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狸は狐を嫌う

作者: アナベル・礼奈

オーデュボンの祈りが好きで、小説家を目指しました。

たぬきはキツネを嫌う


 私はたぬきの妖怪。名前をぽんぽこから一部とって、ポン助と名付けられた。

正直、女の妖怪の私にとっては不本意な名づけだったが、乳幼児の私に反論する知識もなかった。丸い目に狸の耳と尻尾を生やして、女の体ではあるままに、そのまま狸の妖怪として成長して生きてきた。両親は健康で、色々な変化の術や変わった術を教えてくれた。

 同じ年頃に、釣り目の嫌な女がいた。

狐の妖怪で躯という。妖怪の世界でも人間界と同じ様な学校があって、躯は私をよく虐めてきた。悪質なものではない。からかう程度のもので、放課後には笑い合ったりもした。良くも悪くも悪友の様なものだった。だが、狐と狸はどうも仲が悪く、自尊心が強い狐と、そう言ったことを気にしない狸には隔たりがあって、なぜか昔からいさかいがあるという。犬猿の仲というのに比べたらまだましな方だが、穏健派の雉や他の十二支の方が露骨な争いをしない。

 妖怪の学校で登校して同じ狸の同級生とあいさつした時、あのクソ女が声をかけてきた。

「よぉ。今日は葉っぱ頭に乗せてねぇのかよ。」

躯がニヤニヤ笑って鞄を担いでいる。ポン助の友達は合図とともに去って行った。

「いつまでアタシに絡んでくるんだよ。いい加減迷惑なんだけど。」

躯が微笑んで鼻をすすった。

「そう邪険にすんなよ。アタシもあんたと同じで人を化かすのが生業なんだ。同業者じゃねぇか。なぁ?」

「アンタと一緒にすんなよ。アタシはアンタみたいに陰湿じゃないよ。狐は皆、狡猾で意地汚いゲス野郎の集まりだよ。」

躯が鼻で笑う。

「随分な言いぐさだね。アタシら狐が全員悪党だって言ってるようなもんだ。」

「違うのかい? アタシら狸も人や妖怪をばかすけど、アンタらの陰湿なやり方と一緒にされちゃ名が廃るよ。狸には狸の誇りがあるんだ。」

ポン助が耳をぴくぴくさせて鋭い目で躯を睨んでいる。躯は微笑んで、狐の耳を振りながら尻尾を振っていた。

「同じことを言うけどさ、そう邪険にすんなよ。別に喧嘩売りに来たわけじゃないんだ。面白い話があってね。アンタも一枚噛んでみないかって誘いに来たんだ。ありがたく思いなよ。いい稼ぎになりそうだぜ。」

ポン助が妖力を抑えてじっと躯を睨みつけている。

「単刀直入に言おうか。人間界に阿呆がいる。最近はSNSだのなんだの人が人と直接つながることは少ないらしい。そこで、それを逆手にとって、間接的に連絡を取って取引をしたがってる女がいるらしい。バカな女でな。偽物の写真を信じ込んでぞっこんみたいでね。そいつと会いたいらしいんだが、ひどく不安がってて、うちらに話をぶっこんできたって寸法だよ。」

ポン助が眉をひそめた。躯は想定内の質問を想像していた。

「腑に落ちない点がいくつもある。1つ。その阿呆が自分で身辺調査もしないで女か男か知らないが、入れ込む理由がわからない。2つ。そいつ、なんで妖怪と連絡を取れるんだ? 3つ。人間をばかすくらいお前だけでできるだろう。なんでアタシが必要なんだよ。この3つだけでも筋が通らないだろう。」

躯が微笑んだ後、ポン助が舌打ちをした。

「あと1つ。4つ目だ。アタシはアンタが大嫌いだ。」

躯がケラケラ笑った。ポン助が露骨に嫌そうな顔をした。

「あっははは! どれから答えようものか。まずは簡単な方から行くか。どうだ。一杯飲もうぜ?」

さっと躯が酒瓶を取り出して、ポン助がため息をついて近くの公園の座椅子に座った。どこから召還したかわからないグラスに酒を注いで2人は乾杯した。躯は一気に飲み干して次の酒を注いだ。

「えっとな。まず2つ目だ。その人間はイタコでな、妖怪の世界にもある程度顔がきくんだよ。そんな奴の恋愛話なんて付き合ってらんねぇんだけど、元締めがやれっつーから仕方なくな。下っ端の苦労だよ。」

躯が酒をかっくらってまた注いだ。

「で、1つ目がな、依頼人の女なんだけど、名前は笹野上雲。有名人だろ? 妖界でもそれなりの有名人だ。依頼人がいうには、ある男がある女に惚れこんだんだよ。詳しいいきさつは知らないけどね。駒井あきねとかいう女にぞっこんなんだとさ。そいつの依頼を元締めが受けちまってアタシがその尻拭いさね。」

「さっき聞いたよ。でもどういうことだい? 笹野上雲が依頼主で、その男と駒井あきねはどういう関係なんだい? アンタの苦労話に興味はないね。」

ポン助が一杯開けて新しく注いだ後、躯はつまらなそうにグラスを開けて新しく注いだ。

「んで、男の名前は後藤正一。年甲斐もなく女にぞっこんで、笹野が駒井に相談されて、受けたって寸法さ。アタシら妖怪に依頼してきたんだよ。身辺調査もできるはずなのにできない理由があるんだってさ。まったく、後藤ってのは漢気の”お”の字もないやねぇ。笹野はアタシら使って身辺調査もこみこみでその、駒井あきねとかいう女を調べた上で取り繕ってほしいんじゃないんだろうかね。」

 ポン助が眉をひそめた。

おかしい。直接本人に聞くのが恥ずかしいなんて、小学生や中学生でもあるまいし、そんな度胸もないなんてどんな奴でも相手にしないだろう。不審に思って怪訝な顔をしているポン助に気づいたのだろう。躯が酒を飲んだ後、新しく注いで口を開いた。

「それに重なるんだけど、アンタの3つ目の質問の答えだ。アンタを巻き込みたくて巻き込むんじゃないよ。ダブルワークにしたいんだよ。」

ポン助が「はぁ?」と酒を飲みながら眉をひそめた。

「ポン助がどう思ってるか知らないけど、笹野ってなかなか頭のきれる奴でさ。ただのバカじゃない。何か裏があるからアタシらに助けを求めたのかもしれない。後藤ってのが、単純に告白するのが臆病で助けを求めたチンカスなら、それはそれでフラれるだけさ。でもね、なんか腑に落ちないんだよ。その裏があるならあるで面白い。ないならないでそれまでさ。そう思ってたんだけど、元締めの強硬姿勢も相まって、なんかムラムラしてね。」

「結論から言いなよ。うざったいのは嫌い。」

半妖の獣人であるポン助と躯が向かい合い、躯が笑った。

「じゃあ結論から言うわね。アタシは笹野を調べたいの。なんでそんな訳わかんないこと言いだしたか気になるし。で、アンタには駒井あきねとかいう女のことを調べてほしいの。身辺調査よ。」

「なめないでよ。アタシがアンタの為にんなことしてあげる必要なんてないわ。」

「そうかしら。アタシが信頼できる変化の能力、話術、性格、トータルで見てあなた以外に頼れる人が思い当たらなくって。」

躯のモジモジしたおねだり姿にポン助はイライラシた。内心、断ってやろうと思っていたが、躯の話には若干興味がわいた。ただの恋愛感情だけでそこまでするだろうか。だとしたら立派な異常者だが、笹野上雲という女は妖怪の世界でも有名な、高名な実力者だ。そこまで阿呆ではないはず。痴呆症にでもなっていなければの話だが。

 数分間、ポン助は酒を飲みながら黙ったあと、酒をかっくらってため息をついた。

「いいわ。不本意ながらアンタの話に乗ってあげる。ホントに不本意だけどね!」

「ありがとう。あなたが味方にいてくれると本当に助かる。」

グラスを空けて、躯が瓶を置いて去ろうとした。

「ちょっとさ。」

ポン助の言葉に躯が振り返った。その眼は冷たかった。

「えっとさ。アンタの話」

「アンタは相変わらず頭がいいのね。いっつもびっくりオッタマゲだわ。」

ポン助の言葉を遮って躯がほくそ笑みながら言葉を発した。

「じゃね。また。」

機構としていた意思を読まれていた。ポン助は苛立ちのあまり腕を組んで座った。

「ホンット! 狐って大っ嫌い!」


 第二章  ポン助の化かし合い。

 私は頭にきながら、人間界に赴いてアサガオの葉っぱをむしり取った。

頭にのっけて、躯からもらった写真の女、駒井あきねと一緒に写っている女に化けることにした。いきなり駒井あきねに化けても不審がられるだろう。駒井あきねがどんな人物か見定めるために手前を取った。躯達の狐の様な用意周到な陰湿な事はしないが、いきなり直接攻め込む様な阿呆ではない。まずは周りから固める。

 写真の女は鈴野明子。黒髪で外語大にいたらしい。人間界の言語はよくわからないが、今はイタリアにいるんだとか。

頭に葉っぱを乗っけて呪文を念じるとその女の姿に変身した。イタリアにいるんだから緊急帰国でも理屈はつけられるだろう。

 病理事務をしている駒井あきねを待ち伏せて、偶然を装って事務室で鉢合わせた。駒井あきねはすごく驚いた顔で自分を見てくる。

「あきちゃん! なんで?」

予想通りの回答だ。でも、ここでぼろを出すわけにはいかない。あの薄汚い狐に比べたらつたない嘘つきだろうけども、ここでばれたらまずいんだ。

「えっとね。仕事の都合で日本に緊急帰国になったの。1週間くらいだけどね。あきちゃんに会いたくなって、つい来ちゃったの。」

「やだなぁ。あっきーっていつも通りでいいじゃん。そんなかしこまらないでさ。」

「あっそうか。ごめん。イタリア生活が長くて。」

あの女はこの女の事を”あっきー”と呼んでいたのか。それから想像するにだいぶフランクな性格なようだ。あのバカ狐、情報量が少なすぎる。

「そっか。アタシ今日は早番なの。だから定時に上がれるから飲みに行こうよ。」

「う、うん。そうだね。私も今日は非番だし。」

「いつものあそこでいいよね。」

駒井あきねとの待ち合わせ場所なんて知らない。どうしようか数秒考えた。

その様子を見て、数秒してから駒井あきねが手を叩いた。

「そうだ! たまには趣向を変えて、駅前の”狛犬”にしようっか? 焼き鳥食べたい! いつもお酒ばっかりじゃん!」

私は伏目がちに頷いた。

「うん。そうだね。」

私が病院を去ろうとした時だった。

「嘘つけよ。偽物。」

私が振り返った時、駒井あきねは、恐ろしく鋭い目で私を睨んでいた。殺されるかとも思う程だった。

 全て見抜かれていたんだ。

これからの時間。どう過ごせばいい。

いっそのこと変化を解いて洗いざらい話すべきか。だが、あの女の洞察力はそんじょそこらの一流大学出のバカ女とは桁外れだ。何人もバカを見たことがあるが、それとは桁が違う。あっさりと魂胆を見抜かれた。これ以上、化け続けて鈴野明子を演じても、意味はないだろう。ならどうする? 全てをぶちまけて素直に聞き出した方がいいだろうか。だが、背景が見えないのに、突っ込むのは早計過ぎる。だけれども。

病院の待合室で悩んでいる時だった。駒井あきねだ。私は身構えた。攻撃するつもりはないだろう。周りの目がある。

「狛犬なんて知らないし、もう上がりなの。一緒に行こうよ。私とあきちゃんの行きつけの飲み屋に。」

怖い程鋭い視線だった。だが、本性を見せるわけにはいかない。何せ半妖だ。狸の尻尾と耳を生やした状態で会うわけにはいかない。2人だけならいいが、周りの人間から見たら、コスプレにしても奇怪な見た目だろう。

「お酒好きなの? なんなら買ってくるから、この病院の屋上とかでどお?」

駒井あきねがほくそ笑んで頷いた。

「あと10分くらいでいくわ。偽物さん。」

 駒井あきねが去り、私は大きなため息をついて病院を出た。すぐ近くにコンビニがあってビールを8本買った。駒井あきねがどれだけ飲むのかわからないが、私自身が飲む方だ。だからありすぎて困ることはない。

酒をもって病院の屋上に行った。屋上には、黒髪の長い髪の女が手すりにもたれて夕日を眺めていた。私の音に気付いたのか、振り返って微笑んだ。

「待たせたわね。それと、お酒、ありがとう。」

私が歩み寄りながら缶ビールを取り出すと、受け取って、2人で乾杯した。

「あなた、人間じゃないわよね。」

あまりにも直球な質問だ。この女はどこまで知っているんだと勘繰った。だが、色々詮索するのもバカらしくなって、人目がないことを確認して、酒を飲みながら変化を解いた。駒井あきねが驚きの表情で私を見る。私は頭に乗っかている葉っぱを放り投げて酒を飲んだ。狸の耳と尻尾に駒井あきねが驚いている。

「びっくりしたわ。本当に妖怪って存在するのね。」

「アタシもびっくりだよ。化けるのが得意技だけど、こうも簡単に見抜かれるなんてね。正直言おうか。アンタに鈴野明子のふりをして情報を聞き出したかったんだ。ある馬鹿垂れの依頼でね。そいつには借りがあるから。」

躯には、ある狼の妖怪に襲われて喰われかけられた時に助けてもらった。それが借りだ。

「ふーん。そうか。職業柄、いろんな人を見るからね。偽物か本物かくらいはわかるよ。あきちゃんはそんな喋り方しない。」

駒井あきねがビールを飲んでゲップをした。私も飲んだ。

「で? あきちゃんの何がききたいの?」

「いや。鈴野明子の事じゃないんだ。笹野上雲の事を聞きたくてね。」

急に駒井あきねが表情を曇らせた。目を泳がせて狼狽している。何かやましい事でもあるんだろうか。今ここで躯の依頼内容の全容を言ってもいいかと思ったがやめておいた。

「笹野さん? 私は担当看護師っていうだけで詳しい事は知らないわ。」

酒をあおる駒井あきね。私は質問を斬りこんだ。

「あなたと懇意にしてたとか。ある悪友から聞いたわ。」

駒井あきねがきょとんとして、数秒黙ってから、ほくそ笑んだ。

「あなたの悪友が何をしゃべったかわからないけど、私と笹野さんはなんでもないわ。それに、何も聞いてないの?」

私は首を振った。

「ふふ。失礼ですけど、お名前は?」

「ポン助です。」

ビールを吹き出して大笑いする駒井あきね。私はイラっとした。

「見たところお嬢さんなのにポン助なんですか? 面白い。」

「よく言われます。まぁ、狸の妖怪なのでポンがつくのはわかりますが、両親のネーミングセンスにはへきえきしますよ。狸なんで子だくさんだからテキトウに付けたんでしょうね。いい加減な親なので。」

「いいじゃない。楽しい家族。気楽で羨ましいわ。」

「それよりも笹野さんの話を。」

2人とも、新しくビールを取り出してタブを開けた。

「そうね。話を逸らせてごめんなさい。ポン助さん。端的にいうわね。笹野さんは末期ガンなのよ。肝臓のね。どんな最高の医療で処置しても余命1年くらいかしら。肝臓ごと取り換えても、ドナーがいないといけないし、拒絶反応が起きても死は免れない。そんな人だった。笹野さんは自分から治療を拒否して、退院を望んだ。先生はそれに同意して、笹野さんは退院したわ。」

私はその話に驚愕した。余命いくばくもない女。だのに、なぜ駒井あきねに執着するのか。

「私があなたの名前を聞いた理由にその意味も含まれているの。笹野さんはイタコの家系に産まれて、いろんな人の悩みとか降霊術を駆使して体を張ってきたんだって。看護師でも、患者さんの話を聞いたりしたのよ。笹野さんは正直しんどかったって、愚痴をこぼしていたわ。それもそうよね。自分には何のメリットもないのに、人の悩みや愚痴を聞かされて、知らない人を自分の体に宿すんだから。お酒に溺れた自分自身の弱さをくいてはいたけど、仕方ない事じゃないかなって思う。」

 ポン助はビールを飲みながら空を見つめる駒井あきねに何か憧れを感じた。

どう見てもまだ若い。30歳前くらいじゃないだろうか。そこまで達観できるものだろうか。自分もビールを飲んで2人で新しく開けた。

「ねぇ。失礼ですけど、駒井さんはおいくつ?」

「今年で27.まぁまぁのおばさんよ。」

「そんなことない。まだまだ若いでしょ。」

2人でビールに口をつけて、ため息をついた。

ポン助の疑念は増した。

年を取った女が若い女に色目を使う男の悩みを、躯に、異界の妖怪に身辺調査を依頼するだろうか。後藤とかいう男は、玉砕覚悟で告白する準備のつもりか? キャバ嬢に貢ぐほど阿呆ならこの件とっととケリをつけて降りてもいい。だが、妙だ。生い先短い女がそこまで入れ込むにしては、躯からの情報では想像に難しい。何か裏があるんじゃないか。だが、その真相がわからない。この女から何をどう聞き出せばたどり着けるんだろうか。

「もしかして・・・」

ポン助が呟くと、駒井あきねが不思議そうにポン助を見た。

「どうしたの?」

ポン助は葉っぱを拾って、缶ビールを飲み干した。

「後藤さん、後藤正一さんを知ってますよね?」

駒井の表情が曇った。缶ビールを新たに開けて口をつけた。

「えぇ。元々ここの患者さんだったんです。霊的なものとかそういうオカルトが好きで、笹野さんにもいろいろ話してました。笹野さんが本物のイタコだって知って、興奮して。後で笹野さんに聞いた話ですけど、アタシの事を調べてくれって。できれば、笹野さんに、私の精神を降霊させて、話をさせてくれないかって。悪い人じゃないんですけど、すごくシャイで、私に直接っていう事はしなかったんです。後藤さん。」

「そうなんですか。それで、後藤さんは?」

「退院してから、私には連絡を取ってきません。笹野さんには会ってるみたいですけど。詳しい事は知りません。」

駒井が缶ビールを飲んだ。ポン助は新しく缶ビールを開けて、「そういう事か。」と呟いた。駒井が「どうなさいました?」と聞いてくる。ポン助は「いえ。」とビールを飲む。

だが、ポン助は納得がいかなかった。何故、笹野上雲は躯に依頼したのだ。そんな必要ない。後藤の言う通り、駒井を自分に憑依させて愛の告白なりなんなりしてやればいいんだ。わざわざ躯を呼んで、依頼する必要は無かったろう。ポン助は違和感を感じた。だが、これ以上、駒井に話を聞いても何か出てくるだろうか。ポン助は悩んだ。もう1つ気になった事がある。余命1年と宣告された笹野は、今何をしているんだ。ポン助が口を開いた。

「笹野上雲さん。末期癌の告知をされた後、病室を離れたりしなかった?」

「え? あぁ。たまに散歩に行きたいって言って、院内の奥の公園に行きたいっていたわ。看護師もついてこないで欲しいって言って、1人で。杖を突きながら点滴の針を外さずに苦しそうに公園の奥に。あの時の剣幕は、いつも優しい、温和な笹野さんとは違ったわ。怒らせると悪いから、私達は病院の入り口で待ってた。」

ポン助の予想が的中したと、ポン助は確信した。そういうことなら。ポン助は躯を殴ってやりたい気分だった。

「そうですか。貴重なお話ありがとうございました。あと、明子さんに化けて騙そうとしてごめんなさい。」

帽子をかぶる様に葉っぱを頭に乗せて、駒井あきねも知らない女性の姿に変化した。

「おぉ~! すごい!」

駒井あきねが手を叩いて驚いていた。

「狸女の姿じゃコスプレっていっても限度がありますから。心配しないでください。誰にも危害は加えません。」

ポン助が立ち去ろうとした時、背後から声がした。

「笹野さんによろしくお伝えください。」

ポン助は振り返り、会釈をした。

屋上を出て、ポン助が病院の階段を下りている時、舌打ちをした。

「あんのクソ狐。そばかうどんにして喰ってやろうか。」

表情は静かだが、内心煮えくり返っていた。


 第三相 ポン助と躯 ポン助怒りの絶頂


 ある夜。ポン助は躯を呼び出した。

駒井あきねを呼び出した数日後だった。ポン助はイライラしながらウィスキーを飲んでいた。よく行くバーだった。駒井あきねと別れた時の女の姿に変化して飲んでいた。

何か感じたことのある妖気を背に、バーの入り口の鈴の音に振り返ると、はらわた煮えくりかえる、見たことのある女が現れた。

「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」

「いえ、連れです。そこいいですか?」

ポン助の隣を指さす女。店員は「はぁい。お連れ様ですね。どうぞ!」と快く案内してくれる。ため息をつきながら躯が人間界でよく使う女の姿でポン助の隣に座った。

「相変わらず香水きついんだよ。」

「だって、人間界じゃキャバクラで働いてるんだから。これくらい普通よ?」

確かにキャバ嬢ならこのくらい香水をプンプンさせてもおかしくない。ポン助にとっては鼻につく嫌な臭いでしかなかったが。今そこに注目する必要はない。

「単刀直入にいうわ。アンタ。知っててアタシを使ったの?」

躯がきょとんとした顔でポン助を数秒見ていた。クスッと笑って一番強いウィスキーをボトルで頼んだ。

「口が悪いわよ。全部知ってたらアンタにこんな事頼まない。」

余裕の表情で躯がウィスキーを飲む。

「でも知ってるんでしょ? あの女が肝臓の末期癌だって。それに、後藤正一。駒井に恋愛感情持ち込むなんてバカじゃないことも。アタシがあの女を調べて、アンタがあの男を調べるっていう意味不明な役割分担。何考えてんの?」

躯が恐ろしく冷たい眼でウィスキーを飲みながらポン助を見た。睨んだといってもいい。

「はぁ。」と息をついて、躯が声を出した。

「ポンちゃん。アタシはね。正直知ってた。多分だけど、ポンちゃん、あの2人のこと知ってるよね? 違う?」

ポン助は何も言えなかった。でも、躯はポン助の確信を読み取ったように、微笑んで話し始めた。

「多分、ポンちゃんの予想通り。後藤正一は、ビビりのチンカスよ。でも、笹野上雲に、駒井あきねへの害意はないわ。駒井あきねからもね。あの女が私に望んできたこと。私も最近わかったの。ピンポンかわからないけど。ポンちゃんから聞かせて。」

相変わらずムカつく狐だ。この女とは一生分かり合えないと思う。

「多分だけど。笹野の行動からして、誰か降霊したんでしょ。誰を降霊したカまではわからない。でも、余命いくばくもない自分の生命を、誰かのために使いたい。そんな意思があの女を動かしている。自分の弱さで自分の体を痛め続けて、自業自得。最期の最期で誰かのために。って。」

躯が酒を飲んで微笑んだ。

「狸のくせに賢いんだね。その通りだよ。」

「狸のくせには余計だよ。薄汚い狡猾な狐の分際で。」

躯が酒を飲んで、ポン助も飲んだ。

「アタシも笹野上雲の友人に化けて近づいて、多分バレてたけどいろいろ話を聞いた。結論から言うと、あの駒井あきねっていう女? 親が早くに死んじゃって、姉と2人で過ごしてたんだってさ。かなり甲斐甲斐しく、母親みたいに、お弁当作ってあげたり、妹のために学費を稼ぐために、中卒で仕事を始めて稼いだり。

笹野上雲も母子家庭で辛かったらしい。そんなこんなで駒井あきねに同情して、もしも何か助けになればと思って、自分の降霊術を生きているうちに利用できないかって。それで入院中に人気のない所で駒井あきねの姉さん。駒井つくよさんをよんで色々話したんだってさ。」

「なんでよ。」

躯が不思議そうな顔をした。

「そんなことできるんだったら、つくよさんとあきねさん会わせてあげればいいじゃない。こんな訳わかんない事!」

「それができないのよ。」

「なんで!」

ポン助がテーブルを叩いて立ち上がった時、周りの客が驚いて、静まり返った。

数秒して、躯が口を開いた。

「複数理由があるわ。1つ。つくよさんの死因。2つ。あきねさんがそれに恨みと姉を想う気持ちが混在して決めきれないこと。3つ、つくよさんが死んだのはあきねさんが望んだ事じゃないのに、あきねさんに自責の念がまとわりついている事のつくよさんの後悔の念。それらが織り交ざっていることが辛いっていうのが、笹野上雲が降霊した駒井つくよさんの本心だった。それを謝りたい。そう言いたいっていうのが、駒井つくよさんの本心であって、それを本人からあきねさんに伝えたいって。それが、つくよさんの心からの願いだったらしいわ。」

ポン助が閉口した。

「はっきり言って、後藤正一なんて完全に蚊帳の外よ。駒井さん、あきねさんの方ね? 笹野上雲も後藤なんて相手にしてない。アタシを呼ぶ口実だったのよ。」

ポン助は、ある程度予測していたが、そこまで深い話とは思っていなかった。

「つくよさんの死因って何?」

躯がウィスキーを飲み干してため息をついた。

「犬吠埼で飛び降り自殺。」

ポン助が絶句した。自殺の名所として有名だが、まさか、そこまで思いつめるなんて。

「ポン助。今回の事軽く考えてるかもしれないけど、あきねさん、つくよさんに加えて笹野さんも絡んで複雑な意志のぶつかり合いなの。ただの恨みつらみのぶつかり合いじゃないのよ。そこはわかって。」

「どうせ、アンタも笹野から何か聞きだしたんでしょ?」

ポン助の言葉に躯が目を細めてウィスキーを飲んだ。

「それより、駒井あきねの話が聞きたいわ。笹野に他意がないとして、結論から言うと、笹野も彼女を対象として見ていない。じゃあなぜ? って事になるわよね。そこにポンちゃんは敏感に察知した。そこが気になるの。」

相変わらず、細かい所を畳針でついてくるような女だと、ポン助はイラだった。

「駒井あきねは見抜いてたわ。さっきも言ったかしら。でも、イタコの笹野が不自然な行動をとった事と、つくよさんの話を聞いたら、大体の予測はつくわ。確信に近いけど、証拠はない。あの女、イタコの能力を発揮してつくよさんを召還したわよね? それで、あきねさんに伝えたいことがあると知らせた。だから、あきねさんと会いたいってアンタに懇願した。そんなところじゃないの? その内容まではわからないけど。」

躯がウィスキーを飲み干して微笑みながら手を叩いた。

「やめてよ。恥ずかしい。」

「いやぁ、立派なもんだ。いい観察眼だね。その通りだよ。あの女と会って話を聞いたらゲロってくれた。アンタの言う通り、駒井あきねの無念を晴らしたい、そして余命いくばくも無い自分の命を彼女のために使おうと決意したんだってさ。でもね、肝心なつくよさんの意思は聞かされなかった。あの女の最期の願い。全財産出してもそれだけは守ってほしいってさ。」

躯がウィスキーを飲む。ポン助はじっと見つめていた。

躯がこれまでとっていた行動は、笹野上雲との接見と身辺調査。ポン助との情報と合わせると状況の真相が見えてきた。躯が静かな顔をしていると、ポン助がウィスキーを飲み干してテーブルに叩きつけた。店員が「お客様?」と心配してきたら「もう一杯。」と、ポン助は頼んだ。

「大体想像はつくよ。笹野。最期の最期で駒井あきねの姉さん、駒井つくよを召還して死ぬつもりだね。」

躯は目をつむった。霊界から魂を呼び寄せるのは多大な霊力を要する。体への負担はもっと大きい。だが、ポン助はもっと気になることがあった。

「なんで、つくよさんは自殺なんて。」

躯は静かにポン助を見ていた。ウィスキーを飲み干して、新しく頼んだ。

「生前に、あきねさんとつくよさん、壮絶な姉妹喧嘩をしたんだって。それで、説得しようとしたつくよさんが怒っちゃって。きっかけは、あきねさんとつくよさんを気にかけてくれた優しいお姉さん。つくよさんの友達。足立さん。」

ポン助はウィスキー片手に、閉口した。

「足立澄子さんって人がいたんだけど、つくよさんも、あきねさんも大好きだったみたいで。ある理由があって、流産して、男に逃げられて、生きる意志を失ったって言って、かなりへこんでいたみたいなの。それをあきねさんとかつくよさんの前で吐露したみたい。自分より、精神的に強いと信じ切っていたあきねさんは、そんな足立さんを許せなかったんだってさ。それで喧嘩になったんだけど、つくよさんが仲裁に入って、あきねがあまりにもわがままだから、つい、手が出ちゃったんだって。その様子を見て、足立澄子さんは、泣きながら、ごめんって言って去って行ったんだって。翌日、足立さんは投身自殺をしたんだってさ。高層ビルの屋上から。」

ポン助は聞いていて胸が張り裂けそうになった。

「何もかも失った足立さんと親友だったつくよさん。かなり精神的にまいっていたみたい。自分の精神も制御できないあきねさんは、姉のつくよさんにあたり散らした。それが、つくよさんの精神を更に蝕んだ。仕方ないわよね。あきねさんだって当時はまだ若かったんだし。大人の品性っていうか、理性を求めるには若すぎたのよ。」

ポン助はやるせない気持ちになった。整理すれば、親代わりのたった一人の姉と、それを支えてくれた姉の友に、悪態をついて、足立澄子の彼氏の悪性を含めたとしても、不遇の先に、駒井あきねは感情に任せて、姉にあたり散らした。そしてそれが最悪の結末を生んだことを、躯の口からきくことになった。

「あの女の降霊で本人から聞いたんだって。今までの話もね。荒れ放題。毎日の様に酒に溺れ、いくら、つくよさんが静止しても暴れたり、夜の居酒屋に深夜まで1人で飲み続けたり、他のお客さんに絡んだり、かなりひどかったらしいわ。つくよさんもかなり精神的にやられてた時に、火に油だよね。」

ポン助は駒井あきねの見方が変わった。どれだけわがまま放題な奴なんだと。

「悲劇は続いたんだ。数週間後、つくよさん犬吠埼に行った。さっきも言ったけど身投げしたんだ。本人の話じゃ、浴びるほど酒飲んで、酒で睡眠薬をバカみたいに大量に飲んでふらつきながら飛び込んだんだってさ。確実に死ねるようにって。」

ポン助がウィスキーのグラスをテーブルに叩きつけた。躯は驚いていた。

「ばっかじゃねぇの!? 」

躯が静かにウィスキーを飲んでいる。マスターが「お、お客様。あまり大きなお声は。」とおろおろしていた。躯が静かな目でマスターを見た。

「大丈夫。ただの酔っぱらいだよ。お冷2つちょうだい。」

マスターが頭を下げてお冷を作りに行った。躯はため息をついて、マスターに言った。「アタシのお替り一つお願い。アタシはこいつみたいにベロベロじゃないから!」

「ったくさ。あの女なんなんだよ! アイツこそ死ねばよかったんじゃねぇのか?」

「んな無茶苦茶いうっもんじゃねぇさね。実際死んじまったのは姉さんとその友達だ。友達の方は悲劇でしかないけど、姉さんの方はあきねにも責任がある。母親代わりに面倒見てくれたってのに、ひでぇ妹だよ。」

「そうだな。その通りだ。今からアイツひっぱたいてやりてぇ!」

立ち上がったポン助の腕を躯が掴んだ。ポン助の眼が静まり返った。躯の眼は恐ろしく鋭く、なんでも切れそうな目だった。それに、腹の底から感じる恐ろしい恐怖。ただの奔放な狐の妖怪だと思っていたが、何か違う。ポン助はそう感じた。

「いい機会かもしれないな。アタシの昔話に付き合えよ。とりあえず座れ。」

ポン助は躯の冷徹な眼に抗えず、カウンターに座った。マスターがお冷とウィスキーを持ってきた。

「お前と初めて会ったのは、何百年前だっけ?」

「大体500年前くらいか。それがどうした。」

「そうか。それくらいかな。アタシの昔話ってのはさ。生まれ育ちだよ。ごちゃごちゃ長話はしないよ。アタシがそういうの嫌いだからね。」

話はそれたが、そういえば躯の出生について聞いたことはない。ポン助は水を飲みながら黙っていた。躯は微笑んだ。

「まず、アタシの名前。狐の妖怪で女にしてはいかついだろ? アタシはね。きれいな言い方をすれば孤児。リアルな話をすれば捨て子なんだよ。親の顔なんて知らない。兄弟がいるかどうかも知らない。奇跡的に物心ついた時にいたのが躯地区だったんだ。妖怪の世界でも後ろから数えた方が早いヤバイ階層のあの躯だよ。」

ポン助は正直驚いた。躯が孤児だったことと、躯地区の出身だったこと。

 躯地区。深く広い妖怪の世界、妖界の中でも超高レベルな妖怪ばかりが住んでいる世界。「僕はレベルが高~いからぁ。」とかいうバカなカスは低い階層にうじゃうじゃいるがそういう奴らとは比較にならない、本物の集まり。その中でも躯地区は100階層ある中でも98階層。ハッタリ榎本なんていうのは10階層にも行けないただのバカで、躯地区で叩き上げられたら凄まじい潜在能力を持つ。ポン助は50階層で生まれ育った。目の前の狐が恐ろしく思えた。

「それでさ。アタシはいろいろ学んだよ。世の中、弱肉強食だって。躯地区の生まれで、名付け親もいない。だから、躯って名乗ったんだ。階層が静かになるたんびに、上の階層はちょろいなって思った。それで、アンタのいる階層まで行ったんだよ。別に、名を上げたいとか、誰かぶっ飛ばして一大勢力を立ち上げたいとか思ってなかったよ。妙に居心地がよくてさ。ここにいようって思った。」

「あの狼の妖怪はっ倒した理由も頷けるわ。躯地区の叩き上げだったのね。」

ポン助がウィスキーを飲み干してお代わりを頼んだ。躯も酒に口をつけた。

「そうよ。アンナ子犬なんてアタシにとっては楽勝。もっとヤバい巨人とか鬼相手に、命からがら逃げて、ゴブリンとか人狼とかを撃退して、生きるために汚い仕事もした。全部生きる為よ。」

ポン助は内心驚いていた。自分が死を覚悟するくらい強かったあの狼の妖怪を、躯は子犬と言うのだ。躯地区にいた頃の巨人や鬼に対する恐怖は比較にならなかったろう。

「アタシは、両親の顔も知らないの。そりゃそうよね。物心つく前に躯地区に捨てられてたんだから。今更会いたいなんて思わないわ。」

「もしかしてだけど?」

躯がウィスキーを飲みながら首を傾げた。

「その話、笹野にした?」

「したわよ? 駒井あきねと少し似てるかもって思って、雑談がてらね。」

「駒井さんも相当だけど、アンタに比べたら相当ましじゃない。駒井さんには?」

「してないわよ。ひけらかすような悲劇でもないんだから。」

ポン助は黙った。躯はウィスキーを飲み、おかわりを頼んだ。お冷には手を付けていない。

「さぁて。そろそろ話を戻そうかしら。アンタには駒井あきねを調べてもらった。正直言って不十分だけど、まぁいいわ。駒井あきねは何か知らないけど、笹野上雲の心をがっちりつかんだみたいね。」

躯がごそごそとバッグから財布を取り出して、クレジットカードを店員に渡した。ポン助はウィスキーを飲み干してため息をついた。

「ちょっとね。本当にもうちょっと。アタシのわがままに付き合ってほしいんだ。」

ポン助はじろっと躯を睨んだ。この女は信用できないという目だった。

「何よ。もう借りは返したでしょ?」躯は微笑んだ。それが気持ち悪いどころか、ポン助には不気味にさえ思えた。

「命の恩人のわがまま。もう1つくらい聞いてもいいんじゃない?」

「何よ。」

ムスッとした表情に対して、躯は微笑んでいた。

「あのね、駒井あきねに化けて笹野上雲に会ってほしいの。目的は、つくよさんとの詳しい話。何をどう聞き出したいのか。」

「はぁ? アンタがもうやったんでしょ? 今更必要ないじゃない。」

「まぁ、ある程度はね。でもね、まだ足りないことがあるの。力貸してよ。」

ポン助は渋々引き受けて、躯の話を聞いた。その内容は、あまりにも衝撃的で深刻なものだった。なんて重い話に首を突っ込んでしまったんだ。

 ポン助と躯が変化したままバーを出て別れた。家に入る前まで変化は解かず、ポン助は家のドアを閉めた後、大きなため息をついて変化を解き、頭に乗っかった葉っぱをゴミ箱に捨てた。ごろっとベッドに倒れこみ、ぬいぐるみを抱きながらため息をついた。

「何なのよアイツ。」


 第四章 ポン助、まさかの再会


「何よ!」

何度もポン助の家のインターフォンを鳴らす音に、寝起きのポン助は髪をくくって覗き窓から外を見た。あまりにもぎょっとして怒りもおさまった。正確にはおさまったというより早く対応しないとまずいと思った。ガチャッとドアを開けるとはじけるような笑顔の巨乳の小柄で兎の耳を生やした女がいる。

「おっはー! ポンちゃんおひさしー!」

「いいから入んなさい!」

ポン助が兎耳の少女を連れ込んでリビングに座らせた。

「ラビ! アンタ、まさかここまでその姿で来たんじゃないでしょうね!」

「何怒ってんのポンちゃん。このまんまだよ? ムーちゃんに言われて、ポンちゃんに話聞けって言われたのだ!」

ケラケラ笑う目の前の女にため息しか出ない。

 目の前の女はラビ。兎の妖怪で妖怪学校の同級生だ。なぜかいつまでも成長しない体で、傍から見たら小中学生くらいだろうか。馬鹿みたいにケラケラ笑って遊びまわり、周りの事なんて気にしない。周りの友人はいつも疲れさせられる。でも、嫌われることはなく、どこか筋を通った言動をする。不思議な存在だった。

先日の躯のメールで、ラビがこの話に入るとは聞いていたが、まさか昨日の今日で、しかも朝から乗り込んでくるとは夢にも思わなかった。

「アンタさぁ。ここ人間界だよ? 変化くらい多少なりともできるでしょ?」

「あははは! あちしそういうの嫌いだから。ポンちゃんとかムーちゃんみたいに変化得意じゃないからこれでいいのだ。」

怒る気も失せるくらいの満面の笑顔にポン助はため息をついた。

「なんか飲む? お酒はダメだよ?」

「じゃあコーラかペプシかジンジャエールがいいのだ!」

「朝からギャーギャーうるさいね。ご近所さんに怒られたらアンタが謝りに行きなさいよ? もちろんその兎耳と尻尾隠してね。」

「え~。帽子持ってきてないのだ。ポンちゃんの貸して!」

本当に、朝から苛立たせる女だ。昔からだが、天真爛漫で気持ちのいい反面、真っ向から相手をするとうっとうしい。躯から、ラビを使うとは聞いていたが、なぜなぜにこの女を選んだのか。しかも、いきなりポン助の家に押しかけてくるなんて。ポン助はグラスにコーラを2つ入れてリビングに戻った。

「わーい! ありがとうなのだ!」

元気に飲み干してゲップをするラビ。ポン助はため息をついてペットボトルごとテーブルに置くと、ラビは子供の様に喜んで自分でグラスに注いだ。

「で、急に押しかけて何?」

「え? ムーちゃんから聞いてないの? アチシ、ポンちゃんの手伝いにきたのだ! 変化は苦手だけど、ポンちゃんが駒井あきねっていうおばちゃん調べて、ムーちゃんは笹野上雲とかいうおばあさん調べるって役割分担なんでしょ?」

「じゃあアンタは何すんのよ。変化は得意じゃないし、アタシの手伝いって何すんの? 駒井あきねのストーキングでもすんの?」

ポン助はため息をついてコーラを飲んだ。

「キャハハハ! 違うのだ! アチシはね、鈴野明子の調査だって。ポンちゃんとムーちゃん程じゃないけど変化だけはできるから。ムーちゃんから聞いてない?」

「鈴野さん? それをどうしろってのよ。今イタリアよ? 霊界にでも行かなきゃ話はできないでしょ。」

 急にラビの視線が鋭くなった。普段はひたすら明るい、泣く子も笑う阿呆な兎として有名だったが、たまにこんな顔をする。冷徹で真剣なまっすぐした目をする。

「実はね。鈴野明子が駒井つくよさんの自殺に絡んでるんだって。駒井あきねさんじゃないって、ムーちゃんから聞いた。そこの真相がまだわからないから、ムーちゃんは笹野上雲を調べて、アチシの調べた結果からつくよさんに聞きだすんだって。それがムーちゃんの計画。」

朝からとんでもない情報をぶっこんできたラビの言葉に、ポン助は寝起きの頭では追いつけなかった。酒が飲みたくなった。

「どういうこと? 駒井つくよさんの自殺に鈴野明子が絡んでる? ただの妹の友達でしょ? 躯は。なんて?」

ポン助は頭がこんがらがってきた。ラビに言った言葉が一番端的で、一番の疑問点だ。

「簡単に言うね。アチシも聞いただけだから真相はわからない。でも、ムーちゃんの話聞いて、今イタリアにいる鈴野明子がどう関連しているか、詳細は確認できていないんだって。それに、真相を追求するために、笹野上雲に駒井つくよさんを降霊させることはできても莫大な霊力を要する。死ぬ寸前の笹野上雲に何回もできる霊力はないのだ。でも、鈴野明子はいま日本にいるのだ。だから会いに行こうと思えばできるのだ。」

ポン助にとっては、訳の分からない状況とまた衝撃の情報が舞い込んできてため息をついた。その日は人間界での仕事もないし、冷蔵庫からビールを取り出した。勢いよく飲んでまたため息をつく。

「ポンちゃんずるいのだ! アチシも飲みたい!」

ポン助がビールを取り出してラビに放り投げた。嬉しそうに開けてぐびぐび飲んでいる。「なんで鈴野明子が日本に?」

「知らないのだ。会社の都合じゃない? ムーちゃんからは日本にいるって聞いてるだけなのだ。」

「もう1つ。躯からは、妹がつくよさんを精神的に追い詰める結果になって自殺したって聞いてるけど、やっぱり気になる。そこに鈴野明子がどう関係してくんの?」

「アチシに聞かれても困るのだ。それをムーちゃんが調べるのだ。」

 ポン助は状況を整理した。

まず、つくよさんはあきねさんに言いたいことがある。その為に、勝手に笹野上雲が動いて、余命幾ばくも無い自分の力を使おうとしている。そして、つくよさんの自殺に妹の友達が絡んでいる。その真相を探るために、躯は笹野上雲、ポン助は駒井あきね、ラビは鈴野明子を担当して真相を探る。旧知の仲とは言え、なぜラビを巻き込んだのかも気になる。あの狡猾で冷徹な躯が無目的に旧知の仲だというだけでラビを巻き込むとは思えない。ラビの最大の能力は、際立った跳躍力と底抜けに明るいキャラクター。確かに、油断させるには有効かもしれない。その時、ポン助は、はっとしてビールの缶を握りつぶした。ラビは驚いてきょとんとしている。

「どうしたのだ? お腹でもいたいのか?」

ポン助は察した。そして、躯の狡猾な性格を改めて嫌った。

躯は言っていた。ポン助の変化の能力をかっていると。つまりは、鈴野明子に近づくために、ラビに変化の術を使えということだろう。そう考えれば筋が通る。ラビを合わせた理由がそれだろう。陰湿で狡猾。はっきりと肝心な事はいわない。まったくもって腹が立つ。

ポン助はもう2本缶ビールを取り出して、1本をラビに投げた。

「キャハハハ! ありがとうなのだ!」

無邪気に喜ぶラビを見ながら、ポン助はタブを開けて飲んだ。

「躯はいつまでにとか言ってた?」

「う~ん。ASAPって。アチシ人間界の英語よく知らないんだけど、見てみたら、できるだけ早くって意味らしいよね。ムーちゃん昔っからドSなんだから。」

ポン助がため息をついた。まぁ、いいだろうと思って観葉植物の葉っぱをちぎって、ラビの前にファッション誌を置いた。

「好きな女優を選んで。その人に変化させるから。」

ラビが目を輝かせてファッション誌を開いた。ポン助はビールを飲みながらやるせない気分になった。

 数分後、ラビはファッション誌をテーブルに置いてスマホをつつき始めた。このファッション誌にはお気に入りがいなかったんだろうか。ポン助が訝し気にラビを見ていると、ラビが微笑みながらスマホをつきだしてきた。

「アチシこのキャラがいい!」

ポン助が目を細めてスマホの画面を見ると、人間界で言うところの20年くらい前のアニメのキャラクターだった。緑の髪できれいな顔立ちの成年のくノ一だ。ポン助も見たことがあるアニメだった。ラビの性格とはよくマッチしていると思ったし、大人びた反面、天真爛漫な阿呆には適切だった。誰でも気を許すだろう。

「わかった。できるだけやるよ。」

ラビの頭の上に葉っぱを置いて、呪文を唱えると、煙とともにラビが変化した。

ラビがきょとんとして自分の手足を見ていると嬉しそうに笑って、ポン助の家の姿見の前に駆けていった。「キャハハハ! すごーい!」と楽しそうな声が聞こえた。ポン助はなるべく似せたつもりだが、さすがにアニメ顔という訳にはいかない。目がでかすぎるのがアニメキャラだ。忠実に再現したら気持ち悪がられるだろう。

「ポンちゃん! マジ嬉しい! ありがとう! ずっとこのままでいい?」

「術にも制限があるから。もって2週間かな。あんまり派手に暴れないでね。妖力どうしがぶつかると効果が薄れやすいんだよ。」

「うんわかったのだ! ポンちゃんありがと!」

ラビは変身した姿でビールを飲み干してポン助の家から出ていった。ポン助の思った通りだ。ラビに変装させるために自分が体よく使われた。ポン助はもう1本缶ビールを飲んでため息をついた。

翌日。躯、ポン助、ラビが動きだした。躯は笹野上雲と駒井つくよの降霊の手伝い。ラビは鈴野明子との接触とつくよの自殺の真相調査、ポン助は駒井あきねのさらなる情報の聞き出しだ。

ポン助は狸の耳と尻尾を隠すだけで素顔のままで行った。一度顔を見られているのだから駒井あきねに隠す必要はなくなったんだ。駒井あきねの勤めている病院に向かい、受付を見渡した。駒井あきねの姿はなかった。今日は非番なのだろうか。周りを見渡して看護師に尋ねた。

「あの、すみません。今日、駒井あきねさんっていらっしゃいますか?」

「いや、勤務中ですよ。今日は小児科病棟で勤務してますが。お知り合いかお待ち合わせですか?」

「いえ、私、駒井さんと知り合いで、看護師の勉強中なんです。駒井さんが今日なら会えるって言われたんで会いに来たんですけど。そっか小児科ですか。」

訝し気に見られたが、すぐに看護師の女は表情を柔らかにした。

「そうですか。彼女、保育士の免許持ってるからたまにヘルプで呼ばれるんですよ。朝礼でいきなりだったんで本人も面食らってましたから、ご存じなくても仕方ないですね。多分、お子さん達の保育ルームで面倒見ていると思いますよ。」

「そうなんですね。ありがとうございます。」

ポン助はぺこりと頭を下げて立ち去ろうとした。その時、女性看護師が呼び止めた。

「お客様? ちなみにお名前は?」

さすが病理関係者だ。セキュリティが強い。確かに自称友人というだけでは不審者と思われかねない。ポン助は偽名を考えた。

「あぁ、失礼しました。私。野上律子といいます。あきちゃんとは昔から仲良くて。生前ですけど、お姉さんのつくよさんとも親交がありました。でもあんなことになっちゃって・・・」

ポン助は悲し気に顔を伏せた。こういう時は泣き落としではないが、相手に対応を困らせるのが一番逃げやすい。女性看護師は気まずそうに両手を振った。

「いえいえ。失礼いたしました。駒井さんのお姉さまの事は初めて聞いたので。お辛い事を思い出させてしまい申し訳ございません。」

女性看護師がぺこりと頭を下げて、ポン助は「いえいえ」といい、その場を去った。

 小児科病棟に行く間。ポン助は考えていた。いきなりつくよの話を切り出すのは警戒される。先日の話では上雲との懇意はない。ただの患者と看護師の関係だと。だが、躯やラビからの情報を換算するとそこに踏み込まなければこの話の裏は見えない。どう切り込んでいこうか。警戒されて一度閉店ガラガラされたら突破口はない。ならどうするか。ポン助は考え続け、いつの間にか小児科病棟についた。頭を整理しようと受付前のソファに腰かけて考えていた。妙案が浮かばない。浮かんだのは、躯やラビから情報を引き出した後で実状をつきつける事。だが、それには時間が足りない。何しろ笹野上雲の寿命が近いのだ。悠長にしていられない。ならどうする? 玉砕覚悟か? そもそも何を聞き出す? 頭がこんがらがってきた。腕を組んで悩んでいると女性看護師が「あのぉ~」と声をかけてきた。ポン助がはっとして顔を上げると、女性看護師は心配そうに見つめてくる。

「御親族の方ですか?」

「いえ、駒井あきねさんの友人で。今日のお昼に休み時間の間お話ししようって言って。待ってるんです。」

女性看護師がちらっと時計を見る。11時46分。悪くない言い訳だ。

「あら、そうだったんですね。駒井さんは12時に休憩というかお昼ごはんになりますので、もう少々お待ちください。よろしければお伺いになった旨お伝えしますけれども、お客様のお名前は?」

ポン助は困った。ただでも考え中で頭がこんがらがっているのに、ここに来てクリティカルな質問だった。野上律子なんて、即興で作った偽名を駒井あきねが納得する訳がない。この女に取り次いでもらうわけにはいかない。ならどうする? 乗り込んでいくしかないか。実際顔を合わせれば、それ以上の本人確認はない。それが一番得策か。

「えっと、野上律子といいます。あきちゃんに会いたいし、私子供が好きなんです。保育ルームにいると聞きましたけれども、私も入れますか?」

「えっと、入るには構わないんですけど、徹底した除菌と保護が必要でして。お客様の全身を滅菌しなければなりません。衣服も含めて。お子様たち自身がウィルス感染や、はしか、インフルエンザなど様々な症状を持ってます。お客様からもお子様からもそういった感染症が出てしまうと生死にかかわりますので、あまりお勧めはできません。」

ポン助は困った。やんわり断られたんだ。どうしたものか困惑した。その表情を察知したんだろう。女性看護師が口を開いた。

「保育ルームには窓がございます。そこから中の様子を見ることは全然可能ですよ?」

ポン助は「助かった。」と思った。顔さえ見られれば自分だとわかるはず。

「えぇ。それでお願いします。」

予想以上に厳しい滅菌処置とマスクをされて、保育ルームに案内された。病室にはベッドに横たわる子供たちが多くいる。案内された先には窓付きの保育ルームがあった。子供の親や友達が見られるように大きく作っているという。その中で、幼児を抱えて楽しそうに微笑む駒井あきねと、彼女を取り囲む男子がいた。他の保育士もいたが、なんだか、一番人気は駒井あきねのようだ。この病院はどこまで徹底しているのか、女性看護師がイヤホンをつけてマイクに声を出した。

「駒井さん。駒井さん。お友達の野上律子さんがお見えになってます。お昼からのご予約だとか。」

駒井あきねが窓の方を振り向くと、ポン助はマスクを外して偽りの笑顔を見せた。駒井あきねはぎょっとして、凍り付いた表情だった。インカムを通じて、女性看護師に何か話しかけている。ポン助は突然の来訪で断られるかもしれないとハラハラしていた。

「わかりました。」

女性看護師がポン助に振り向き、笑顔でいた。

「食堂で待っててほしいとのことです。混む前にカレーうどんのかためを頼んでおいて。アンタは好きなもの頼んで。先に食べてていいから、だそうです。」

女性看護師がにっこり笑い、ポン助はほっとして、マスクをつけ直した。

「仲がよろしいんですね。」

「えぇ、まぁ。それなりにですけど。」

女性看護師と去ろうとした時、ポン助はちらっと見たが、駒井あきねの表情は冷徹で、怒りすら感じた。ポン助は小児科病棟を出て、病院の食堂に向かった。食券でカレーうどんを買い、自分はサバの味噌煮定食をかった。12時前だからまだ人は少なく、料理を待っていたら、驚く程人が増えてきた。席の確保もタイミングを外したら難しそうだ。

2つの膳を空いているテーブルに置いて、駒井あきねを待った。

 ざわつく食堂でサバの味噌煮を食べていると、目の前の席に女が座った。駒井あきねだ。

「何しに来たの。この前で話は終わってるでしょ。」

ポン助は厄介だと感じた。駒井あきねの表情は好戦的で、やはり怒っている。火に油を注ぐ結果になりかねない。そうすれば、想定していた通り閉店ガラガラで突破口はなくなる。

「とりあえず食べましょ。私は先にいただいちゃってるけど。」

平静を装い、駒井あきねに対応した。あきねは不服そうにしているが、若干時間が経っていい状態のカレーうどんを食べている。

「あの後から、誰か接触してきた?」

あきねは箸を止めてポン助を睨んだ。ポン助は直球勝負を選んだ。そんなに時間をかける必要も余裕もない上に、躯とラビが同時に動いている。後手に回っては、死を意識している笹野上雲の寿命にかかわるからだ。

少し沈黙してから、あきねはため息をついた。

「いたわ。アナタと同じ妖怪。女で、風貌は違ったわ。黄色い耳と尻尾。多分、狐じゃないかしら。」

ポン助はイラだった。やっぱり自分で裏で動き回っている。この件から手を引こうかと思った。自分で動き回れるんならポン助が協力する必要はない。

「何を聞かれたの?」

「別に。大した話じゃないわ。会わせたい人がいる。次の満月の夜、千葉の銚子に来てほしいって。詳しい事はそこで話すって。あと、姉さんのことも聞かれた。本当に嫌だった。話し方もそうだけど、そこには犬吠埼っていう自殺の名所があるの。姉さんはそこで死んだのよ? 知ってたか知らなかったわかんないけど不気味な女だった。」

「名前は?」

「服部白子って言ってたわ。絶対、偽名だってわかってたけど、その誘いには乗ったわ。満月の夜と狐。そしてあなたは狸。それに、笹野さんは霊媒師。それをかみ合わせると何か呪術でしょ。アタシを殺したいなら殺せばいいわ。姉さんを殺したも同然なんだから。当然の報いよ。」

躯も偽名を使っていたのはわかるが、駒井あきねは恐ろしく勘がよく、しかも恐ろしく悲しげな表情をしていた。ポン助は真相を聞き出すには好転したと感じた。

「お姉さんと何があったの?」

ポン助の問いに駒井あきねは露骨に苛立った。カレーうどんを食べきり、水を飲んでお盆を持って立った。

「今日の夜空いてる? あたしんちで飲もうよ。夜の7時に黒岩台の駅前で。」

ポン助が頷くと、駒井あきねは去って行った。サバの味噌煮を食べながら、ため息をつく。食がなかなか進まなかった。


 第五章 駒井あきねの真実


 午後7時。黒岩台の駅前でポン助は駒井あきねを待っていた。お土産のつもりでビールの6本入りケースを2つ持っていた。かなり重かったが、2人で空かすにはこれくらい必要かとも思った。駒井あきねが改札口から現れた。鋭い視線だった。

「お待たせ。ウチはこっちなの。」

冷たく言い放って、ポン助を誘導した。先導する駒井あきねがおもむろに口を開く。

「ねぇ。野上さんっていった方がいいの? ポン助さんでいいの?」

「どっちでもいいわ。」

「じゃあポン助さんにするわね。」

2人とも無言で歩き続けた。駒井あきねのアパートは歩いて10分程度。2階に上がって駒井あきねがカギを開けた。「どうぞ。」といって、ポン助も家に入った。1人暮らしで、潔癖なくらい片付いていた。気になったのは玄関に置いてあった写真立てだった。2つあって、1つは駒井あきねと背の高い女の人。もう1つは精悍な顔立ちの男と写っている。どっちも幸せそうに笑っている。

「テキトーに座って。晩御飯、こんなものしかないけど。」

駒井あきねが大手弁当チェーンの袋からから揚げ弁当を2つ取り出した。

「いや、おかまいなく。それとこれ。」

ポン助がリュックからビールを取り出すと、「ありがとう」といわれ、冷蔵庫にしまった。同時に2本のビールを取り出して1つをポン助に渡した。2人で乾杯して、数秒の沈黙の後、駒井あきねが口を開いた。

「ねぇ。ずっと気になってたんだけど。あの狐女とポン助さんはどういう関係? なんでアタシなんかに付きまとうの?」

ポン助は何をどう展開すればいいかわからなかったが、数秒考えて、知っていることを話した。実は狐の女の名前は躯という名前で、笹野上雲の調査をしている。そして駒井あきねの名前が出てきたと。その他の細々した話もした。ラビの事は言わなかったが、大体のこと話した。駒井あきねはビールを飲み切って、もう1本取り出し、飲み始めた。

「そうなんだ。要約すると、アンタとあの狐は友達で、笹野さんに頼まれて動いてるのね? それと姉さんとどう関係すんの?」

「決して仲いいわけじゃないけど、腐れ縁よ。結論から言っちゃうと、あなたも知ってる通り、笹野さんの命は残り僅か。それまでにあなたに会わせたい人がいるっていうらしいの。あなたのお姉さん。駒井つくよさん。」

駒井あきねは表情を変えてビール缶をテーブルに叩きつけた。

「なんで? 姉さんはやっぱりあたしを恨んでるの? 霊媒師まで使って!」

駒井あきねは興奮していた。ポン助は落ち着いて、1口飲んでから口を開いた。

「私も、あなたのお姉さんが何を伝えたいかわからない。聞いてないのよ。本当に。でも、恨んでるってどういうこと?」

「姉さんを殺したのは、自殺に追い込んだのは私よ。あんなことになるなんて、思ってなんてなかった。望んでなかった。でも、アタシのせいよ。」

駒井あきねが悔し涙を流してテーブルに突っ伏した。

「良かったら聞かせて。」

ポン助の言葉に駒井あきねが顔を上げ、呼吸を整えてから話し始めた。

「アタシは、物心ついた時には姉さん以外家族がいなかった。両親が急逝して、つくよ姉さんはアタシの母親代わりだった。中学を卒業してからは高校にもいかずアルバイトで生計を立てて、朝早く起きてお弁当を作ってくれた。夕飯も作ってくれて、幸せだった。でも、私が中学校の頃、父兄参観があって、私のクラスに来てくれた次の日だった。他の生徒の誰よりも若い姉さんが不思議がられて、学校の皆から、親がいないことをいじられて、本当に辛かった。私が弱かったんだ。そんなストレスや不安、悲しみ、友達からの視線。高校に行かせてもらったってのにアタシはどんどん荒んでいった。ある日、姉さんにあたり散らして大喧嘩になった。その時はお互い無言でいるだけで済んだけど、もっとひどい事件が起きたんだ。」

「事件? 犯罪でもしたわけじゃないんでしょ?」

「当時、付き合っていた彼氏がいたんだ。周りがひどいって言ってくれて、私に優しかった男だった。男女の関係にはなかったんだけどある日、やけくそになって、あきちゃんと3人で酒飲んでてさ。あきちゃんが写真撮ろうって。スマホで自撮りしたんだ。それがラブホの前でね。別に3Pしてたわけでもないんだよ。あきちゃんがSNSにのっけたくらい、事実はないんだからいいと思ってた。そしたら、姉さんが怒り心頭で、私を問い詰めたの。関係が冷え切ってた仲だったし、お酒を飲んでたこともすごく怒られて、平手打ちされて、あきちゃんや当時の彼氏をバカにされてキレちゃったんだよ。それで、私は家出したの。行く先もお金もないから当時の彼氏とか、あきちゃんにかなり世話になって。次の日から毎日毎晩、姉さんからメールが来て心配してくれてたけど、私は無視し続けたの。意固地になってね。そのまま、高校は卒業できたんだけどお金がないから、就職して、お金をためながら保育士とか病理事務や看護師になるための資格も取ろうとした。時間はかかったけど、それで今の職に就いたの。1人暮らしができるようになったころには、また試練があった。」

「なに? それがお姉さんの自殺と関連が?」

「やっと新生活を始めた頃、姉さんから写メがきて、あきちゃんと彼氏がラブホの前で仲良く酒飲んでる画像と、アタシが病院の飲み会の帰りに上司とたまたまラブホの前を歩いている画像だったんだ。当時別れてたわけでもないのに、アイツ浮気してたんだ。アタシはそんなことしてないけど、その後すぐに電話が来て、姉さんだったんだけど。心配しながらもやっぱり怒ってて。あの男は結婚を前提にお付き合いさせてくださいって姉さんに言ったのに、どういうことなのかって。」

黒岩台の近くは確かに風俗街が多くある。飲んで帰る際にその前を通ってもおかしくはない。だが、そんな画像を見せられたら疑わない方が無理がある。

「私、姉さんに頭来て、キレちゃったんだ。またしてもね。姉さんは、私はアンタをそんな風に育てた覚えはないって怒って、私も売り言葉に買い言葉で、そんなんなら! もう家族の縁切ればいいじゃねぇか! もう二度と連絡してくんな! って言って電話を切ったの。着信拒否にして、彼氏とは別れて、あきちゃんだけが心配してくれた。最初は絶対連絡とらない。絶交だと思ってたけど。その後、彼氏の方から、明子と何にもなかった。2人で飲んでた時にふらふらあの辺を歩きながら酒飲んでただけなんだってって。あきちゃんも、私はあきねを裏切るようなことはしないよ。あの人と体の関係なんてないから。って。あの男は信じられなかったけど、あきちゃんは信じた。ずっと支えてきてくれた親友だもん。でも、様々なストレスに押しつぶされた私は家族に対するあたり散らしがすごくなって、姉さんにひどい事ばっかり言うようになった。パソコンから一方的にね。」

 ポン助は、この女の心の闇の深さにどうしていいかわからなくなってきた。

「そんな日々が続いて、警察から連絡がきたの。姉さんが遺体で発見されたって。場所は犬吠埼灯台の岸壁。霊安室で姉さんの遺体を見た時、自分がどれだけ甘ったれで、わがままで、バカで、クズなんだって思った。姉さんの葬式の後も、1週間くらい何も食べられなかった。」

「あなたが悪いわけじゃないじゃない。」

「違うわ! アタシが姉さんを殺したようなもんよ! 親代わりに必死に働いて高校にまで行かせてくれたり、いつも心配してくれたり。そんなかけがえのない大恩人を追い詰めたのは私よ!」

ポン助は何て言葉をかければいいのか、かけていいものかもわからなかった。駒井あきねは泣き崩れたまま顔を上げられずにいる。

「そんな私が、姉さんに会えるわけない。会えたとしても、どの面下げてなんて詫びればいいのよ! いっそ死んだ方がマシだわ!」

「自惚れるんじゃないよ! あと勘違いもね!」

ポン助の言葉に、駒井あきねが顔を上げた。驚きの表情が涙にぬれていた。

「アンタはいっそ死んだ方がいいと言った。アタシは止めやしないさ。だけどね。アンタはつくよさんに悪い事をしたと思ってる。そうだろ? そのつくよさんが、笹野さんを通じて会いたい。伝えたいことがあるっつってんだ。それも聞かずにケツまくって地獄にでも霊界にでも行くってのかい? 筋通すんなら、せめて、つくよさんの話を聞いてからにしな! お前は何様だい! 自惚れた勘違いの弱者に協力したくはないね! アタシも不本意ながらこの件に首突っ込んじまったけど、今のアンタには協力したくないよ。つくよさんの事を想うなら、話しな。そのあと生きていこうが死のうがアンタの勝手さね。」

ポン助が立ち上がってシンクにビール缶を投げて駒井あきねの部屋から立ち去った。

この時のポン助にはあきねがどう出るかわからない。賭けに出た。


 駒井あきねとの話の後、自宅に帰ったポン助は冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。ゲップをして天井を見つめていた。

「かなり濃い話になってきたねぇ。そういうの好きじゃないんだけど。」

ピンポーンと何回もインターフォンが鳴る。ポン助は嫌な予感しかしない。

まぁまぁの深夜にこの不作法。フラッシュバックが起きた。嫌々ドアを開けると予想通りの女がいた。

「こんばんわ~! アチシだよ~。」

「今何時だと思ってんのよ。夜の11時よ?」

ラビだった。満面の笑みでケラケラ笑う。近所迷惑になると困るからポン助はラビを部屋にいれた。若干飲んでいるようで、自分とは違う酒臭さを感じた。

「キャハハハ! なーんか鈴野明子とかいう女と飲みに男だらけの居酒屋に行ったらこんなに名刺もらったのだ!」

ポケットから10枚くらいはあるだろう名刺の束をテーブルにぶちまけた。

「何よ。ホストクラブでも行ってきたの?」

「う~ん。アチシ人間界のシステムは知らないのだ。でも魔界でいう所の女向けパブみたいな所だったのだ。アチシみたいにはっちゃけるのが好きな好きな愉快な男どもだったのだ! 明子もだいぶはじけてたのだ!」

十中八九、ホストクラブかライブハウス形式のバーだ。ポン助から見てラビはそういう所に積極的にはいかない。ということは、鈴野明子の趣味か。でも、見ず知らずの他人と一緒にそんなところに行くとは思えない。邪推かもしれないが、それなりに鈴野明子の信頼を得たのだろうか。妙なキラキラネームの名刺の中に、鈴野明子の名刺も入っていた。ラビは、ただのバカかと思いきや、天性の人から好かれる能力を持っている。本当に不思議な人格だ。

「ポンちゃん! なんかもらっていい?」

「いいけど潰れないでね。」

ラビがスキップしながら冷蔵庫に向かい日本酒を取り出した。

「ラビ~! あんまり飛ばさないでね!」

「だいじょぶなのだ! アチシが好きな妖界のお酒と一番似てるのだ! ポンちゃんアチシと趣味似てるね!」

「それはいいけど、何の用?」

ポン助は気になっていた。ラビは鈴野明子の調査をしている。そして、少なからず、駒井つくよの死と、駒井あきねに関連している人物。名前までは出なかったが、当時あきねが付き合っていた彼氏ともつながりがあるかもしれない。意外なところでキーパーソンが出てきた。グラスを2つ持って一升瓶を持ってきたラビが鼻歌を歌いながらグラスに日本酒を注いだ。

「ほんとにとばし過ぎはやめてよ?」

「大丈夫なのだ。アチシは鉄の肝臓っていわれるくらい酒が強いのだ。」

ポン助はため息をついた。何度酔いつぶれたラビを家まで送った事か。強いわけではなくて単純に覚えていないだけだ。すっかり忘れている。楽しそうにグラスの酒を一気飲みしてまた注いでいる。

「それで、うちに何しに来たの?」

日本酒を飲みながら冷徹な眼でラビがポン助を見た。ポン助は一瞬ゾッとした。たまに見せるこの冷静沈着で冷徹な眼。敵に回したら躯よりも怖いと思う。

「あのねのねなのだ。鈴木明子。相当な悪なのだ。」

ラビの口調は静かだった。ポン助の酔いが一気にさめた。

「あの女。男と乾杯して酔っぱらった時言ってたのだ。昔、表面上の親友として付き合ってた女に惚れてた男を取られたんだとか。男の名前は高橋良助とか言ってたかな? それで、あんまりムカついたから親友のふりして付き合いは続けてたけど、ぶち壊してやろうって自慢してたんだとさ。」

ポン助はピンときた。酒を飲むラビの話を引き出そうとグラスに日本酒を注いだ。「わーい」といって無邪気に酒に口をつけるラビに何を聞き出そうか考えた。

「で?寝取られた女の名前。あと、鈴野明子は何したの?」

「う~ん。べらべらよくしゃべる女だからよく聞いてたけど、駒井とか言ってたのだ。自慢のつもりかわからないけど、その女がムカついてしょうがなくて。敢えてラブホの前で3人とかその~高橋? と2ショットで自撮りしたんだとか。べろべろに酔っぱらってたせいかわかんないけど自慢してたのだ。相手してる男達が大変そうだったのだ。」

ポン助は静かに酒を飲みながら、色々と点と点がつながってきたことを確信した。

「ポンちゃんはどうだったのだ? 今日暇だったの?」

「ううん。駒井あきねの調査に行ったわ。ラビのおかげでいろいろつながった。」

「え~! 何々? 教えて!」

「いいけど、まだ躯には内緒よ?」

「なんで? ムーちゃんにも言った方がいいじゃんなのだ。」

「まだ早いわ。笹野上雲と直接コンタクトを取れるのアイツだけ。しかも、アタシらの知らないところでいろいろ動いてるみたい。」

「ふーん。ムーちゃんらしいっちゃムーちゃんらしいね。それで?」

ポン助は駒井あきねの話をラビに話した。ラビは話の途中でも何度も頷き、きょとんとしていた。

「じゃあ何? 駒井あきねに好きな男を取られて、嫉妬のあまり、ラブホの前で自撮りして、険悪な関係のお姉さんに情報流して家庭崩壊させた。その結果、お姉さんは自殺しちゃったってことなの?」

「2つの話をまとめるとそうなるわね。まぁ、この仮説が成り立つとしたら、巨悪の根源は鈴野明子ってことになるわね。」

「ちょー陰湿なのだ。ベロベロだったからかもしれないけど、そんな悪人には見えなかったけどなのだ。」

「人間だって妖怪だってそんなもんじゃない?」

「そーかもしれないけど。あとは、なんでそんな面倒な話を笹野上雲とかいうおおばあさんが引き受けたんだろうね?」

「そればっかりは本人しかわからないわ。躯が聞き出してるかもしれないけど。」

「ムーちゃん肝心な事は言わないからねぇ。もっと心を開いてほしいのだ。」

「そぉ? アイツの闇が駄々洩れてくる方がアタシは嫌だわ。」

「アチシもそれは嫌なのだ。」

2人で酒を飲んだ。

「ま、躯も含めて3人で話し合いましょ。情報共有も含めてね。」


 翌日、ポン助が起きるとラビの姿はなかった。まだ朝だったけれども、ラビは意外なところでまじめだ。朝ごはんを作っていてくれた。ラップの上に置手紙があった。「ムーちゃんと連絡着いたら教えて!」と書いてあり、ハムエッグと甘酒が置いてあった。甘酒はラビの大好物で、よく飲んでいた。ポン助は気だるそうにご飯をよそって冷蔵庫からドレッシングをサラダの所にかけて食べ始めた。食べながらメールで躯に送信した。「アタシとラビと3人で話したいんだけど、いつがいい?」

スマホをテーブルに置いてハムエッグを食べた。ラビは結構、料理が上手でおいしかった。テレビをつけて朝の情報番組を見ていると、ふと気になるニュースがあった。自殺者がいたという。友人の話では、職場や友人関係に悩みを抱えていて自分を追い詰めたという。今回の剣と多少なりとも似ている。昨晩のラビとの話を反芻した。

ポン助の携帯が鳴った。躯からのSNSのメールだった。

「今晩8時に黒岩台の駅前で。」

よりにもよって、昨日の今日でまた黒岩台に行くのかと思うとポン助は気が重くなった。駒井あきねに会わなければいいが。同時配信されていたラビはすぐにスタンプを送って「O・K!」と返してきた。ポン助も「わかった。」とだけ返した。

ポン助はため息をついた。その時間まで何をするか。

これ以上あきねに接触しても情報は得られないだろう。ラビとの話から作った仮説を話すこともできない。証拠がないんだ。鈴野明子に接触するとしても、昨日の今日で別の女が同じ案件を聞いてくるのは不自然。警戒されるのは目に見えている。ならどうする。朝食を食べ終えて、少し考えて、ボーっとテレビを見ていた。

「えー。速報が入りました。有名俳優の立花隼人さん、不貞行為が週刊誌にのり、先ほどの自殺報道の女性はその不倫相手だったとのことです。詳細は定かではありませんが、斎藤さん、これが本当だったらひどい話ですね。」

「そうですねぇ。同じ女としては、浮気されただけでも別れますし、この自殺した女性だけじゃなかったとか。こんな男のために自殺なんてっていうのが正直な感想です。」

ポン助はテレビを見ながら、何か今回の件に似ていると思った。高橋良助は浮気していたわけではないにしろ、それを100%信じろという方が無理がある。駒井つくよとあきねをかき乱すための策略だとしたら、鈴野明子はかなり悪質で陰湿な女だ。斎藤という女優のコメントにも納得がいく。

ポン助の頭に刺激が走った。

「そうだ。高橋。そいつに真相を聞いてみたら何かわかるかも。」

ラビに電話をかけた。なかなかでなかったが、もう1回かけたらすぐに出た。

「なに~? 超眠いのだ。」

ポン助はラビの寝起きの悪さを忘れていた。さっきのSNSも寝起きに送って、夜まで暇だからまた寝てたんだという。

「ちょっと聞きたいことがあるの。高橋って男の事。」

「なんなのだ? ポンちゃん会いに行くつもりかなのだ。」

「えぇ。気になることがあってね。ラビはあってないんでしょ?」

「うん。鈴野明子から少し情報は聞いたけど住所とかはわからないのだ。確か、酒飲みながら彼氏が東京北銀行の銀行マンで彼氏だって言ってたのだ。本当かわからないけど。2人でラブホの前で撮った画像をひけらかしてたのだ。ついでに、その男に言い寄るブスがムカつくとかなんとか。なんか、その銀行の受付嬢で、伊藤咲子とか言ってたのだ。」

伊藤咲子か。ポン助は何かしらの情報がつかめるかもしれないと考えた。だが、弐の轍を踏むわけにはいかない。高橋から話を聞きたいところだが、伊東咲子に化けるのも得策ではないかもしれない。とりあえず、ラビから鈴野明子がひけらかしていた写メの画像をもらって、伊藤咲子を探した。相変わらず、単純に見えて抜け目ない性格のラビだ。

どうしようか考えながら、東京銀行の場所を調べて葉っぱをかぶって変化した後、家を出た。途中の電車の中で写真が送られてきた。成程。まぁまぁの美人だ。

 野上律子の格好で、東京北銀行に入り、甲斐甲斐しくおばさんが対応した。口座を作りたいと嘘をついて、受付を見渡した。見つけた。

なかなか待合席に着かないポン助を見て、おばさんの銀行員はおろおろしていた。

「お客様。何か?」

「あぁ、いえ。口座開設にしても伊藤咲子さんと話したくて。知り合いなんです。」

おばさんは「少々お待ちください。」と言って受付の中に入っていった。

さて、どうしたものだろうかとポン助は考えた。あの女に化けても高橋良助の話が聞けるとは限らない。伊藤咲子がどこまで知っているかもわからない。もしも付き合っているとしても、高橋良助や駒井あきね、鈴野明子をどこまで知っているのか。予測がつかない。

ポン助が悩んでいる間、「あの。」と声をかけられた。ポン助は立ち上がって正対した。長身の長髪で美人だった。

「野上さん? どこかでお会いしましたっけ?」

ネームプレートには伊藤と書いてあった。ポン助はどうやって高橋良助のことを聞き出そうか考え、数秒考えていた。伊藤咲子は疑いの目で見始めた。もう玉砕覚悟でいくしかないと思ったポン助だった。

「いや、その。高橋良助さんのことが聞きたくて。今日出張中だとか。お知り合いだと聞いていたので、つい。」

「何の用ですか?」

ポン助は困った。さすがに無理があったかと思いながら、言葉に詰まった。その時だった。

「ご無沙汰なのだ!」

マスクをつけた緑髪の美女が手を振って近づいてくる。

「遠野さん。なんでここに?」

ラビは人間の姿の時は遠野と名乗っているらしい。初めて知った。

「実は、ちょっとゴタゴタガあって、高橋さんの話を聞きたいのだ。」

ラビは様子を変えない。訝し気にポン助とラビを見る伊藤だが、数秒して答えた。

「ちょっとだけなら休憩でできますけど。ちょっと待っててください。」

ラビが「はぁい!」と元気に手を振り、伊藤咲子はそそくさと事務室に去って行った。ポン助はため息をついてラビを見た。

「なに? 伊藤咲子と知り合いだったの?」

「まぁ。ちょっとだけなのだ。なんかきな臭いと思ったからついでに話くらい聞いておこうと思って。でも、あんまり深い話はしてないのだ。」

本当に不思議なのはお前だといいたくなったポン助。底抜けの天真爛漫、言い方が悪いがおバカキャラと言っても差し支えない言動なのに、肝心なところはしっかりしめる。

 伊藤咲子と、昼休みに会う事ができた。屋上庭園でポン助とラビは待っていた。普通のOLの様に簡単な食事をかって先に食べていた。そこに、伊藤咲子が近所のコンビニで勝ってきた食事と思われる袋をもって現れた。2人は立ち上がって、会釈する。伊藤咲子も会釈して2人の対面のテーブルについた。

「急で驚きました。高橋君のことで何か?」

「伊藤さんは高橋良助と仲がいいっていうから、聞いてみたくなったのだ。」

ラビはドストレートの直球で切り出した。ポン助はひやひやした。伊藤は不思議そうに首を傾げた。

「えっと。高橋君とは同期なんです。入社年が一緒なだけで私は内勤。彼は証券とか難しい事をお客様に提案したりする。でも、中も外もストレスたまる職業柄、たまに2人で飲みに行ったりしますね。私達が付き合ってるだなんて噂も流れましたけど、そんなの1ミリもないですよ。ただの会社の同期です。高橋君が何か?」

ポン助もラビも、伊藤が嘘をついていないことを感じ取った。自然で冷静だ。となると、鈴野明子が見せびらかした写メは、ストーキングしないと撮れない。

「高橋さんってお付き合いしてる方いるんですか?」

「いえ。私が知る範囲では今はいませんよ。彼、優しいから結構モテますけど、前に付き合ってた女性を不幸に陥れたって言って、気にしてました。私が知る範囲ではその程度ですね。あとは、前の彼女の愚痴くらいかな。付き合ってたんだけど、急に喧嘩するようになって、何だっけかな。鈴野何とかっていう女の人と接触してたらしいけど。よく知りません。あんまり深くは話しませんでしたけど。」

カフェオレを飲みながら伊藤咲子はポン助とラビを見た。2人は顔を見合わせて驚いていた。鈴野明子がいまだに接触していたとは。

「どうなさいました?」

「いえ。なんてことはないです。ちなみに、その鈴野何とかさんって高橋さんの彼女とか? ですかね?」

「いーやぁ。それはないと思いますよ。高橋君って今のご時世で珍しいくらいの純愛狂で、誰かが好きってなったら、フラれてもずっと好きなんですよ。しかも、なんだっけけかな。あきねさん? その人のことは特に忘れられないらしくて。数か月前に飲んだ時もあきねさんの話してました。私は誰かもわからないのに。まぁ、飲みの席だから構わないんですけどね。彼をそこまで本気にさせるなんて、余程の美人か器量よしなんだろうけどさ。」

13時に近づいて、3人とも食べ物は終わっていた。

「ごめんなさい。もう職場に戻らないと。それじゃ。」

伊藤咲子は手を振って屋上庭園から去った。

ポン助もラビもきょとんとしていた。伊藤咲子と高橋良助の間に何もないのは雰囲気で判断した。だが、鈴野明子がここにも首を突っ込んでいた。職場の同僚に漏らす程のストレスを高橋良助は持っていたということだ。鈴野明子の悪性が、より浮き彫りになった。

「どーする?」

ポン助が空を眺めながらアイスコーヒーの缶を飲んだ。

「たぶんおそらくキット、あの女は嘘つきではないのだ。この話。一番キーになるのは、十中八九、鈴野明子なのだ。」

「じゃあ、もう1回探る?」

「ううん。閉まった貝をこじ開けたらろくなことにならないのだ。」

毎度思うが、ラビは肝心なところで核心を突く。

「どうするのだ? ここまで来て、高橋にさぐりいれるのか?」

ポン助はため息をついてから、飲み物を飲んでもう一度ため息をついた。

「いいえ。その必要はなさそうね。悪役が鈴野明子と断定されたわけでもないし。」

「どういうことなのだ?」

不思議そうに首を傾げるラビに、ポン助は視線を向けた。すぐに逸らしてサンドイッチをほおばった。

「ただの痴情のもつれってだけなら、どうってことはないわ。だけど、人間も妖怪も同じよ。何かしたら何か返ってくる。それがこんがらがってくると予想以上の相乗効果が出る。いい方向ならいいけど。大体、悪い方向に運ぶわ。」

ポン助が冷たい眼でラビを見る。ラビも同じ様な視線だった。おにぎりを飲み込むようにほうばってお茶を飲んだ。

「ムーちゃんと話さないとわからないことだらけなのだ。」

「そうね。あの性悪女。何隠して、アタシ達を巻き込んだんだか。」

2人は屋上を去って、銀行を去った。躯との会合にはまだ時間がある。


 第六章 真相の解明


 午後8時。急に予定変更して、ポン助とラビは躯の言う安い居酒屋に誘われた。ポン助とラビが店に入ると、威勢のいい店員さんが声をかけた。「服部さんの連れです。」というと、座敷に通された。そこには生ビールを飲んでいる躯がいた。随分とキレイに変化したものだとため息をついた。

「よぉ。2人ともお疲れ。生でいい?」

躯は機嫌がいい。

「アチシはそれでいいのだ! 2杯目は鬼殺しがいいのだ!」

「ふふ。相変わらず元気ね。ポン助はどーすんの?」

「アタシは生でいいわ。」

3人が席に着いて乾杯をし、ポン助は腕を組んで黙っていた。ラビはお通しを食べ、すぐに来た生ビールを飲みながらケラケラ笑っていた。

「ポン助。なに難しい顔してんのよ。飲みの席なんだ。リラックスしろよ。」

「単刀直入に聞くよ。アンタのペースにはまるといい様に振り回されるしね。」

躯が生ビールを飲み切って、眉をひそめた。「すみませーん! 生ちゅうお代わりお願いしまーす!」と店員に頼んで、ゲップをした。ポン助はじっと躯を見ていた。

「どういうことなの? アタシとラビが調べたら、何かとんでもなく面倒なことになってるんだけど。」

「へぇ。そうなんだ。」

「とぼけるんじゃないよ。アンタ、駒井あきねに接触したでしょ。霊媒師にしろ他の人間にしろ、アタシ達を巻き込む必要なんてないでしょ。なんのつもりよ。」

躯は静かに酒を飲んでため息をついた。

「まずはさ。あなた達の情報から聞かせてくれない? それでこの先が決まるの。」

ポン助はイラだった。左拳を握り締めて躯を殴ってやろうかとも思った。その時、ラビがポン助の左手を握った。

「だめ。」

ラビのまっすぐな鋭い視線にポン助は圧倒され、怒りを納めた。

ポン助もラビも知っている範囲のことをすべて話した。駒井つくよの自殺に関する推察も含めていた。躯は静かに聞いていた。2人が話し終わると、躯は生ビールを飲み、お代わりを頼んだ。

「そうね。上雲から聞いた話とほとんど一致するわ。あなた達の推理は。でも、肝心なのはその次なのよ。」

ポン助もラビも眉をひそめた。

「笹野上雲はもう死ぬ。死ぬ前に何か人の役に立ちたい。それが彼女の望みだわ。その時あった、偶然だけど、駒井あきねの不遇を知り、駒井つくよを降霊した。老い先短いかすかな命だってのにそれを削ってね。一度あった時に、笹野にこう言ったらしいわ。あなたを介して妹に伝えることはできる。でも、でも、自分から言いたい。そんなにあきねが苦しんでるなんて私には耐えられないって。」

ポン助もラビも閉口した。飲み物にも食べ物にも手が伸びない。

「あんた達の話を聞いて確信したわ。十中八九、その鈴野明子がクロね。この事実を伝えた上で、駒井つくよさんには考えてもらいたい。その上で、笹野上雲に降霊をお願いする。それがアタシの目的よ。」

「でも、それじゃつくよさんもあきねさんも救われないじゃない!」

「ポン助。人は救いを求めるために生きているだけじゃない。救われない命だって腐るほどある。そんな渦中で自ら失った命の価値を取り戻すために、つくよさんは笹野上雲と接触した。」

ポン助もラビも黙った。

「この話は、正直言ってね、気が進まなかった。でも、笹野上雲や駒井あきね、駒井つくよの話を聞いてるうちに、誰もが辛い思いをして、失敗も犯した。そこに何かしらの助けの手を差し伸べる事ができるんなら、アタシができる事をしてやろうッて、思ったのよ。つくよさんが知らなかった事実も、上雲さんに伝える。降霊したら全部つくよさんに伝わるから。それで、復讐して悪霊になっちゃうならそれはそれよ。アタシらが関与する事じゃない。アタシは笹野上雲と駒井つくよの手助けになってるだけよ。」

ラビがビールを飲み干して、鬼殺しのお替りに手をつけた。

「ムーちゃんの言ってることはわかったのだ。それで、霊的怨念が一番強い死に場所の犬吠埼っていうのもわかったのだ。でも、ちょっとわかんないのだ。」

「何よ。」

「つくよさんって人、真相を妹に告げて、全部が符合したら、あきねさん、鈴野明子を殺してもおかしくないんじゃないか?」

ポン助は驚いた。ラビは恐ろしく残酷な真理をついたことをズバズバいう。

「そうね。その可能性もある。かなりこんがらがった状況だし、怒りの矛先は高橋良助にも及ぶかもしれない。でも、そればっかりは、アタシ達が踏み込むところじゃないと思わない? 人間全員を救済するための救済機関なわけでもないんだから。アタシ達。」

ラビは悔しそうに視線を逸らした。

「それもそうね。躯の言う通りだわ。好きに生きて好きに死ぬ。それが人間も妖怪も同じルールよ。躯なんていい例じゃない。あんなヤバい躯地区で子供の頃から生き抜いてきただけはあるわ。鉄のロジック。人間だって生ぬるいかもしれないけど、いつまでも誰かに甘ったれてる訳にはいかない。そこは理解できるわ。」

「ふふ。生ぬるい世界でぬくぬく生きてきた狸が言うわね。ま、趣旨はその通りよ。」

「自惚れんじゃないよ。まぁ、アタシだって物心つく前からあんなヤバい所に放り出されてたら生きているのが不思議なくらいだよ。話を戻そうか。で? 結局、アタシらはもうお役御免かい?」

ポン助もラビも躯を見ている。

「いーや。犬吠埼まで付き合ってほしい。今の姿でいいし、もうポン助は本来の姿を明かしたんだから化けなくてもいいけど。」

「ムーちゃん。気になるのだ。なんでポンちゃんとアチシを巻き込んだのだ?」

ラビの質問はポン助も聞きたいところだった。躯だけで遂行できる案件のはず。なのになんでポン助やラビを巻き込んだのか。腑に堕ちなかった。

「う~ん。そうだねぇ。」

躯が腕を組んで数秒黙っていた。しばらくして大きなため息をついた。

「わがままと不安。いや、不満かな。」

ラビが眉をひそめた。ポン助は冷たい眼で見ていた。

「ふふ。そう険しい顔をすんなや。アタシはどこかでセンチメンタルになっていたのかもしれない誰にも相手にされず、自分しか信じることしかできない生い立ち。そんなのが500年以上続いたんだ。気の遠くなるような孤独だ。笹野上雲との接触は衝撃的だったよ。死を目前にして、自分以外の誰かのために、自分の命を燃やそうなんてね。死と隣り合わせの長年を費やした自分と、この女と、どちらの方が価値があるのか。そう考えた。

アタシには、今まで生きてきた中で、財産と言えるものは、金と、わずかな数の絆だけだ。アタシは笹野上雲の決死の覚悟に心惹かれた。アタシも何かに賭けてみたくなってね。ふふ。お笑い草だろ? わずかな絆。いや、お前らがどう思ってるかわからないけど、アタシにとっては、あの頃が、馬鹿馬鹿しくて陳腐で、幼稚な痛々しい過去かもしれないけど。どうやっても忘れられない財産なんだよ。」

ポン助もラビもきょとんとしていた。

躯が酒を飲んで大きなため息をついた。

「じゃ。来週な。」

レシートを取って躯が席を立った。

小柄な女が躯の胸ぐらをつかんだ。

「ちょっとまてぇ!」

次の瞬間、躯の左頬に衝撃が走った。何事かと思い戸惑っている躯が振り向くと、殴ったのはポン助だった。

「てめぇ。もしかしてだけどさ。とんでもない勘違いからとんでもないことしでかそうとしてねぇか!? まさか、これが終わったら死ぬとか!」

ポン助の言葉に、躯の胸ぐらを掴み続けているラビも涙目で怒りの表情でいた。

「つくよさんが死んじまったの仕方ねぇよ。笹野上雲の死もな。だけど、アンタがそれに影響されて死ぬなんてそんなアホ面かいてどの面下げてあの世に行くのさ! アタシがそっちに行ったとしたら! 迷わずアンタをフルボッコだよ!」

「アチシもそうさね! このバーカ!」

躯は頬を押さえてぽかんとしている。2人の真剣な眼に驚きながら、立ち尽くし、下を向いて少しの間黙った。

「なんとか言えよ!」

ポン助が躯の胸元を掴んですごんだ。さすがに行き過ぎていると感じたラビが「ポンちゃん!」と仲裁に入った。躯は黙っている。

「いいか。アタシらとの絆が財産だってんなら、アタシらだってそうだ。絆ってのはつなぐもんだ。片っぽが手を離したら放り出されちまう。確かにテメェは憎たらしくて、やな思い出の方が多い。けどなぁ。アタシはアンタの底知れない強さ、精神的にも妖術でもな、そこにどこかで憧れてた。それなのに、どこか悲しげな顔を見る度、アンタに惹かれていったんだ。この前アンタの過去を聞いた時はびっくりしたよ。でもなぁ、アンタは孤独なんかじゃねぇ! アタシらと絆があるって思ってんなら、アタシらは仲間だろ。」

ポン助が手を離して躯を睨みつけていた。

「アチシだってそうなのだ! ムーちゃんが仲間だと思ってくれてるのに、アチシがほっぽり出すなんてぜーったいにしないのだ!」

ラビも怒っていた。

躯はやっと顔を上げて2人を見た。笹野上雲との約束もある。だが、2人を裏切ることもしたくない考えがまとまらず、数秒経った。

「煙草、いいかい?」

躯は煙草を取り出し、お気に入りのジッポで火を点けた。

「ありがとな。」

躯がタバコをふかしながら静かに店を出ていった。何かレジで店員と話している。ポン助とラビは席に座ってため息をついた。

「やっぱアイツ死ぬ気なんかな。」

「そんな気がしてきたのだ。そうだったら行かない訳にはいかないのだ。」

2人で酒を飲みながら、またため息をついた。

「それもそうか。そうだよね。」

「とりあえず飲み直すのだ。こういう時はお酒の力に頼るのだ。」

ラビが追加の酒を頼んで2人で小一時間呑んだ。ラビが酔っ払ってきて、ポン助がお冷を頼んでからレジに向かった。「おあいそ。」というと、店員が、「え? お連れ様がお支払いなさいましたよ?」と返した。躯か。

「でも、追加オーダーのぶんは、」

「いえ、多めにお支払いなさって、残りは連れに渡してくれって。」

店員が3万円を差し出した。ポン助は小さな声で「あのバカ。」とつぶやいた。

「お客様、何か?」

「いえ、何でもないです。すみませんこちらの手違いで。」

ポン助は席に戻り、ラビと酒を飲んだ。来週のいつかわからないが、犬吠埼。

2人で店を出て、歩いているとスマホにメールが来た。来週のいつ何時に犬吠埼に来いという内容だった。ポン助とラビは顔を見合わせて、躯からのメールを閉じた。


 第七章 犬吠埼


 千葉県銚子市、犬吠埼の灯台に躯が向かっていた。岬に近づくにつれ、強い霊力を感じた。躯は笹野上雲がすでにいることを察し、大きく息を吸った。

ポン助とラビに送ったメールの1時間前。笹野上雲が降霊には時間がかかるというから前倒しにしておいた。

岬につくと錫杖を持った女がいた。地平線を眺めながら無表情にいる。

「おぉ。おぬしか。」

「早いね。遅れたつもりはないんだけど。煙草いいかい?」

笹野上雲が頷き、躯はタバコに火を点けた。

「感慨深いものだ。私は今まで降霊術で何人もの霊を降ろしてきた。だが、肉体的にも精神力も限界に近い。最期の最期で、妖怪と関わるとはな。」

「アタシは直接関係ないさ。あの世でたまたまあの女に会って、たまたまアンタと出会った。それだけのことだよ。」

躯がタバコをふかした。笹野上雲は微笑んだ。

「果たしてそうかな。おぬしからは何か言い知れぬものを感じる。」

「なんだい。いきなり。」

「確かに駒井つくよと会ったのは偶然かもしれぬ。だが、私を探し出してこの依頼をしたのはおぬしだ。そこまでして、彼女の願いを叶える理由は、聞かぬが、何かあると勘繰った。悪いな。」

「何にもないよ。アタシはね、500年近く生きてきて、その半分ぐらいは孤独に地獄みたいな所でヤバい奴らに追いかけられたり、殺されそうになったりしてきた。それで、もっと安全な所に行ったら別世界だった。でも、そこでも、死の恐怖と死んだ連中の恨みつらみは忘れられない。凄まじく悲惨な顔をした奴らの顔がな。」

笹野上雲が振り返って躯の顔に驚いた。煙草を吸いながらひどく辛そうにしている。

「アンタら人間の世界でもあるかもしれないけど、見たことあるか? 凶悪な妖怪に拘束されて、目の前で自分の娘が凌辱され、自分の息子がリンチされてゲラゲラ笑って殺すんだ。目の前で息子と娘も最後には殺されて、両親も殺される。そんなところだったんだよ。アタシは今でもその光景が脳裏に焼き付いてる。そこから逃げ出すことしか考えなかった。自分の命を優先したのさ。アタシもあのクズどもと同罪だよ。今まだ生きながらえているのが罪さ。そう思えてならない。」

悲し気にタバコを捨てて踏み消し、新しく吸う躯を見て、笹野上雲が視線を落とした。

「幾度か、降霊の時に、そこまでひどい話ではないが、人間の邪悪な部分を見たことがある。ひどい話ばかりだ。人間の狂気も妖怪も変わらぬのかもしれんな。だが、おぬしが自責の念に駆られる必要も、その妖怪どもを成敗する必要もない。詳しい話を聞いてなかったが、おぬしがこの話を依頼してきた理由の片りんを見た気がする。」

「何さ。アタシのことが分かったとでもいうのかい? わかってなかったのは当然だよ。アタシが何も言わなかったんだから。」

「おぬしは本当に優しい。巨悪を許せず、生きるために逃げ出したのかもしれんが、自らへの贖罪として、できる事を遂行している。だが、そのあまりにも強い自責の念。おぬしの心を蝕んでいるのではないか? そして、まさか」

「うるせぇな! そろそろ時間だ。準備しとけ。」

笹野上雲が目をつむり数秒してから岬の海岸に向かって錫杖を突き立て、独特の魔法陣を描き始めた。躯は煙草をふかしながらその様子を見ていた。魔法人を描き終えた時、笹野上雲が躯に振り返った。

「自責の念は身を亡ぼす。やめておきなさい。」

「黙ってろよ。んな事わかってるよ。」

「いいや、わかっておらぬ。私達霊媒師は、気が見えるのだ。今のおぬしは気が混乱していて、ひどく悲しく不安定だ。近日中に何かあったのか?」

数秒、躯は黙っていた。また新しく煙草に火を点けた。

「年の功ってことかい? アタシの方が断然年寄りなんだけどね。60そこらのガキに見抜かれるなんてね。そうだよ。先日知己に会ってね。ガキの頃の同級生だ。説教されたよ。今アンタが見抜いたことと同じ事をね。それで、正直なところ気持ちが荒れてる。なぁ。アンタ霊媒師だろ? 降霊するにも絆が必要か? それともビジネスか?」

「無論、霊的接触にはお互いの了承がなければ成り立たない。呼びたくても拒否されたら降霊はできない。絆とまではいかないが、お互い手を取り合うことは必須になる。」

「・・・そっか。」

躯が笹野上雲に背を向けた時、目の前に女がいた。駒井あきねだった。


「あの、この時間でよかったですよね。姉さんは?」

「えぇ。大丈夫ですよ。準備もできています。」

躯がタバコを踏み消して駒井あきねを笹野上雲の近くへ誘った。

「姉さんは本当に呼び出せるんですか。」

「できる限りのことはします。聞いているかもしれませんが、降霊術には莫大な霊気を出し続けなければなりません。いつまでも現世に呼び出し続けることはできません。こういった世界で生きていない方ではわからないでしょうが、霊界にも長がいるのです。それには向かうことはさすがに難しいのです。」

「何分くらいでしょうか?」

「尽力しますが、もって1時間かと。以前病院の屋上でお話しした時からの推測ですが。あの時、お姉さまはどうしても伝えたいことがあるとおっしゃっていました。感動の再会もよろしいですが、お姉さまの話も聞いてあげてください。」

「はい。わかりました。」

笹野上雲が魔法陣の中の錫杖を握り、座禅を組んで目をつむり、何かわからない呪文を唱え始めた。駒井あきねは固唾をのんで見守っていて、躯は上雲の呪文に気づいた。

「あれは! 連の行。」

「知ってるんですか?!」

「えぇ。笹野上雲が、莫大な霊力を消費し続けるといった理由がわかりました。連の行とは、霊体を呼ぶだけでなく、実体化させる降霊術です。霊体だけでも会話はできます。一番簡単なのは、自分の体に降ろして会話をするんですが、連の行は使い続ける霊力がその比じゃないんです。」

「それじゃあ! 姉さんと触れ合うこともできるんですか!?」

「成功すれば可能です。実体化したお姉さんと、生前の通りに接触できます。ただ、同じことを繰り返しますが、莫大な霊力を放出し続けるため、時間は限られてしまいます。」

「ちょっとだけでも構いません! 姉さんに会えるなら。」

躯が駒井あきねの必死の表情を見て、印を結んで呪文を唱え始めた。駒井あきねにも感じられるほど強い気。それが禍々しいものから笹野上雲が放つものと同調していく。躯は自らの妖気を笹野上雲の霊気に変換している。その意味を駒井あきねは察した。涙が出そうになる程、嬉しかった。

「おん!!」

笹野上雲が叫ぶと、魔法陣の回りに風が舞った。笹野上雲の体から青白い霊魂の様なものが出てきて体をなしていく。駒井あきねは鞄を落とし、口に手を当て涙が決壊した。

姉の駒井つくよが空中から降りたって、駒井あきねを見ている。

「姉さん!!」

「あきね。久しぶりね。」

あきねがつくよに抱き着いて泣き崩れた。笹野上雲は霊力を維持しながら躯をちらっと見た。妖力を霊力に変換して自分の力を補助してくれている。そんなことまでできるのかと驚いていた。ただ、それは莫大な妖力を必要とする行為だった。

「姉さんごめん! アタシのせいで! アタシなんかのせいで!」

「あきね。そんなこと言わないで。アタシが死んだのは、アタシが弱いからなの。あきねは何にも何にも悪くないわ。」

あきねがくしゃくしゃな泣き顔で、つくよの顔を見上げた。まるで聖母のように優しくあきねを見つめ、髪をなでているつくよ。

「アタシがあんな荒れ果てて姉さんを苦しめたから、あんなことに!」

「違うのよ。それだけはあきねに伝えたかったの。」

泣きながら、あきねの髪をなで、頭をなでて優しい笑顔でいるつくよ。あきねは黙った。

「あの頃は、私もあきねと同じくらい辛かった。保護者会や授業参観に行くと、1人だけやたら若い私を皆、黙っていながらも裏では変な噂を立てていたのよ。駒井さんちは、ご両親が悪い事をしていたんじゃないかとか、病気持ちで早死にしたんだから、きっとあの姉妹も何か持ってるんじゃないかとか。いわれのない事を言われていることを知っていたわ。それについては、あきねに申し訳ないわ。」

「そんな! 姉さんは言い返さなかったの!?」

「ダメよ。言い返したりしたら、また風評被害になる。私はどうでもよかった。でも、それがあきねに及んでいたのを知って、腹立たしくて、でも我慢して。偽りの笑顔を続けたの。本当に心配してくれる優しいお母さんもいたけど、私の意地っ張りで頑固で、弱い所が出たのね。全部偽りの笑顔で断ったわ。」

「姉さん!」

あきねが泣きながら崩れ落ちた。つくよはしゃがみこんであきねの肩をさすった。

「あきねも辛かったんでしょ? 私にはわかるわ。高橋君と付き合うようになって、段々明るくなっていったあきねを見て少しほっとした。でも、多忙と精神的な弱さが合わさって、あきねには見せまいと思ってた暗い感情が出ちゃった。隠してたけどね。私の自殺の真相は、同じことを言うけど、あきねじゃない。」

「じゃあ何よ。何があったの?」

数秒黙ってから、つくよが口を開いた。

「いい? あきね。これから話すことで、誰も傷つけちゃ、ダメよ? 指切りげんまん。いい?」

つくよが小指を立てて、あきねが泣きながら、小指を結んだ。

つくよが優しく微笑んで、視線を落とした。あきねは何が何だかわからない。

「鈴野明子ちゃん。」

あきねは頭が真っ白になった。

「ある日ね。あきねの帰りがあんまり遅いから、心配になって明子ちゃんにメールしてみたの。そうしたら、少しして、写メールが送られてきたの。ごめんなさい、って言葉と、明子ちゃんと高橋君とあきねが、ラブホの前で腕組んでる写真。最初は、ラブホも多い飲み屋街で3人で飲んでたんだろうなって思った。でもね、その数日後に、あきねと高橋君が腕を組んでラブホの前で写ってる写真が送られてきたの。それも、ごめんなさいとだけ、送られてきた。」

あきねは頭がこんがらがってきた。信頼し続けてきた鈴野明子がそんなことを。

「それで、また数日後、高橋君と鈴野さんが同じラブホなのかわからないけど、ベッドで仲良くワインを飲んでいる画像がきたの。私は驚きの余り、まさか、高橋君があきねを裏切って二股かけていたんだと思い込んだの。」

「姉さん! そんなことしてない! アタシ達は別れるまで一回もしてないよ!」

「そうだったと気づいたのは死んだ後だった。当時、私は精神的に疲れ果てて、あきねに疑念を持ってしまったのよ。」

「まさか、あの時の喧嘩は!」

「・・・うん。でも、全部、私の心の弱さが招いたことなのよ。ごめん。」

駒井あきねが怒りのあまり、地面を殴打した。「あのクソ女ぁ!!!」と叫んで歯ぎしりをしている。高橋良助を狙っていた鈴野明子が姉まで使って陥れようとしていたなんて、はらわた煮えくりかえるどころじゃない。今すぐ押しかけて殺してやろうかと思った。

「その後ね、あきねと大喧嘩になったじゃない? あれが原因で、あきねは家を飛び出して、あの写真は知らないけど、高橋君ともうまくいかなくなって別れちゃって、私は自暴自棄になっていたの。仕事にも支障をきたすくらい。ミスも増えるし、お客さんにタメ口聞いたり、偉そうだったり、今思い出してもひどかったわ。あきねにメールを送っても帰ってこない。そんな自分の小ささが恨めしくて、嫌で、悲しかった。弱さが。」

「違うよ! 悪いのはあの女じゃない! 姉さんは何も悪くない。やっぱりあたしが姉さんを自殺に追い込んだんだよ!」

駒井つくよが、悲し気に微笑んだ後、スッとあきねの頬に手を触れ、微笑んだ。

「まだ、3歳くらいだったかな。しかもその場にはいなかったし、知らないのも当然だよね。あきねにとっては。」

「何よ。」

「お父さんが癌で死んじゃって、お母さんも病死したでしょ。私は小学生だったけど、お母さんの病室で、ずっと手を握っていたの。聞いてくれる?」

あきねは大きく頷いた。


 過去の話になる。

 つくよが小学生の時、母親の容態が芳しくないと聞き、つくよは単身、母親の病室に向かった。呼吸器や多くの管につながれ、ロボットみたいな母親に泣きながら近づいた。何度も母の名前を叫ぶと、母は目を開けて、つくよを見た。

「つくよ。学校は?」

「そんなことどうでもいい! お母さんが心配だもん!」

「ふふ。ありがとう。つくよは優しい子だね。」

つくよは涙が止まらず、両手でしっかりと母親の手を握っていた。

「ごめんね。母さん、お父さんの代わりに2人を何が何でも守ってあげたかったのに、こんな情けない体になっちゃって。親戚で引き取ってくれる人探すから。ちょっと苦労駆けちゃうけど。ごめんね。」

「お母さん! それ以上同じこと言わないで! アタシ! お仕事する! 一時的に親戚のお世話になっても、絶対、その間の借金返して、中学卒業したら働く! あきねはアタシが絶対に守る! 約束する!」

つくよが強い視線で泣きながら、小指を差し出した。母親は優しく微笑んでたくさんの管につながれた手を弱弱しく差し出した。

「ゆーびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます! ゆーび切った!」

つくよは泣きながら母親を見て、母親はその表情を見て、「お願いね。」と微笑んだ。

数週間後、駒井姉妹の母も病死してしまった。


 現在に戻る。

つくよの話に、あきねは胸が張り裂けそうなくらいの激情が走った。鈴野明子に対する憎しみなんて掻き消されるくらいだった。

「アタシはね。本当に弱い人間だった。だって、お母さんとの約束を守れなかったんだもの。あきねを傷付けて、嘘にも気づかないで、酒浸りになって、高橋君まで傷つけたんだよ? そんなアタシは死んで当然だったのよ。」

「うそだぁ!!」

つくよが驚いた。あきねは息を切らせてつくよを見ている。

「姉さんがどれだけアタシの面倒見てくれたか! アタシがどれだけ大好きなのか! わかってないじゃない! 姉さんのバカ!」

あきねが実体化している、つくよの頬を平手打ちした。その視線の先にある、灯台の時計をつくよが見て小さくため息をついた。

「なんでもかんでも背負いこんで! アタシのことなんて全然信頼してくれてない! それがアタシは悔しいの! お母さんとの約束は初めて知ったわ。でも、少しはアタシにも頼ってほしかった!」

あきねがまた泣き崩れて地面の草を握りむしっている。つくよは声をかける事もできない。もう、30分経つ。そろそろ別れの言葉をかける時だった。

「あき・・・」

その言葉が出る寸前、躯と笹野上雲は驚いて振り向いた。莫大な2つの霊気が笹野上雲の降霊術を支援し始めたのだ。躯は目を疑った。

「アンタのそういうところ! アタシは昔からいけ好かないんだ!」

「アチシもなのだ! そこの女の霊体と似たようなもんなのだ! あちしたちは仲間じゃなかったかなのだ!」

いつの間にか現場に来ていたポン助とラビが、躯と同じ方法で笹野上雲の霊力に波長を合わせて、自分らの妖力を霊力に変換している。

「笹野上雲! 話は聞いてた! どうせこの姉妹の両親も知ってんだろ!? アタシ達の力使ってくれて構わねぇ! ここに呼び出せ!」

躯、ポン助、ラビの莫大な妖力が霊力に変換され、笹野上雲に取り込まれていく。あと2人、呼ぶ事ができるくらいに増大していく。

笹野上雲は微笑んで、新たな呪文を唱えはいじめ、錫杖を一度抜き去り、もう一度ついた。その瞬間、莫大な霊力が錫杖の上に集まり、駒井姉妹の上に凝集していった。

 駒井姉妹は口を押えて、涙した。

姉妹の両親、駒井昭雄と駒井静香だった。2人とも生前の健康だった姿でいる。

「お母さん!!」「お父さん!!」

姉妹は両親に駆け寄り、抱き着いた。

「あきね。体は無事かい?」

写真でしか見たことのない父親の優しい言葉に、何度も深く頷くことしかできないあきね。

「つくよ。よく頑張ったね。えらいえらい。」

つくよは母親に頭をなでてもらい、その聖母の様な優しい笑みに涙した。

「霊界でも会えなかったのに! こんな形で会えるなんて!」

「私達はずーっとあなた達を見てたわ。だって。幼児と小学生に責任放り投げて逝っちゃうなんて親の風上にも置けないわ。」

「その通りだ。俺達がふがいないばかりで、悪かったな。」

あきねもつくよも首を振って泣いている。

「泣くんじゃないよ。根性の別れに涙は禁物だよ。」

「あぁ。母さんの言う通りだ。むしろ、あきね。何もできなかった俺に言いたいこと言ってくれていいぞ?」

「アタシだってそうよ?」

数秒黙って、あきねが口を開いた。涙ぐんでなかなか声に出せなかった。

「じゃあ。・・・おと・・うさ。お母さ・・ん。姉・・さん。皆で抱き合いたい!」

駒井昭雄も静香もつくよも、その言葉に涙し、4人が実体化した状態で、今までの労苦を吹き飛ばすくらい、お互いの愛情を示すように泣き合って、跪き抱き合った。

 少しして、4人は立ち上がり、それぞれが涙を拭った。

「アタシがそっちに行ったら、よろしくね。」

「あきね! バカ言ってんじゃないの!」

つくよがあきねの頭をひっぱたくと、両親はケラケラ笑った。あきねも微笑んで、幸せな家族だった。駒井昭雄、静香、つくよが、笹野上雲に振り向いた。

「先生。こんな機会をくれてありがとう。まさか、2人の愛娘に会えるなんて。ここは夢の世界みたいだ。」

「ディズニーランドじゃないんだから。」

つくよの突っ込みに静香もあきねも微笑んだ。

「かなり名残惜しいが、俺達はここを去る。こっちに来る前に、孫の顔、見せてくれよな。絶対だぞ?」

「お金さえ積めば心霊写真くらい送ってくれるわよ。」

「お母さん。それ、霊界の違法だよ。」

あきねも家族もケラケラ笑って、あきね以外の家族は笹野上雲の魔法陣の中に入った。

「大丈夫ですか? アタシ達3人も霊界に戻すなんて。」

「案ずるな、つくよ殿。私は今あの3人の力によって維持できている。最後の最後は、自分でケリをつけるまでよ。」

躯は、はっとした。上雲の言葉の意味を察した。

「あきね! ババアになったお前を待ってるよ!」

「孫の顔も見せてね!」

「アタシのことで悩むなよ! アタシの為にもね!」

 この時、躯もポン助も、ラビも勘づいていた。実体化までさせ、1時間以上に及ぶ降霊術。どんなに強い霊力を有する霊媒師、イタコでも無理だ。それを補助したとはいえ、呼ぶのと返すのでは同じ以上に、霊界の長である閻魔大王の承認が必要となる。予約承認もなく、2体の霊魂を何事もなかったかのように、無理やり返すには、それを実行するにはそれ相応の対価が必要となる。

あきねが涙ながらに手を振った。

「お父さん。お母さん。姉さん。アタシなんかの為にありがとう。」

 笹野上雲が作った次元結界の穴に、3人は笑顔のまま去って行った。

あきねは泣き崩れている。疲れきったラビがあきねの肩をもって近くのベンチに座らせた。


 最終章 その後


 強大な穴をあけた笹野上雲は、錫杖を地面から抜き、汗だくの状態で錫杖を穴に向けた。

「おまえ、無理だろう。この穴を塞ぐ霊力などみじんもない。」

「狸殿。いや、失礼した。ポン助殿。それは急遽ご尽力頂いたあなた達もそうであろう。だが、自らしたことの尻も拭かねば名が廃る。」

「待って! じゃあ今アタシがそこに飛び込んだら! 姉さん達と暮らせるの!?」

駒井あきねが身を乗り出して、笹野上雲に聞いた。

「それはまかり通らぬ。生体が霊界に行けば、肉を求める猛獣の様な妖怪に命を狙われる。こちらの死と霊界の死は異質なものだ。」

「おねがいよぉー!!」

次の瞬間、あきねの腹に衝撃が走り、あきねは気を失った。躯だった。

「霊界も妖界も深く広い。ペーペーの人間が首を突っ込んだところで死ぬだけだ。」

何も言わず、ラビがあきねを担いで犬吠埼を出ていった。

「ぬしらには礼を言う。あの力がなければできなかった。」

「それはこっちが勝手にしたことだ。貴様。この穴どうする。」

躯の言葉に、笹野上雲は微笑んだ。その笑みで、ポン助はその先を察し、胡坐をかいて地面に座った。

「おぬしらもわかっておろう。霊力とは酷使すれば、霊的な力をしばらく失う。だが、このまま霊界の亡者どもを、こちらの世界に呼び寄せる穴を作り続けるのはあまりにも無責任。ふっ。おぬしらが思っている通りだ。」

躯がタバコに火を点け、ポン助は胡坐をかいたまま目をつむった。

「妖力にしろ、霊力にしろ、無いものを引き出す。それができるのは、命と引き換えにすることのみ!」

笹野上雲が錫杖を魔法陣に突き立て、呪文を唱えながら莫大な霊力を発揮して、次元の穴に飛び込んだ。躯もポン助も片眼でその様子を見てため息をついた。

少し離れた道で、あきねを担いでいたラビが「バカ。」とつぶやいた。


 ポン助が笹野上雲が絶命したと思い、躯も犬吠埼を去ろうとしていた。その時だった。

「待て。」と声がした。笹野上雲がまだ生きていた。躯が驚いて振り返った時、爆発的な霊力の発散があり、さらに驚いた。黒髪の長髪で見るも美しい男と女の狐の妖怪が霊体で上雲の頭上にいた。その時躯は察していた。

躯がからっけつの妖力を絞り出して、得体の知れない狐の妖怪に対峙した。

「娘よ。お前に真の名を授けよう。茜だ。我と里瑠香の娘だ。」

驚きの余り、躯は数秒固まっていた。だが、目の前の男は嘘をついている様には見えない。変化を解いて、残った妖力を全力で発揮しても、微動だにしない。

「茜。我と里瑠香はお前の命を助けるために、我が殿となり、里瑠香にお前を預けた。よもや、こんなことになるとは思いもよらなんだ。許せとは言わぬ。もしも、どの世に行っても、我らを恨むがいい。」

躯は涙を流してじっと2人を見ていた。会った事もない両親だ。なんて言葉をかけていいかわからなかった。躯が笹野上雲の方を見ると、錫杖を杖にして微笑んでいた。

「父さん、母さん。そう呼んでいいの?」

狐の半妖は2人とも頷いた。躯は2人に飛びついて大泣きした。

「あかね? ごめんなさいね。アタシが不甲斐ないばっかりに。」

躯は大きく首を振った。

「我もだ。殿としてお前達を守れなかった。茜。お前は私達よりも強く成長したのだな。我は嬉しいぞ。」

躯は泣き続けていた。ポン助はその後姿を見て、両親や家族の事を思い出していた。もう使い切った妖力で、笹野上雲を助けようと思ったが、笹野上雲は自分の命を賭して、霊力を膨大に放出し続けた。ポン助は見ているしかなかった。

躯の父が、ふと妻を見る。妻も頷き、躯の父が躯の肩をつかんだ。

「達者でな。」

「いつまでも元気でいてね?」

ポン助は目をそらした。もう、命を燃やして莫大な霊力を放出し続けた笹野上雲も限界だった。躯は「嫌だ! まだ話したい事がいっぱいあるのに!」と言ったが、躯の両親は微笑み、宙に浮いた。

「茜。お前の顔が見られて、幸せだったぞ。」

「アタシもよ。」

笹野上雲の錫杖が倒れる音がした。その瞬間、躯の両親も消えた。躯が大泣きして地に伏した。笹野上雲は絶命していた。安らかな死に顔だった。ポン助は静かに笹野上雲の遺体と錫杖を持ち上げ、大泣きする躯の隣を通り過ぎて犬吠埼を去った。


  2週間後。

 ある喫茶店で、煙草をふかしている釣り目のふてぶてしい女が路頭を見ていた。入店してきたOL姿の丸目の女がため息をつきながら対面に座った。「すいませーん。カフェオレ。」と店員に注文して、腕を組んで不機嫌そうにしている。

「なんだよ。急に呼び出して。今アンタ保険会社にいるんだって?」

「あぁ。人を化かすのが性分だから。まぁ、人間なんてちょろいもんさね。」

「そういう態度だと足元すくわれるよ。いつか必ずね。」

「そうかなぁ。意外とハニートラップに引っかかるバカジジイが太い客だったりするけど。そういうの、得意なんだ。昔から。」

「ふん。万年処女の自慢話聞きに来たわけじゃないんだよ。あいつらどうなったんだよ。それなりに気になってさ。」

煙草をふかしながら、躯が、ポン助を見て、灰皿にねじり消した。

「イタコの婆は、今霊界にいるよ。駒井あきねの家族はなんでか知らねぇけど、同じところにいるんだってよ。」

「随分ご丁寧だな。冷血冷徹のアンタからは想像がつかないよ。」

ポン助が生ビールを頼んだ。「勤務中じゃねぇのか?」

「もう非番だよ。何とかウィルスだの人件費だのがうるさくて困ったもんだ。アガリがねぇ。」「サラリーマンOLかと思ったらほとんどアルバイトだな。」「うるせぇ。」

そんな、なんてことない受け答えの会話が終わり、2人は少し黙っていた。ポン助の生ビールがきた。

「それで? あの後どうなったんだよ。ラビはともかくとして、駒井あきねも、お父さんとお母さんは? 霊界に行けるんでしょ?」

躯がタバコに火を点けた。大きなため息をついた

「あの後? 駒井あきねから連絡があったわ。」

駒井あきねが躯に会いたいといってきたそうだ。また降霊してほしいのなら無理だといったらそうじゃないといったらしい。

「じゃあ、なに?」

「ケジメよ。アンタには、いえ、あなたにはかなり世話になったから。姉さんの約束、絶対に破りたくないの。」

電話はそれできれた。躯は指定されたバーに変化の姿で行った。既に駒井あきねがウィスキーを飲んで、肩ひじをついてため息をついていた。躯が隣に立ち、「同じものを。」と言った。駒井あきねは「お代わり。」と言った。

「何の用? ケジメって言ったって、アタシはアンタに貸しも借りもないわよ。」

「いや。アタシにはデカすぎるくらいの借りがあるよ。だから、その後ってのを聞いてほしくてね。」

躯は憂鬱だった。ただの酒飲みの絡み酒かと思うとため息しか出ない。

あきねはウィスキーに口をつけて、ゆっくりと話し始めた。

「アタシね。こう見えて義理堅いんだ。仁義や礼儀を失ったら人間おしまいよ。それはアタシの仲間にも同じこと。だから、」

「まさかあんた鈴野明子を!?」

驚きの表情を冷徹に見つめる駒井あきね。小さく首を振った。

「言ったでしょ。仁義を失ったら人としておしまいだ。獣にも失礼だ。アタシは姉さんと絶対の約束をした。それは裏切らないよ。はっきり言うわ。あのクソ女呼び出してひっぱたいてやったのよ。姉さんにしたこと、数々のウソ。アタシを騙し続けてきたこと。それも全部ひっくるめてね。人の目があるカフェで、私はあのクソ女を平手打ちした。それで、もうアンタとは絶交よ!ってカウンターに5000円置いて店を出たわ。それ以外何もしてない。良助にはメールだけ。全部分かった。ごめん。そう送ったら、そうか、って。お互いもう気持ちはないんだから。新しい道歩まなきゃね。」

「そうなの。よかったわね。」


 そんなやり取りがあったそうだ。

「もう後戻りなんてできないの。霊界に行くつもりもないわ。」

躯がウィスキーを飲み、ポン助は微笑んだ。

「アンタとコンビ組むのも悪くないかもね。」

ポン助は半笑いで躯を見た。

「2度とごめんよ。」

躯はレシートを取り「じゃ。」と言って去った。ポン助は「ご馳走様。」とだけ言って生ビールをたしなんでいる。


ご一読いただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] むずかしいところもありましたが、ポン助ちゃんとラビちゃんも なんだなんだで躯ちゃんのことを想いやっているところが良かったです。 それから後半で、躯ちゃんやあきねさんがそれぞれね家族と再会で…
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