78話
「千晶……なんでここに……」
「起きたからだよ。お義父さん」
そういって笑いかける千晶は、いつも通りの可愛らしい笑顔をふりまいていたが、どこか大人びて見えた。成長が極端に緩やかになり、実年齢15歳とは思えない背丈、幼さをした千晶がそんな大人びた表情や発言をするのは初めてだった。
将嗣は、反射的に彼女の奥を見る。家の中には智美がいて、彼女のことを守っているはずだったからだ。そうして、視線をやった先の智美は、寂しげな笑みを浮かべて微笑んでいるだけだった。ただ、その微笑みから千晶への確かな信頼を感じた将嗣は、改めて千晶の方に視線を戻す。
「何をやろうとしているのかわからないけど、本当に、大丈夫なんだな?」
将嗣は心配そうに聞いたが、千晶はそれに微笑みで答えた。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。私、ちゃんと起きてるから」
起きているという言葉が、将嗣にはどうも引っかかって聞こえた。今まで、千晶が寝ていた原因は身体が、膨大な妖力についていけなかったことによる機能不全だ。だから、起きることができなかった。強制的に睡眠状態にあったのだ。
しかし、新月の日でもない今日、普通に動くことができていて、さらにはいつも以上に大人びた話し方をしている。起きているという言い方も、そういった現状に沿って解釈すれば、また意味が変わってくる。すなわち、もう、千晶は自身の力を十全にコントロールできる可能性があるということだ。
だが、この悪魔はそれを知らない。千晶を前にして、ニヤニヤと笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「よお、お前が、人間の姫か。のこのこと出てきおって、わざわざ捕まりにきたのか?」
「そうよ」
悪魔の問いに、千晶は簡潔に答えた。悪魔が驚いている合間に、千晶は続ける。
「あなたが関係のない様々な人のことを呪おうとしているから、止めようと思って」
「……ほお? それは、ここに転がっている人間たちのことか?」
「そうよ。呪いってそうホイホイとかけるものでもないでしょう?」
「いいや、我は呪いの悪魔だからな。呪いをかけるのは、ただ生きているのとそう変わらない」
千晶のことを値踏みするような目で見て、偉そうにそう話す悪魔に、千晶は言い返す。
「そう。じゃあ、あまり自身の戦闘力や肉体には自信がないのね。呪いだけが取り柄だってことでしょう?」
「何を言っている?」
少し苛立ちを見せながら悪魔が言い返すが、千晶は表情を全く変えずに続ける。
「だってそうでしょう? 周囲の弱い人間に呪いをかけて、強そうなお義父さんを脅して、この結界を解いてもらおうとしてる。それって、この結界を自力で通過する自信がないってことでしょう?」
「何だと、そんなことはない。我は崇高なる悪魔の一柱。そんな細かなことを気にして、人間を恐れるほど、落ちぶれてはおらんわ」
「でも、あなたの行動はそうとしか思えない。その証拠に、私が姿を見せても、この結界から出ていないから、襲ってきていない。それは、この結界から出てくるのを待っているからじゃないの?」
「そんなことはない。下等な人間どもの動揺する様を見て楽しんでいただけだ」
「そう? なら、こちらに来てみなさいよ。私は、逃げも隠れもしないから」
そう言って無表情に立っている千晶からは何か不思議な威圧感が放たれていた。それは、悪魔だけではなく、将嗣をも動揺させる。
千晶はこんな話し方をする少女だったか。もっと幼い子どもではなかったか。15歳なのに、まだ小学生並みに幼い表現をするような子ではなかったか。そんな思いが将嗣の胸中にぐるぐるとめぐる。
それを感じ取ったのか、悪魔が視線を泳がせている隙を見て、千晶は将嗣に視線を送ってくる。その表情は、少し困ったような、寂しげなものだった。それは確かに幸せそうな表情ではなかったかもしれない。しかし、将嗣はなぜだかそれを見て安心した。千晶の中身は、全く変わっていない。自分たちの大事な娘であると。
対して、悪魔は千晶の言葉に、見るからに動揺している。何かを逡巡している様子から、明らかに結界を警戒していることがわかる。将嗣も千晶も完全に悟った。この悪魔はそこまで強い存在ではないことを。
しかし、隊長格である将嗣はともかく、ほかの術師がこの悪魔に太刀打ちできるわけでもない。将嗣がうかつに動けない今、悪魔がどのような行動をするかがこの場の行く末を分けることになるのは明白だった。
「……そちらに行ってもいいが、ここにいる術師たちの呪いを解かなくてもいいのか? 彼らは苦しむことになるぞ。悪魔の呪いだ。そんじょそこらの呪いとは違う」
「きっと大丈夫。呪いを力に変えられることぐらい、みんな知っていることだから、喜ぶんじゃない?」
千晶はなぜそんなことが脅しになるのかと、心底不思議そうな顔をしている。だが、これは一般的には、正当な脅しである。呪いを受けると、能力が低下するのはもちろん、自身のものではない妖力が身体に流れ込んでくるために、術が一時的に使いにくくなる。これは致命的な問題であり、術師としてはあってはならない状況である。ただ、千晶にはその一般常識がない。
千晶自身、術などの存在を知る前から妖力が余分にあるのが当たり前であり、寝ている間の記憶はあるが、不便だったわけでもない。なぜか、食べなくてもいきられたのだから。加えて、兄の透は、呪いの力と祝福の力を活かして通常の術師よりも強い力を手に入れている。身体が自由に動くようになった今、呪いの力を不便なものとも捉えていない。その誤った認識が、千晶に強気の姿勢を取らせた。
これにより、悪魔が動揺する。なぜ、千晶がこのように強気の姿勢を見せているのか。全く理解できず、人間には呪いを転化して自身の力にできる技術があるのかもしれないという妄想にまで発展する。そして、むしろ人間の戦力を強化する結果に繋がるのではないかという危機感が、周囲の人間の呪いを解呪させた。そして、さらに見栄を張った悪魔は、そのまま結界に突っ込み、千晶の手を取った。
その瞬間、大量の落雷が悪魔に直撃し、悪魔の肉体のほとんど魂の三分の一程度を削った。悪魔として高位の存在だというのは、あながち間違いではなかったのだろう。普通ならば消し飛んでいる威力だ。
息を荒げながら、魂の力を使って身体を再生させた悪魔が千晶に向けて言う。
「これで……どうだ……証明してやったぞ。これで、捕まえた。ははは、大したことないな!」
悪魔は高揚したように、高笑いをしていた。千晶はそれを見て冷めた表情をしている。
「そうですね。じゃあ、連れてってどうぞ。私のこと、殺せないんでしょう?」
千晶がそのように言うと、我に返ったように悪魔が黙り込む。そして、フンッと鼻息荒く、結界の外に千晶を連れ出すと、懐から取り出した玉のようなものに力を流し込んだ。
「さらばだ! 残念だったな! 娘をとられて!」
勝ち誇らないと気が済まないらしい。悪魔の振る舞いを見るふりをして、将嗣はまっすぐに千晶の方を見た。千晶も、将嗣の方をまっすぐに見つめ返す。
二人には、それだけで十分だった。
悪魔の姿が掻き消える。それを見届けた将嗣は、残念そうな顔ではなく、少し寂しそうな顔をしていた。家の中から智美が出てきた。
「あなた……」
「千晶は、大きくなってたんだな……」
将嗣がつぶやけば、智美はそれに応じるように「そうね」とつぶやいた。彼らの中に諦観はない。自身の娘が大きくなったという実感をかみしめる夫婦は、東京が戦場になっているとは思えない雰囲気を出していた。
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次回は6月2日18時投稿予定です。




