49話
本来の力に近づいたという悪魔は、即座に踵を返し、触手の異形の方へ向かった。
「待て! 【界壁】!」
「無駄だ」
移動の阻害に張った壁は、いとも簡単に破壊された。何度か繰り返すも、無駄だった。大量の蛇を纏ったような不気味な腕で、ひとつ薙ぎ払うだけで、【界壁】は壊れてしまうのだ。攻撃力は格段に上がっていると考えた方がいいだろう。ただ、透は発見もしていた。
(高速機動はしてこない? 体の変形も特にない。というか、原型が微妙だが、自在に変形できるというわけではなさそうだ。つまり、奴はエネルギーを純粋に補給し、形を模しただけで、能力までは奪えないということか?)
透が妨害を試みつつも、悪魔は着実に触手の異形に向かっていった。そして、近接すると、先ほどと同じように覆いかぶさるような体勢をとる。
透は、ここに一つの勝機があると思っていた。
「玄武の鳴動。無窮。穿通。散華。枯れ咲け薊。陰ノ五【戦弓:若紫】!」
あの悪魔が捕食行為のようなことを行っている状態ならば、本性であるエネルギーの塊になっているだろうという判断である。触手の異形を戦闘不能に追い込んだ時のように、アザミが咲き続けるかもしれない。
だが、透が飛ばしたアザミの矢は、悪魔の身体をただただ貫通して飛んでいった。もちろん、術の効果通り、ちゃんと攻撃にはなっていたようだ。だが、触手と同じ展開にならなかったということは、すなわち、あの悪魔に物理的な身体があるということである。
「てめぇ、なかなかいい腕してるじゃねえか。たしかにこの技は、コイツには効くなあ。そして、けだもの野郎には効きそうになかった。判断は間違っちゃいねぇし、お前の攻撃はちゃんと強力だが、俺が相手なのが良くなかったな」
透は、動揺を悟られないように、沈黙して頭を働かせる。高飛車な悪魔はそんな透を見据えるようにして、言葉を重ねる。
「俺が収縮したさっきのけだもの野郎のお陰で、俺はちゃんと実体を手に入れた。だから、身体の内側をぐちゃぐちゃにされたが、ちゃんと生きているし、矢は出ていった。まぁ、普通の生物なら死んじまうかもしれねえがな!」
悪魔は高笑いをして、思い出したように透を指差した。
「おっと、テンションが上がって忘れちまうところだった。俺はグマグマって名前がある。人間の言葉で発音すると、だけどな。ほれ、名前知りたがってただろ? 教えてやったぞ? それに、こうして話しているってことは待ってやったってことだ」
「何を言っている?」
透は首をかしげざるを得なかった。グマグマと名乗った悪魔は尚も楽しそうに話す。
「何をって、俺のしたことさ。お前が言った言葉に全部従ってやったぞって示しただけだ」
「それで?」
「それだけだ。俺がお前の言った通りにしても、お前は負けるってことだよ!」
不気味な笑いを含んだ声でそう告げると、グマグマは止めていた足を再び動かした。行き先は、触手の異形が戦闘不能になっている場所である。
「待て!」
「今度は待たねえよ!」
グマグマは楽しそうに言うと、素早く触手の異形に近寄り、先程と同じように覆いかぶさった。
透は、3度目の矢を放つ。
「玄武の鳴動。無窮。穿通。散華。枯れ咲け薊。陰ノ五【戦弓:若紫】!」
同時に、解析眼を発動する。やはり、捕食状態では、エネルギー体に戻っているようである。放った矢が命中すれば、触手の異形と同じように戦闘不能にできる希望があった。
あったが、矢はやはり、奴の身体を貫通した。透は、もはや黒いモヤの塊のようになったグマグマが笑ったような気がした。解析眼ではエネルギーの塊だったと思ったが、今見ると、実体がある状態に戻っているようである。おそらく、間一髪、矢は間に合わなかったようだ。
「残念だったな。お前の術のおかげで、コイツを取り込むのは簡単だったんだよ」
「この……!」
解析眼を通して見ると、グマグマのエネルギー総量がかなり増しているのがわかる。しかし、触手はかなり追い詰めることができていたらしい。先ほど、別の異形を取り込んだ時よりもエネルギーは増えていない。
それでも、このまま戦うことになれば、敗北の色が濃厚であることがよくわかる。どうにか工夫をしなければ生きて帰れないだろう。透はそう確信した。
「さあ、戦うか。ついてこられるか? 結界術師」
挑発するようにグマグマが言う。透は奥歯をかみしめて、解析眼を全開にした。何物も見逃さないように、グマグマの動きを注視する。
影が揺らめいた。
今までと速度が違う。ギリギリ身体が反応できるかどうかという速さである。錫杖をつかってどうにか攻撃に合わせることに成功する。しかし、身体がいとも簡単に吹き飛ぶ。背中を強く近くの木に打ち付けた。
「はっは! 最高だ、この感覚! いいぞ、力が戻ってきた!」
透を殴った場所に立って、グマグマは機嫌よさげに言う。透の方へ身体を向けると嘲笑うように身体を震わせた。
「弱いな、お前は。やはり、人間ごときではこんなもの。悪魔は自由気ままに人間を蹂躙しないとな」
「……お前らは、何か目的があってこっちに来たんじゃないのか?」
「そんなのは俺に関係ないさ。自我のない俺の身体ならその目的通りに動くんだろうが、関係ない。今の俺には自我があるからな。自由にやらせてもらう」
「そんなので、いいのか?」
「いいんだよ。いいに決まってる。悪魔ってのは、本来、力で他者を従えるんだよ。目的のためなら従ったふりさえするってことだ」
「じゃあ、お前の目的はなんなんだ?」
楽しそうに語るグマグマに、透は違和感を覚えた。
自我がない状態ならば、目的に従って行動するが、自我に目覚めた今は違う行動をとろうとするのは理解した。恐らく、奴らが次元を越えてきたときに、上位の悪魔によって自我が抑え込まれた部分があったのだろう。だが、こいつはソレを越えて、今自我を取り戻している。そして、別の目的があると言っている。つまり、上位の悪魔の目をごまかす技があったということだ。
そんな強い悪魔が、どうして……?
「決まっている。人間を蹂躙するためだよ。俺は殺戮そのものが趣味だからな! あほみたいに逃げ惑う人間どもをひとりひとり仕留めていくんだ。楽しそうだろう? バラムは、人間というリソースを効果的に活用するために、殺戮はやめた方がいいと言ってたがな。俺には関係ないのさ」
「バラム?」
「なんだ、てめえ、知らねえのか。冥途の土産に教えてやろう。俺たちをこっちに連れてきた悪魔の王の一人だよ」
「悪魔の王……」
透は衝撃を受けつつも、崩れた体勢を立て直す。これまでの会話の中で、グマグマという悪魔が乗せやすくおしゃべりなことはわかってきた。こういう情報漏洩を恐れて、上位の悪魔は自我を封じたのかもしれないと思うほどである。
ただ、実力の差はいかんともしがたい。一か八か、大きな術を放ってみるしかないだろうというのは、透の頭の中で決まっていたことだった。それを使った後、自分がどうなろうとも、この厄介な悪魔を人類世界に放ってはいけないと思ったのだ。
「ま、お前は知らなくていいことだ。じゃあな」
「散り落つ桜。降り咲け蝶々。乱れ髪。瞬く蛍火……」
高速機動のグマグマが目の前に迫る。詠唱が間に合わないことを悟った。透は、ここまでかと思いながらも詠唱を完遂させようと、口を止めない。
「惑わし、破壊し、血肉とする……」
「やめときなよ」
妖力が渦巻く透の肩に、ポンと手を乗せる影があった。降ってきた声に、透は思わずぎょっとしてしまう。目の前にはグマグマが迫っているのに、手を乗せたその存在の目には、何の恐怖もなかった。
「マリ……」
「【血の棺】」
少女の姿をした怪物が手をかざした。こちらに向かっていたグマグマの周囲に一瞬にして赤黒い旋風が起こる。顔のないグマグマが驚愕したのを空気だけで感じた。赤黒い旋風は、グマグマを囲み、その姿を包み込む。動きすら、全てが止まった。
辺りの静寂に、マリアの声だけが響く。
「消えなさい」
赤黒い血の棺は、音もなく、跡形もなく消え去った。透が、戦いの疲労と、最後に練った妖力の大きさから、その場にへたり込む。
マリアが打って変わって、人懐っこい笑みを浮かべて透に話しかけた。
「大丈夫? よく頑張ったね」
「マリア……」
「あいつは、なかなか強かったけど、これから倒せるようにならないとね! 最後の術とか、万全の状態でもギリギリだったでしょ? だめだよ。命は大事にしないと」
「でも!」
「でもとか言わないの。大人が守ってあげるから、まだ、そんなに気張らないでいなさいな」
そう言うマリアの笑顔は、慈愛に満ちていた。透はそれに安心するとともに、悔しさを心のうちににじませることとなった。
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次回は3月5日18時投稿予定です。




