123.過去の清算①
晩餐会に引き続き執り行われた舞踏会も盛況のうちに終わった。
些末なトラブルはあったものの、スタッフの連携で解決できるものばかりであった。ブルーノが出張る問題は何一つ起こらなかった。熟練のスタッフたちに感謝してもしきれない。
この後は、一部を除いて皇城から退場となる。その一部とは、皇帝や皇妃に特別に招待された者たちのことだ。限りある貴賓室や迎賓館に部屋が割り当てられ、諸外国の重鎮はそこで一晩を過ごす。中には諸侯や大公の別邸に招待されている者もいる。こういう特別な招待を受けることで、結納式に招待された者たちは、自分たちがひとかどの地位にあると自覚できる。
逆に退場を促されている者たちは、ロザ帝国の支配者から重要視されていないということだ。歯噛みする者、当然と納得する者、その表情は様々だ。マクシミリアンを囲う老人たちが苦虫を嚙み潰したような表情をしている。とうの本人は後ろ姿しか確認できなかったが、不快であろうことは想像できた。
(それとも、納得しているか?)
だとしたら、ブルーノはマクシミリアンに対する見識を改めなければならない。彼は変わったのだ、と。それも良い方向に。
(メブロで新しく建設するエリアに使う木材を、アークロッド伯爵領から買い上げるか?)
そうすれば、アークロッド伯爵の財政は潤うことだろう。
(後で、おじいさまに聞いてみよう)
ミルドゥナ大公は、晩餐会の席次でマクシミリアンの隣に配されていた。バルフォン大公も同じテーブルだ。マクシミリアンとその一味がよからぬことをしないためのお目付け役として出席してもらった。対外的にはマクシミリアン伯爵は、大公たちと近しく、罪を犯したものの、待遇は悪くないというアピールの意味も込めて。
ブルーノは舞踏会場の片づけを横目で見ながら、テラスに出る。アルコールで上昇した体温が、夜風により少しだけ下がった気がした。
「お疲れ」
ふと、背後から声を掛けられブルーノは振り返る。そこには、グラスを両手に持ったアレックスが柔和な表情で立っていた。心なしか疲れも見て取れる。そこがまた彼の端正な顔立ちを際立たせてもいるのだが。
「それ、シャンパンか?」
「いーや。レモン水だ」
「じゃ、貰う」
アレックスは苦笑して、ブルーノにグラスを渡す。
「お前、こんなところにいていいのか?」
「少しくらいいいだろ。皇帝のシガールームが煙たくってな。少し新鮮な空気を吸って戻るよ」
現在、舞踏会に招待された男性陣は、皇帝のシガールームで二次会ならぬ葉巻を楽しむ会が進行している。これも特別に招待された一部の者たちだけだ。顔ぶれも、一国の王やその後継者、または大貴族と厳選されている。無礼講、非公式の会談ではあるが、今後の情勢を決める何かが、あの部屋で決まるかもしれない。
アレックスも付き合い程度で葉巻を口にしたが、あの苦みがどうも苦手だ。少しだけ吸って、あとは灰皿に置きっぱなしにしてきた。
ブルーノももちろんシガールームに出入りできるが、彼も葉巻は苦手のため、監督者の立場を利用して逃げていた。祖父も招待は受けているものの、出席する気はさらさらなく、すでに皇城を出ている。
「そういや、ラドナ王国の大使と会ってたろ?何だったんだ?」
「お前とミルカ王女の婚約話」
アレックスはわずかに瞠目し、「ああ、そう・・・・・・」とうわごとのように呟いた。
「返事は保留だ。だが、大使に頼んで、前回のミルカ王女の突撃もそれに関連したものだと吹聴してもらった。今頃、カッツ伯爵は大慌てだろうよ」
ブルーノは意地の悪そうな微笑を浮かべた。
「そんなに腹パンが効いたか」
「まあね。意趣返しだけが目的じゃないぜ?ミルカ王女とのやり取りをあいつに知らせたスパイをあぶりだしたかったのもある」
「なるほど・・・・・・」
冷えたレモン水を嚥下して、アレックスは頷いた。
「近いうちに、ゼロエリアの小川に〇体が浮かんでるかもな」
「内通者に心当たりは?」
「たぶん、20年以上うちにいたフットマンの一人だろ。そいつは、父上のお気に入りで、ブルックスがいなけりゃ執事長になっていた奴だ。・・・・・・その割に父上が放逐されたときは、ついていかなかったけどな」
そうか、とアレックスは返す。わずかな沈黙の後、アレックスが「なあ」と口を開いた。
「ミルカ王女との婚約は受けたほうがいいか?」
「お前とミルカ王女が成婚したあかつきには、ミルドゥナ大公領を安堵してくれるそうだ」
「・・・・・・。ラドナとしてもミルドゥナ大公と結ぶより、その上のロザ帝国の皇太子と縁を結んだ方が得策だと考えたか。大公の方が、経済力・軍事力も、皇族より上回っているだろうに」
「だが、ロザ帝国の支配者は大公じゃない」
ブルーノはきっぱりと言った。
そうだ。この国の頂点はあくまでも皇帝だ。自らは武力を持たず、権威と象徴を武器に、貴族と貴族のバランスをとりながら国をかじ取りしていく。それがこの国の皇帝の務めであった。マクシミリアンはそのバランスを壊そうとし、滅多打ちにされたのだ。
「有力な花嫁候補はミルカ王女だけじゃない。それに皇太子の婚姻に、皇妃の意見を聞かずに進めるのはまずい」
取り繕うようにブルーノは言った。
「確かに」
アレックスは苦笑とともに言った。
その後、二人はこの話題を断ち切り、和やかな雰囲気で会話を続けた。
バーネットは気分が良かった。
晩餐会、そして舞踏会においてのマナーをマクシミリアンから称賛された。心から喜び、穏やかな微笑を浮かべるマクシミリアンに、バーネットは頬を赤らめてしまった。
―――よく頑張ったな、バーネット。ありがとう、バーネット。
そう優しく言ってくれた。
他人のぶしつけな視線は相変わらずであったが、何人かは「思ったほど悪くないじゃない」、「無作法と聞いていたけど・・・・・・」ということを囁きあっていた。
(先生にも伝えないと!!)
「バーネット」
マクシミリアンが人垣を抜けて、側にやってきた。
「悪いが、先に戻っていてくれ。ドゥニアン男爵が懇意にしている商会の人間と話すことになった。うまくいけば、冬越しの炭を安価で売ってくれるかもしれない」
「そうなの。よかったわね」
正直、バーネットは伯爵領の産物が何か、領土の特徴も知らない。知りたいとも思わない。
流行の店なんてないし、皆、帝都の人間と違ってみすぼらしい田舎者丸出しの人たちばかりだ。
久しぶりの帝都はやはり華やいで見えた。学生の頃によく通ったカフェもそのままだったし、宝飾店、レストラン、雑貨屋も昔のままだった。カフェに立ち寄りたかったが、あからさまに顔を顰めた店員から「満席です」と断られた。奥に空席があったが、それをマクシミリアンが追及することはなかった。バーネットは文句を言おうと考えたが、マクシミリアンがあまりにも傷ついた顔をしていたので、やめておいた。結局、二人はアーシアの土産としてケーキを購入して滞在先に戻ったのだった。
「すみませんが、バーネットをよろしくお願いします」
バーネットの隣に立っていたリネット・グリーニッジ伯爵夫人に深々と頭を下げる。
皇子だったころの横柄な態度は鳴りを潜めた真摯な態度に、リネットは息子の義父になるであろう男にわずかに好感を抱いた。
「えっ、ええ・・・・・・」
リネットもこうも丁寧に頼まれては断れない。元々、今日の仕事はバーネットがやらかさないための監視役なのだ。
「じゃあ、アーシアにもおやすみ、と伝えておいてくれ」
軽く手を上げ、マクシミリアンはまた燕尾服の一団の中に埋もれていった。
「では、帰りましょう」
リネットの呼びかけに、バーネットは素直にコクンと頷いた。
晩餐会会場の大扉を抜け、長い廊下を歩く。バーネットたちと同じように皇城を出る人たちのまばらな列に加わった。大広間から皇城の大門、車止めのエリアまで続く廊下は長く、そして幅もある。大体が、外に向けて歩いている中、逆流する人たちもいた。
大きな袋を抱えて、はしゃぎながら大広間に向かう女性たち。従者に荷物を運ばせる者もいた。そのほとんどが、バーネットと同じくらいの年齢の女性たちばかりであった。
「なんで、あの子たちは戻っているの?」
「おそらく、皇妃様のアフターパーティーに参加する方々でしょう」
女性たちのはしゃぎようにリネットは苦笑しながら応じた。
「アフターパーティー?」
「貴族令嬢は結婚式の数日前に、親しい友人を招いて明け方まで自室でお泊り会のようなことをするんです。親もこの日は大目に見るんですよ。ベッドルームでお菓子やジュースを広げて、学生時代の思い出を夜通し語り合ったりするんです」
「ふーん・・・・・・」
「エレノア皇妃様の場合、婚姻式は国を挙げての一大イベントですから、前日どころか数日前から準備で忙殺されます。だから、結納式の今日なのでしょう」
言われてみれば、先ほどすれ違ったのは、学園時代に見たような女子生徒だった気がする。最も、バーネットは親しい友人、女子生徒との付き合いは全くと言っていいほどなかったから、学年、氏名も思い出せない。
「間違っても、参加したいなんて言わないでくださいね」
リネットはとげのある口調で言った。明らかに悪意のある言いように、バーネットはムッと眉を吊り上げる。
「そんな図々しいこと、言わないわ!」
(そりゃ、興味はあるし、羨ましいけど・・・・・・)
きっと、エレノアのことだ。寝室を素敵な空間で彩り、用意する食事もおいしそうで、見た目もかわいらしいものばかりだろう。
「なら、いいですけど」
安堵とともにリネットは返した。
車止めは、混雑していた。皇城スタッフは、馬車を待つ来賓を広いホールに待機させている。そのホールの隅には椅子はもちろんのこと軽食が用意されていた。身分も様々で、軽い社交場になっていた。
「お待たせして申し訳ありません。グリーニッジ家の馬車が到着しましたらお呼びいたします。それまでは、軽食もございますので、ゆっくりお過ごしください」
リネットたちの前に出たスタッフが深々と頭を下げる。頭を上げるとすぐに、近くにいた飲み物を配すスタッフを呼びつける。
「いいのよ。さすがは皇帝陛下ね。それとも皇妃殿下の心遣いかしら」
スタッフからシャンパンを受け取ったリネットは満足そうに言った。バーネットも同じように受け取る。
「お座りになられますか?」
「ええ」
「では、お席までご案内します」
スタッフは辺りを見回し、空いてる席を探す。ある程度埋まっているものの、出入り口からそう遠くない場所を確保することができた。
「では、失礼いたします。何かございましたら近くのスタッフにお申し付けください」
二人の着席を確認して、スタッフはそう言うと、次の来賓の案内のために立ち去った。
リネットとバーネットは基本的に合わない。よって、着席してから二人の間に会話が弾むことはなく、むしろ居心地の悪い空間になっていた。
「あら、グリーニッジ伯爵夫人」
「あら、シネロン子爵夫人」
「あなたも馬車待ち?」
「ええ。こんなに混むなら会場で待ってた方が良かったかしら」
リネットはこれ幸いとばかりにオリビエ・シネロン子爵夫人と会話を弾ませる。リネットは視界の端にバーネットをとらえつつもオリビエとの会話を楽しんでいた。
油断していたのもある。そして、バーネットにわざわざ近づく者がいるわけがないという思い込みがリネットの胸中にあった。
ホールにざわめきが起き、バーネットたちが座るテーブルに近づくにつれて、道が開けていることにも、リネットも、そしてバーネットも気づかなかった。
「お久しぶりですね、バーネット・アークロッド伯爵夫人」
バーネットの前に二人の女性が立っていた。リネットはハッと我に返り、バーネットの前に立つ女性たちを見上げて息を飲んだ。
「ロザーヌ、王子妃殿下・・・・・・。ナタリア・フィルバート伯爵夫人・・・・・・」
リネットがうわごとのように呟く。隣のオリビエも顔色を無くして席から滑り落ちるようにして、膝をついた。
「ごっ、ご挨拶申しげます」
カーテシーも一般的な挨拶だが、膝をつき頭を下げるのはもっと丁寧な挨拶である。ただ、往来や通路でそれはできないから、簡略されたカーテシーという挨拶方法が生まれたのである。
王子妃には当然であるが、ナタリアも伯爵夫人でありながらその出自から公爵令嬢としての扱いを受け続ける。ナタリアは夫、フィルバート伯爵の手前、伯爵夫人と名乗っているが便宜上、そう名乗っているに過ぎない。ナタリアはペンネローエ公爵の唯一の子であることから、その子どもが公爵位を受け継ぐことになっている。その背景があり、誰もナタリアを伯爵夫人としては扱わない。
「ええ、少しバーネット・アークロッド伯爵夫人とお話しさせてちょうだいな。あなたがたは気にせず二人でお話を続けて頂戴。お二人とも膝が冷えるわ。さぁ、お席についてちょうだい」
ロザーヌは有無を言わぬ口調で言い放つ。その言葉の力に二人は操り人形のようにぎこちない動作で元の席に座った。リネットは横目でバーネットを見やり、頼むから余計なことは言うな、と祈った。
ミンス公国第二王子妃のロザーヌ。ロザにいたころは、メーン伯爵の娘、ロザーヌ・メーンとして学園にも所属していた。バーネットとは因縁があった。
フリッツ・ローエン伯爵令息と婚約関係になったが、破談。同時期に、ロザーヌは学園を退学している。その後、留学先でカロス第二王子に見初められ、結婚したという。リネットの知識はそんなものであった。
もう一人のナタリアに関しては、もう少しだけ詳しい。何せデビュタントでの事件を、リネットも目の当たりにしたからだ。
「あなた、だれ?」
バーネットが原因でロザーヌとフリッツの関係が破綻したことも、ロザーヌが退学処分になったことも。そもそも自分が原因で多くの退学者がでたことなど、バーネットは覚えてもいなかった。せいぜいそんな人もいたかな、と思うくらいで氏名も容貌も思い出すことはない。
ロザーヌは一瞬、眉をひそめたがすぐに表情を戻した。
「学年は違いましたが、以前、ロザ学園に在籍しておりました。フリッツ・ローエン伯爵令息の元婚約者です」
「ああ。フリッツ君元気?」
「元婚約者の行方などわたくしは知りません。今は、ミンス公国に嫁いでおりますので」
「ふーん、そうなんだ。フリッツ君は、何気に最後までマックスの側にいてくれたのに」
(人をいらつかせる術はこの女の才能ね)
ロザーヌは鉄壁のポーカーフェイスで席に座ったままのバーネットを見下ろす。ナタリアも扇で隠した口元をギュッと噛んで堪えた。
小国だとしてもミンス公国の王族に嫁いだロザーヌに、皆、席を立ち上位の者に対する挨拶をする。昔は自分がカーテシーをする側だったが、今やされる側になった。
(なのに、この女は・・・・・・)
挨拶するために席を立つどころか、グラスをテーブルに置く素振りすら見せない。
「ところで、夫人は皇妃殿下のアフターパーティーに招待されていないようですわね」
「招待されていませんから」
バーネットはムッとして言い返す。
「そうでしょうね。皇妃殿下も遠慮されたのではないかしら。あなた、二人目を身ごもっているそうだし」
「二人目?」バーネットが怪訝そうに言い、「わたし、妊娠してないわ」
「あら、そうなの?てっきり、男の子が生まれると聞いていたのだけど。なんでも、将来は玉座に座ることになるから、今のうちに味方しろ、とマクシミリアン・アークロッド伯爵の使いだとかいう横柄な男が言っていたのだけど」
「知らないわ、そんなこと」
知らないことに責任はない。そういわんばかりの態度に、ロザーヌは口角を上げる。
やはり、バーネットはバーネットだ。自分が祭り上げられることには抵抗がないが、かつぎあげた者たちを監視、仲裁、抑制といったことは一切やらない。そして勝手にやったことだ、と簡単に切り捨てる。
(まぁ、それはアークロッド伯爵もそうだけど)
今日、見た限りでは随分と雰囲気も変わり、選民思想にの頂点にいるといったオーラは微塵も感じられなかった。遠目で見ただけだが、腰も低く、一介の伯爵という立場を受け入れているように見えた。来賓の幾人かはそんな彼を見直し、援助、または貿易に前向きになった者もいる。
「それでも前代未聞であることには変わりないわ、ロザーヌ様」
ナタリアは言って、バーネットを小ばかにしたように嘲笑った。
「だって、当代「華の乙女」が皇妃のアフターパーティーに招待されないって。皇妃自身がそうでない限りあり得ないことだわ」
「そうね。それに皇族方は「華の乙女」を辞退するのが習わし。わたしはてっきり妊娠が理由だったと思ったけど、違ったようね」
声高にロザーヌは言った。リネットは周囲を見渡し、途方に暮れた。だんだん、注目が集まってきているし、ロザーヌもナタリアもそれが目的のようだ。
――――バーネット伯爵夫人の第2子は、男児に間違いないと聞いたが?
――――いや、しかし腹が膨れてないだろ。
――――虚偽ということか?蒼い血の復活だ、と声高に叫んでいただろう。これを信じて援助を申し出た者は猛り狂うぞ。
(まずい、まずい、まずい、まずい!!)
リネットは追いつめられるが、どうしたらいいのか分からない。バーネットの手を引いて、無理やりにでも晩餐会場に取って返すか。
「わたしとエレノア様は、昔、トラブルがあったの!だから誘われないわ」
「一連の出来事をトラブルの一言で済ますとは。さすがですね、アークロッド伯爵夫人」
「それもエレノア様って。学園時代も含めて、あなたは許可されていないはずよ、その呼び方を」
――――あなたにはそう呼ばれたくないの。ダルウィン公爵令嬢と呼んでください。カンゲル男爵令嬢。
エレノアは何度もピシャリとバーネットに言い放ち、マクシミリアンたちがかばうという茶番を繰り返していた。
「あなたのせいで、「華の乙女」の習わしも廃止されたというのをご存じ?あなた、すべての貴族令嬢から恨まれていると思うわ。あなたみたいのが二度と現れないように、皇城はデビュタントの式典そのものを廃止しようとしたそうよ。さすがにそれはやりすぎだと、二大公をはじめとした諸侯方が式典だけは継続させたの。ご存じ?」
バーネットはふくれっ面のまま無言を貫いた。元々、返事を期待していないナタリアは続ける。
「さらには、D-roseの撤退でデビュタントドレスも予約できなくなった。10年以上前から予約している顧客には金銭保障はもちろんデザイン画を持って、デザイナーのグレン・チェン氏が謝罪行脚をしたそうよ?デザイン画は10年後には古臭くなっているだろうから、そうなったら破棄して構わないって言ってね。ラドナまで取りに来る、と縋った方もいたそうだけど、すべてお断りしたそうよ。一体、何人の貴族令嬢のデビュタントをぶち壊したのかしら」
「それは・・・・・・」
知らなかった、と口にできなかった。
デビュタントの興奮はバーネットにも分かる。一介の男爵令嬢では体験できないことを味わった。その後のしっぺ返しは何倍にもなって返ってきたが、あの瞬間だけは至福の時であった。それがたとえ自分の功績ではない「華の乙女」だとしても。D-roseでドレスを仕立てる意義にこだわったのはバーネットも同じであったから分かる。
「俯いて涙をためても、あの時のようにかばってくれる方はいないのではないかしら。ましてやあなたのために、熱いお茶を婚約者にかける男なんて」
ロザーヌはそう言ってリネットが置いていたシャンパングラスを掴み、バーネットの顔面目掛けて液体をかけた。きゃ、と短い声をバーネットが上げる。
リネットは震えながらバーネットの前で膝をついた。
「もうお許しくださいませ。これ以上の断罪はどうぞお許しくださいませ」
震える口元を精一杯押しとどめて言葉を吐き出す。ひれ伏して、リネットは同じように繰り返す。
「どうして、あなたは義母がこうして平伏しているのに、あなたからは謝罪の言葉が出ないのかしら」
「土下座すれば気が済むの?いいわよ、すればいいんでしょ!」
バーネットはヒステリックに叫んで、ようやく席を立った。
「おやめなさいませ!」
バーネットたちのやりとりを見物する貴族たちの波をかき分けて、一人の貴婦人が躍り出た。その姿にナタリア、ロザーヌも息を飲む。
「マリー・エン子爵夫人・・・・・・」
エレノアの女官としてその手腕を発揮し、ブレンナード伯爵夫人から筆頭女官座を奪うのは時間の問題と噂されている女性だ。
「この騒動は何ですか?ここは帰りの馬車をお待ちになる方々の社交場ですわ。あなた方は、これが舞踏会の延長であることを承知の上でこんなことをしているのですか?」
エン子爵夫人の叱咤に、ナタリアもロザーヌもばつの悪そうな表情を浮かべる。さすがにやりすぎたとロザーヌも内心では分かっているようだ。
リネットは明らかにホッとした表情を浮かべ、バーネットもマリーが少なくとも敵ではないと理解する。
「ロザーヌ王子妃殿下、フィルバート伯爵夫人。お二方もこんな所で油を売っていないで、早く皇妃殿下の元へ。首を長くして待っておられますよ。お二人に会いたくて我慢できず、わたしくを寄こしたのです」
「えっ、ええ。すぐに行くわ」
「そうね。早く行きましょう」
ナタリアとロザーヌはそそくさと皇城に続く廊下に向かって歩き出す。
二人の背を見届けて、エン子爵夫人はバーネットとリネットに向き直る。
「アークロッド伯爵夫人はこのままではお風邪を召されます。どうぞ、こちらへ」
「いえ。拙宅に戻り、すぐに湯汲みをすれば問題ありません」
とにかくこの羞恥の場から逃げ出したかったリネットは涙目で言った。
「今、このまま馬車に乗り込めばさらに目立ってしまいます。馬車の案内係には目立たぬよう別の車止めを案内するよう指示しております。グリーニッジ伯爵夫人も少し落ち着いてから帰城なさいませ」
そう言ってエン子爵夫人はバーネットに手を差し出して助け起こす。
「こちらです」
エン子爵夫人は慈悲に満ちた微笑を浮かべた。




