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転生令嬢の生存戦略のすゝめ  作者: 草野宝湖
第三編
104/152

104.エレノアの準備①

 時は、エレノアの結納式の約一カ月前まで遡る。

 人は疲れたとき、白目をむいて寝るんだ。

 そんなことを真面目くさった顔で、ラティエースが言っていたことがあった。確かあれは、高等部の進級試験合宿の時だったか。そう言い訳してまで苦手教科から逃げようとするラティエースを椅子に縛り付けてテキストに向かわせた。その隙にコソコソとアマリアも逃げ出そうとしたが、こちらは侍女サリーに捕縛してもらった。いい加減堪忍袋の緒が切れたエレノアが、ついに声を荒げる。「あんたち、進級したいの?したくないの?」の怒声で、二人は瞬時に着席するのもお約束であった。

(ホント、白目むきそうなぐらい疲れた・・・・・・)

 誇張なしに怒涛の日々と形容していいくらいの数日間であった。

 アークロッド伯爵令嬢とグリーニッジ伯爵令息の婚約申請書に対し、リートリッヒ一世は承認はしたものの、両家に勅許状は出していなかった。これは、ベン・クーファたちが押しとどめていたからだ。その勅許を待つ間、マクシミリアンとバーネットが帝都に滞在しているとは知らなかった。これもベンたちの仕業で、皇帝とエレノアの婚約を見聞きさせてから領地に帰らせるつもりらしい。「変な気は起こすなよ」という強烈なメッセージを送ってからお帰りいただくそうだ。

 帝都に帰還後、すぐに皇城でリートリッヒ一世と顔合わせ。お互いの要望をすりあわせ、固い握手を交わした後、婚約内定書類にサイン。そのまま、ロフルト教皇国へ提出された。

 その後、報道機関への根回し、皇族に好意的な新聞社には単独インタビューにも応じた。それと並行して貴族への根回しも行い、本日の朝刊で、リートリッヒ一世とエレノア・ダルウィン公爵令嬢の婚約が発表された。

(本当に寝る間もなかったわ)

 エレノア自ら筆を執り、貴族や有力者たちへ手紙を書き、母を伴って茶会にもできる限り顔を出す。婦人たちは、「D-rose」を支店でもいいから出してほしいと切望していた。今はそれどころじゃない、と切って捨ててしまいたかったが、婦人たちの支援は必要不可欠。「お話は理解しました。いったん持ち帰り、多角的に、前向きに検討したいと思います」と言って逃げ切った。

(それにしても・・・・・・)

 体を預けたソファーから身を起こし、エレノアは自身の手をじっと見つめる。

 彼との婚約は、契約そのものだった。商談が成立した時に交わす握手と何ら変わらない。

 固く、分厚い手をした男の手だった。

(リートリッヒ一世、リート様があんな感じの人だったとは・・・・・・。しかも、ラティの顔見知り。あいつ、どうやって顔つなぎしたのよ。あの人脈お化け)

「しかも元保険医・・・・・・」

 エレノアは回想する。リートリッヒ一世との顔合わせは、皇城内の第一ロイヤル・コートで行われた。かつて第三ロイヤル・コートでは数カ月に一度、マクシミリアンとの交流のために訪れていたが、一度として交流を深められることはなかった。

「はじめまして、エレノア公爵令嬢」

 温和な微笑を浮かべた男性が、エレノアを出迎えた。

 庭園の出口で彼は、侍従を引き連れず一人で待っていた。最初は、彼が官吏か何かかと思ったくらいだ。金色の髪と緋色の瞳、そして少しだけマクシミリアンに造形が似ているから彼がリートリッヒ一世だと気づいた。

「これは陛下」

 慌てて臣下の礼を取ろうとするエレノアを、リートリッヒ一世はエレノアの腕にちょんと手を乗せることで止めた。

「そういうのはなしです」

 笑顔で言い切られる。

「さて、君も少し離れたところで見守ってくれると助かる。時間もないことだし、二人で腹を割って話をしたいんだ」

 君とは、エレノアが連れてきたサリーのことである。そして、リートリッヒ一世がいう少し離れたところとは、少し離れた大木の下。その木陰で数人の侍従や官吏が待機していた。待機しているメンバーの中にはブルーノの姿もあった。一見すると、そこは和やかな雰囲気で、軽食まで用意されている。まるでピクニックをしているかのようだ。

 そして、花壇の側には大きなパラソルと丸テーブル、椅子が据えられている。そのテーブル脇のカートには茶器や食器、いくつもの飲み物や食事が並べられているが、給仕をする者はいない。

「食事をしながら話そう。打合せで朝食を食べ損ねてね」

 真っ白な丸い皿に、ひょいひょいとパンやサラダを載せていく。それが済むとカートの下からグラスを取り出し 瑞々しいオレンジ・ジュースを注ぐ。その一連の所作にぎこちなさはなく、普段からやっていることがわかる。

 エレノアも一回り小さな皿に、サンドウィッチとサラダを載せて席に着く。飲み物は果実水を選んだ。

「学園時代から知っているが、やはり随分と大人になりましたね」

「そうですか?陛下は公式行事でさえ欠席が多かったと記憶しておりますが、わたしのことをご存じとは」

「学園時代と言っただろう?わたしは、何度も君とすれ違っているよ?」

 はて、とエレノアは小首をかしげる。

「第二保険医と言えば分かるかな?」

 えっ、とエレノアは瞠目する。保険医は初等部から高等部の生徒を診るので、一人では当然回せない。そこで、メインの第一保険医と、持ち回りの第二、第三保険医がいた。

「ラティエース君なんて、わたしの勤務のときは保健室を喫茶店代わりにしていたよ。勝手に茶器をそろえて、茶葉や豆の缶も並べて。わたしも嫌いじゃなかったらご相伴にあずかっていたけどね。今思えば、あの時間は楽しかったなぁ」

「陛下が、保険医、ですか・・・・・・?」

「うん。ラティエース君の勧めでね。大公に後押ししてもらって、君たちが高等部1年の頃に第二保険医として、週に2回、出勤していたよ。ちなみに、ロザーヌ伯爵令嬢の早退証明書を書いたのも、わたし」

「それはまた何故ですか?」

「ずーっと、離宮に籠っているのも心身ともに悪影響だし、あの頃、わたしはマクシミリアンの派閥に命を狙われていてね。離宮に留まるのは危険と判断したんだ。いくつかのセーブハウスを用意してもらって、変装して保険医になりすましたりして過ごしていたんだ。で、ある日、ゼロエリアで息抜きしているところを、ラティエース君に救われた。それが出会いだねぇ。その後は、ゼロエリアで色々と密談をしていたんだ。マクシミリアンが皇位継承者となった場合、わたしも彼女も難しい立場になる。国外逃亡も含めて色々話し合っていた。そういえば、一度、娼館を襲撃されたこともあったなぁ。まあ、それはいいや。

 ラティエース君は、窮地に陥ったとき君とアマリア君を匿うよう頼んできたよ。万が一の時、ラティエース君の代わりにわたしが君たちと一緒に国を出ることになっていた。わたしはもちろん承諾した」

 何重にも張り巡らされた対抗策。ラティエースは独りでリートと交渉していたのだった。念には念をというが、此処にもひとつ、ラティエースは生き残る策を立てていた。

「わたしは、偽名で作家活動をしていてね。ラティエース君の計らいで出版までこぎつけた経緯があるんだ。文学賞も受賞してね。サイノス・ブロンって名前で活動してた」

「サイノスって、あの?」

「たぶん、君の想像通りと思うよ」

 同性愛者であることを公表し、議論巻き起こした謎の作家。作品ももちろんだが、問題のありすぎる登場人物、社会の矛盾を描いた問題作とされた。しかし世界中で反響を呼んだ。各地で旋風を巻き起こし、禁書とした国も多かったときく。作家の正体探しに躍起になっていた者も多いが、結局、そのまま話題は風化した。

(そうか、だから今も未婚か・・・・・・)

「そう。わたしにありのままで外に出たらいいと言ってくれたのは、ラティエース君だった。まあ、身の危険があったから変装はしてたけどね。とにかく、気持ちを隠すな、と言ってくれたのは、貴族の中では彼女が初めてだな。書き溜めていた散文を面白いと言って作品にするよう勧めてくれたのも彼女だ。隠す必要はない。だが、声高に言う必要もない。必要なとき、必要な人に、必要なことだけを伝えればいい、と言ってくれた。わたしはその言葉に随分と救われてね。・・・・・・皇族でありながら、子をなすという義務を果たせない自身を恥じていたが、彼女には随分と救われた」

 リートは苦笑を浮かべる。

「文学賞の受賞コメントに自身のことを言ってもいいか、と聞いたら、逆に言わなくてどうするとも言われた。まさかあそこまで大事になるとは思わなかったが、ファンレターに「救われた」、「恥じる必要はないんだと生まれて初めて思えた」、「生きていていいよと言われた気がした」と書かれていて、とても嬉しかったよ。離宮に保管しておくわけにはいかないから、出版社の部屋でね、何度もそれを読みに通ったものさ」

「それを踏まえて、わたしに婚約者として隣に立て、と」

「そうとってくれてもいい。ある方向から見れば、君の言う通りだから。だが、わたしの目的はそうじゃない。確かに皇妃という立場は君を苦しめるだろうが、せいぜい3年だ。その後は好きにしたら良い。もちろん、皇妃としての務めさえ忘れなければ、恋人と逢瀬を交わせばいいさ。皇妃の務めに子作りは含まれていはいない。一応、閨を共にするけど、君には決して触れたりしないよ。そして、アレックスの即位が終われば、離縁だろうと何だろうと受け入れる。君のような素敵な女性であれば多少適齢期を過ぎても信奉者は吐いて捨てるほど湧いて出ると思うよ?」

「元公爵令嬢の元皇妃ですものね」

 吐き捨てるように、皮肉を込めて言った。

「君なら今ある難問に対して公爵令嬢としてでも、解決に導くことはできるだろうが。皇妃としてなら時短にもなるんじゃないかな?」

「陛下とアークロッド伯爵の派閥問題もありますわね」

「どうか、リートと。・・・・・・そうだね、とても厄介だ。幸い、わたしにはアレックスやブルーノといった若手も味方になってくれているが、有能な女性は意外と少なくってね。君が味方になってくれれば、本当に助かる」

「ロザのために」

 リートリッヒ一世は、テーブルに置かれたエレノアの手に、自身の手を重ねる。

「君の自由のために、そして君の親友たちのために」

 そう言われて、手を払いのけることは困難だ。それに、エレノアにとっても悪い話ではない。ラティエースを救助する上でも権力を持っていたい。そのために、また宮中の混乱に巻き込まれるようになっても。

 ところで、とリートリッヒ一世はその一言で話題をぶった切った。

「ラティエース嬢の話は何か入ってきているかい?」

「いいえ。生きているには違いないのですが・・・・・・」

「そう。わたしのところにもそれ以上の情報は上がってこないんだ」

「先帝の襲撃犯をとりあえず仕立てるよう指示したのは、陛下でいらっしゃいますか?」

「ああ。随分とできすぎた話だし、ラティエース嬢を犯人にしたい連中の動きを知りたくてね」

「動きはありまして?」

「ああ。マクシミリアン支持の一派が魔法国との繋がりがあることは確認できた。陛下襲撃現場にはほんのわずかだが魔素の痕跡もあったという。ウチは元々、魔素なんて発生しない土地柄なのに妙だろう?ラティエース嬢に連座して君と、そしてわたしもまとめて始末したかったのかもしれないね。だが、そう思い通りにはいかなかった。ラティエース嬢はしっかり相手に対し、痛手を負わせた。現場にはね、襲撃犯の痕跡はなかったけど、襲撃犯の一人が陛下のクローゼットに押し込められていたのさ。ほぼ死にかけだったけどね」

「新情報ですわね」

「知ってるのはごく一部だからね。その頃、護衛兵も重傷だったし、すべてが混乱していた。ブルーノ君が一番冷静だったかもね。襲撃犯と護衛兵の保護を最優先に動いた。おかげで、敵さんは大事な証拠を残してしまった。何度も彼らを始末しようと刺客が送り込まれたけど、全部返り討ちにしてやったさ」

「それでラティが犯人じゃないと」

「そう。ただ公式発表しても、それまでの噂の方が真実味があってなかなか浸透しなくってね。続報を出し続けて、イメージを払しょくするしかない」

「他国でもあの子は色々やらかしているようですが」

「だとしても、此処だけは彼女の帰る場所として確保しておかないと。そのための掃除が必要だ」

「そう、ですね・・・・・・」

 曖昧に答えつつも、エレノアの心はすでに決まっていた。ラティエースの帰る場所を作る、と。

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