19話
20日目!
透と珠姫の修行は、大学の講義がない時間にそれぞれ続いたが、ほとんどの時間は一緒に行った。これは主に朱火の予定と折り合いをつける必要があったことが理由である。しかし、それによって、珠姫は修行のたびに複雑な気持ちに襲われていた。
もちろん、朱火の目があるため、あまりわかりやすい反応をしていられないし、修行もしなければならない。だから、色恋に傾倒している訳ではないと言いたいのだが、珠姫の頭は油断すると透を考えるようになってしまっていた。自分でもどうしようもないなと感じるほどである。
このままでは、日常生活に支障をきたすと考えた珠姫は、講義やその課題以外の自由な時間の多くを自主的な妖力の修行に使った。修行の間は痛みもあり、碌に他のことが考えられなくなるのを利用しようと思った訳だ。
結果として、修行を始めて4日目。土曜日の夕方には、妖力の自力コントロールがある程度できるようになったのだった。
「朱火、見てて。コントロールできるようになったわ」
珠姫は、胸を張って自身の成果を朱火に見せつける。
この数日間、修行や母の元で会うたびに会話をしてきた朱火は珠姫の中で、気安い相談役のような立ち位置に変わってきていた。もう呼び捨てにも抵抗はないし、朱火から姫と呼ばれるのにも慣れた。というか、珠姫は一旦自分の全てを受け入れることにしたのだ。抵抗するのも馬鹿馬鹿しいほどに、この世界にはどうにもならないことが多すぎた。自分の血筋のことも、自分の心のことも。
朱火は、珠姫の妖力のコントロールを見て、手を叩いた。
「素晴らしいです。姫様は要領が良いのかもしれません」
「そう?」
褒められて満更でもない珠姫だったが、朱火が腕輪を持って近づいてきているのを見て、怪訝な顔になる。
「それは?」
「これですか? 姫様が今しているのと同じ腕輪ですよ?」
「いや、それはわかるんだけど」
当然だという顔で、腕輪を掲げながら首を捻る朱火。それを見た珠姫は嫌な予感がしてきた。
「その腕輪、どうするの?」
「当然、姫様につけてもらいます」
「なんで!?」
驚いた勢いのままに朱火に詰め寄る。朱火は全く動じることなく答える。
「姫様がコントロールできたのは、この腕輪の効果でほんの少し漏れ出た妖力に過ぎません。耳のお守り無しで生活できるようになり、自衛のための術を使えるようになるには、最低でも腕輪5本分の妖力コントロールができなくては」
「嘘……これ、またつけたら、痛みがくるのよね?」
「ええ、当然ですが」
「もうやだー。結構痛いのよ? コントロールできるようになったら解放されると思って頑張ったのに!」
「姫様。本来、妖類の姫君は、12歳までには少なくともできるようになる技術ですよ。そりゃあ、呪いを受けていない方々は、痛みを感じることなくできますが、その分コントロールの感覚を掴むのに時間がかかるのです。早く習得できる分よかったと思いましょう」
「その痛いのが嫌だって言ってるのに……」
朱火はしょんぼりとする珠姫を見て、表情が豊かになったなと感じた。人間の感覚に疎い朱火だが、珠姫が何かこの数日で変わったことはわかった。自分に対しても遠慮が無くなって、話しかけてくるようになった。ただ、母である白天と妖類として打ち解けたからか、幼児退行しているように見えることがあるのは気になるが、概ね問題がないから良しとする。
そもそも、妖類は子どもとして扱われる時間が長い。成人は15歳と早めに設定している種族が多いが、成人したことが真に大人になったとみなされることは少ない。その種族ごとに、なんらかの敷居があって、それを跨ぐことで初めて一人前となれる。朱火などの狐であれば、妖力を操り、人間でも使えるような術を超えた神通力を習得してはじめて一人前である。狐の一人前の敷居は高いことで有名だから、一生を半人前で終える者も少なくない。まして、半妖の珠姫などは一生子どもなのかもしれない。
そのように思うと、朱火も珠姫の振る舞いが全く気にならなくなるものだった。しかし、珠姫は呪いを受けている。故に、反転の術さえ覚えれば、半妖でありながら、神通力を使えるようになるかもしれない。朱火はそのように考えていた。だから、敬愛する主人の娘であること以上に、優しく大切に育てる。
「大丈夫です。次からはある程度コントロールできている状態なので、痛みは多少和らぎますし、ステップアップも早いですよ」
「本当?」
「ええ。早く妖力を扱えるようになれば、白天様が特別なプレゼントをくださるとか」
「お母さんが? あの人、割とそういうサプライズみたいなの好きだからなあ。私に先に言ってもよかったの?」
「大丈夫です。きっと、見たら驚かれますし、姫様が告げ口することもないでしょう?」
「まぁ、そうね」
「ありがとうございます。では、今日のところは終わりにしましょうか」
珠姫の機嫌が落ち着いたところで、朱火はそう言って、2回手を叩いた。すると、透のいるロッカーがひとりでに開いて、中から透が崩れ落ちるように出てくる。
「おや。日下部隊員。今日は随分と消耗しているように見える」
朱火の問いかけに、息を荒くした透が答える。
「少しだけ。兆しがあったんです。魔眼の。だから、ちょっと、妖力を使いすぎました」
朱火は眉を上げ、透を注視した。妖力の流れを詳細に見る。すると、体表を覆う呪いの妖力だけではなく、体内を循環する自身の妖力までがかなり減っていることがわかった。朱火は疑問に思って言う。
「そこまで大量の妖力を使わないと発動しない魔眼だったのか?」
透は息を整えつつ答えた。
「わかりません。目が何かを感じ取った感覚はあっても、変化がなかったので、妖力が足りないのかと注ぎ続けたらこうなりました」
「なるほど。発動条件がまだわからないということか」
朱火はつぶやいてあごに手をやる。朱火の頭に浮かんでいたのは、自身が見聞きしてきた様々な魔眼の数々。西洋伝承にあるような石化の魔眼に始まり、視線を注ぐ相手を呪い殺す魔眼や見た者の心を見透かす魔眼、過去現在未来を見通す千里眼の魔眼。魔眼の効果が強力であればあるほど、消費する妖力が多かったらしい。千里眼の魔眼などは、持ち主が妖類であったのにもかかわらず、発動すれば消費した妖力が戻らないデメリットがあったらしく、生涯に2回しか使うことができなかったという。朱火はそのような魔眼の特殊性を鑑みて、透に告げる。
「とりあえず、無理やりに発動しようとするのは危険だ。発動の兆しがわかったのであれば、そこまでにとどめておけ。もしかしたら発動条件が揃った場合にのみ発動する魔眼かもしれない。妖力をそこに集中させるのを忘れるな。まだ反転の術ができていないなら、呪いの妖力が目に集まり続けるのは負担かもしれないが……」
「いえ、大丈夫です。最悪、ダメになっても右目は残るので」
「え、ちょっと何を……!」
珠姫が慌てたように会話に割り込んで来る。朱火は、珠姫に落ち着くように両手でジェスチャーをして、声をかける。
「姫様、落ち着いてください。彼の魔眼は左目だけなんですよ。だからああいう言い方をしているだけで」
「そうじゃないわ。簡単に自分の目がダメになるとか言ってるのがおかしいって話よ!」
珠姫の語気に、透が今度はびっくりしていた。透の中では割と昔から最悪左目を捨てることは厭わないという考え方が出来上がっていたからだ。透の左目は、妹の呪いの一部を引き受けた結果として魔眼になっている。もはや呪いは消えないが、呪いを引き受けた時から、透は無くなっても仕方がないと思っていた。それを、こんなに感情的に止められたことは初めてだった。朱火も含め、護界局の隊員は最悪の場合を想定することは普通であったからこういった仮定を話しても、止められることはなかったのだ。
「いや、これは仮定の話であって、実際にそうなってほしいなんて思ってはいないから」
透も朱火と同じように珠姫のことをなだめにかかるが、珠姫は不満そうな表情を崩さない。
「私は、仮定の話だとしても自分の身体を傷つけるような発現は嫌よ。これは譲れないの。自傷行為はいのちへの冒涜だって、お母さんが言ってたから」
朱火はそれを聞いて、確かに白天の言いそうなことだと内心で納得する。白天は神に近い妖類であり、神に与えられた役割は生命の営みの監視。自然に生きる命に心を寄せることが彼女のライフワークなのだ。
そういったことを思い、朱火は口を閉ざす。朱火も自分を犠牲にするようなことを透にはしてほしくないと思うのだ。珠姫の言葉の方が響くかもしれないと、ふたりを見守ることにする。
「まあ、それはそう、だろうけどな」
「それにね、あんたは私の護衛なんだから、不完全な状態でいられたら困るの。わかる? 私のためにその考え方はやめて」
珠姫は少々強引で、強い言い方だと自分でも思っていた。これじゃあ、わがままなお姫様そのものだとも思う。けれど、そういう振る舞いをすることで、透が傷つくのを防げるなら全然問題ないと思っていた。「気になる男子」は、やっぱり大切にしたいから。
「あ、わ、わかった。じゃあ、コントロールの練習は常に行いながら負荷が強いと思ったらやめることにするよ」
透は多少動揺しながらも珠姫の言葉を受け入れることにした。その様子を見て、朱火が介入してくる。
「姫様の言葉を聞くのは護衛としての役割だからそれでいい。しかし、日下部隊員。自分のことを犠牲にしようとするのはやめた方がいい。姫様に危機が迫っていない限り、お前は自分の身を守ることも大切にしなければならない。義父である将嗣も心配していたし、妹にとってはお前は唯一無二なのだから」
透はそれを言われて、小さい声で返事をすることしかできなかった。痛い所を突かれたような思いがした。透はたまに、自分のやるべきことしか見えなくなることがあると自覚していた。自分の背負うものよりも自分の目の前の何かを打開することが大事になってしまうのだ。それはきっと、あの日に、あの女から囁かれた言葉のせい。
『強くなるの。誰よりも強く。寄る辺が無くても独りで戦い続けられるくらい、強く』
それは左目から侵食してくる呪いよりも強く、透を縛る鎖。
思考の海に沈みかけた透の耳に朱火の言葉が届き、現実に引き戻す。
「これで今日は終わりにします。姫様は今日、白天様のところに行かれるのでしょう?」
「ええ」
「日下部隊員。そういうことだから、今日は帰って大丈夫だ。大切な日だろう?」
「あ、はい! ありがとうございます!」
透はそれを聞いてハッと顔を上げて急いで駆けていった。珠姫はその素早さに驚いて、朱火に聞く。
「さっきまでと全然様子が変わったけど、今日、透なにか用事があったの?」
朱火はそれに苦笑いをして答える。
「妹ですよ。彼は、妹のために頑張っているみたいですからね」
「妹がいるのは知ってるけど、そんなに? 今日は妹の誕生日とか?」
珠姫がたくさんの疑問符を浮かべているのをわかりつつも、朱火は実際に知らないことにはわからないだろうと、遠い目をして答える。
「誕生日ではないですが、複雑なんですよ。月に一度しか、会えないわけですからね」
「月に一度?」
「そんなに気になるなら、この後白天様に聞いてみますか? 覗き見くらいさせてくれるかもしれませんよ?」
珠姫は、少し悩んだあと、振り切ったように告げる。
「いいわ。大丈夫。あとで、自分で聞くから」
「かしこまりました」
朱火はそんな珠姫を見て、やはり心がまだ幼いのかもしれないと楽し気に微笑んで、珠姫とともに、白天の下へ向かうのだった。
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