128.アーシアの行方①
アーシア・アークロッド伯爵令嬢は、有名である。もちろん、悪い意味において。
彼女というよりも、その両親の悪名が轟いているという理由に付随するものであった。
ブルーノは執務机に放りだされた人相書きを見つめていた。
一流とは言い難い絵師によるアーシアの姿。やたら緋色の目が大きく、顔もマクシミリアン寄りに書いてあるが、アーシアはどちらかというとバーネットに似ている気がしたのだが。
(娘を探す気があるのか、ないのか・・・・・・)
それ以外の目的、例えば、正統な皇族はアーシア、そしてマクシミリアンである。というような宣伝をしているような。この誘拐騒ぎを契機に同情を買い、名を売ろうとでもしているのではないか、などと勘ぐってしまう。そういう思考に陥るほど、自分は疲れているのだろう、と結論付ける。
ブルーノは人相書きを書類束の下の方に押し込んだ。
先日、マクシミリアンと久々の対面を果たしたが、彼は学園時代よりも醜悪になっていた。それが正直な感想だ。アレックスが話したマクシミリアン像とは似ても似つかない。晩餐会までは、彼の評価を改める気であったが、やはり彼は変わっていなかったのだ。
(確か、今日はグリーニッジの次男坊の葬儀か)
大窓のガラス越しの空はどんよりとした曇り空で、雲が厚い。もうすぐ耐え切れずに雨が降ることだろう。
皇城に与えられたブルーノの執務室。一流の調度品に囲まれたこの部屋に愛着はないが、ここ最近、この部屋で過ごすことが多い。大公領の政務は今も祖父が辣腕を振るい、そのついでにミルドゥナ侯爵領の差配もしてもらっているので、ブルーノの仕事はもっぱら皇帝と皇太子の補佐だ。祖父からもしばらくは此処で仕事をするよう言いつけられている。
ふと衣擦れの音が耳に入った。足音を極力削った訓練された者の歩き方。ブルーノはその人物がすぐに分かった。
「失礼いたします。ミルドゥナ侯爵。ライオット・カッツ伯爵、ライナー・ハーシェル公爵令息から面会の申し込みがありますが」
そう呼びかけたのは、祖父が遣わしたブルーノの秘書官である。名は、カナン・ルヴィル。祖父の元で仕込まれ、時には護衛もしてくれる。幼さが抜け切れていない容姿をしており、その容姿を有効活用し、着々と皇城内に人脈を広げている。エレノアがバックについていると噂されているし、その噂が真実であるとブルーノは知っている。なぜなら、初日に「僕は、エレノア皇妃殿下とブルーノ殿の二択を迫られれば、間違いなくエレノア皇妃殿下を選ぶので。悪しからず」と言い放ったのだ。
(あー、そう。殿下と殿呼びですでに順位付けは完了しているわけね。そりゃ、孤児院の出身だし)
「じゃあ、原則、エレノア皇妃殿下に有利に動くってことだね?」
「はい」
(うーん、良い返事と笑顔)
「まあ、それでいいよ」
おそらく祖父も容認していることだろう。
ちなみに、カナンに嫌がらせをした大の大人たちは、もちろん返り討ちにされ、その戦いぶりを見た騎士団長が彼を猛烈に欲しがったが、カナンは拒否し続けている。
返り討ちにされても次から次に嫌がらせをする輩が出現している。異国風の容姿が目立っているのも純血主義の老獪たちにとっては目障りなのだろう。皇城にいる限り続くだろうし、カナンはそれも承知で祖父に送り込まれてきたのだ。
「腹の調子が悪いと言って断れ」
「・・・・・・そう言うだろうが、悪い話じゃないから通してほしい、と」
カナンの長所の一つは、誰に対しても物おじしないところだろうか。早速、ライオットに気に入られたのではないか。
「過去の一件も謝罪もさせる、とハーシェル公爵令息がおっしゃっています」
「・・・・・・分かった」
「どーも、その節は腹パンしてすいませんでしたー」
ライオットは一定のトーンで一気に言った。
ブルーノは、ただでさえ蓄積している疲労が、さらに積みあがったことを実感した。
(突っ込んでほしいのか?突っ込んでほしいから、こういう態度なのか?)
最も気になったのは、正面のブルーノから顔をそらしている点だ。後ろで手を組み、肩幅に広げた足で立っている男は、口をとがらせて先ほどの台詞を吐いたのだ。
結論としては、謝罪する者の態度ではない。
執務用の椅子に座っているブルーノはこめかみあたりを揉んだ。
「こうして、謝っていることだし水に流してほしい」
と、ライナーが渋い声で言う。本気で言っているか、それとも言いつくろっているのか、鉄仮面の表情からは読み取れない。
「どこが?」
ブルーノは執務机に頬杖をついて、笑顔を作った。
カナンはブルーノの後ろで噴き出すのをこらえている。ブルーノとしては、「お前の目は節穴か」と続けなかった自分を褒めたい気分だ。
ライオットは舌打ちする。
「悪かったって。久々に先生にも怒られたんだから許せよ。何なら代わりのフットマンを寄こそうか?」
「結構です。うちで働きたい人間はいくらでもいます。紹介していただかなくても、自領で調達しますから」
「まーた、じいちゃんに世話してもらうのかよ」
ライオットの言葉に、ブルーノの額に血管が浮く。いや、実際はそうでなくてもそういう雰囲気であった。ピキッと擬音が響いたような微妙な空気が執務室を包み込む。
「いい加減にしろ、ライオット。先生からいないものとして扱われる期間がまた伸びるぞ」
「こいつがチクるわけないじゃん」
「俺が告げ口する」
すかさずライナーが返す。ライオットはムッと眉根を寄せた。
「なぁ、なぁ。ここは水に流して、共にアーシア伯爵令嬢の件を一緒に解決しようぜ。お前んとこの諜報員は何か掴んでねーの?」
(誰が言うか!)
実情、ミルドゥナ大公の密偵網は壊滅の一歩手前の状態であった。ラティエース捜索のために諜報員の大半を割いていたが、優秀な者から消息を絶っていった。ブルーノは、共和国関連の仕業だろうと推測しているが、証拠は何もない。だからこそ、降ってわいたようにベン・クーファからラティエースが連邦自治区にいるらしいと聞かされた時も、驚きもしなかった。ただ姉が強固にした密偵網を疲弊させた己を恥じた。
結局、ラティエースの捜査規模を縮小し、新たな密偵網の構築に努めるしかなかった。今回も、できたばかりの密偵網を試運転代わりにアーシア捜査に使ってみたが、具体的な報告は上がってこなかった。諜報員もまた人脈つくりができていないのだ。
「どうでしょう」
ブルーノはそれだけ言って誤魔化した。わざわざ実情をライナーたちに告げることはない。
「我々は、アーシア・アークロッド伯爵令嬢が共和国、いや魔法国に連れ去られたと考えている」
「魔法、国ですか?」
それは思いがけない発言であった。共和国ならまだ分かる。帝国を目の敵にして、王制を廃止しようとしているのだから。だが、あの鎖国状態の魔法国がアーシアを欲する理由が分からない。
(いや、でも・・・・・・)
ラティエースも魔法国にいるらしい、とエレノアが言っていた。カスバートも共和国への行き来を増やしていると聞く。延長線上に魔法国があることも薄々だが匂わせている。
キーパーソンが次々と魔法国に集められている。そんな気がしてならない。
「何のために?」
ブルーノはすべての疑問をこの一言にして放った。
「アークロッド伯爵夫人の母親、ドローレスが魔法国出身だ。それも魔法国では名家の生まれだったらしい」
「いやいやいや・・・・・・」
二度ほどドローレスとは対面したことがあるが、品位は微塵も感じられなかった。あるのは色香だけ。それも毒々しいほどのものであった。元々は娼婦で、実父のオットーも客としてドローレスと関係があったと聞いている。カンゲル男爵に嫁ぐ前は、貧しい生活をしていたと聞いているし、バーネットもそいういうことをよく口にしていた。
「あの女は男を手に入れるためなら娼婦でも薬師にでもなる魔女なんだよ」
(なんの比喩だよ、それ)
比喩でも何でもないが、ブルーノはそう取った。確かにバーネットも色香で男を操ろうとする女であった。母親譲りなのだろう。
「まぁ。お前のいう何のために、の問いの答えにはなってねーけど。魔法国がアーシアを欲し、何かのためにアーシアを使おうとしている」
「断定するには、あやふやすぎますね」
「分かってるよ。お前、指名手配犯のカスバートと連絡とってるんだろ?俺らと顔つなぎしてくんない?」
「それで魔法国に入国でもするつもりですか?」
「それができたらベストだ」とライナー。
「申し訳ないですがカスバートとは学園卒業来会っていません」
「もういいって、そういう建前。お前らが隠れてちまちま手紙のやりとりしてるの知ってるんだって。あのやたら色っぽい女が運び屋だろう?」
ライオットの言っている女とは、カノトのことだろう。
彼女は時には皇城のメイド、時には男装して文官の格好をして、時には社交場の給仕として突然現れ、手紙をブルーノに押し込んで姿を消す。
「何度か後をつけたが、まかれてしまった」
くやしさというよりも称賛の口調でライナーが言う。
「お前とカスバートの手引きでベン・クーファの養女も魔法国に行ってるんだろ?何かあるからじゃねーの?」
その話は初耳であった。ラティエースの友人、レンまでも魔法国にいるのか。
「俺はそれらの案件に一切関わっていません。カスバートの独断でしょう」
ブルーノは言い切った。
「ふーん・・・・・・」
嘘を含んでいないブルーノの言葉に、二人の男は口を閉じる。しばらくにらみ合いが続いたが、視線をそらしたのはライオットであった。
「また来る」
そう言い捨てて踵を返す。ライナーも軽い会釈をして後に続いた。背後にいたはずのカナンがいつの間にかドアを開けて待機しており、二人を通すとドアを閉めた。
「今の話、どう思う?」
ブルーノはカナンの背に問いかけた。
「どうでしょうね」振り返ったカナンをそう言って、思案顔をブルーノに向ける。
「ある程度の根拠があってのお言葉だったとは思いますが・・・・・・」
「ああ。だが、魔法国だぜ?魔法国の名家の出となれば、魔女だ。あの二人が言うならば、バーネットはその魔女の血を引いていることになる。下手すると魔法国の始祖である女神の血を引いていることになる」
「でも、それが前提となれば、アーシア様はロザと魔法国の女神の血を引いた稀有な存在となります」
「アーシアの身柄を心から欲したのか?今の混乱は奴らの置き土産か?」
「そんな想像もできますよね」
「犯人はドローレス・カンゲル前男爵夫人か?」
「仮にそうだったとしても夫人一人ではできないと思いますよ。魔法が使えるなら別ですが」
「全部魔法のせいになればいいんだがな」
ブルーノは吐き捨てて立ち上がる。
「念のため、親父に確認を取ってくる」
もしオットーが関わっていたら、ミルドゥナ家は非常にまずい立場になる。オットーのやらかしです、と切り捨てるのは簡単だが、そうもいかないのが貴族社会だ。
「共は?」
「・・・・・・いらない」
オットーの居所は掴んでいる。それに、危険な場所に行くわけでもない。
「かしこまりました」
オットー・ミルドゥナは貴族籍をはく奪された後、帝都にあるとある劇場に身を寄せていた。息子が用意した邸宅に住むのはプライドが許さず、かといって食い扶持も稼がねばならない。かつての付き合いのつてで劇場の仕事を手にした。
オットーの仕事は脚本家である。これが意外に性に合っていた。時には演出も手掛け、そこそこの評価を得ている。ただし、本名をさらすわけにはいかないため、ペンネームで活動していた。
妻とは離婚はしなかったが、彼女は貴族の家庭教師の職を手に入れて、数年単位で家を空ける。今は、どこぞの子爵令嬢の教育のために住み込みで働いている。不思議なことに絶望状態であった結婚生活は、家を追い出されたことで少しだけ改善されるに至った。顔を合わせるのは数年に一度。「やあ」、「久しぶり」から始まりぎこちないものの食事を共にする。そしてまた別れる。これがとても心地よかった。妻の控えめな笑顔を見たのはいつぶりだっただろうか、などと思い至る。
当初は子どもたちや父親に対する怨嗟で押しつぶされそうになった。世界中のあらゆるものが憎かった。しかし、酒浸りの日々を経て貴族というものにしがみついていた自分が馬鹿らしくなった。先に吹っ切れたのは妻だったようだ。ある日突然、仕事を見つけた、と言って旅行鞄を片手に出て行った。オットーもその翌日に前から依頼のあった劇場の仕事を引き受けた。
バーネットを養女とし、貴族社会から追放された哀れな男を主人公に脚本を書いたら大いに評判となった。誰もがオットーだと想像しただろうが、まさかオットー自身が脚本を手掛けたとは思わないだろう。
観客たちは貴族の転落劇が大いに楽しいらしかった。「ざまーみろ」、「自業自得だ」と歓声が飛び、オットーはこれが世間の自分に対する評判か、と実感した。ラティエースの目、ブルーノ目、そして父親であるミルドゥナ大公の目が、観客たちのそれと同じであった。ようやくだが、自分の罪に向き合おうとする気持ちが生まれた。
オットーは稼いだ金を小切手に変えてブルーノ宛に送る。その時に簡単な手紙も付けたが返事はない。がそれでいいと思っている。親子と言えども息子は貴族だ。祖父の信頼を勝ち得て、おそらく大公の位を引き継ぐだろう。ラティエースは行方知れずと聞くが、あまり心配はしていなかった。ただ、帰ってくるときは何かとんでもないものを引っ提げてくる気がする。これは、親のカンだ。
「オルト(オットーの偽名)さーん。お客さんですよ」
舞台の裾から年若い娘が声をかけてきた。今、オットーは舞台裏で台詞の手直しをしていたところであった。実際に舞台に立ち、台詞の長さや立ち回りを確認しながら部隊の端から端へ移動する。もちろん、たった一人で。
声をかけてきたのは最近入った新人で、オットーに対しいわゆる色仕掛けで主役をゆすった娘であった。そういう役者は多く、オットーも適当に相手をしていた。
「客?」
「そう。とっびきりかっこいい人。ホール前で待ってるって」
(誰だ?以前使った舞台役者か?)
怪訝そうな顔を隠しもせず、オットーは舞台から降りて劇場のホールへ向かう。
開演前のホールの前にすらりとした体躯の男が背を向けていた。オットーの気配に気づいて青年は振り返る。
「父さん、久しぶり」




