14話
15日目!
「まず、私のことを話さないといけないわね。私は九尾の狐。白天と呼ばれる妖類で、人間が社会をつくった時分からずっと生きているの。すごいおばあちゃんなの、びっくりした?」
「いや、なんか、大妖怪みたいなことを聞いたら、それくらいはわかるよ」
「もう、珠姫はいつもつれないんだから」
白天は、そうやって軽口をたたきつつも、口元に優しい笑みを浮かべていた。そして、コーヒーを口に含む。
隣にいた珠姫も、同じくコーヒーを口に含んだ。思ったよりもあたたかかった。ほぅ、と熱気を逃がすように息を吐く。
「これだけ長く生きているとね、すごく寂しくなるのよ。必ず、百年に一回はね」
「スケールが大きいなあ」
「しょうがないでしょう? いっぱい生きてるんだもの」
「おんなじ妖類なら、お母さんと同じくらい生きているお友達もいるんじゃないの? そういう人がいたら寂しくないんじゃない?」
珠姫の話に、白天は苦笑する。マグカップを両手で持ち、目線を遠くにやった。
「妖類ってね、すごく、つまらない人だらけなのよ。永い時を生きる者も多いからこそ、みんな自分の探求心のままに生きてしまうから、交流なんてあったもんじゃないし」
「へえ、そうなんだ」
「そうなの。まあ、私も探求心のままに行動した結果、寂しくなっちゃったんだけどね」
「お母さんの探求心って何? やっぱり文学?」
珠姫の記憶にある母は、私は文型だと言ってはばからず、色んな本を買いあさっては読んでいる人だった。結婚してからも、図書館司書の仕事を続けていたはずだ。
白天はそれに微笑んで答える。
「もちろん、それも好きよ。文学の世界は無限だから、私が知り尽くすこともなくて楽しいことだらけ。だけどね、私が探求心を抱いたのは、人間そのものよ」
「人間そのもの……」
「自分と違う人や物事ほど、詳しく知りたくなることってあるじゃない? 私は、“大神様”たちが地上から離れていくときに、人の世に紛れやすいように、それでいて人ならざるものだとわかるように、九尾の狐として生きることになったの。元から人間とは全く違う生き物だったのよ」
「それは、なんとなくわかってるけど、それがどうして人間そのものに興味をもつのよ」
珠姫は不思議だった。珠姫自身は、人間の社会で生きていながら、人間のことが好きじゃなくなった瞬間もあって、できる限り他人と距離をとって過ごしてきたからだ。
白天は、珠姫の内心を知ってか、珠姫の頭をなでながら、答える。
「恋をしてしまったのよ。人間に。私自身、はじめは驚いたのだけどね」
「えっ!? それって、何千年も前に? お父さん以外にってこと?」
「ショックだった? だから、あんまり話したくなかったんだけど、でも、安心して。お母さん、一途なタイプだから、一生に一人しか愛さないの」
「どういうこと?」
珠姫の頭はクエスチョンマークで埋まっていた。どう考えても、昔にも男がいたというカミングアウトにしか聞こえないからだ。だが、珠姫の中では、母はそんなことをしないという意識も確かにあって、おとなしく続きを聞くことにする。
「分体をつくるの。私とそっくりの姿に成長するちょうどあなたくらいの人形をつくって、人間に紛れて生活するの」
「分体……人形、なの?」
「人形って言っても、ちゃんと身体は生きている人間そのものよ。寿命もあるし、病気にもかかる。私のもつ知識だって全部は入ってない。不完全な私を人間として生活させる。私は、その経験を自分のことのように経験する。要は分身の術の特殊なものかしらね?」
「それがどうして一人しか愛さないにつながるの?」
珠姫は母の説明をまだ完全に理解できていなかった。そりゃ、元々理解できないものなのだろうが、解像度をもうすこし上げたいと思った。
「言ったでしょ? 不完全な私が人間として生活するの。そのためには、人格は私だけど、私じゃない誰かにならないといけない。だから、私は分体の人生をその時代に合わせてつくって、入れて、人間に紛れさせたら、その人の一生には関わらないでとにかく追体験するの。分体は私であるという自覚がないままに、自分の人生を生きるわ。そして、自分で決めた人と出会う。私が選ぶ男は本当にいい男よ。人生には関与しないけど、人格は私そのものだから、人を見る目はよくて当然なのだけどね」
いたずらっぽく言った白天だったが、珠姫はそんな表情を見る余裕もなく、頭をフル回転させていた。大学の講義なんて目じゃないくらいに想像の難しい話だった。
「そんなに悩まないで。あなたのお母さんは間違いなく私だけど、妖類としての自覚が全くない私なの。普通の人。むしろ、私がその人生を穢していると言ってもいいわ」
どこかかなしげに、慰めるような調子で白天はそう言って、右手の甲で珠姫の頬を撫でた。しかし、珠姫はその手を両手でつかんで母の方に身を乗り出す勢いで言った。
「……それは、お母さんと白天様って妖類を別の人と見た場合の話をしてる? だったら、私、怒るけど?」
「えっと、どうしたの?」
「どうしたも何もないよ。私にとって、お母さんはお母さんだったって話。この話、難しくて全部理解できたとは言えないけど、こんなことに巻き込まれても落ち着いていられるのは、多分、お母さんに相談できるからだもん」
「珠姫……」
白天が人間として追体験してきた人生は数知れず、どれも幸せな最期を迎えたと自負しているが、正体を自身の子どもに晒したのは初めてであった。だからこそ、これまでの人生のいつよりも内心では怖がっていたのだ。この話をすることによって、絶縁状態になることも覚悟の上だった。
「お母さん? 泣いてるの?」
「え……?」
白天は、自身の頬に伝う涙を左手の人差し指で拭った。本体で涙を流したのなんて、何千年ぶりだろうか。不思議な感覚に包まれつつも、珠姫の母として、自然に珠姫を抱きしめる。
「ちょ、どうしたの」
「ううん、私は珠姫のおかげで幸せだぞーって伝えたくなったの」
「急すぎ、びっくりするよ」
珠姫は恥ずかしそうに笑いながら、母の身体を抱き返す。後ろから回した腕に触れる尻尾の感触は、確かに母にはなかったものだけど、このにおいとぬくもりは、紛れもなく母のものだと、珠姫は改めて安心した。
「よし、これで、多分お母さんの隠してることはないわ。お父さんに打ち明けることはできないけど、私たちの間に隠し事はなしね。分体にも意識をつなげられるようにしておくから、人類圏で困ったことがあっても、たった一人の私が相談に乗るからね!」
「お母さん、自分で作った関わらないってルール、そんな軽率に破っていいの?」
珠姫はあきれたように聞く。しかし、なにやら吹っ切れて元気になった母は、明るく答えた。
「いいのよ。娘のためだし、分体はちゃんと人間としての生を全うするから。珠姫が妖類に触れるってことは、人類圏の私が亡くなってから面倒に巻き込まれるってことも考えなきゃだしね」
「もう、過保護なんだから」
「全然過保護じゃないわ。一人娘なのよ、心配で当然でしょ?」
白天は、「んー」という声を上げながら、珠姫の額に自分の額にすり合わせた。珠姫はこれも幼い頃からやられていたなとなつかしくなる。そして、久しぶりにテンションの高い母をみられてよかったと、もはや自身が不可思議に巻き込まれたということも忘れて、純粋にそう思っていた。
「うん、珠姫ちゃん成分補給できた。でも、こうなると、珠姫が大変ね。人間として半妖であることを隠して生活しないといけないものね」
「それは大丈夫だよ。だって、半妖だったとしても、この狐耳とか、普通の人には見えないんでしょ?」
「それもそうね。ただ、お父さん鋭いから、次に帰省したときはどうやって隠すか考えないとね」
張り切っている母を見ながら、珠姫は思う。きっと、この母はいざとなったら父にも簡単に秘密を話してしまいそうだと。
「あ、そうそう。でも、お父さんに透くんのことは言っておかないとね」
「え?」
「珠姫にも春が来たわよーって」
「お母さん!」
珠姫にとって、その時間は紛れもなく団らんの時間だった。疑問が若干晴れたこともあるが、何よりも、母と楽しく話ができたということが、珠姫の胸に去来した不安を消し去ってくれたようだった。
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