12.凋落の兆し
フリッツ・ローエン伯爵令息は、差し出された書類に顔を顰めた。
重厚な木製のローテーブルに、それに合わせた革張りのソファー。父の個室に呼び出され、そこに座るよう命ぜられた。対面に、怒りを隠しきれない父親が座り、書類にサインするよう求めた。今更、あがきはしないが、父親はフリッツを信用していないようで、自ら見届けるつもりのようだ。フリッツは乱暴にサインし、万年筆を放り投げた。
「これで満足かよ」
「お前こそ満足か?ここまで家名に泥を塗って、まだ足りぬか?」
言って、ウォルフ・ローエン伯爵は奪い取るように書類を取り、封筒に入れた。執務机まで戻り、封蝋をして、手元のベルを鳴らす。ほどなくして、執事が現れた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「ああ。こちらをメーン伯爵邸へ届けてくれ。確実に、だ」
かしこまりました、と書類を恭しく受け取り、執事は出て行った。
「で?俺は勘当か?」
「それができるならとっくにやっている。とにかく、卒業までは現状維持だ」
今回の件で、学園の処分以上のことを、家庭内でしないよう内密に連絡が来た。理事の連名でその通達は届いたが、おそらく陰で糸を引いているのは皇妃だ。ローエンたちが子どもを処罰すれば、それ以上の罰を皇子に科さないと体裁が保てない。だから、わざわざ連絡をしてきたのだろう。
だが、家庭内はどうとでもなるが、社会はそうはいかない。長男、次男はすでに軍での居場所に苦慮しているようだし、それはローエン自身もそうだった。
「あっそう。じゃあ、俺は行くよ。殿下に呼ばれているから」
「お前、卒業後はどうする気だ」
軍に入ることは、今回の件で絶望的となった。そうなると、残る道は少ない。
「もう決まってる。俺は、皇子の近衛隊長になる予定だ。直々にお言葉もいただいている」
「近衛隊?」
「ああ。皇子は即位したらすぐに、精鋭の近衛兵を作るんだ。俺はそいつらをまとめ上げる長になる」
王自ら指揮する近衛、禁軍と呼ばれる軍隊が存在している国は、確かにある。ラドナ王国、東の強国ブリッテェン共和国、南方諸国連合も大統領が直接指揮する軍があると聞く。
しかし、ロザは違う。皇帝が直接指揮する軍は常設されていない。どうしても必要なときは、大公や公爵が自身の兵士を貸与する形で組織する。
「お前、それは……」
皇帝が自ら軍事力を持たないことで維持されてきた秩序に、真っ向から風穴を開ける行為だ。そんなそぶりを少しでも見せたら、貴族が牙を剥く。
「なんだよ、いずれ追い出すんだから放っておけよ。まっ、数年後には、親父なんて追い越して、公爵、いや大公になってるかもだけど。まあ、皇子は即位したら、高位貴族を粛正するそうだから。まあ、育ててもらった恩もあるし?ローエン伯爵家は免除してもらうよう皇子に頼んでやるよ。じゃあな」
そう言うと、フリッツは部屋を出て行った。取り残されたウォルフは、呆然と、あけ放たれたまままの出入口を見つめていた。




