11.彼女の選択
――――――帝国歴413年葵の月25日。
学園の処分が決定した日、エレノアたちはメーン伯爵邸へ訪問の先触れを送った。返信はロザーヌからで「よろしければ、明日、お茶でもしながらお話ししませんか?」と記されていた。こうして、面会は明日に延期された。
当日、エレノアの邸宅に集合し、馬車でメーン伯爵邸に赴いた。いつもなら、車内は騒がしいくらいの会話の応酬が続くのだが、今日ばかりは3人とも口数が少なかった。特に、ラティエースは会話を放棄し、車窓からの景色から視線を外そうとしない。
「ラティ。その顔は馬車の中だけにしなさいよ」
憮然とした表情で、ラティエースは車窓を見やる。アマリアには、快晴に向かって喧嘩を売ろうとしているように見えた。
ラティエースのやりきれない気持ちは分かる。エレノアも同じ気持ちだ。
バーネットがらみの退学者は、中等部のときに十三人、高等部で四人。今年はなんとか退学者を出さないように細心の注意を払っていた矢先の出来事だ。今回の件も、停学が妥当と思っていたから、ラティエースのショックは尚更であった。シナリオ補正の影響か。バーネットや攻略対象者が、どんなに横暴でも退学にはならない。それは、断罪対象者のエレノアたちもそうなのだが。
「まずは、ロザーヌ様の話を聞きましょう。通達には31日付とあったわ。つまり、それまでに不服申し立てができるってことでしょう?」
「……分かってる」
「なんだか、今週はバタバタ大変だったよね。聴取後すぐに学期テストもあったし。わたし、「ロザ帝史」のテスト、赤点かもしんない」
えへへっ、とアマリアは苦笑いを浮かべる。
「わたしも、高等数術の試験で、凡ミスが多かったわ。赤点にはならないけど」
「ラティは?」
「普通」
会話のキャッチボールは、ラティエースで終了だ。こんな不機嫌丸出しの姿は、エレノアたちにしか見せないし、不機嫌だからと八つ当たりとかはしないから、放っておくのが最善策なのだ。ただ、ちょっとは構ってという分かりづらい信号を出すものだから、丸無視するとそれはそれで後が面倒なのだ。
(面倒くさっ!!)
と、エレノアとアマリアは同じ思いだったが、口にしないあたり大人である。誰かが不機嫌になれば、残り二人が機嫌を取るというのが、三人のルールみたいなものだ。幸い、同時に二人または三人が不機嫌になったことはない。そんなときは一気に喧嘩に昇華される。最後の大げんかは12歳の時で、結局、エレノアがラティエースに「腕挫十字固」を決めることで終わった。
(そういえば、喧嘩の理由って何だったっけ?)
あの時、三人が三人とも大泣きし、馬鹿とか阿呆とか、低レベルの罵り合いをしたことまでは鮮明に覚えているが、肝心の喧嘩の内容については思い出せない。思い出せないほど、くだらない理由だったということか。
「アマリアのお土産は、ルーデンス製菓のお菓子?」
腰の近くに置いた紙袋に流体文字で「ludens」と記されている。アマリアの父が経営する店の一つで、若い女性に特に人気が高い。毎月変わる菓子の詰め合わせは、菓子の内容もさることながら、有名デザイナーがデザインした缶箱が人気なのだ。
「そう。本当は並ばないといけないけど、お父さんにお願いしたの」
「わたしもルーデンスで用意しようと思ったけど、かぶらなくてよかったわ。ちょうど工房から素敵なグラスセットが届いたから、それにしたわ」
「へー。ロザーヌ様、きっと喜ぶよ」
「で、ラティ。あなたは?」
「色々」
この時点で、「ラティエース甘やかし期間」は、終了した。
メーン伯爵の邸宅は、貴族街と呼ばれるエリアの中にあった。もちろん、エレノア達の自宅もエリアの中にある。貴族街はさらに細かい区画に分かれ、エレノアとラティエースが住まう場所は、超高級住宅街と呼ばれる区画で、エリアに住まう家の家紋を下げていない者が区画に入るだけで、警吏が飛んでくるくらいであった。メーン伯爵邸は、その区画よりも少し西に位置する場所にあった。このエリアは貴族だけでなく、大商人や外交官たちの家も多い。
「ようこそ。お待ちしておりました」
そう言って出迎えたのは、モスグリーンの落ち着いた色のワンピースを身にまとったロザーヌであった。地味な格好だが、別に変なところはない。だが、3人の眼は真ん丸に見開かれていた。
「そっ、それ……」
ラティエースが人差し指を、ロザーヌに向ける。心なしか震えているように見える。
くすっ、とロザーヌはいたずらっぽく微笑んで、耳にかけた赤茶色の髪を軽く摘まんだ。
「似合っていませんか?」
ロザーヌと会うのは、カフェテリアの一件以来だ。その時は、赤茶色の髪をおさげにしていた。確か、あの時は三つ編みにしていたのだ。お茶を拭く際に髪をほどくと、腰の中ほどまでの長さだった。それが、今や耳下あたりまで切られている。
「えっ、どうして……」
「まあ、その話もしましょう。さあ、まずはお入りになって」
そう促されて、3人はロザーヌの後に続く。庭に続く廊下に面した窓からは、庭が一望できた。白、ピンクの蔓バラのアーチや、花壇にはビオラやマリーゴールドが咲いている。豪奢とはいわないが、行き届いた庭だった。
「良い庭ですね」
「公爵邸に比べるとお恥ずかしい限りですが」
「いいえ。大事に育てられていると感じられる良い庭ですわ」
「ありがとうございます」
過ぎた謙遜は嫌味なだけなので、ロザーヌは誉め言葉を素直に受け取った。
「あの、いつもはこのあたりにテーブルセットを用意しているのですが。今日はよろしかったら、そこの木陰で、敷物を敷いてお話をしませんか?」
ロザーヌが指さした先には、大木が植わっており、確かに木陰を作っていた。
「賛成でーす」
アマリアが元気よく手を上げ、了承する。もちろん、エレノアもラティエースも異を唱えなかった。敷物の下は芝生だったので、ふかふかの絨毯に座っている気になる。敷物の上に、ティーセット、アマリアが持ち込んだ菓子が所狭しと並ぶ。ピクニックをしているような気分で、4人の間に不思議と微笑がこぼれる。
「これって、ルーデンスの限定のお菓子」
やや興奮気味にロザーヌが言う。
「そうですよー。二つ持ってきましたから、こっちの開けていない方は、ロザーヌ様に進呈しまーす」
「いっ、いいんですか?わたし、何度か並んだのですが買えなくって。一昨年のボックスが最後なんです」
「そうなんですねー。一昨年は幻獣シリーズって言って、妖精とかペガサスとかを、画家さんにお願いしたんですよねー」
「そうです、そうです。一番欲しかったオベロンとタイターニアの絵を買えたのでよかったんですが……。こちらの絵も素敵ですね」
「ありがとうございまーす。缶もいいけど、お菓子もおいしいから食べてくださいねー」
「いただいてます」
言って、ラティエースがクッキーを口に含む。いただきますではなく、いただいていますという現状の申告。いや、それよりも家の主人より先に口にするとは。
「ちょっと、ラティ」
「おいしいよ。アーモンドが効いてる」
口をモグモグさせながら、ラティエースは感想を述べた。ぺしん、とエレノアがラティエースの頭を軽くはたく。
「さっ。わたしたちも食べましょう」
エレノアの号令と共に、しばらくはお茶や菓子の感想、日常のたわいない話題で過ごした。3人は、ロザーヌが口火を切るのを待つつもりでいた。二杯目のお茶を淹れたところで、ロザーヌは口を開いた。
「退学は、わたしの意思ですの」
そう言い切った。
「えっ、でも。おかしいよ、せめてフリッツ・ローエン伯爵令息も同じにしないと……」
異議を唱えたアマリアに、ロザーヌが首を左右に振る。
「両親とも話し合い、自主退学をすることにしました。学園長からは、期限内に退学届けを出せば、自主退学と見なす、と提言していただきました。そうすれば、退学処分でという懲罰ではなくなるから、どこにでも転校できるし、学園長は必要があれば推薦状を用意する、とおっしゃってくださいました」
「それでよろしいの?」
「はい。学園に戻っても、居心地がよくなることはありません。皇子たちにしてみれば、騒ぎの元凶がうろちょろしているのも目障りでしょうし。それでまた問題が起きないとも限りません。それならば、学園長の言う自主退学の方が、わたしにはメリットが大きいですわ」
「で、その髪型は決意表明?」
ラティエースの言に、ロザーヌは苦笑し、「違いますわ」と否定した。
「実は、家に帰った後、シロップがぬぐい切れず、ベタベタとした感触がずっと残ってしまって。髪も絡まり、解してはいたのですが。それなら、と髪を切ったのですわ」
「思い切ったねー」
「でも似合う」
「わたしも、こんなに短くしたのは幼年学校以来ですわ」
言って、ロザーヌは耳にかけた赤毛を摘まむ。
「それと、フリッツ・ローエン伯爵令息とは、婚約破棄ということで決着がつきました。あとは書類関係を交わすだけです。フリッツ様は納得されておらず、こちらの有責で、と主張していたそうですが」
「頭おかしいんじゃないの?」
ラティエースが痛烈に断じる。
「親同士の話で、双方、賠償は求めない、となったそうですし、わたしもそれで納得しております」
だが、痛手を負ったのはローエン伯爵側だろう。穀倉地帯を有するメーン伯爵領から融通される小麦は、ローエンが軍を維持する上で重要な食糧だからだ。格安で仕入れていたものが、取引停止または通常価格での販売になるだろうから、経費が跳ね上がるはずだ。
「じゃあ、しばらくは領地に引っ込むの?」
「そうなりますわね。婚約破棄の書類にサインしてから、発とうと思います」
そっか、とラティエースは言って、包みから一つの反物を取り出した。
「これは、絹ですか?」
柔らかな光沢と上質な肌触り。誰が見ても上等な生地と判ずるだろう。
「はい。ロザーヌ様は、薙尊国という国をご存じですか?」
「名前だけは。東の小さな島国と聞き及んでいますが」
「そうです。これは、その薙尊国で織られた反物です。この国のものより少し分厚くて、光沢も抑えられているのが特徴ですね」
親指と人差し指で挟んで、こすってみると確かに厚みがある。厚みのわりに肌触りが良い。
「確かに、そうですね」
「これは、金糸で刺繍するとそれは映えると評判なんです。この国の花嫁は、必ずこの反物で衣装を繕うそうです」
「そう、なんですね……?」
「これをあなたに。きっと、あなたなら素敵な花嫁になれます。あなたの正しさは、この国では通じなかったかもしれない。あなたの過ちだけが強調されてしまったかもしれないけど、それでも、幸せになることを諦めないでください」
あっ、とロザーヌは声を上げ、「ありがとう」と続けることができなかった。視界がにじみ、涙がこぼれてくる。
「ロザーヌ様!だめ、だめ。今は堪えて。生地が濡れちゃう」
「ちなみに未婚の娘の涙を吸った生地を持ってると、一生、結婚できないという言い伝えもあるという」
淡々と言ったラティエースに、「きゃああ!」とアマリアが悲鳴を上げる。
「だめ。ロザーヌ様!エリー、生地を避難させて!早く!!」
「えっ、はい!ちょっと待って!!きゃあああ……」
エレノアが前のめりに倒れ込み、茶器は倒れ、菓子もひっくり返る。
「ラティ、何とかしなさい!」
「何とかって……。熱っ!!」
4人の姦しい声が庭園に響きたる。敷物を浸食する紅茶やジュースにパニックを起こす四人。何事かとメイドやロザーヌの母親まで現れ、彼女たちの手を借りて何とか反物を守りきることができた。
ようやく片付けも終わって落ち着いた頃。どこかしら、衣服が汚れ、顔にクリームや菓子くずをつけた四人は、声を上げて大笑いしたのだった。




