18話
19日目!
養成学校の一室で、珠姫と透は修行の続きをしていた。朱火が出て行ってからそれなりの時間が経ったが戻ってくる気配はない。
珠姫はこれまでの時間の中で、妖力というものをなんとなく捉えられてきたような気がしていた。
(身体の内側に血管のように流れているというよりは、内側にも外側にも循環しているという感じがする……創作物でもこういったものの扱いはまちまちだし覚えていくしかないか……内側の流れの方が操作しやすいような感じもするけど、うーん)
まだ動かせるに至らないものの、妖力らしきものがわかってきた珠姫はいったん腕輪を外した。全身が後を引くピリピリとした痛みから解放される。痛みには慣れてきたし、傷も残らないわけだが、精神的には疲労がすごい。
「ねえ、透? 修行はどう? ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
疲労からか、いつもよりも気安い呼びかけになってしまったがいいだろう。私は、正直に言えば、もっと透との距離を詰めたいと思っているのだから。それは、好意とかそういうのではなくて、なんとなく他人との距離を開けがちな透の態度が気になっているからだ。特に変な意図はない。珠姫はそのように、自身に言い訳をしながら、透の返事を待つ。
しかし、透の返事はない。集中しているのだろうか。面白くなかった珠姫は少ししつこく話しかけてみることにした。
「ねえ。聞いてるの? 透は私の護衛なんだから、呼んだら返事しないとダメでしょうー?」
珠姫はそのように言いながら、ロッカーのような箱。透が朱火と何やら話して入っていった箱に近づいた。無造作にその正面の扉のようなものをノックしてみる。だが、中から返事はない。珠姫はさすがに不審に思って、箱に耳を近づけてみる。
「ちょっと、透、いるの?」
「……くっ……」
かすかに、荒い息遣いが聞こえてくる。何か、苦しんでいるのだろうか。珠姫は、そう想像した瞬間、自分の脳裏にボロボロになっていた透の姿が浮かぶ。自分のことを守るために無理をしてボロボロになったあの姿が。珠姫の中で、それがかなり印象的な記憶になっていたことをはじめて自覚した。だが、それを心にとめる間もなく、身体が動いていた。
「透!」
慌てて扉を開く。中の様子の確認もせず、珠姫は、扉を開けた瞬間見えた透の肩を揺さぶる。説明のできない焦りに内心驚きつつも、珠姫にはそうすることしかできなかった。結果的に、その目はちゃんと透を映してはいなかったが。
透は、珠姫に揺さぶられ始める前、己の身体を暴れる呪いの妖力と戦っていた。
呪いの妖力に対して、透がいつも対処していたのは、外に妖力を流す方法だ。とにかく呪いの妖力が、自分の身体にとどまることを許さず、自身の身体は自分の妖力で守るのだ。こうすることで、呪いの影響は限りなくゼロに近づけられる。ただ、透が幼いころから呪いに蝕まれながらも無事に生きているのには、もうひとつ理由がある。透には、ある神の祝福があるのだ。
祝福は呪いと基本は同じである。格の高い妖類から常に妖力を供給され、その権能が身体に影響を与える。違いは一つ、与える影響がプラスか、マイナスか。祝福はプラスの影響を与えてくれる。透にかかっている祝福は、一口で言えば癒しと守護の祝福だった。
(ヤツヒメの祝福を使わずに、呪いを自分の中に取り込むのは想像よりも苦しいな。そもそも、呪いを取り込んで反転させるというのがわからないのにそれをしようとしているから苦しいんだ。あきらめて先に魔眼をどうにかしてみるべきか……)
呪いの妖力を体内にいれようとすると、激痛と抵抗感によって阻まれる。まるで、自分で自分のことをいじめているようだと、透は苦笑いしたい気持ちに襲われる。しかし、その実そんな余裕はなく、暗闇の中で歯を食いしばり続けていた。すると、いきなり身体がゆすられた。
集中を解いて、呪いの妖力を外に逃がすようにコントロールし直し、目を開く。珠姫が自分のことをなぜか慌てた様子で揺さぶっているのがわかった。状況がよくわからず、困惑のまま珠姫の腕をつかんでやめさせる。
「ちょ、どうしたんだ」
「よかった、元気だった」
「いや、元気に決まってるだろ。修行してただけなんだから危険なことになるはずもないし……」
「でもなんか、苦しそうな声してたし、私の声に反応しないし、起こしてあげないとダメなのかと思って」
「声、かけられてたのか。気づかなくてすまん。あ、腕も」
「い、いや、いい、けど」
透が平謝りしながら、つかんだ腕を離した。珠姫は少し視線を逸らしながら、自由になった両手を腕を組むような形でさする。そして、照れ隠しのように大きな声を出して言った。
「大体、あんたが気づかないからいけないのよ? 私、結構声かけたんだから。わからないことがあったら聞けって言ったのは、そもそもあんたでしょ? 私のことをお姫様だって思うなら護衛として返事をしないといけないんじゃないの?」
珠姫はそこまで言ってから、恥ずかしい気持ちに襲われた。自分でも驚くほどつらつらと、文句のような言葉が出てきた。しかも、あんなにも拒否したお姫様という言葉を引き合いに出してまで。珠姫は自分自身の気持ちの変わりように、ふと母の声を思い出してしまう。
『珠姫にも春がきたわよー』
それを意識した瞬間、珠姫の頭はオーバーヒートを起こした。
「それは、すまん。今度は気を付ける」
透がそのように言い終わらないうちに、珠姫はサッとその場を動いて、教室の中心に早足で戻った。
「わかったら、いいのよ」
尻すぼみになりつつも、そのように言って、珠姫はうつむいて座り込む。様子のおかしさに透は声をかけようとして、箱から一歩出ようとする。しかし、それを察した珠姫が、右手を透にかざして、制止する。
「いい。来なくていいから。お互いの修行に戻りましょう。うん、私、なんかちょっと疲れてたみたいだから、そっとしておいて。うん」
「あ、ああ」
透は頭に大量の疑問符を浮かべつつ、箱の中に戻ることにした。内心で、珠姫はこんな話し方だったかと首をひねる透だったが、まだ知り合って間もないのにわかったような気をするのもよくないかと思い直して(ただし、このような紳士的な心は透の本質から表れたものではなく、母の厳しい教えに依った判断ではあったが)、修行に戻ることにした。今度は、魔眼の完成に集中しようと心に決めて。
一方で座り込んだ珠姫は改めて自分の言動を振り返って顔を真っ赤にしていた。透から離れたのも近づかないようにしたのも、この真っ赤な顔を見られないようにするためだった。顔が赤くなっていると意識すればするほど、さらに自分の顔が熱くなっているように感じる。
(これは、いったん落ち着かないとダメね……)
あくまでも理性的にそうやって自分に言い聞かせて珠姫は深呼吸をした。まずは、落ち着いて。とにかく、状況を見つめなおすしかない。
珠姫は、恋愛事の経験したことがなかった。見聞きしたことはあったし、気になる男子がいたこともあった。そのたびに同じようにあわあわとしていた気がするが、それも中学生以前の記憶。中学に入って、周りが本格的に男女交際に関して噂を始めた頃に、私の容姿は過剰に注目されることが増えて、恋愛的なかかわりをすることが怖くなってしまった。それからは、恋心なんて意識したこともなかったのに。
(やっぱり、これは、恋、なのかしら。でも、まさか、そんなまだ会って少ししか経ってないのに5年以上ぶりの恋なんて……)
透がシスコンであることも、いい人なのだろうけれど、素晴らしい人とまで言い切れない所も、互いに何も知らないということも。全部が珠姫にこれを恋だと言い切らせるのを阻害していた。そして、座ったまま悶々とした時間を過ごす。
1時間は悩んで、珠姫が出した結論は、透のことをとりあえず「気になる男子」にカテゴライズすることだった。恋と呼ぶにはまだ早いが、きっと恋愛感情を全く切り離しては見られないから、この呼び方。
文学と向き合っている珠姫にとって、ラベリングして名付けをすることは精神的に大事だった。だから、これだけ長い時間をかけて悩んだのだ。そして、すっきりとしてそろそろ修行を再開するかと思った時、教室の扉が開いた。
「修行は、順調ですか?」
そこには、朱火の姿があった。珠姫は完全にサボっているところをみつかった子どものようだった。しかし、内心の動揺はさておいて、外面では涼しい顔をして言った。
「多分、コツみたいなものはつかんだわ。きっと、もうすぐできるようになる、かも?」
「そうですか。それはよかった」
朱火はほんの確認のように口に出しただけのようだ。珠姫はなんとか乗り切ったという気分だった。
珠姫の修行の初日は、身体的以上に精神的に大きく疲労して幕を閉じることとなった。
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