交流は皆無であったが、彼もまた学園生だったこともあり、その存在はしっかり認知していた。貴公子然としていて、いつもさわやかな笑顔。誰に対しても平等で、もちろん初等部から高等部まで生徒会長を歴任していた。この偉業を成し遂げたのは今のところ彼だけだ。(※ラティエースの世代には、初等部の生徒会は廃止されている)
優秀であることは間違いないが、オットーはその笑顔に薄気味悪さを感じていた。
月日は流れ、オットーは結婚した。その数年前にはロットも結婚したが、その結婚相手も、プライドだけ高そうな高慢ちきの女で、誰もがどうして彼女を選んだのかと噂したものだった。妻どうしは親友であったが、オットーとロットの接点は相変わらずなく、お互いの子どもが生まれた数年後に、彼は逝去した。そのニュースは世界中を席巻し、父であるレオナルドも絶句していた。何の予兆もなく、彼は遺体となって発見されたのだった。
リース公爵家とはそれからも、後継争いやラティエースとアレックスの婚約話で関わりあっていくのだが、ロットだけは常に遠い存在であった。
「ロットは、親父との関りが深かったはずだ」
「おじいさまと?」
「ああ・・・・・・。その縁でラティエースの婚約者にアレックスが選ばれたんだろ。リース家のお家騒動も、親父が力を貸したのは、ロットをそれなりに買っていたからじゃないのか」
「なるほど、ね・・・・・・」
そうひとりごちた息子の横顔を、オットーは目を細めて見やった。
オットーは早いうちから父に期待されずにいた。周囲がいくらほめそやしても、オットーは父を求めた。姉が亡くなり、永遠の英雄として父の胸に刻まれたとき、オットーは諦めた。帝都に居を移し、妻と子を得て、自分の手で家族を作り上げたと思った矢先、またもや父が現れた。そして、父が期待したのは、オットーではなく娘のラティエースであった。
ラティエースは、オットーが父の期待に応えられるよう努力していたことと真逆のことをして、父の歓心を得ていた。娘なりのしなければならないことをやり続け、その結果だけを父に差し出した。それが無性に腹立たしく、オットーはさらにラティエースを疎んじるようになった。
そのラティエースの行方が分からなって数年。父はオットーのもう一人の子ども、ブルーノに目をかけるようになった。腹心のブルックスを側につけ、宮中での政争のサポートを続けている。あれだけ失望されていたブルーノがどうして大公の関心を再び得たのかは知らぬが、ラティエースからブルーノに鞍替えしたかのようにも見えた。が、ブルーノはそれを良しとはしなかった。大公とは常に一定の距離を取ると同時に、急に「シスコン」となったのだ。ことあるごとにラティエースのすばらしさや、姉のためにブルーノがどれだけ貢献できるかを喧伝している。これは、大公に対する牽制だ。姉を忘れるな、と。本人は「一発殴られて目覚めた」などと嘯いているが、オットーの推察の方が正しいはずだ。
(気に入られようとするやつは遠ざけられ、そうじゃない奴は絡めとられる、か)
わが父親ながら、そこそこのクズだな、と心中で断じる。そういう考えに至ったのは、こうして平民まで落ちぶれたからだろう。貴族であったときの特権も忘れられないが、面倒なしがらみから解放されて息はしやすくなったと感じる。
お前もこっち来るか、と言ってやるのは容易い。父親らしいことは何一つ、婚約者すら整えてやれなかったダメな親だが、それくらいはしてやれる。ブルーノも案外、庶民生活に難なく適用できそうな気がする。ラティエースは言わずもがなだが。仮にそうなれば、オットーは再び家族を取り戻すことになる。
(皮肉だな)
これをもとに劇が一つできそうだ。それもとてもつまらない喜劇が。
オットーとブルーノが食事を終え、店を出るとすでに日は沈み、夜のとばりが降りていた。随分と長い間話し込んでいたようだ。
「父さんとこんなふうに食事して、長話するなんてね」
道を歩きながら、ブルーノは苦笑交じりに行った。どうやら同じことを考えていたらしい。そうだな、とオットーは応じる。
食後の運動を兼ねて、劇場から商業区と貴族街の境目あたりまで送っていくことにする。その申し出にブルーノは一瞬、瞬いたものの「ありがとう」とはにかんだ。
途中、墓地を通り過ぎる。
(そうだ。今日は、ビルマン・グリーニッジの葬儀だったんだ)
薄暗く、陰気な雰囲気の共同墓地だ。貴族は、大体、領地にある一族の墓に埋葬される。グリーニッジ家も由緒正しい家だから、きっとそうなるだろう。
「どうした?」
足を止めて、じっと墓地を見やる息子に、オットーが声をかける。
「なんでもない」
「そうか」
オットーは深くは追及しなかった。
「父さん、また会いに来ていいかな?」
「わたしは構わんが、大公がいい顔せんだろ」
「気にしないよ」
「そうか・・・・・・」
(気にしない、か)
なんとも耳ごちの良い言葉だ。
「いつでも、こっちに来い」
うん、とブルーノは小さく頷いた。




