16
――・16・――
その部屋は嫌にシンとしていた。
車椅子を漕ぎ進めてゆくと、白い塊――横たわる少女の姿が見えてくる。
「シア」
俺の声に応える声はない。表情は変わらず、ただそこで安らかに眠っていた。
それはまるで精巧な人形のようで、人間らしからぬ無機質さが感じられるほどだった。
傷一つない端正な顔が、それを良くも悪くも助長しているのかもしれない。
「こうできるだけで、気持ちが楽になるよ」
両手で彼女の手を握り、俺は語りかける。
じんわりと伝わるシアの体温が、今の俺の心の支えだった。
「いくらでもゆっくり休んでくれていい。後のことは、俺がなんとかするから」
――すぐには無理でも、いずれは頼ってもらえるようになるよ。
心に決めたことを改めて誓い、俺は丁寧に彼女の手を元に戻す。
もうシアにばかり負担をかけたくない――その想いが、俺の背中を後押ししていた。
「もういいの?」
病室を出ると、壁に背を預けていた女性が駆け寄ってきた。
ピンクの長い髪を揺らして、はつらつとした表情をこちらへ向けるこの人はミリヤさん。あの現場に一番に駆けつけ、シアに治療を施してくれた大恩人だ。
「うん。ありがとう」
「よしっ、じゃあ行くね」
本人に要求されたタメ口で応えると、彼女は機嫌よさそうに俺の車椅子を押し始めた。
軍事科ではかなり特別視されていたセントラルだが、少なくとも病院内の様子は違和感ない。立ち入りが許されている人間がごく少数ということもあって、人の気配がほぼないことぐらいだろうか。
――あくまで魔法が使えない俺目線での話だけど。
シアの見舞いには毎日来ている。……と言っても、会えるようになってから日は浅く、今日で3回目の訪問だった。
「毎回付き添ってもらってありがとうございます」
「マナト君、敬語だよ」
「あ、すみま……」
「ふふっ。シアちゃんの様子をみるついでだから気にしないで。それに今日はこっちからお願いしてる用事もあるわけだし」
「それは頼まれなくとも、俺から申し出てたことだから」
「頑なだね~。さ、着いたよ。心の準備はいい?」
「うん。決心はこの数日で済ませてきたよ」
そうして俺たちは再び対面する。
とある病室の扉を開けた先。
そのベッドの上には、青い病衣姿の男が座っていた。
――クロヴィエ。
入室すると、こちらに気づいた因縁の相手が静かに目を向けてくる。
顔には傷跡が残り、身体中を包帯で巻かれた彼は、まだ万全とはほど遠いように見えた。
「ありがとう、ミリヤさん。もういいよ」
「一応、私も同席するからね。気にならないように気配は消しておくけど」
「わかってる」
「ミリヤ、お前名前を……」
下がろうとしたミリヤさんを、クロヴィエが意外そうに呼び止める。
「うん。すごい頼み込まれちゃったから。もちろんリスクについては説明したよ?」
セントラルは秘められた部分が多い機関だ。それゆえときには、その情報を狙う野蛮な連中も現れるという。見合う実力があれば問題ないが、そうでなければ「知りすぎる」というのは危険を伴う――これがミリヤさんに説明された「リスク」の概要だった。
『セントラルの人間と何人も会うなんて機会、普通はないんだけどね』
セントラルで国防を担う構成員が誰か――それは俺の手に余る情報だとされた。
己の弱さについてはつい最近痛感させられたばかりだ。俺も異論はなかった。
それでも食い下がり、ミリヤさんの名を聞き出したのは……。
「恩人の名前は知っておきたかったんだ。文句あるか?」
「いや。……少なくとも、俺が口を挟めることじゃないな」
強気に睨みつけると、クロヴィエはそれだけ言って引き下がった。
「「……………………」」
お互いが見合ったまま、沈黙の時間が経過する。
「君には命を助けられた。改めて感謝するよ」
口火を切ったのはクロヴィエ。そう言って頭を下げてくる。
「別に。……たまたま噛み合っただけです。俺の利害や想いと」
「思惑はどうあれ、こうしていられるのは君の行動あってこそだ。感謝には変わりない」
「協力しませんか?」
話の流れをぶった切り、俺は用意してきた本題を切り出す。
「……君からそんな提案をされるとは意外だな。どういう心づもりか聞いても?」
「シアがしてくれた行為を最大限活かす――俺が今すべきことを考えた結果です」
考える時間は嫌というほどあった。自己嫌悪を通り越し、一周回って冷静になってから、こうして結論を導き出せるぐらいには。
「それで協力か、なるほど」
「シアの治療をしてもらった恩がある。あんたらセントラルと敵対したいとは思わない」
「彼女を昏睡させた張本人を前に、それが言えるとは大したものだ」
「言った通りですよ。シアが目覚めたときのために、最高の状態を用意しておく――そのためなら、俺の感情なんて二の次だ」
俺の返答を聞くと、クロヴィエはかすかに笑みを浮かべた。
「俺としても、そして俺たちセントラルとしても、その提案は願ってもない話だ」
「そう言ってくれると思いましたよ」
シアの戦闘力を知った以上、友好関係は築きたいだろうとアテをつけていた。治療したということは、すなわちそういうことだ。
「彼女が獣をけしかけたのではないか、元はと言えばその疑念が発端だ。あんなにも君を守ろうと必死な姿を見れば、その疑いは晴らさざるをえない」
戦いのさなかでそれを伝えることができればよかったのだがね――とクロヴィエは自嘲気味に付け加えた。
「『危険分子は排除すべき』、みたいなことを言われなくてよかったです」
シアを治療する判断に立ち会っていなかった彼ならば、全くないとは言い切れなかった。
「ふっ、上の人間ならありえるかもしれないな。だが、もしそうなったとしても俺が守ると誓おう。君らは脅威ではなく、今後の戦いで必要となる貴重な戦力だ」
「そこまで言ってもらえるとは意外ですね。でもその言い分で通るんですか?」
「通すとも。俺を上回る戦闘力を持ち、懸念される暴走も制御可能だと確認出来ている」
「制御可能?」
「どうあったとしても、君の言葉になら耳を貸す。俺の生存がそれを証明している」
「……ははっ、なるほど。だいぶ無理筋ですけど、嫌いじゃないですよ」
フレム教官にかかればすぐにでも論破されそうな言い分だが、それはそれで親近感が湧くというものだった。
「シアを戦力換算したということは、こちらも相応の要求をしてもいいということで?」
「聞くだけ聞こう。セントラルとツテがある時点で十分だと思うが、何かあるのか」
「セントラルの情報網を利用させてください。調べたいことがあります」
フレム教官によって示された「異世界」への道。聞いたときは姿かたちすらわからない状態だったが、思いのほか早く指がかかったものだ。
「外部の人間が直接というのは難しいな。俺たちが調べて、その結果を君に伝えることは可能だ。何について知りたい」
「『異世界』という単語でヒットする情報があればそれを」
「……たしか、馬車で話したときもそんなことを言っていたな」
記憶を探るように視線を宙へ漂わせて、クロヴィエは口にする。
「それだけ俺にとって重要なことなんですよ」
「その異世界とやらが、どういうものか聞いておきたい。単語だけでは調べるにも限度がある」
当然のなりゆきだったが、俺は言葉に詰まった。
「……今はやめておきましょう。まずは俺たちの先入観に毒される前の視点を知っておきたい。それにこのことはどう言ったものか……シアとも相談して結論を出したいので」
「そうか。そういうことならば、これ以上追求はしないでおこう」
少し不思議そうな顔を見せたが、クロヴィエはあっさりと引き下がってくれた。
――この辺り、慎重を期すに越したことはないからな……。
「それじゃあこれで、協力関係成立ということで」
「ああ。不明瞭な点があればその都度すり合わせるとしよう」
「ええ」
交渉も一段落ということで、俺は背もたれに体重を預けて一息ついた。
「君はこれからどうするつもりだ?」
「強くなります。もう、ただ守られるだけにはなりたくないので」
まずは魔法会得。それから編入試験で軍事科の連中を負かす。そのためには……。
「俺たちが交わしたもう1つの協力、覚えてますよね」
「ああ。君こそ、俺が与えた助言を忘れてないだろうな」




