15話
16日目!
翌日のこと。珠姫と透は揃って養成学校の一室にいた。
その部屋は、机や椅子など、教室に必要と思われるものが一切ない教室である。おまけに、現在、カーテンが閉め切られていて、日の光が届かない状況だ。
そんな部屋の中心で、珠姫と透は朱火の前に立っていた。朱火の手には燭台があり、頼りなく揺れるろうそくの光が、現在唯一の光源になっている。
「さて、じゃあ、今日から修行を行ってもらうわけですが、2人とも、まずはこれを付けてください」
そう言って、朱火が差し出したのは、腕輪のようなものだった。シンプルな金属の輪という感じで、特に何かが刻まれているわけでもない。朱火から差し出されたそれを手に取って、2人はしげしげと眺める。
「それは、体内の妖力を強制的に引き出す効果のある腕輪です。姫様の場合はそれを付ければ、白天様の妖力抑制の耳飾りの威力が減衰して、妖力が流れ出るようになります。呪いの影響で、身体がピリピリとするような痛みに襲われるかもしれませんが、そこは受け止めてください。流れ出た妖力をうまくコントロールできるようになれば、そのピリピリとした感覚もなくなるはずですから」
「わかりました。でも、どうやって妖力をコントロールしたらいいんです?」
「私に敬語は不要ですよ。そうですね……では、今少しやってみましょうか。日下部隊員、あなたはそこで妖力のコントロールを見てなさい。もっとなめらかにできなければあなたの修行はうまくいきません」
「了解です」
透は、朱火の言葉に素直に従う。朱火は明らかに格の高い妖類であり、格の高い妖類の妖力のコントロールはかなり精密である。透はそこから学ぶものは大いにあるだろうと考えていた。
「じゃあ、いきますよ」
朱火が珠姫の腕をとって、腕輪を通す。
「うっ……」
珠姫は言われた通り、全身にピリピリとした痛みを感じた。針の先でチクリとされるような痛みが全身に走るようだ。珠姫は痛みなどと無縁の生活をしていたので、この時点でもかなり泣きたい気持ちになっていた。涙をこらえながらも、朱火の言葉を待つ。
「では、姫様、今から妖力をコントロールして動かしてみますので、感覚を覚えてください。いきますよ」
珠姫は頷くのがやっとだった。朱火はそれを見ると、珠姫に手をかざす。
珠姫は自身の身体の痛みが、流れるように動いているのを感じた。朱火のかざした腕から始まり、ぞわぞわとした感覚が肩の方へ登っていく。肩から首、頭にかけてその感覚が流れたあと、それは背骨を通って下へと流れ、上半身から下半身にかけて回るように通り過ぎていった。そして、その感覚が消えたかと思うと、感じていた痛みが霧散していた。
「すごい……」
「これが妖力の流れる感覚です。痛みが消えたかと思いますが、最後に、妖力を外に放出して、今もそのままだから痛みが消えている状態です」
「ということは、まだ妖力をコントロールしてもらっている状態……?」
「そうですね。今からやめます。痛みが戻ってきますよ」
「え、ちょ」
朱火がかざしていた手を元に戻すと、珠姫の身体を再び痛みが襲った。珠姫は短い悲鳴を上げながら、なんとか歯を食いしばる。
「とりあえずは、なんとか動かすところまでいきましょう。痛みに慣れる必要があるのなら、休み休み、腕輪をつけたり外したりしながらでいいので何とかコントロールまではできるようになってください」
「は、はい……」
珠姫は何とかそう答える。母と話して、自分もどうにか母の世界に近づきたいと、内心でそう思っていた。だが、この痛みと戦うとなると、険しい道になりそうだなあと少しげんなりしながら思う。
朱火は、説明はとりあえず終わったとばかりに、今度は透の方を向く。
「じゃあ、日下部隊員、こっちに」
「はい」
透は朱火に連れられて、教室の隅の方に連れてこられた。そこには、掃除ロッカーのような木製の箱があり、朱火はそこに入るように促す。
「ここ、ですか? 中はなにもないですけど」
透はその扉を開きながら、朱火に確認する。朱火はうなずいて答える。
「何もなくていい。お前の呪いは結局魔眼につながってるわけだから、暗闇にいることに意味がある。光がないと目は見えない。人間は視覚に頼っている生き物だからな、今の見える状況変えなければ、魔眼は覚醒しないだろう」
「なるほど。魔眼の発動条件は何かあるんでしょうか?」
「いや、魔眼は、それぞれ別の発動方法や能力があると、所持していた人間から聞いた。唯一共通していたのは、呪いに使われている妖力を目に集めることぐらいだ」
透は、「なるほど」とつぶやいて、腕輪を見つめる。
「しかし、俺は別に妖力のコントロールはできますよ? この腕輪は必要ですか?」
「必要だ。これは別の目的だ。お前は確かに呪いの妖力をコントロールすることができている。だが、それを反転させて自分の力とすることはできていない」
「反転?」
透ははじめて聞く単語に首をかしげる。基本的な呪いへの対処は義父に教わったが、そこでは反転という単語など出てこなかったのだ。もし、義父が知らない妖力の扱い方があったなら、それは人類にとっては秘術のような難しいものなのではないかと緊張する。
「反転だ。呪いにかかった昔の結界術師がな、せっかく己の身体に外部から妖力が供給されているのだから、逆に利用することはできないかと考えて編み出した術のようなものだ」
「それは、俺のような下っ端に教えてもいい術なんですか? 秘術のような、貴重な術なのでは?」
透の懸念を笑って一蹴した。
「そんなことはない。一昔前、まあ、四百年ほど前までは、割と一般的だった術だ。あの頃は人が人を呪うような時代だったからな。だが、今は呪いをかけられる人間の方が稀だ。お前の義父が知らなくても無理はない」
「じゃ、じゃあ、俺の、俺の妹の呪いもこの方法で……!」
呪いを反転して自分の力にできるなら、妹にいくら強い呪いがかかっていても元気にしてやれるのではないか。透はそう考えたが、それに朱火は首を振ってこたえる。
「お前の家庭については調べた。今の家にいることになった経緯もだ。だから、断言できるお前の妹の呪いを反転することは難しいだろう」
「どうして!」
思わず、大きな声が出てしまう。珠姫がビクッと反応し、こちらを見るのが透にはわかった。透は、ボリュームを落としてもう一度尋ねる。
「どうしてですか。呪いの妖力を自分のものとして使えるなら、妹は強い呪いを逆に力にできるんじゃないんですか」
「落ち着け。お前の妹は少々特殊なんだ。まず、大前提として、お前の妹は、まだ妖力の扱い方を知らない。今の姫様と同じだ。それでは、さらに難しい反転は習得できない。反転は他者がかけてやることができないからだ」
「くっ……」
透は唇を引き結んだ。反転が朱火の言う通り、自分自身の妖力にしか使えない術なのであれば、妖力の修行などしたことがない妹には到底無理な話である。かといって、今の妹は妖力の修行ができる状態ではない。それだけで、透はこの方法の限界にあたったが、朱火はさらに続ける。
「第二にお前の妹は呪いによって死にかけているが、呪いによって生きている状態でもある。それを……」
と言いかけたところで、朱火は口をつぐんだ。そして、透に背を向けて言う。
「朱火様?」
「すまない。急用が入った。面倒な案件だ。また様子を見に来るからそれまで修行をしておけ」
「は、はい」
朱火はそれだけ言い残すと、空間に溶け込むように消えた。
「え? 透、朱火さんは?」
「朱火様は、何か急用だとかで、行っちゃったよ」
透も未だ整理のつかない頭で珠姫の声にこたえる。珠姫は不安そうな声で言った。
「そうなんだ。私、コントロールの方法うまくつかめなかったらまた聞くつもりだったのに」
珠姫は、今も体の痛みに顔をしかめながらうーんとうなりつつ、妖力のコントロール方法とやらを探っていた。我慢できないほどではないからこそ、なんとなく腕輪は外したくはなかったので、早めに修得したかったのだ。
「じゃあ、何か困ったら俺に聞いて。妖力のコントロール、朱火様ほどではないけど、俺にもできるから」
「う、うん、そうするわ」
実際勝負しているわけではないが、なんとなく負けた気がして、珠姫はますます早く自分でマスターしたいという気持ちを高めていた。しかし、そんな珠姫の内心を考える余裕もなく、言い知れぬ不安感が透を襲っていた。
(朱火様が直接出向かなければどうにもならないような相手……一体何者なんだ?)
そう、警察の実質的なトップである朱火が出張るということは、相手はそれなりの格の妖類であるということなのだ。面倒ごとが起きている可能性が高いと見ていい。そう考えると、何か今後よからぬことが起きるのではないかと想像してしまうのである。
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