124.過去の清算②
ロザーヌとナタリアは、皇城の大廊下を二人横並びで歩いていた。すでに人通りは少なく、スタッフがバタバタと片づけに奔走している。明日からは通常の政務が執り行われるから、今日中に飾り付け等を全て外し、元通りにせねばならない。スタッフは徹夜でその作業をすることになる。
二人が向かうのは皇族の生活区画でその出入り口は厳重に施錠され、儀仗兵が常に待機している場所だ。さすがにそこまでは裏方の喧騒は入ってくることはない。
儀仗兵は二人の姿を認めるとビシッと敬礼し、二人がかりで鍵を開け、大扉を押し開く。そのすべての所作が演技がかっていて、一つのショーのように思われた。実際、特別に招かれた者は、その所作に見とれるらしい。
「ご苦労様」
「ありがとう」
二人はそう労いの言葉をかけ、エレノアの待つ居室へ向かった。大扉から皇妃の居室まではもう少し廊下を歩き続けなければならない。
「やりすぎだったかしら?」
「でも、どうしてもやりたかったのでしょう?」
ナタリアがいたずらっぽく笑えば、「あらバレてた?」とロザーヌも微笑む。
「エン子爵夫人の登場も絶妙でしたし、問題ないのでは?」
「そうね。これで事態が動いてくれるといいのだけど・・・・・・」
廊下を曲がったところで、居室のドアの前に筆頭女官のブレンナード伯爵夫人が背筋を伸ばし正面を見据えたまま立っていた。夫人の背中越しのドアからは年若い女性たちのはしゃいだ声が響いている。
「お待ちしておりました、ミンス公国第二王子妃ロザーヌ殿下、フィルバート伯爵夫人」
鷹揚のない声で二人の名を読み上げ、ブレンナード伯爵夫人は一礼する。
「ええ。ごきげんよう、ブレンナード伯爵夫人」
「皇妃様と夫人の予想通りになりましたわ。完璧なタイミングでエン子爵夫人が登場いたしました」
「左様でございますか」
ブレンナード伯爵夫人の目じりがわずかに緩んだ。これはかなり満足している、と二人は同時に確信する。
「さて。わたしたちも今日だけは未婚女性の気分で大いにはしゃぎましょう」
「ええ、ロザーヌねえさま」
「お二人とも。無礼講の意味をはき違えないようにしてくださいませ」
ブレンナード伯爵夫人はぴしゃりと言い放った。
「はい、先生」
「懐かしいですわね。あなたとの礼法補講は良い思い出です」
ロザーヌはブレンナード伯爵夫人の言葉に、苦笑する。
ライラ・ブレンナード伯爵夫人。3年前までロザ学園で礼儀作法の講師として勤め、エレノアが皇妃内定を受けると同時に筆頭女官に任じられ、皇妃教育も自ら行った女性である。
すべて、エレノア皇妃の強い希望によるものであった。
一方、バーネットとリネットはエン子爵夫人の先導で、皇城の来賓客室エリアまで連れていかれた。この区画は皇族居住区の近くにある。儀仗兵は情報、人員を交換しながら警備につく。特に、皇族と来賓の行き来には目を光らせ、自衛のために日誌をつけ、行き来を認める際は両人から承認のサインをもらう徹底ぶりであった。
エン子爵夫人は、空き室に二人を招き入れた。高級ホテルのスイートルームと遜色ない部屋だ。柔らかなクリーム色の壁紙とそれに合わせたアンティーク家具で整えられた落ち着いた一室であった。
「さぁ、アークロッド伯爵夫人は湯汲みへ。そこの二人、介添えをお願い」
はい、と二人のメイドが頷き、バーネットに「こちらです」と湯殿へ連れて行く。バーネットは久々に傅かれる喜びに打ちひしがれている。
ソファーに力尽きたように座ったリネットには、何も言わずにメイドが茶器を菓子やフルーツの乗った皿を置いた。
「ハーブティーですよ。心が落ち着きます」
エン子爵夫人がローテーブルを挟んで正面に座る。
「何から何までありがとうございます」
「いいえ」
エン子爵夫人は優し言葉で返す。
「わたくしは皇妃殿下に事の仔細をお伝えして、アークロッド伯爵夫人のドレスを調達して参ります」
「ありがとうございます」
リネットは恐縮しきって、再度礼を述べた。
「何か必要なものがあれば控えているメイドに伝えてください」
エン子爵夫人は静かにドアを閉める。少し間を置いて、ドアにもたれかかり、ほくそ笑んだ。
(バカな人たち・・・・・・)
エン子爵夫人は来賓客区画の大扉を抜け、皇妃の居室へやってきた。門番よろしくブレンナード伯爵夫人がドアの前に控えている。ロザーヌとナタリアを迎えるまでは立っていたが、今は椅子に腰かけていた。
(まるで罰を受けた子どもみたいね)
筆頭女官の冠が溶けるのもそう長くはかかるまい。すべて自分の描いた通りに物事が進んでいる。
(ダメ、ダメ。ここで気を緩めると大事故につながる!!)
「ブレンナード伯爵夫人。皇妃殿下にお取次ぎを」
「お待ちくださいませ」
重い腰を上げ、ブレンナードは室内に入っていく。しばらくして、夜着姿のエレノアが顔を出した。頬も紅潮しており、酒気も帯びている。少し酔っているようだが、酩酊しているほどでもない。
「お楽しみのところ申し訳ありません。実は・・・・・・」
エン子爵夫人は、バーネットたちの一件を要領よく説明した。
「そう。二人も積年の恨みがあったでしょうしね」
「まあ、そうなのですが。ですが、シャンパンをかけるというのはさすがにやりすぎかと」
「皆が見ていたの?」とブレンナード伯爵夫人。
「ええ。大半のお客様がお帰りではあったのですが、それでもそれなりの人数が残っておりましたので」
「外国のお客様と国内貴族で車止めの待機場所を変えていたのは幸いでしたわね」
さすがに分散しないと帰り際の混雑で事故が起きかねないと、東、西、南と3か所に馬車待機場を設けていた。
「それで?アークロッド伯爵夫人は?」
「わたくしめの判断で来賓室にお招きしております。今、アークロッド伯爵夫人は湯汲みの最中かと」
「そう。では、それが終わったらお帰りいただいて?」
「はい。それで、お着換えの必要がございまして。今回はこちらの落ち度ということもありますし、どうでしょう?皇妃殿下が取り寄せたお召し物を下賜という形でお渡しするのは・・・・・・」
「どうして?」
エレノアは不思議に首を傾げた。その素直なしぐさに、エン子爵夫人が黙り込む。
「謝罪すべきはロザーヌとナタリアでしょう?」
「しかし、それではミンス公国との国際問題になるでしょう?」
「学生時代のトラブルで?ロザーヌはそこまで愚かではないわ。バーネットは謝罪を求めているの?」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・」
「それに、わたしが取り寄せたD-roseの新作ドレスは皆、送る方々の体形に合わせて作らせているし、変に下げ渡して勘違いされたら迷惑だわ。そもそも余分もないし、誰かに譲れと言ったら、それこそまた何かを彷彿とさせるのではないかしら。あの子、誰かのものを欲しがってばかりで、奪われた令嬢は両の手指では足りないくらいよ」
「おっ、おっしゃる通りですね」
「代わりのドレスなら、女官団欒室か官吏衣装管理室にいくらでもあるでしょう。デザインは少し古臭いかもしれないけど。そこから引退した女官のドレスならどれでももっていかせていいわ」
それだけ言い放つと、エレノアはドアの奥にスッと消えていった。
「仰せのままに」
エン子爵夫人は閉じられたドアに向かって、カーテシーをしてその場を辞した。
「わたしは、アークロッド伯爵を来賓室までご案内しましょう。まだシガールームの近くで談笑しているはずだから」
ブレンナードの呼びかけに、エン子夫人は「はい、お願いします」と軽く頭を下げる。
「そう時間はかかりませんが、団欒室と衣装室の両方を回って、夫人に合うドレスを探してまいります」
「ええ、そうしてちょうだい。わたしはご案内したらすぐにこちらに戻らなければならないから、粗相のないよう対応して頂戴」
「かしこまりました」
エン子爵夫人がキャスター付きのハンガーラックを引いて来賓室に戻ると、そこにはすでにマクシミリアン・アークロッド伯爵がいた。すでにブレンナード伯爵夫人の姿はない。あの寒々しい廊下で見張りをする筆頭女官には全く似つかわしくない仕事に戻ったのだろう。
「これは、これは。マクシミリアン・アークロッド伯爵にご挨拶申し上げます」
燕尾服姿のマクシミリアンは立ったまま、リネットと会話していた。振り返ったマクシミリアンは、すぐにエン子爵夫人のカーテシーを制止した。
「いや、エン子爵夫人。大業な挨拶はやめてくれ。それよりも妻とグリーニッジ伯爵夫人が世話になった。ありがとう」
「いえ、そんな・・・・・・」
「エン子爵夫人、かわいいドレスあったかしら?」
子どものような口調でコルセットを付けたバーネットが躍り出てくる。しかし、何着かのドレスを見てすぐに顔を顰めた。
「何これ。だっさいやつばっかり!こんな沼みたい色のドレス、初めて見たわ」
すぐさまマクシミリアンが叱咤しそうなものだが、マクシミリアンもあまりにひどいデザインのドレスに絶句する。
「申し訳ありません」エン子爵夫人ははじかれた様にバッと頭を下げた。「わたくしもあまりにもひどいと忠言したのですが・・・・・・。衣装室に眠っているカビだらけのドレスで十分だと・・・・・・」
「なるほど。そうか、そうか・・・・・・」
マクシミリアンは言って自嘲の微笑を浮かべる。
「明らかにロザーヌ王子妃とフィルバート伯爵夫人が悪いと思うのですが、謝罪は不要。アフターパーティーに招待した令嬢たちに送るD-roseの最新作のドレスを詫びの証に渡すのも嫌がりまして。バーネット様にはお詫びの印としてお渡しすれば、ことを大きくするはずはないと何度もお伝えしたのですが・・・・・・」
「そうね。最新作であれば、まあ、許さなくもないかしらね」
単純なバーネットはエン子爵夫人に誘導される形で言った。それに、D-roseのドレスは流行の最先端。それを着て王都を練り歩けば必ず注目される。
「で、代わりにこれか」
マクシミリアンは言って、色あせた茶色のドレスの裾をつまみ上げる。まるで汚物を掴むかのように。
「もういいではありませんか。なんでもいいからさっさと着て、馬車に乗り込んでしまえばドレスなど誰も気にしません」
リネットがいら立ち紛れに言った。このドレスが、皇妃、いや帝室のアークロッド伯爵夫妻に対する答えなのだ。
「グリーニッジ伯爵夫人の言う通りかもしれません。少しでもマシなドレスを着て、馬車に乗り込みましょう。わたくしと、アークロッド伯爵、グリーニッジ伯爵夫人でバーネット伯爵夫人を囲うようにして歩けばいいのです」
「そうするしかないようだな」
車止めまで歩く間、マクシミリアンたちはひそやかな嘲笑にさらされることになった。それは、背後を隠すようにして歩くエン子爵夫人がわざとバーネット後姿を見せつけるかのように距離を取ったりしたからである。マクシミリアンが振り返るとエン子爵はちゃんとバーネットの背後を隠すようにして追随している。目があえばエン子爵夫人はニコリと微笑む。
人通りの少ない道を選び時には中庭を突きって馬車が停泊している場所へ急いだ。エン子爵夫人の言う通り人目は最低限で済んだはずだ。
「エン子爵夫人。本当にありがとう。この礼は改めて」
「お気になさらず。女官として当然の務めを果たしただけです。さあ、お行きになって。間もなく巡回の兵士がやってきます」
嫌味のない穏やかな口調でエン子爵夫人は返した。マクシミリアンは寂しげな微笑を浮かべ、御者に出立するよう合図を出した。
馬車の中は重い沈黙が続いた。
リネットは憔悴してぐったりとしていたし、バーネットも嘲笑を耳にして悔しがっているが、口に出すことはなかった。彼女も疲れて怒る気力もないのだろう。それは、マクシミリアンも同じであった。
(これが敗北者の扱いというわけだな)
エレノアがマクシミリアンとバーネットを嫌悪している。心では分かっているつもりだったが、やはりこうして表面化するとショックは大きかった。それだけのことを自分たちはしたのだという思いと、すでに償っているだろう、という気持ちが交錯する。
「マックス。華の乙女の称号、なくなちゃったんだって」
バーネットが囁くように言う。
「そうか。知らなかったな・・・・・・」
バーネットの声色から、自分たちがきっかけであることは容易に想像できた。
(俺たちは生きている限り許されない)
ならば、やはりあの時に、処刑されていた方が幸せだったのかもしれない。
マクシミリアンはそんなことをふと思った。
邸宅に到着し、馬車から降りる頃には、マクシミリアンは疲労を隠し切れないでいた。結局、炭の売買に関しても話す前に呼びつけられたし、それなりに顔は売れたが明確な成果はなかった。
「お帰りなさいませ」
フットマンが、馬車のドアを開けて、リネットに手を差し出す。リネットはその手を支えにタラップを降り、ふらふらと邸宅に吸い込まれていく。
ふと、フットマンが怪訝そうな顔をした。
「伯爵、坊ちゃまとアーシア伯爵令嬢はご一緒ではないのですか?」
は、とマクシミリアンは虚を突かれる。とっくに帰宅しているものと思っていた。
「帰って、ないのか?」
嫌な汗が背中を伝う。
「えっ、ええ・・・・・・」
つられるようにフットマンの青年も顔色を白くして頷く。マクシミリアンはタラップを飛び越えて着地し、邸宅に走り出す。眠たげにしていたバーネットもその異様な気配に目を覚ました。
「お帰りなさいませ、伯爵。お子様方は・・・・・・・」
メイドに指示を出していた執事が、こちらに気づいて声をかける。
「アーシアは?ビルマン少年はどうした?晩餐会が始まる前には帰宅させたはずだ!」
「いっ、いえ。お戻りになっておりません。ご一緒ではないのですか?」
執事も声を震わせ、マクシミリアンを追うようにしてやってきた真っ青なフットマンを見やる。馬車に同乗していなかったことがはっきりわかる。
「旦那様に伝えろ!」
「はっ、はい!!」
メイドが踵を返して階段を駆け上がる。リネットは、玄関横のソファーにぐったりとして座っていて、手を挙げるのも億劫そうであった。邸宅の喧騒もどこか夢心地であった。騒ぎに気付いたネーナが夜着にガウンを着た状態で姿を現す。
「すぐに警吏に連絡しな!間違いでもいいから急ぐんだよ!あと、誰かリネットを部屋に運んで気付け用の酒を飲ませな。気づいたら何があったか聞くからそのつもりで」
ネーナの指示に、「はい」、「かしこまりました」、とメイドたちも機敏に動き出す。
「アークロッド伯爵。二人が馬車に乗り込んだところ見届けたのかい?」
「いや。二人で出て行った。もちろん案内役をつけて」
「そうかい。うちも晩餐会前には二人が戻るだろうと思って迎えを寄こしたんだ。だが、御者が言うには、お二人は舞踏会までお残りになると案内係から言われた、と。だから戻ってきたそうなんだ」
御者もネーナも、そういうこともあるか、と特に気にも留めなかった。
「そんな!!」
「落ち着きな。明朝まで見つからなかったら、あんたら夫婦で皇城に行って、事の次第の説明をしに参内しな。先ぶれは必要だが緊急事態だ。それまでは仮眠でもいいから体を休めるんだ」
「そんなこと・・・・・・」
「できなくても、やるんだ!本当に誘拐なら、寝る間もないくらい動き回らなきゃならない。休めるのは今だけだよ。何かあったらたたき起こしてやる。それまでは体を横にして目を瞑っときな。それだけでも疲れはとれる」
「はい・・・・・・」
翌朝。王都のはずれで引き倒された馬車が見つかり、ビルマンと御者の遺体が確認されたものの、アーシアは依然として行方不明であった。




