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19

 ――・19・――


「…………」

 ポカポカと身体の芯まで温められる感覚。

 特有の匂いとともに視界を白く染める湯気。

 その先に見えるは、木々生い茂る自然の光景。

「山奥まできた甲斐あるな……」

 まさかこの世界で温泉を堪能できるとは、夢にも思わなかった。

 サンドリアを囲む山々には温泉が湧く箇所も多く、特区ほどではないにしろ、郊外らしからぬ賑わいを見せている。そのことを教えてくれたのは……。

「店主に今回は助けられたな」

 息抜きのために宿を出た俺とシアは、まず八百屋を訪ねることにした。一番の顔馴染みに、サンドリアおすすめスポットを聞く算段だった。

『リフレッシュか。そういうことなら、やっぱ温泉じゃないか?』

『温泉か~。って、え、温泉!? あるの!?』

『ああ、なんなら俺の知り合いがやってるぜ。この時間帯だろ、俺の名前出せば貸し切りぐらいしてくれるはずだ。これならマナトも安心ってな』

 至れり尽くせりとはこのことだろう。

 足の都合でどうしても人の目が気になるし、ちょっとした移動でも困難を伴うのが今の俺だ。周囲を気にせずシアの助けを得られる環境というのは、それだけでありがたい。

「店主さん、少し見ない間に新商品とかやってて驚いちゃ――こっち見ないで!」

 てっきり女湯に行ったと思っていたシアの声が聞こえてきて、振り向こうとしたところでの制止。かなり強めの言葉に、俺は聞き分けよく従う。

「……どういう状況?」

「ここ、混浴しかないんだって。だから……」

 消え入りそうな声に続いて、ちゃぷちゃぷと水音が2回耳に届く。水面が揺れ、徐々に気配が近づいてくることから、シアが湯に入ってきたのだと察してしまった。

『……手の位置、変えてもらっていい?』

 途端よぎるのは、かつて経験した苦い思い出の断片だ。

「まさかこんな近くに温泉があったなんてね。日本人的には嬉しいんじゃない?」

「そりゃ贅沢だとは思うけど、滅多な機会じゃないと入らないし。ないほうが普通だよ」

「え、そうなの? 毎日入ってるって聞いたけど」

「風呂には入るけど」

「違いがわからない……」

 めちゃくちゃ緊張感のある中で、この会話内容。ちょっと感情がよくわからなくなる。

 ――振り向けばそこには……いや、いかんいかん。

 首を横に振って、邪な感情を振り払う。

「あ、さっき言いかけたことなんだけど、サーレのジュースすごくなかった!?」

「テンション高いな……。たしかにうまかったけど」

 八百屋で最初に買ったご当地果物、サーレ。何を張り切ったのか、俺たちが顔を見せない間に店主はそのジュースを開発していた。柑橘系の甘く爽やかな味が口に広がり、期待以上の出来だったことは違いない。

「マナトくんのアドバイスっ。あれ結構刺さってたと思うよ~。店主さんがここまで親切にしてくれたのも、ひょっとしたら……なんてっ」

 店主が出してきたジュースは、陶器のコップに入っていた。俺は手頃に持ち運べたほうがいいと、使い捨てできるようなものに変えたらどうかと提案したのだった。

「元の世界の知識だよ。そんな褒められるようなことは――」

 ピトっ。

 肌に肌が触れる感触、背中に寄りかかった重み、体温の上昇と火照り……突然のことに声も出ないのに、心臓の鼓動だけはうるさいぐらいに主張を続けている。

「い、いきなりどうしたんだよ……」

「ん~?」

 背中の感触が離れたかと思えば、次は腕にくっついて俺の肩に頭を乗せてくる。

 妙に高いテンションに、いつになく甘い声……。

「酔ってるのか?」

 内心のドギマギを誤魔化すように、俺の口調は固くなっていた。

「んふふ、そんなことないよ~。…………すぅ」

「寝るなよ。というか、危ないから上がれ」

「んー、大丈夫。私死なないもん」

 無防備に脱力しきった様子でシアは言う。舌足らずなうわ言は、不覚にもかわいかった。

「一度目の前で死にかけたんだ。その言い分は通らない。さあ上がった上がった」

「え~」

「倒れられたら、嫌でも裸見ることになるぞ」

 バシャッ。

「えっち! てかマナトくん私のこと運べないでしょっ。というか嫌なの!?」

 ゆったりとした空気はどこへやら、立ち上がったシアが語気を強くする。

 きっと俺の背後では、彼女が顔を真っ赤にしていることだろう。見なくともわかった。

「俺が運べなかったら、別の誰かの手と目が必要になるな」

「む~」

「入る時間ずらせばいいものを、わざわざ混浴にしてきたやつがその態度か?」

「だって。一緒がいいもん……寂しいこと、言わないでよ」

 ポシャン――恥ずかしそうにモゴモゴ言うと、シアはふくれっ面で上目遣いにこちらを見つめてくる。その頬と耳は赤く染まり、華奢な肢体はかすかに震え……え?。

「あの、シアさん? その、見えて……」

 いつの間にか真正面に座っていた彼女にうろたえながら、俺はおそるおそる指摘した。

「見られても平気になれば――」

「俺が平気じゃないから!」

 もじもじと今にも泣きそうなシアの言葉を遮って、俺は彼女に背を向けるのだった。


 宿に戻ってきた俺は、自室のベッドに仰向けになり、のんびりと天井を見つめていた。

 最初は嫌な気しか起きなかった眺めも、今は不思議とフラットな心持ちで見てられる。

 こうして深く呼吸するのはいつぶりだろう。

 焦らず、落ち着けるだけの余裕を取り戻したのはいつぶりだろう。

「立ち止まることで見えてくるものも、ありそうだ」

 どうして俺はあんなにも焦っていたのか――停滞していたからだ。

 刻一刻と迫る期限の中。一向に進歩すら感じられない現状が、俺を知らず知らずのうちに追い込んでいた。視野を狭め、呼吸を浅くし……

『……なにがマナトくんをそこまで動かすの?』

 シアがいなければ、こうして状況を整理する発想にもならなかっただろう。

 成長の実感がないアプローチにも関わらず、俺はいささか妄信していたのかもしれない。

 消去法的に自己分析の沼へと自らを投じることになったが、本当はもっと広い選択肢まで検討するべきだった。今の俺の方針としては……

 取り組みを健全に行うためにも、どうにか進歩を感じられる形にしたい。

「それができれば最初から――あ。忘れてた」

『あのさ、私なりに協力できないかと思って、これ作ってみたの』

 シアがくれたこのプレゼントが、ちょうど解決してくれるじゃないか。

「そうなるとあとは……」

 方針は定まった。具体的な手法についても見直しておきたいところだ。

 いくら自己分析を突き詰めたところで、魔法会得に至らない可能性は大いに存在する。これまではそれに目をつむってきたが、改めるいい機会だろう。

 まず魔法の解釈だ。様々な話を聞いたところ、魔法会得に影響する要素は大きく2つにわけられる。1つは素質や適性といった言葉で表される先天的な「才能」の部分。もう1つは後天的な出会いや取り組みによって左右される部分だ。

 前者についてはクリアしていると言っていい。異世界人の俺には素質がある――これはシアの言葉だけでなく、適性検査の結果によっても担保されていることだ。

 そうなると問題は後者。これほどまで試みて苦戦を強いられている現状、問題がどこにもないということはないだろう。何か決定的な思い違いでもしてるのか……。

「そういえば、足りないものばかり気にしてたけど……逆もあるな」

 ――何か他の異世界人にはなくて、俺にだけ存在する障害がある、とか。例えばそう、格ゲーや将棋をやってきた過程で癖づいたなんらかが悪さして……いや、ダメだな。

 仮にそうだとしても、俺にその特定はできない。それこそ自己分析に逆戻りだ。

 仮説を立てるのはいいが、どうにも地に足つかないというか……的を射れている気がしない。ひどく感覚的なものだが、空振ってる感じが――。

「あ」

 あれだけ魔法感覚について考えておきながら、当たり前のことを見落としていた。

 なんで俺は「感覚」を「理屈」で分析しようとしている?

 この世界の人間はどいつもこいつも感覚的で天才的で、画一化された教育方針なんてものも全然で、俺からしてみれば「遅れていた」。

 フレムのような「研究者」の存在が俺を麻痺させていたが、彼女も言っていたように、あくまでその道はこの世界にとって異端も異端。メインストリームたりえない道だ。

 なぜか? それは「理屈」がこの世界において幅を利かせていないから。

 より単純でわかりやすく、それでいて「力」という意味でも優れた「感覚的な力」があるのなら、わざわざ劣った手段である「理屈」に固執する必要はない。

『妙なことするよな、お前。しばらく顔出さないと思ったらこんな真似さ……』

 俺が散々言われたことは、彼らが無知だから浴びせられたのではない。

 どこかで「彼らの知らない元の世界の知識」を利点として認識していたが、それこそが俺の枷であり、魔法会得を阻害していたガンだった――かもしれない。

『シュッ、ってやってはーっ‼』

 俺が唯一可能性を示した適性検査も、思えば感覚に振り切った末に成し遂げたことだ。

「視界、開けたな」

 これまでせき止めていたものが、音を立てて崩れていくような気がした。



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