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 ――・7・――


赤い絨毯の敷かれた長い廊下を、窓から射し込む朝日が穏やかに照らす――そんな光景を収めながら、ゆっくりと進んでゆく視界の中。俺は大きく息を吸い込み、そしてそれを長く静かに吐き出した。

「マナトくん、もしかして緊張してる?」

 背後のシアが俺の機微を読み取ったのか、からかうようにそんなことを言った。

 彼女が押す車椅子に座りながら、誤魔化す気も起きず俺はありのままを答える。

「まあ、多少は」

「どうしたの? 珍しい」

「その緊張しないイメージはどっから来たんだ? 新たな門出なんだから、緊張感ぐらい持って当然だと思うけど」

「ふふっ。大丈夫だよ、マナトくんなら」

 軽く笑ったかと思えば一転、シアは穏やかながら力強い口調でそう言い切った。

 車椅子の様子を見にいったのが2日前。馬車屋の仕事は予想以上に早く、店頭ではすでに完成品が用意されていた。無事に受け取りを完了した俺たちは、その足ですぐさま目的の魔法特区へと乗り込んだわけだが……さすがに即日対応とはいかず、後日また訪ねるよう案内されたのだった。

 そしてその後日というのが、本日というわけである。

「異世界人だから素質があるってやつか? それをあんまり信用しすぎてもなぁ……俺が初めての例外になる可能性だって捨てきれないわけだし」

「ううん、大丈夫。だってマナトくん、意志が強いもん」

「……そういう感じか」

 てっきり根拠の1つでも寄越されると踏んでいたが、思いのほか根性論で力が抜けた。

『会いにきてよ、そんなこと言わずにさ。私、ちゃんと      ――』

 ――理屈じゃない部分が重要ってのも、今ならわかる気がするな……。

「ねえ、マナトくん」

 車椅子の動きが止まり、シアが視界に入ってきたのはそのときだった。

「ああ。見送りありがとな。ここまででいいよ」

 玄関までやってきていたことに気づき、俺はそう口にする。

「あ、ううん。それとは別で話があるの」

「……?」

 思い当たる節がないか記憶を辿るも、特別これといったものは見つからなかった。

「とりあえず失礼して」

「は? な、なに。なんすか」

 目線を合わせるようにシアはかがみ込むと、距離を縮めて俺の背へと腕を回し始める。不可抗力で視線が彼女の胸元へ向く格好となり、咄嗟に俺は目を固くつむった。

 ――不可抗力が免罪符にならないことはもう知ってんだよな……。

『……手の位置、変えてもらっていい?』

 かつての重苦しい空気感を思い出し、ため息交じりにそんなことを思う。

 ――とはいえ、この距離感であからさまに顔をそらすのもねぇ……。

 関係性を良好に築こうとすると、途端に気遣うことが増えてくる。面倒だと切り捨てることは簡単だが……後々を思えばこれには慣れていったほうがいい。

「ん……? あれ……」

 どうせ一瞬のこと――と割り切ったのもつかの間。何やら苦戦しているようで、思った以上に長くたちの悪い状況だと気づく。

 何よりこの距離感だ。ほのかに甘い匂いが鼻をくすぐり、耳元で息遣いが感じられる。視覚をシャットアウトした状態でその刺激は強く、思わず身じろぎを――

「動かないで」

「フゴッ」

 顔にぶつかる衝撃。……一瞬間をおいて理解したのは、押し付けられる感触がかすかに柔らかく、あたたか――

「よしっ、できたできた」

 間近……というか、接触していた気配が離れ、閉じていた目をそっと開ける。そこにはシアが誇らしげな表情で腕を組んでいた。

「で、なんだったの今の」

 疲労感を隠さない口調で俺は尋ねる。しかし彼女の態度はケロッとしたものだった。

「私からのちょっとしたプレゼント」

「……今のハグみたいなのがか?」

「ち、違うよ!? え、あ、そういう感じに見えちゃってたんだ……」

 顔を赤らめて動揺を表に出すシア。やはりというか、自覚がなかったらしい。

 ――てか、俺の気遣いってなんだったんだ……。

 前のは不可抗力だったが、今回に至ってはシアの過失だ。わざわざ気を回してやる道理なんてなかったのかもしれない。

「前から思ってたけど、シアって距離感近いよな。やたら接触してくるし」

「嫌そうに言わないでよっ……もう。別にマナトくん以外にはこんな感じじゃないし」

 口元を尖らせて、不貞腐れた表情を浮かべるシア。

 この機会に少し踏み込んだことを聞いてもいいのだが……ここでは飲み込むことにする。

「それで? ハグじゃなかったら何してたわけ?」

 話の先を促すと、シアは「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりに顔を輝かせた。

「それ。今日のためにすごいがんばって作ったプレゼントなんだっ!――」


『魔法のコツ? んー、シュッ、ってやってはーって感じ』

 本人も自称していた通り、魔法を教わろうにもシアはアテにならなかった。

 今日に向けてこれといった準備ができていない、というのが実状だが……。

 ――まあ、なるようになるだろ!

「おーい、マナト~」

 開き直りにも似た割り切りをしたところで、見知った顔に呼びかけられた。

 特徴的な赤髪を白のバンダナで覆い、紺色のエプロンに長袖のTシャツを覗かせるこの男は八百屋の店主。最初に会ったときは俺が顔を伏せていたこともあり、そこまで印象に残っていなかったが、こうして改めて見る彼の姿は思ったよりも細身で若く、快活なお兄さんといった感じだ。

「今日は一人か。そいつの使い心地はどうだ?」

 商売柄気さくなのだろう。向こうから何かと世間話を振ってくれる。

「自分の手で漕ぐこいつは重いよ」

 と言っても、車椅子の出来は想像以上のものだった。

 木製の車輪は馬車屋作というだけあり、歪みのない造りになっている。座面や背もたれも申し分なく、その上車輪には一定間隔で取っ手のようなものが付けられていた。車輪を直掴みすることも覚悟していたため、これは嬉しい誤算だ。

 ――がっかりな誤算は、俺の体力のほうだけど。

「ははっ、シアちゃんのありがたみが身に沁みたか」

「まあ、そんなところです」

「一人でどこに用なんだ? 俺と話しにきたわけじゃないだろ?」

 呼び止めたのはあんたでしょ――と出かかった言葉を飲み込んで、俺はこれ以上ないほど目立つシンボルを指差した。

「学院」

「ほう。お前魔法が使えるのか」

 意外そうな表情を店主は浮かべる。

「まだだよ。気が早いな、これから使えるようになるために行く場所だろ?」

「そりゃ適性があればな。ははっ、懐かしいな。俺もガキの頃夢見たぜ。ま、結果はこの通り、しがない商人だ」

 お手上げとでも言わんばかりに両手を軽く上げて、彼は冗談めかしてみせた。

「夢、か……」

「ああいや、現実を突きつけようってわけじゃないぜ。俺はそうだったってだけで」

「別に気遣わなくていいよ。そういう意味で言ったわけじゃない」

「そうか? なんにせよ……マナトはあるといいな、適性」

 しみじみとした調子でそう言うと、彼は俺の肩を軽く叩いた。

 このやさしさは、俺が脚を失っているからだろうか。

 ――なんて思っちゃうのが、俺の悪いところなんだろうな。


 広く長く伸びる大通りを進み続けた先。まだシアとの気まずい思い出がよぎる噴水広場を横目に過ぎ去り、賑やかな商店街を抜ける。しばらく住宅街が続いたのち、俺を迎えたのは木々の生い茂る並木道だった。

 ――緩やかだけど坂になってるな……気合、入れるか。

 目をつむって深呼吸。そして――

「うおっ。あの、ちょっと!?」

 意図しないところでいきなり動き出した車椅子に、俺は思わず声を上げていた。

「まあまあ」

 背後に目を向けるも、その人物は構わずスピードを上げる。

 クリーム色のロングヘアが風になびき、木漏れ日がそれをキラキラと装飾していた。

「はい着いた。じゃね、別に恩義に感じなくていいから」

 返答する間もなく彼女は再び坂を下っていく。

 背丈ほどある大きな杖を背負ったその背中に、俺はかけるべき言葉を見つけることすらできなかった。それほどに、一連の事態はあまりに一瞬の出来事だったのだ。

「でもこれで到着……か」

 魔法特区の外壁を見上げて俺はぼやく。

 高さはおおよそ建物5階程度。材質は……金属、だろうか。一見、鉄のようにも見えるそれは、しかし透明感とかすかに青みがかった輝きをまとっている。

「うーん、見れば見るほどゲーム」

 透明感と言ってもガラスなどとは似ても似つかず、それ自体が発光しているような質感といい、間近で見れば不自然にも映る透け具合といい、まるでゲームのエフェクトや演出を見ているようだった。

「お、君はこの前の」

「2日ぶりです。よく覚えてましたね」

 声をかけてきたのは、かえる顔の小太りなおじさんだった。

 特区を囲う外壁には、東西南北四方に大門が設置されている。それぞれには人の出入りを管理する関所があり、このおじさんは南門の門番だ。

「印象的だから覚えているよ。じゃあ手続き始めるね」

 幸い先日対応してもらったときと同じ人で、スムーズに話が進む。

 ――そういえばこんなかっちりとした服、外では見なかったな……。

 紺色基調の制服に違和感を覚え、そんなことを思う。門番とはいえ特区の関係者。それなりの役職ということだろうか。

「君は学院志望だったね。もしダメだった場合は教団に入るつもりなのかい?」

「いや、ダメだったときのことは考えてないです」

「ははっ、威勢が良くて気持ちがいいね。若さを感じるよ。……後悔、しないといいね」

 おじさんの表情に哀愁が見て取れたのは気のせいか。妙に実感のこもった、重みのある言葉に感じられた。

 でも。

「後悔を怖がれるほどの余裕、俺今ないんで大丈夫です」

 魔法はあくまで手段。大きな目標を成し遂げるための一歩にすぎない。

 まだまだ先は長く、だからこそ……

 ――こんな序盤でつまずいてられない。

「頼もしいね。おじさんには眩しいや」

「それって……」

「なに、若い頃を少し思い出してしまうというだけだ」

「やっぱり、特区の人はみんな魔法を使えるものなんですか」

「いやいや、そんなことはないよ。言い方が紛らわしかった。僕が思い出したのは、苦い記憶のほんの上澄み。基本的には挫折ばかりの、封をしておきたい記憶ばかりさ」

「…………」

「これからという若者に向ける言葉ではなかったね。謝るよ。悪かった」

 何も応えられずにいると、おじさんはかすかに笑ってこう続けた。

「君には適性があるといいね」

 ――店主と同じこと、言うんだな……。

 思い出されるのは、シアの言葉だ。

『あなたたちはみんな、その身に魔法の素質を宿しているの』

 俺はこの人と違って才能を、素質を、そして適性を保証されている。

 ――それがこんなにも、罪悪感を伴うなんてな……。

 生まれで夢破れた人を目の当たりにして、自分の恵まれた境遇が浮き彫りになった。

 あんなにも己の境遇を呪ったのに、……皮肉なものだ。

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