20話
21日目!
透は急いで日下部の家に戻った。まだ日は落ち切っていない。日が落ちてしまったら遅刻したことになる。とりあえず、間に合ったことに安堵しながら、玄関のドアを開く。
「お。おかえり。珍しくギリギリじゃないか」
透を出迎えたのは、人類圏で働いているはずの義兄、海人だった。海人は確かに家族想いだったが、働きに出ても戻ってきてくれるとは思っていなかった。
「海人兄さん、戻ってくるなら連絡くれてもよかったのに」
「なんだよー。連絡なんてしなくても帰ってくることくらいわかってると思ってたよ」
「いや、忙しくて帰れないのかと思ってたから」
「びっくりしたか?」
海人はいたずらっぽく笑った。透は変わらない兄になんだか少し安心する。そして、義兄に導かれるままにリビングへと向かった。
日下部家は、それなりに大きな一軒家である。2階は寝室や個人の部屋が配置されているが、1階にはリビング、キッチンなどの生活空間の他に、リビングに直通の大き目の個室がある。この個室は扉で仕切られていて、当然のことながら普段使わない時には閉まっているが、今日は開け放たれていた。
リビングでは、既に将嗣と智美が食卓を囲んでいた。テーブルに所狭しと並べられた料理は、まるで誰かの誕生日のように豪華で、様々な種類のものが用意されていた。
「いやあ、壮観だね。月に1回とはいえ、こういう楽しい気分で会えるのはいいなと思っちゃうよ」
「確かに。海人兄さんは人類圏にいるから俺たちとも月に1回だもんね」
そんな会話をしながら席につく。将嗣や智美からの「おかえり」という声に「ただいま」という返事をして、時計を見た。時刻はそろそろ18時になろうかというところだ。
「今日の日没は、18時ちょうどだったはずだよ」
「透、お前本当にギリギリだったな。朱火様に絞られたか?」
「そんなんじゃないよ。ちょっと、修行に苦戦してるだけ」
「ふたりともそんな話はもうやめて。千晶が起きる時間よ」
智美が軽口をたたきあう透と将嗣に注意をしてから、目線をリビング直通の部屋に移す。
その部屋は、大きな窓から採光をしている以外は特に照明もない。暗い部屋の中心には棺桶がおかれており、部屋を覆うように蔦を這わせた植物が息づいている。それらは、見たことがあるようなないような、しかし、小ぶりできれいな白い花を大量に咲かせて、棺桶を守っているようだった。中心の棺桶は、全体が白く、淵など所々がパステルピンクで彩られている。これによって、部屋全体の空気がやわらかくなっているようにも見える。今日は大きく開け放たれた窓から外の明るさが差し込み、神秘的な空気すら感じた。
コトリ。
その部屋の棺桶から物音がした。カタカタと棺桶の天面が揺れて、スライドするように外れる。
「くぁーあ……」
小さいあくびが聞こえた。それに合わせて、棺桶の中から細い腕が覗く。伸びをするように、むくりと少女が身体を起こした。白い髪に黒い目。眠そうな顔をした彼女は、顔だちや発達しきっていない体つきを見ても、12歳前後に見える。
「おはよぉ」
そうやってふにゃりと笑った彼女は、ふらふらと立ち上がって、透たちのほうへ右手を振った。
「おはよう、千晶」
透は驚くほどきれいな微笑みを浮かべて穏やかな声で答えた。そんな透に海人は苦笑しながらも同じように「おはよう」と返す。
「千晶、こっちにおいで。お食事が揃ってるから」
「うんー。美味しそうな匂いがするー」
智美が手招きするのにしたがって、千晶と呼ばれた少女は棺桶から出て、食卓へ向かう。ペタペタと裸足の彼女の足音が響く。彼女が身にまとっているのは、ナイトドレスのようなゆるりとした寝巻だ。愛くるしい顔のすぐ下には、3つの首飾りがかかっている。それらは、彼女くらいの歳の子どもがするには早すぎるように見える。高級感のあるネックレス。何の装飾もされていない金属製のチョーカー。赤い宝石の嵌ったブローチ。だが、日下部家にはそれを気にする者はいない。
「さて、ひと月ぶりの家族団欒だ。思い切り楽しもう」
将嗣は、千晶が座ったのを確認するとそのように言って、乾杯の音頭を取った。各々がグラスを傾ける中、千晶は楽しそうに「かんぱーい」と言いながら、全員とグラスを合わせた。千晶の飲み物はオレンジジュースだ。
「かいとお兄ちゃん、お外で仕事してるんでしょ? ちーちゃんのために帰ってきてくれたの?」
千晶は口にハンバーグをほおばりながら、海人に聞く。海人は千晶の頭を撫でながら答えた。
「当たり前じゃないか。千晶も透も寂しがってると思ってね」
「別に俺は」
「ありがとー! ちーちゃん嬉しいなあ。とおるお兄ちゃんはいじっぱりさんだから、かいとお兄ちゃんは、優しくしてあげないとダメなのよ?」
「千晶、お前」
「わかってるよ」
「海人兄さんまで」
「透がからかわれるのはいつまでも変わらないかもしれないな」
将嗣がそう言って笑ったのに呼応するように、千晶も笑う。モグモグと口を動かしながら、左手で口を抑えて笑うものだから、くぐもった声になっている。それを見て、智美が千晶に言う。
「もう、いっぱい口にいれないの。ご飯は逃げないんだから、よく噛める分だけ口にいれて食べなさいな。喉に詰まっちゃうわよ?」
「……んぐ。ちーちゃん、そんなことにならないから大丈夫ー」
「だーめ。次からハンバーグ作るのやめちゃうわよー?」
「えー。しょうがないなあ」
千晶の子どもっぽい振る舞いに、智美は微笑み、頭を撫でる。心のうちに、少しブルーな感情が湧き上がったのを感じながら。しかし、それは何も智美だけではない。この場にいる全員。本人の千晶以外が感じている感情であった。
日下部家やこの家にかかわりの深い人物は知っている。日下部千晶とその呪いについて。彼女はその身に受けた呪いの特異性から保護されているような状態である。養育者である日下部将嗣が実力のある結界術師なのもそのあたりの事情が絡んでいるが、この家族は家族として互いに深い絆で結ばれていた。だから、親子関係が義理であるとかそういったことは一切問題ではなかった。彼らのやるせない気持ちを引き出しているのは、千晶の状態のなんともできない不自由さにあった。
千晶は2種類の呪いに侵されている。ひとつは、10年前に日本の妖類を震撼させた厄災ー黒竜ディアブロによるものである。この竜は遥か西方の地からいきなり紀伊山地に現れた。そして、畏き神のいる山を汚染しつくした。この時、この竜の付近にいた人間は、人類圏であっても強い影響を受け、呪いを食らって死に絶えている。この時に生き残った人間の1人が千晶である。
千晶が生き残れたのは、偶然としか呼べない。千晶が呪いを食らってすぐ後に、黒竜が打ち払われたからである。黒竜を打ち払ったのは、白天や朱火のような日本の妖類ではない。同じく西方から来た吸血鬼だった。その吸血鬼は、女性で、悪魔狩りをすることを仕事にしていると語った。語った相手は透である。
彼女が黒竜を打ち払った後、たまたま千晶を見つけた。このままでは死にゆく千晶を、彼女は憐れんだ。しかし、彼女は、真なる吸血鬼であり、悪魔を狩り続けているという彼女自身の理由から、他者に祝福のようにプラスの効果を与えることはできないという事情を抱えていた。そこで、高貴なる妖類のひとつに名を連ねてしまう代わりに、超人的な再生能力が得られるという呪いをかけた。これがふたつ目の呪いである。
だが、人の身に、それも5歳の少女には、それらふたつの呪いは重すぎた。結果として、千晶は意識を失う。そして、月に一度、満月の日にだけ起きることができる吸血鬼とも人間ともつかない不安定な存在に成り代わってしまったのだ。
眠っている間の千晶は、成長が著しく緩やかになる。本来、15歳の彼女がそうは見えない幼さなのも、精神的な発達が遅れているのもそのためである。しかし、眠っている間にも知識は吸収することができるらしく、備えている知識と心がちぐはぐな状態になっているのが今の千晶である。
日下部家の面々はそれを知っているがゆえに、月に1度、多少豪華な日常の1ページとして千晶との時間を過ごすようになっていた。先ほどまでの会話も含め、交わされる言葉は穏やかでいつも通り。だが、どこかで千晶があたたかい気持ちでいられるようにと気を遣う。そんな夕食の時間が流れていった。
「ねえ、とおるお兄ちゃん。左目の魔眼、開眼しかけてるね。どうしたの?」
そんな穏やかな家族の団欒を壊したのは、意外にも千晶だった。今日も日が昇るまで夜更かしをしながら千晶との時間を過ごそうと思っていた透は大いに驚く。
「どうして、そんなことを。しかも、魔眼について知ってるの?」
透だけではない。日下部家の全員が食べ終わった食器の片づけをやめて、千晶のことを注視していた。千晶は、そんな視線も、透の不思議そうな顔も全く気に留めず、いつも通りの口調で言った。
「だって、私も魔眼あるもん。使えないからつまんないんだけどねー」
右手の人差し指で毛先をいじりながらの返答だった。マイペース過ぎる千晶の言動に透を含む大人たちは、頭を殴られたような衝撃を受ける。魔眼持ちの人間というのは珍しいのだ。千晶は厳密には人間ではないかもしれないが、それでも珍しいものは珍しい。しかも、それを自分で認識することができていたとは一体どういうことだろうか。疑問は尽きない。将嗣が内心で、本格的に千晶の状態について再検査する必要がありそうだと考えていた所で、海人が聞いた。
「千晶、そういうのって、どうやって覚えたの? 兄ちゃん、お外で働いてるからあんまり知らなくってさ。教えてほしいんだけど」
「えー、そうなのー? 仕方ないなあ」
下手に出た海人に満足そうな顔の千晶が答える。
「私の頭の中にはね、図書館があるんだよ。そこにはいっぱいの本があって、まだ読み切れないくらいなんだあ。そこにあることを覚えてるだけ。かいとお兄ちゃんは、図書館、行ったことないの?」
今度こそ、全員顎が外れるかと思った。海人は冷や汗をたらしながら、「ないかなー」と震える声で答えるのがやっとだった。
千晶の言った頭の中の図書館。妖類の世界では有名なおとぎ話に出てくるのだ。“オーディンの書庫”という、この世界の知識のほとんどにアクセスできる特別な少女が。
もし、もしも千晶が本当に頭の中の図書館にアクセスできるのであれば、それは……。
誰かが生唾を飲み込んだ。しかし、誰もが思っていた“オーディンの書庫”にアクセスできる千晶は必ず争いの火種になる存在であると。
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