87話
姫たちが集まる屋敷にて、時間は短かったが、珠姫たちは脱出をするべく修行をしていた。姫としての権能である【祈り】と、【界壁】の強化である。
【界壁】の強化について、|染花〈せんか〉は簡単に、術に込める妖力の量を増やすと言っていた。だが、それはそんなに簡単な事ではなかった。
術はそもそも術式を組んだ段階で完成していることがほとんどであるというのは、もはや言うまでもないことだ。術式はいわば回路である。機械を動かすための電気の回路、配線と同じように、明確に何がどこをどれだけの強さで通るのかということが決められているのだ。つまり、単に術式に多くの妖力を込めただけでは、回路が過負荷で焼き切れるのと同じように、術式が暴発してしまうのだ。それを防ぐために、術式の回路を太くしたり、改良したり、あるいはふたつの回路を重ねることで効果を増大させたりという方法があるのである。
そのような講義を受けて、珠姫たちは修練を重ねていた。
「奏ちゃん、できた?」
「【界壁】は前よりも上手くできてる気がする。けど、【祈り】の方はよくわからないな。結局、何がどうなったら成功なんだろうって」
「そうだよねえ。【祈り】は本当に何もわからん! 神様に祈ればいいのかもしれないけど、何についてどう祈ってんのかもわからないしさ。それに、私は【界壁】もちょっと苦戦してるのよ。奏ちゃんはさすがだねえ」
「確かに、珠姫よりは妖力の扱いは上手だけど」
「もう! 日本人なんだから、そこはちょっとくらい謙遜するところじゃないの?」
「日本“人”……ではないけれど、そんな文化、日本全体のものだとか思わないでよね。妖類の世界でも、人類の世界でも、そんなもの共通認識だと思われたら迷惑だわ」
「もう、つれないなあ、奏ちゃん。でも、こうしておしゃべりしてくれるようになって私は嬉しいよ」
「な、別に、話す相手の選択肢が少ないんだからしょうがないでしょ」
少し目線を逸らしながらも、奏の頬は染まっている。それに気づかないほど、珠姫は鈍感ではない。順調に心を開いてくれているのだと嬉しい気持ちになりつつも、これ以上からかうと何を言われるかわからないと悟る。自然と、視線を近くで身体を動かしている揚羽に向けた。
「いやー、にしても揚羽ちゃんはすごいよ。【界壁】だけじゃなくて、戦いの面でも強くなってるんだから」
「あはは。ちゃんと強くなれているかはわからないですけど」
「きっと強くなれてるよ! 【天狗の大風】は使えるようになってんでしょう?」
「はい。まあ、私のは大風というより、ただの強風って感じですけど。それでも、風を出すのは難しいので、できるようになったのは嬉しいです!」
ニカっと笑う揚羽に珠姫は微笑みを返す。そんなふたりの様子を見て、部屋に近づいてきた染花が話しかける。
「みんな頑張ってるみたいね。【天狗の大風】って種族固有の術でしょう? そういうのはね、【祈り】とか妖力のコントロールを鍛えると、使えるようになりやすいのよ」
「妖力のコントロールはわかるけど、【祈り】ってどういうこと?」
染花に質問を投げたのは、奏だった。奏は、【祈り】が脱出に必要だと聞いているのに全く手ごたえがないことに不安を感じていた。そのため、少しでも多くの情報がほしいと思っているのである。
ちなみに、珠姫は全部が上手くできているわけではないが、全部が全くダメというわけでもない。【祈り】も【界壁】の強化もそれなりにできているのだ。比較対象が揚羽であるために、そんなにうまくいっていないと思っているだけである。対する奏は【界壁】の強化は揚羽並みに上手くいっているが、【祈り】は全然といった様子だ。なんとなく珠姫に遅れを取っているのも癪だ。奏が、うんともすんとも言わない修行に焦りを感じるのは、もはや必然の環境だった。
「【祈り】は結局、誰かのために思う力なのよ。人間は大抵神様に祈るけどね。神様がいっぱいいるこの国では、特定の神様に祈るってイメージがないとうまく発動しづらいし、術式もないのに妖力を流さなければいけないって問題もあるの。要するに捉えづらいのよ」
「だからこそ、少しでも輪郭をはっきりとさせるために、特定の祈りの対象をつくらないといけないと」
「そういうことね」
奏はその話を聞いて、珠姫や揚羽に向き直る。
「ねえ、ふたりは何に祈ってるの?」
「私は、お母さん、かなあ。お母さん、めっちゃ偉いし強いみたいだから、ご利益すごそうだし、お父さんよりもお母さんと仲いいし」
「あんた、そんな単純な……って、あんたの場合はそれでもかなり力が出そうね」
珠姫の答えに、奏は納得してしまった。続けて、揚羽が口を開く。
「私は、あんまり特定のひとや神様に祈っているわけではないんですけど、私の力で誰かを護れるようになりたいという心は、【祈り】を使っていなくても、天に願い続けてますよ。漠然となので、この場合は天照大御神様になるんでしょうか」
「天照大御神ね……」
日本の神道を含む土着信仰の中で、最上位におかれることの多い太陽の神である。彼女の名前を出してはいたが、奏は揚羽の答えから、そこが原因で上手く【祈り】が発動しているわけではないだろうと思った。それくらい漠然としていていいのであれば、奏自身も【祈り】が使えるはずだからだ。
奏は考えた。彼女と自分の違いがあるとしたら一体なんだろうか。答えはなんとなく見えてしまう。
他者への思いあるいは、自身の信念の強さだろう。
奏は全く、自分の人生というものに価値を見出すことができていなかった。両親を失ってから、惰性で生きてきたようなものだ。いや、生かされていたといってもいい。妖類も人類も、まともなひとは親を失った子どもを見殺しにすることなんてしない。どうにか生きていけるように、手助けをしようとしてくれる。それ自体はいいことだと思うし、感謝もしていた。でも、奏はそうして生きてきた人生に、価値があると思えなかった。
境遇的に、友達ができにくかった。人類の中で育ってきたが、自分は妖類にも通じる存在。同年代に同じような稀有な人間はおらず、秘密を打ち明けることもできない。何かを隠しながら生きているような感じがして、歩み寄ってくれる人たちに甘えるのも下手になってしまった。
今、ここにいるのも、そうしないといけないだろうと、流されてきた結果である。その結果に対して、気持ちを入れろという方が難しい。
奏がそのように葛藤していると、屋敷が鈴の音を響かせた。鈴があるというわけでもなく、屋敷そのものから音が発されているようだ。何事かと周囲に目をやる珠姫や奏だったが、染花だけはサッと立ち上がり、屋敷の入り口の方へと歩を進めていく。
「染花さん! 何か、来て!」
そう叫んだのは揚羽であった。少し焦っているところから見るに、恐らく強敵と思われるような力の持ち主が、この空間に現れたのだろうと、珠姫たちも察した。
揚羽の声に、染花は一瞬振り返ると、口元に人差し指を当てた。静かにしておけということだろう。彼女が玄関の方へと廊下を曲がったのが見えた直後、話し声が聞こえる。
「姫をふたり追加しておいてくれ。最後の姫は現地で集合だ。時間になったら迎えに来る。仕事はしっかりとこなしておけよ」
低い声。恐らく男性だった。染花がそれにかしこまりましたと返事をしたのが聞こえると、その声の主はまたどこかへ消えたらしい。扉が再びからからと音を立てると、彼の気配は消えた。代わりに、屋敷のなかに彼とは違う気配が増えた。
揚羽は正確にこの気配の増減を感じ取っていた。しかし、先ほどどこかに行った男性よりも、屋敷に残った気配の方に、根源的な恐怖を感じてしまうほどだった。背筋が冷えてしまうような、世界が凍り付くようなプレッシャーを感じ、揚羽は息をのむ。
その様子に気づいた珠姫が声をかける。
「どうしたの? 大丈夫?」
「いや、その、なにか、すごい気配を感じて……」
揚羽がそのように答えたところに、少女の声が響いた。
「お姉ちゃん、イイ勘してるね!」
聞こえていないはずの声を聞いたらしい。姿の見えないところから言葉が返ってくる。廊下に彼女の姿が見えるようになったとき、一同は複雑な感情に襲われる。
すとんとした長い黒髪は、地面につくほどであり、その赤を湛える瞳はどこまでもまっすぐでまるで全てを見透かすようである。彼女の背たけから見るに、小学生のようだが、纏う空気がまるで違う。元気な笑みを浮かべた彼女を愛らしいと思う感情と、視界と認識のズレが生む不可思議さに、珠姫たちの中には困惑が広がる。
しかし、そんな困惑を他所に、彼女はずんずんと珠姫たちに近づいてきた。
「はじめまして! 私は、日下部千晶! あなたたちも、お姫様なんでしょ! よろしくね!」
どこまでも無邪気な彼女の笑顔と、日下部という彼女の苗字に珠姫の思考はかたまった。
「透の、妹?」
「はい!」
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次回は来週日曜日18時投稿予定です




