114.結納式
リートリッヒ一世とエレノア・ダルウィン公爵令嬢の結納式が厳かに行われた。結納式にはロフルト教皇国から教皇代理として四名の枢機卿が派遣され、ミッターマン寺院にて誓約の儀が執り行われた。
初代皇帝サイオと彼に味方した女神たちに国家への献身と忠誠を誓い、国民に向けて国に貢献する旨を宣言する。
この儀式に参加出来るのは、極限られた者たちだけだ。エレノアの家族、皇族からはアレックス皇太子のみが出席となった。根源貴族兼諸侯代表としてバルフォン大公とミルドゥナ大公。ただしミルドゥナ大公は名代としてブルーノ・ミルドゥナ侯爵を遣わせていた。彼らが見届け人となり、二人は、準婚姻状態となった。
結納式の後は、リートリッヒ一世とエレノアダルウィン公爵令嬢を乗せた馬車がパレードする。結納式後のパレードは異例だが、これは民衆の支持を得るためのパフォーマンスとしてエレノアが強く希望した。パレードは寺院から皇城までを進むもので、距離はそう長くはない。儀仗兵が規律正しく先導し、馬車が進む。沿道には手持ちサイズの国旗を手にした民衆で溢れかえっていた。
リートリッヒ一世とエレノアは馬車から沿道に向かって手を振り続ける。民衆は彼らの結婚を心から祝福していた。
「お姉様、きれい・・・・・・」
そう呟いたのは、パレードの様子を望遠鏡で見ていたウィル・ダルウィン公爵令息であった。
エレノアの家族には、ロイヤル・M・ホテルの特別な配慮により普段は一般に公開していない二階のカフェテラスが提供されていた。そこは皇城内の噴水も見え、オペラグラスを使えば、皇族が民衆の前で手を振るテラスも見ることが出来る場所であった。この吉日に、ホテルの総支配人、マーディン・ロッドはダルウィン公爵にこの場を無償提供していた。
きっと、このホテルの所有者は、こうしていただろうとマーディンが勝手に想像した結果でもあった。ダルウィン公爵もマーディンの申し出に素直に応じ、この場で愛娘の姿を見守っていた。
「ええ、そうね」
テラスの手すりから身を乗り出す息子をやんわりと手すりから引き離したのは、母のポモーナ・ダルウィン公爵夫人である。
「母上。まだ、馬車が・・・・・・」
「駄目よ。もう充分見たでしょう。お姉様とは夕刻の晩餐会でも会えるでしょう」
不服そうに頬を膨らませるウィルに困り果てるポモーナに、少し離れた場所に設えられた椅子にゆったり座ったキンバートは苦笑した。聞き分けの良すぎたエレノアと違ってウィルはやんちゃが過ぎるところがあり、ポモーナは子育てに手こずっているようだった。もちろん、それはキンバートも同じなのだが。やはり、男親と女親では若干感じ方が違うのだろう。何より、子育ての大半はポモーナに任せきりだ。仕事で忙殺されているキンバートは、今のところウィルを厳しく叱咤したこともない。帰っても、可愛がるだけの楽なポジションにいることは理解している。
「ウィル。母上を困らせるな。ほら、美味しそうな菓子があるぞ。甘いミルクも用意してもらったぞ」
それを聞いた瞬間、「はーい」と望遠鏡を放り投げ、キンバートの元に駆け寄ってくる。ウィルの乳母が決して安くはない望遠鏡をキャッチし、嘆息していた。
「ポモーナ。お前も、晩餐会まで時間がある。自室に戻って休みなさい」
少し考えた後、ポモーナは頷いた。
「お言葉に甘えさせてもらいます。ウィルもお昼寝の時間ですが、興奮して眠りそうにないですわね」
「寝てしまったら、わたしが運ぶ。まだ、それくらいの体力はあるはずだ」
ポモーナの頬にキスをして、キンバートは妻を見送る。
ウィルは乳母の介助を受けて、椅子にちょこんと座る。ミルクで満たされたグラスに飛びつき、紅葉のような小さな手でそのグラスを持つ。キンバートは、ミルクを飲むウィルを見やる。
「父上。姉上は、リートリッヒ一世陛下の奥様になるのでしょう?」
ひとごこちついたウィルが言った。
「ああ、そうだ」
ウィルの好みそうなケーキを皿にとりわけてやりながら、キンバートは頷いた。
「ノルン(乳母の名)が、姉上はラティエース様を救うために結婚するんだと言っていました」
(余計なことを)
キンバートは一瞬だけ顔をしかめる。ノルンと呼ばれた乳母も、顔を下に俯かせている。本人も自覚があるようだ。
「ラティエース様とはどなたですか?」
ケーキをフォークで切り分けながらウィルは言った。
キンバートは、ソーサごと茶器を持ち、背もたれに体を預けた。
「その前に、姉上は陛下をお支えするために皇妃になる。陛下もエレノアと共に国を繁栄させたいと思い、エレノアを皇妃に望んだのだ。決してノルンが言ったことが全てではない」
ノルンが身体を強ばらせる。
「・・・・・・。好き同士が結婚するのではないのですか?」
「貴族の婚姻では、そういうケースは稀だ」
「そうですか」
「だが、婚姻した後に絆を強める夫婦は多い。わたしとポモーナもそのケースだ」
コクン、とウィルは小さく頷く。キンバートは、ウィルの口元のチョコレートを拭ってやった。ウィルはくすぐったそうに身をよじり、でも嬉しそうになされるままにしている。キンバートの胸に愛おしさがいっそう広がる。
「さて、お前の質問に答えよう。ラティエースとは、ラティエース・ミルドゥナ大公孫女殿下。元ミルドゥナ侯爵令嬢。ブルーノ・ミルドゥナ侯爵とは何度か会っているだろう?」
「はい。この間、ロザ戦記を全巻下さいました」
「そうだ。あの方の姉上に当たる方で、エレノアとは学園の同級生だった」
「だった?亡くなられたのですか?」
「いや。今はロザにはいないようだ」
「他国にお嫁に行ったのですか?アマリア様のように」
違う、とキンバートは首を振り、「厄介な事件に巻き込まれて姿を現せないようだ」
「ふーん・・・・・・」
分かっているのか、いないのか。ウィルは小さな手でグラスを両手に持ち、チビチビとミルクを飲む。
「とにかくラティエース嬢は姉さまの一番の親友だ」
「僕も会えますか?」
「ああ、きっと会えるだろうとも」
言って、キンバートは息子の頭を撫でた。
「ラティエース嬢は、お前のお姉様の一番の味方で、お姉様もラティエース嬢の一番の理解者だった」
結納式を滞りなく終了させたブルーノに休む暇はない。この後は、晩餐会と舞踏会とスケジュールが目白押しだ。その全ての責任者であるブルーノだが、某国の訪問者によってスケージュールの変更を余儀なくされた。部下にある程度の指示を与えて、自室に向かう。
ブルーノ・ミルドゥナは、皇城の一室で、ラドナの大使と対面していた。正直、パレード後も分刻みのスケジュールが組まれている。できれば晩餐会の準備を監督したいのだが、ラドナの大使がブルーノを指名した以上、無碍には出来ない。
皇城に与えられたブルーノの執務室で会談は行われていた。決して広くはない部屋だが、ミルドゥナ大公領から取り寄せた一級の家具で設えた一室だ。テーブル一つをとっても精緻な彫刻が施された一品で、全体的に落ち着いた色で調和された空間だ。地味と評することもできるが、趣味の良さや価値を考慮すると皇帝の私室の品々と劣らない。
ラドナの大使は、革張りのソファーに腰を落ち着かせ、対面のブルーノを見据え、ゆっくりと口を開いた。
「ラドナ王国女王、ミルカ・ラドナ・アルケイン王女殿下を、貴国の皇太子アレックス皇太子殿下の皇太子妃として考えてはいただけないでしょうか?」
(なるほど。俺がミルカ王女殿下にプロポーズしたということを知ってわざわざ俺に打診するか。そして、アレックスが俺の姉と婚約にあったことも分かった上で。さすがラドナ女王陛下だ)
「なるほど。確かに、良い縁組みかと思います」
前のめりで両膝に両腕を乗せ、手を組み合わせる姿勢でブルーノはあっさり応じた。
いけしゃあしゃあとブルーノは言ってのけた。ブルーノも本気で求婚したわけではない。もちろん、相手が是と言えば、その方向で動くつもりだったが、ミルカは顔を真っ赤にして返答はもらえなかった。あの時だけは、ミルカは素の彼女を見せてくれた気がする。
だが、ブルーノはそれだけでほだされる人間ではない。
大使にゆさぶりを仕掛ける。
「わたしと婚姻するよりも、アレックス皇太子と婚姻する方がそちらにはメリットが大きいでしょう。あまりミルドゥナ大公との縁を強調してロザ帝国に目を付けられるより、ロザ帝国の皇太子と結ばれてラドナの安寧をはかる方がいい」
「えっ、ええ。無論、ミルドゥナ大公を蔑ろにしているつもりはございません」
「祖父は狭量な人間ではありませんよ」
ブルーノはにこやかに応じる。
「仮に、ミルカ王女殿下とアレックス皇太子殿下との婚姻が成れば、ミルドゥナ大公に関しても、存分に配慮させていただく所存です。なにせ、ラティエース・ミルドゥナ大公孫女殿下とレイナード王子殿下は懇意にしておりましたので」
「懇意ね・・・・・・」
ブルーノは皮肉を込めて呟いた。
「無論、二人に何かあったとは考えておりません」
大使は早口でまくしたてるように言いつくろった。
「当然ですね。色々と奔放な姉ですが、貞操に関しては決して奔放ではありませんでした」
ええ、ええ、と大使は汗を拭いながら同意した。
「ところで、そのレイナード王子ですが。クレンソン公国の第3公女、ハーネリア様との縁組が破談となったようですね」
ブルーノの言葉に大使はキュッと口を引き結んだ。
(二流だな)
ブルーノは大使をそう判じた。
「ミルカ王女殿下のこともそうですが、レイナード王子の伴侶も悩みの種ではございませんか?」
「えっと、まあ。選択肢が多すぎて、という贅沢な悩みではありますが・・・・・・」
「ロザ帝国にも未婚の貴族女性が数多くおります。無論、王妃として充分にやっていける令嬢ばかりです」
そう言って、ブルーノは書類束を大使の前に差し出した。
「ご検討下さい」
ブルーノは言外に告げているのだ。ミルカとアレックスのつなぎを求めるのであれば、レイナードも、こちら側の令嬢を受け入れろ、と。
祖父に頼んで、急遽こしらえたリストだ。使わないと思っていたが、用意しておいてよかった、とブルーノは静かに安堵する。
姉も祖父もそうだ。万が一に対する備えがいつも万全であった。それでも、手元からこぼれ落ちるものがないとはいえなかった。ここまでしても、何かしらの喪失を味わっていた。
(これ以上、何も喪いたくない・・・・・・)
――――――ジェム伯爵本邸(帝都内)
テニファン・ジェム伯爵は席次表を眺めながら、空いた左手で腹をかいた。
革張りの椅子にどっしりと腰掛けたジェム伯爵は席次表を放り投げる。
かつては美少年と評され、その美貌を存分に使って諜報活動に勤しんでいたとは思えない風貌に変化してしまった。
「あからさまだなぁ」
「そういう割に楽しそうじゃないか」
その席次表を、ネーナが拾い上げた。
ジェム伯爵の独り言に、ネーナが吐き捨てる。その悪趣味な微笑に、ネーナは本気で嫌悪を抱いているようだった。ネーナはかつて先々代の皇帝の寵姫であった。つまり、ジェムが美少年であった頃を知る数少ない知古というわけだ。彼を先々代の皇帝に差し出したのは、ネーナであった。出会った当初、ネーナは寵姫と呼ばれるには遠く及ばず、その好機を狙うただの小娘だった。テニファンもまた、諜報員としての活動をスタートさせたばかりで実績を積むチャンスを狙っていた。お互いの利害が一致し、二人は手を組んだ。ネーナはテニファン少年の情報を使ってライバルたちを蹴落とし、寵姫の座を手に入れた。
ネーナもまた閨での会話や皇妃や周囲から得た情報を適宜、テニファン少年に伝えていた。そのネタを上司に提供することで、テニファンは異例の昇進を続けることになったのだ。二人は戦友といってよい間柄であった。
「だって、そうじゃないか。この席次。マクシミリアン派を隅に追いやり、他国の貴賓と接触させない完璧な布陣だ。こりゃ、ファネー伯爵は血圧が上がって卒倒するかもしれないね」
「そりゃ警戒するさ。マクシミリアンが健在としれば、そちらに転がる有力者が出るとも限らない。エレノアがいくら人気でも、エレノアの利権に預かれない者たちは、引きずり落とそうとしているだろうしね」
琥珀色の蒸留酒を満たした杯をジェム伯爵に手渡しながら、ネーナは言った。
「皇帝の人気はないにも等しかった。まあ、不人気でもないけど」
「ずっと隠れ続けた皇族さ。皇位継承のゴタゴタでポッと出てエレノアやアレックス、ブルーノと言った若手を上手く取り込んでのし上がった手腕は見事だけどね」
「プロパガンダがお上手なこって」
「あんたらが下手くそなだけさ。マクシミリアンももう少しマシな支持者がいれば、侯爵相当にはなれただろうに」
「バーネット伯爵夫人が最大の問題点だからねぇ。でもまぁ。ネーナのお陰で晩餐会は乗り切れそうかな?」
「・・・・・・。やれることはやったよ。あんたの頼みじゃなきゃ、あんなポンコツ娘、誰が面倒みるかね」
「感謝してるってば」
ジャム伯爵は微笑んだ。その笑い皺だけは、かつてのテニファン少年と変わらない。あの時、あの瞬間、少年の手を掴み、寵姫の座を捨てて皇城を出奔すれば、自分たちはどういう関係になっていただろうか。ネーナは少しだけ昔を懐かしむ。
「どうかした?」
「いや・・・・・・。何でもないよ」
ネーナは言って、グラスに口を付けた。




