89話
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明るい表情で自身が吸血鬼であると告げた千晶に、珠姫はあっけに取られてしまった。そして、気がつけば屋敷内の結界を越え、入ったことのないスペースまで来ていた。
「ちょっと、なんで結界が……」
「壊しちゃったからだよ? 戦うのはまだちょっと難しいけど、今の私には色々なことができるのだ! えっへん!」
「な、なるほど」
得意げに胸を逸らす様子は見た目相応に幼い。透の話では15歳だったはずだが、千晶の外見は小学校高学年くらいに見えた。
彼女は楽しげに珠姫の手を取ると、にっこりと笑いかける。
「それよりも、珠姫お姉ちゃんの魔眼、早く覚醒させよ? 時間ないし!」
「待って待って! そもそも私の魔眼ってどんな能力なのかもわからないのよ? それをいきなり覚醒だなんて」
「わかるよ? 珠姫お姉ちゃんの魔眼」
「へ?」
「珠姫お姉ちゃんの魔眼は、“幻惑眼”っていう魔眼。幻を見せたり相手の動きを封じたりするのが得意な魔眼だね」
「えっ、ちょっと待って。どうして千晶ちゃんにはそんなことがわかるの? 私は自分のものじゃない妖力を制御するのに精一杯で魔眼の理解を試みたことすらないのに……」
「あー、それはねー……」
千晶はそう言いながら、珠姫の正面でウィンクをしてみせた。
「“真理眼”の力だよ! 視たものの本質を理解して、果てには未来をも垣間見る力。それで、珠姫お姉ちゃんのことを視たら、わかっちゃったの」
「そんな力、本当にあり得るの?」
「うん、だって、マリアお姉ちゃんはもっとすごいもん! 本気になったら、過去、現在、未来……この世界で起こることの全てが見えちゃうんだよ!」
「そんなことが……」
「でもね、珠姫お姉ちゃん。今の現実以外の全ては、起こるかもしれない可能性と起きたかもしれない仮定の連続なの。視えたからといって、思い通りにできるかは別問題。だから、今の私たちの現実を守るために、お姉ちゃんの力を貸して!」
千晶の表情は真剣そのものだった。幼な子に宿る好奇心の輝きは鳴りを潜め、ただ真っ直ぐな視線が珠姫を射抜く。それは、嘘を言っていないと理解するには十分なものだった。
少し息を吸い、珠姫は千晶を見つめ返す。
「わかった。協力するわ。今何が起きてるのかもちゃんとわかってないけど、私が何か手伝えるなら」
「ありがとう!」
返事を聞いた千晶は珠姫の手を取り、ブンブンと上下に振った。珠姫はもう理解した。日下部千晶という女の子は、この理性と好奇心が雑多に同居している状態が普通なのだと。
動揺しないで彼女の言動を見れば、可愛らしいものだった。それでいて、思考力は大人顔負けである。慣れれば接しやすいのだろう。
「それで? 私は何をしたらいいの?」
「じゃあ、一口吸血させて!」
「は?」
前言撤回だ。珠姫は千晶のことをほとんど理解できていなかったらしい。
「吸血!? 吸血って、血を吸うってこと!?」
「うん、そうだよ」
「いや、いやいや、それはなんというか覚悟がいるというか、そもそも、吸血鬼に吸血されたら吸血鬼になっちゃうんじゃないの!?」
「大丈夫大丈夫! 食事とかするたびに、他者の在り方を変える高等魔術を使ってたら、世界中の魔力を吸い上げられてもキャパシティが足りないよ。ちょっと眠くなるくらいで済むはずだよ!」
千晶の口ぶりは嘘をついているようには見えないが、世に溢れる吸血鬼伝説を考えると流石に怖い。加えて珠姫は、痛そうだなと子どものような想像をして、体を少し引いてしまった。
千晶はそれを見て、ニヤリと笑った。また、幼い好奇心を目に宿して。
「珠姫お姉ちゃん、怖いの? 痛くないよ? ちょっと気持ちいいくらいだよ? 私に任せて」
「ちょっ、千晶ちゃん? 必要なのは本当なんだろうけど、なんか、別の方法とか……」
「マリアお姉ちゃんならできるんだけど、私は未熟だから、対象者の血が必要で……」
言いながら、千晶は珠姫に迫るようにして距離を詰める。吐息が強く感じられるくらいの距離になって、珠姫は座ったまま後退りする。しかし、千晶はそれを楽しそうに追う。
ゆっくりと、楽しげな笑みを浮かべながら。
「千晶ちゃん、その、あの……近い」
「吸血するんだから当たり前だよ? あ、もしかして珠姫お姉ちゃん、恥ずかしいの? 緊張してる?」
千晶はそう言うと、珠姫の胸元に耳を近づけた。咄嗟のことに、珠姫は回避することも出来なかった。小さな頭と温もりが、胸元に確かな重みとしてのしかかる。
「ドキドキ、してるね?」
声が妙に甘く聞こえたのは、千晶の髪から香りたつ花の匂いのせいだろう。お洒落なシャンプーとも違う、自然で爽やかな甘い匂い。繊細な髪の一本一本が、擦れながら、珠姫の服の上や露出している首周りを流れる。
思わず固まっていた珠姫は、自身が部屋の隅に追いやられていることにも気が付かなかった。背中に当たる硬い感触を壁だと理解した時には、ふわふわの頭が珠姫の首筋まで移動していた。
「怖くないからね?」
「っあ……」
一瞬、珠姫は左の首筋に柔らかな湿り気を感じた。次いで、針を刺すような違和感。しかし、それらはすぐに気にならなくなる。千晶の触れているあたりが妙に温かく感じ、緊張や疲れが吹き飛んで、身体の力が抜けていくような感覚を覚える。まどろみのなかで、ぬるま湯に浸かっている自分を幻視するほどだ。
そして、口から漏れた吐息が、空気に溶けて馴染んだ頃、身体の上にあった柔らかな感触が離れていった。
「はい、おしまい! ね、気持ちよかったでしょ?」
「……そう、だね」
珠姫は透の妹に対して、歳上の威厳も何もない姿を見せたことを恥じらいつつ、そう答えるしかできなかった。せめて、上気しかけた頬を見られないようにと願いながら。
対する千晶はあっけらかんとしたものだった。小声で「美味しかった」と溢したかと思えば、いきなり術式を編み始める。それも、詠唱ではなく、魔法陣と呼ばれる物理的なものだ。どこからか取り出した油性ペンで地面にそれを描いている姿は、ともすれば落書きをしているようにも見える。
「何をしてるの?」
珠姫が問えば、千晶はせっせとそれを描きながら答えた。
「儀式の準備ー。ちょっと大変な術だからさあ……よし、できた! 珠姫お姉ちゃん、ちょっと真ん中来て!」
「えぇっと……」
珠姫は言われるがままに陣の中央に移動した。それを横目に千晶は【界壁】を陣の周囲に張っていた。
「千晶ちゃん、【界壁】使えるの?」
「うん。結界術も妖術も魔術も、簡単なのならできるよー」
「そうなの? その歳で……」
「えへへ、寝たきりだったけど、意識だけはずっと起きてて、勉強できてたからね!」
千晶の言葉は珠姫には理解できなかった。しかし、もはや千晶を理解の範疇から超えた存在だと認識した珠姫は、無邪気な笑顔を見て、優しく相槌を打った。
「じゃあ、魔眼強制覚醒の魔術を使うからね! 珠姫お姉ちゃんに呪いをかけた人が死にそうだから、そっちから逆に力を奪って、珠姫お姉ちゃんに定着させるような術式も組んだの! そのかわり、ちょっと時間かかるかもだけど、大丈夫だからね!」
「わかった」
珠姫はもはや、千晶に全てを任せるつもりだった。
「じゃあ、始めるね。ただ、この術、結構強いやつだから、珠姫お姉ちゃんの意識にちょっと干渉しちゃうの。害があるわけじゃないけど、ちょっと我慢してね!」
「え?」
またも理解できない、しかし不安を煽るような言葉を最後に、千晶は詠唱を始めた。明らかに日本語ではない発音を聞きながら、珠姫の視界はぼやけていった。
次回は来週日曜日18時投稿予定です




