7話
八日目!
大学が管理している土地というわけではないけれど、目的地の文学館は大学の目と鼻の先に建っていた。公立の、それなりに年季の入った建物のため、見かけはあまりよろしくないが、研究的な価値がある書物や資料が十分に所蔵されていることは、文学部に所属する学生の間では、周知の事実だった。
文学館に入ってすぐの、集会室のような場所が、講義の集合場所だった。長机と丸椅子が無造作に置かれた殺風景な部屋に、先に来ていた学生の何人かが座っていた。珠姫たちは部屋に着くなり、彼らの位置取りを確かめると、自然に、場所が余っている左前方へと足を向けた。まあ、とどのつまり、いつもと同じような位置である。
「私、文学館、苦手なんだよねえ。堅苦しい本とか資料ばっかりおいてある感じがしてさ」
「ちょっと、入った後にそんなこと言ったらまずいでしょ」
長椅子に上半身をだらりと預けながらそう言う詩帆を、珠姫はたしなめる。詩帆は、それを受けて、珠姫の眉間をつつく。
「珠姫は気ぃ使いぃだねえ。怒ってばっかだと、きれいな顔が台無しだぞー」
「まったく」
珠姫は、言葉の届いていなさそうな友人に嘆息して、その隣に腰を下ろした。ちょうど、そのタイミングで、集会室に北見先生と、丸顔で、人のよさそうな紳士が入ってきた。彼は、スーツを着た五十代くらいの男性だった。顎髭をそれなりに蓄えているものの、それらはきちんとそろえられており、オールバックのように後ろに流した髪も、見目の良いように整えられていた。
「誰だろう、あの人」
「さあ。見たことない気がするけど」
詩帆も好美も、見たことがないのだから、この文学館の学芸員でもうちの大学の関係者でもないのかもしれない。他大学や企業関係の知り合いが講義に登場する場合も少なくないから、初見であることには問題はないのだが、珠姫には既視感があった。まるで、彼のことを知っているような。どこかで見たような。ただ、デジャヴという現象は、まま起こり得る。珠姫は、そこから先、深く考えることはやめた。彼のまなざしに、何か違和感があったことも、きっと気のせいだろうと思って。
「さて、今日は急遽、ここで講義をすることになったわけですが、ええ、なぜここで講義をすることになったのかという理由を、先にお話ししておこうと思います」
そんな北見先生の一言から始まった説明によれば、スーツの男性は大路富彦という名で、四国の大学の研究者らしい。専門が、文学と土着の信仰との関係性についてというテーマで、今回は、そのフィールドワークの実践について、文学館の資料を用いながら話をしてくれるという。
「こんにちは。ご紹介にあずかりました大路といいます。私が研究している分野は、文学の研究の中でも文化研究という種類で……」
そのような入りから続く、大路の話はとても興味深く、勉強になるものだったと思う。しかし、珠姫は頭脳でそう捉えてもどこか、彼の話に引っかかりを覚えていた。正確には、彼の口調や話しぶり、発せられる空気のようなものに、どことなく違和感を抱いた。何か、淀んだ空気が流れ出てくるような。
そして、話が終盤に差し掛かったころ、大路はこんな話を始めた。
「四国というところは、伝承として、狸に関するものが有名です。まあ、他の地域にも狸の伝承はたくさん残っているわけですが、なぜ、四国で有名なのか、考えたことはあるでしょうか?」
そう言って、大路が部屋を見渡す。普段の講義と同じく、答える人はいないようで、教室はしんと静まり返っている。ふと、珠姫の前方に座っていた北見先生の身体が、がくんと動いた。その動きは、学生がよくやってしまう居眠りのそれ。しかし、先生の身体は、反射的に後ろにのけぞることもなく、そのまま長机に突っ伏した。
ガシャンという、それなりの音がして、珠姫は思わず身をすくめる。だが、周りの学生に動いた気配はない。ハッとして、周囲に目線をやってみると、詩帆や好美を含んだ、教室内の全員が音もなく、静かに目を閉じていた。
「それは、四国に狸の総大将、隠神刑部が住んでいたからなんですねえ」
珠姫がその声に振り返ると、先ほどと打って変わって、ねっとりとした醜悪な笑みを張り付けたスーツの男が立っていた。椅子から半分立ち上がりながら、震える声で、珠姫は聞く。
「あ、あなた、なんなの? なにか、変な術でも使ったの?」
「いやあ、術! そんなちんけなもんは使いませんよ。人間にできる術なんていうものは、しょせん我らの神通力の真似事」
彼が指を鳴らす。すると、珠姫の身体が吸い寄せられるように椅子に戻り、まるで固定されたかのように動かなくなってしまった。
「なに! これ!」
喚く珠姫に、男は余裕綽々で語りかける。
「おや、一発で昏倒するぐらいの妖力を当てたつもりなんですがね。まだ意識があるとは、いや、さすがは狐のとこの姫様だ」
「あ、あんた、人間じゃないわね?」
何かしゃべっていないと殺される。珠姫には、そんな強迫観念があった。昨日、透が相手をしていた鬼が明らかな異形なのに対して、いま、目の前に立っているのが男だからかもしれない。たとえるなら、人間の変質者に襲われているような、昨日とは異質の恐怖があった。
「もちろん。そんな小物と一緒にしないでくださいな。私の名前は、銀三郎。四国の銀三郎狸ってのは、私のことですよ。狐の姫様」
言うが早いが、どこか馬鹿にしたような慇懃な礼をした男の頭からは、獣の耳が生え、顔や腕には広がるように体毛が満ちた。礼を終えて、上がった顔は、獣特有の鼻面と牙を人間に無理やり合わせたような、不気味なものに変わっていた。
「……っ!!」
絶句。珠姫にできたのはそれだけだった。
もはや珠姫には、興味がないかのように、銀三郎は一人で語り始める。
「いやあ、それにしても、心外ですねえ。あなたのことを見つけてあげたのは私だというのに、無理やり引き出した妖力は、狐の神通力がこもった道具で押さえつけてある。おかげで、見つけるのに少々手間取ってしまったんですよ」
そう言いながら指先を向けたのは、珠姫の耳。人間としてのものではなく、昨日新たに認知した不思議な耳。彼は、今朝、透が指摘したのと同じものを指しているらしい。
「邪魔ですね。とっちゃいましょうか」
「……!」
嫌な予感がして声を上げようとするも、今度こそ、恐怖から声が出なかった。代わりにあふれてくるのは涙。嗚咽が漏れそうになる。
銀三郎は、手のひらを珠姫に向けて、なにごとかをしようとしたその時、窓ガラスが派手な音を立ててはじけた。
黒い影が、部屋の中に飛び込んでくる。
銀三郎は、舌打ちをしながら、珠姫に向けていた手のひらを、乱入者に向けなおし、妖力を込めて打ち出した。
「【界壁】!」
男の声が響くと同時に、物体同士が衝突するような、ドンという鈍い音が響く。その地点を中心に、衝撃のようなものが生まれ、影の近くの長机が壁際まで飛んだ。机が壁に激突する音と、硬質なものが砕けたようなパリンという音が鳴るのはほぼ同時だった。
「おやおや、もたついていたせいか、いらぬ客を呼び込んでしまったみたいですね」
銀三郎の声に、男は全く応じることなく、珠姫に向けて声をかけた。
「大丈夫か!? お姫様!」
珠姫はその声に、透の声に、心底ほっとした。堰を切ったように、涙が止まらない。返事ができない代わりに大きく何度もうなずいた。
銀三郎は、それに対していら立ちをかくさない。
「バカみたいな茶番はやめなさいな。あなたの妖力じゃ、私の邪魔をすることなどできませんよ? ここの簡易的な結界を破るのにも、それなりに苦労したみたいじゃないですか」
「うるせえ。狸。お前の格が高くてもな、俺は護界局の人間なの。こういう時に仕事しなきゃいけないの。わかる?」
透は、肩で息をしながらも、わかりやすく虚勢を張って、銀三郎を挑発した。
わかりやすく余裕のない透に、銀三郎は嗜虐的な笑みを深くする。
「何の仕事ができると? この状況で? 余裕のないあなたに。笑えてきますねえ」
だが、透の態度は変わらなかった。いつもの仕事のように、微妙に低いテンションで銀三郎に言葉をかける。
「それ以上何もするな。おとなしく投降しろ。まだ誰も殺してねえなら、罪は軽い。このまま俺に逮捕されてくれ」
そして、それは銀三郎の激昂を呼んだ。
「狐と人間のつくった仕組みに、誇り高き狸が従うわけねえだろうがァ!!!!」
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