70話
我に返った透は、自身のいる場所が4階へ続く階段のすぐ近くだということを認識した。球体に振り回されたことは癪だったが、結果として3階フロアの移動自体はできたわけである。
しかし、そんなことよりも、今、目の前で起きた現象の不可解さが引っかかる。その疑問を捨ておくことができず、球体の結界に守られている状態で、透は地面に胡坐をかいた。銃弾が大量に結界に当たっていることを耳で認識しながら、透は目の前に浮かぶ輝く文字列を見た。
「どういうことだ? これは、俺にだけ見えている“解析眼”による術の分析結果のはず。現実世界に影響を及ぼすはずがない。だが、実際に、俺のつくった術の文字列はひとつ減っている……書き換えが行われたってことか?」
術の書き換え。そんなことができていいのだろうか。透の認識が、目の前の現象への説明を求めている。
元来、術というのは、術式を編んだ段階で完成しており、それを途中で変換することはできない。だからこそ、放たれた術に対しては別の術で対抗するしかない。ゆえに、術が放たれた後に、術者を戦闘不能にした所で、術の効果が消えることはない。もちろん、継続的に妖力を込める類の術は別だが、放出系といわれる術の打ち合いを行う場合の術はこの原則が適用される。そのような性質を誰もがわかっているから、相手の術、その効果や出力の規模などを瞬時に理解して対抗策を講じられる者が、術師同士の戦いでは強者として扱われるのである。
しかし、目の前で起きた現象はどうだろうか。継続的に妖力を込める類の術ではあったが、自身の発動した術を、妖力の供給を切らずに書き換えることに成功してしまったわけである。
「これは……とんでもない能力なんじゃないか……?」
自身の右目に宿る魔眼の恐ろしさを感じる。この力だけで、術師同士の戦闘の常識が変わってしまう。いや、変わるのは透の戦い方だけで、ほかの術師には影響がないのだろう。この魔眼は透だけが所有しているのだから。近い戦い方ができるとすれば、天海だろうが、天海は術式の変更まではできない。術式が3次元的に知覚できるなんてことは、通常ありえないことなのだ。
なぜ、今までできなかったことができるようになったのかはわからない。マリアが言うようにこの魔眼の扱いに熟達したからだろうか。これがマリアの権能を分け与えられたことにより、生じた魔眼の能力だとするならば、マリアにもこれができるのだろうか。考えれば考えるほど、わからないことが増えていく気すらする。ただ、今できることを正確に把握し、使えるようになることだけは怠ってはならない。
透はそう判断して、目の前に浮かんでいるオレンジの術式を眺めた。
この術式は、先ほどの状況から見ても成功しているとは言えない。現在は、回転をしていないことから、“回転する”の部分は先ほどの操作によって消去できたと考えていいだろう。だとするならば、この術式は「連動する球体の守護結界」という扱いになっているはずである。連動するというのは、イメージする際には、自身の動きに「連動する」だと考えていたが、本当に連動するのだろうか。透は興味を惹かれて、座っている位置を50センチ程度横にずれてみる。だが、球体の結界がずれることはなく、球体の一部が捻じ曲がるように膨れた。そのせいで、結界の結合が弱くなり、結界全体が不安定になった。
途端、目の前に存在する術式が、赤く点滅して揺らぐ。
「おっと……?」
それが一種の危険信号のように見えた透は、慌てて元の位置に戻った。すると、点滅は止み、色もオレンジに戻った。それを確認して、透は顎に手を当てて考える。
「この赤の点滅が、危険信号ってことか。つまり、オレンジの状態では、とりあえず術は完成しているが、それがイメージ通りのものになっているかどうかはまた別の問題ということだな。“連動する”がイメージ通りに行かない部分であるとすれば、“従属する”とかがちょうどいいのか?」
そうつぶやきながら、“連動する”の部分をよく観察すると、こちらの考えを汲み取ったかのように、青白く輝き、上下に選択肢のようなものが表示された。スクロールできる仕様になっているようだ。
「おお、嫌に現代的な仕様だな……」
透はそう言いつつ、表示されている選択肢を見ながら適切そうな術式用の単語を探す。この術式用の単語一覧も変に親切で、消費する妖力の目安量がなんとなく書かれている。
結界術の等級は陽と陰に分かれて一から七まで設定されているが、これは妖力の消費量を考慮して、大体の目安で決められている。術師は術をつくった時に、これを設定しない。等級が定められるのは、術を完成させたときに護界局へと申請をしたときだ。これはもちろん、日本に限った話であり、ほかの国では管理する組織は違うが、概ね流れは同じである。
この申請の際に妖力の消費量を測定するのだが、その測定が必要なくなるほど、詳細に単語ごとに妖力の消費量が見えるようになっていた。
「おーい! 早く来い! あっちで炎のおっさんが大変な事になってそうだぞ!」
考察に夢中になっていた透を現実に引き戻したのは、上階から聞こえた姫の言葉だった。透は、その言葉に反応し、結界から飛び出るようにして階段を駆けあがった。大量の銃撃を向けられるが、いくつも【界壁】を張ることで潜り抜け、4階へ続く階段も【界壁】によってふさいだ。
4階は姫の生活空間だからか、防衛のロボットはおらず、短い階段の奥に簡素なデザインの扉があるだけだった。透は迷わずそこに飛び込み、叫ぶ。
「どうした!? 何があった!?」
「あそこ! でっかい氷の巨人が出てきて、あのおっさん大変そうなんだよ!」
飛び込んだ姫の部屋と思われる部屋は研究室然として、散らかっていたが、姫が指す窓はよくわかった。足の踏み場がなさそうな床を走り抜けて、その窓に近づき、窓の外を見る。屋内から外に出た瞬間に、眩しさで目を細める。
目が慣れてきたころ、姫の指さす方向に確かに氷の巨人が鎮座していた。まだしっかりと動き出していないようだが、相手のローブの男の動きも素早い。しかも、剣を使っている。恐らく結界術で言う器のようなものを奴も使うのだろう。近接戦闘をしながら戦うとすると、あの氷の巨人の存在は、緋山としてもやりづらいものだろう。
透は、そのように判断し、出しゃばっているような気持ちを覚えつつも、術を放った。
「玄武の鳴動。閉鎖せよ。刺獄に落とせ。鮮血舞う茨の檻。陰ノ五【茨の血檻】」
動きの早い的ばかり相手にしていたために、いつもよりもスムーズに術が発動した気すらする。氷の巨人はしっかりと茨に覆われた。それを確認した緋山が、少しニヤリと笑った気がした。
「よし、とりあえずは援護出来たみたいです。とりあえず、俺たちもここから離れましょう」
「う、うん!」
透は、翻って自分の任務に集中することにした。元来た道を戻って、4階の扉の方から出ようとする。だが、その瞬間に嫌な力がこのマンションの全体を包んだ気配がした。
「ゾ、ゾンビだぁ!?」
直後、扉から出た姫が叫ぶ。透も、目の前にゾンビとしか形容できない化け物が現れたのを確認していた。下から、激しい銃撃戦の音がする。どうやら、全ての階層に大量のゾンビがあふれているようだ。
「これは……簡単には脱出できないかもしれないな……」
映画もびっくりのゾンビパニックに巻き込まれ、どうにか打開する方法を考えざるを得なくなってしまった。まずは、扉の先にいた複数のゾンビを見据えて術を放つことにした。
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次回は5月9日18時投稿予定です。




