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 ――・5・――


 次に目が覚めたときこそ夢は終わっていてくれ――そう切に願って俺は眠りについた。

「…………」

 けれどそんなものが受け入れられることはなく、俺は同じ部屋で目を覚ます。

 一日はそんな落胆で始まる。きっとこれから先も、この世界にいる限り。

 ……一生だとは、思いたくなかった。

「……はぁ」

 頬に伝うものを感じ、それを腕で拭う。

 すでに日は昇っており、部屋は明かりで満たされていた。体感的にはすでに早朝と言える時間帯を過ぎているはずだが、部屋に誰かがやってくる気配はない。

「……暇、だな」

 ただひたすらに穏やかな時間が流れてゆく。こうしてみると、自分から能動的にできることの少なさを痛感させられる。

 なんだかんだ言って怒涛の日々だった。息つく間もないくらい、あらゆる出来事と感情が通り過ぎていった。改めて思い返すと、その大半がシアによって引き起こされたものだとわかる。俺は結局、彼女に振り回されてばかりだったのだ。

『だから私は、絶対あなたを死なせたりしない!』

 あれからシアとはろくに話していない。彼女に背負われ宿に着き、それからなされるがままに飯を食べ就寝となった。……とくに暴れたり抵抗することはしなかった。胸の内を吐き出したおかげか、そうした行動に出るほどの気力はなくなっていた。

「……IVO、どうなったんだろうな」

 こうして放って置かれると、思考はゲームのことばかりにいってしまう。そしてそれがいい方向へ転ぶことはまずない。ただただ怒りとやるせなさと悲しみと……多分、すでに鈍り始めてしまっている自分の技術への想い。これでもう、今から戻れたとしても満足に戦い切ることはできないだろう。負ければ必ずこれを言い訳にしてしまう。……それでも、と思うのだろうか。それでも戻りたいと。…………もしそうでなければ、俺はこの世界に馴染みつつあるのかもしれない。

「ようボウズ、調子はどうだ。嬢ちゃんから話は聞いてるだろうが、俺はもう行くぜ」

 気づけばいつかのように、おっさんが扉を開けたところに佇んでいた。

 正装だろうか。普段のラフな格好とは一転して、おっさんは民族衣装を彷彿とさせる身なりになっていた。出発の身支度を終えたといったところだろう。……たしかに、記憶を辿ればシアがそんなことを言っていた気がする。おっさんが明日には旅立つ、と。

「変わりないよ。嫌になるくらいな」

「ははっ、たしかに相変わらずみたいだな。てことはまだ悩んでんのか? 生まれてきた意味、なんてもんでよ」

 あえてなのか、おっさんは茶化した風に言葉を吐く。思わず俺はその顔を見返していた。それをどう受け取ったのか、おっさんはやれやれといった手振りをしてみせる。

「おいおい、睨むなよ。別に馬鹿にしてるわけじゃねえ。言っちまえば、俺だって自分の生まれてきた意味なんて知りやしねえんだ。……そういうのは、死ぬときにわかるもんだろ、きっとよ。今考えたところで、答えなんて出やしねえんだ」

「……わざわざそれを言いにきたのか?」

「出立前に声かけただけだ。これといって用があったわけでもねえ。癇に障るってんなら、お前が話題を切り出すこったな」

「正論だな」

 それだけ言って俺は口をつぐむ。話すことなど何もなかった。

 何を話されても癇に障るから無言を貫く。回りくどいとは自分でも思う。でもだからといって、面と向かって拒絶を口にするほど、俺は行動力に溢れていなかった。

「俺からは以上だ。じゃあな」

 そんな俺の態度を汲み取ったのか、おっさんは早々に会話を打ち切り、踵を返して扉の元へと歩き出す。

「ああそうだ、嬢ちゃんとは上手くやれよ。俺は構わねえが、あの子に愛想尽かされたら終わりだ」

 振り向きざま、最後にそれだけ言い残して立ち去ろうとする背中に――

「っ、ちょっと待った」

 ……反射的に、呼び止めていた。

 俺の言葉に呼応し、ゆっくりとおっさんが振り返る。その姿を視界の中心に置きながら、俺は今自分の取った行動を反芻していた。……およそ自分がしたとは思えない行為に、誰より俺自身が困惑していたから。

「……っておい、呼び止めてだんまりはないだろ」

「シアは、今どうしてるんだ?」

 取り繕うべく、咄嗟に口をついて出た言葉はそんなものだった。

「ん、そういや見てねえな……。ボウズには一言あったのかと思ってたが」

「……そうか」

「そんだけか? 用がねえなら行くぞ」

「ああ」

 俺の空返事に構うことなく、おっさんは再度背を向ける。

「またな。ボウズ」

 それだけ言い残して、おっさんは今度こそ部屋を後にした。

「……なんだったんだろうな」

 残された俺は一人、閉ざされた扉をただ見つめていた。

 ぼんやりと口からこぼれた言葉は、おっさんではなく自らに向けられたものだ。

 なぜ呼び止めたのか――否、なぜあの立ち去ろうとするおっさんの背中に、俺は向こうの世界の仲間たちを重ねてしまったのか。

 思考はそればかりを求めて巡り続ける。

 共通項は……別れ。

 考えがそこに行き着くとともに、胸に鈍い痛みが走る。

 けれど思考はとまらない。たとえそれが自傷行為だとしても、俺には思考を打ち切るという選択肢がない。意識が介入する間もなく、思考は奥深くへと潜り込んでいく。


『恩返しの機会はまた今度だな』

 ――サジさん……。


 ふとした瞬間にそれは蘇る。断片的だが印象的な、情景の数々。


『これに満足して辞めたりすんなよ? 必ず俺が負かしてやるから』

『……ああ。待ってるよ。そのときも勝つのは俺だけど』

 ――WINの野郎。


 かつて交わした約束。……それはついぞ果たすことのなかった約束。


『IVO、やるだけやってくるよ』

『うん。いってら。私もやるだけやるよ、三段リーグ』

 ――……蓮。


 いつしかその思考は、木羽愛斗という人間が負った傷と、真正面からかち合っていた。


『愛斗、勝負』『楽しめないようなら続かねえぞ。俺から言えることはそれだけだ』『やるからには勝つ、それぐらいでいいんじゃない? 勝つために、ってなると昔から力入りすぎるし』『もし俺に才能があるとしたら、他を顧みない愚鈍さだけだ。器用すぎるのも考えものだな』『一つ殻破ったな。明日も期待してるぜ』――


 一気に頭を迸る記憶の激流。それらが全て失われたもので、もう手の届かないもので、二度と声を聞くことも叶わない、遠い存在になって――

「あ、あ……」

 頭を埋め尽くす思い出の嵐。溢れかえるそれらの喪失感は、とどまることを知らない。

 記憶が尊ければ尊いほど胸は一層締めつけられ、苦痛は炸裂する。

 血走った目は見開かれ、その焦点は定まることがない。

 憔悴した瞳が映すのは幻影。瞬く間にそれらは霧散し、その胸に喪失感を去来させる。

 ――やめろっ……やめてくれ……。

 度重なる幻影の出現と消失に、感情が大きく揺さぶられる。

 クタクタにもてあそばれた精神は、やがて立ちどころとしていた基盤を失い、虚実の境を見失う。……夢現すら判然としないこの世界で、それは致命的だった。

 もし。

 記憶の全てが嘘だとしたら。

 俺が勝手に作り上げた妄想だとしたら。

 大切にしていた仲間なんて、元からいないのだとしたら――

「そんなはずはないっ!」

 慟哭のさなか、その胸によぎるはしかし疑心。心にかかったそのもやは、決して晴れることはない。なぜなら彼は、とうにそれを晴らすすべを失っていたから。あらゆる基準を根底から揺るがされた人間に、確信に至るすべなどあるはずもない。

「かはっ、……っ」

 疑心という色眼鏡を通して見る世界は地獄だ。そこに映る一切に確信はなく、それゆえに自我を保つことすら脅かされる地獄。

 ――苦しい……。

 追い詰められた彼の呼吸はままならず、苦悶の中で木羽愛斗だった者が断続的にえずきながら床を這ってゆく。それはまるで、見えない何者かから必死に逃げるようでもあった。

「たすっ……て…………。た……むっ……ぁっ…………から」


 ――ダメならいっそ、殺してくれ。


『――』


声が、した。

 それはひどく聞き馴染みのある声で……俺が求めてやまない……


『しゃきっとしなよ! 愛斗っ』

 今度こそ、聞こえた。

『……蓮』

『どうしたの、らしくないよ』

 気づけば俺は、ファミレスで彼女とテーブルを挟んでいた。

『……でも俺、全く歯が立たなかった。お互い死力を尽くしたはずなのにっ!……結果は『2―10』の大差だぜ。これがへこまずにいられるかよ……』

『昔から真剣勝負に弱いよね、愛斗は。何かが懸かってたり、負けられなくて力が入ると空回りするというか』

『将棋もそうやって辞めたからな』

『半分はそうだね。でももう半分は、私が辞めさせた』

『…………』

 俺はその会話を知っている。なぜならこれは、俺の記憶だから。

 忘れもしないWINとの決戦。俺が一度ゲームから背を向けるきっかけとなった一件だ。その直後の俺は、端的に言って生きる意味を見失っていた。全てにやりがいを感じなくなり、かといってゲームに向き合うのもキツく……ただ空虚を紛らわせるために、無益な暇つぶしをしているだけの人間に成り下がっていた。

『しゃきっとしなよ! 愛斗っ』

 俺の醜態をどこからか聞きつけた蓮は、俺を呼び出すと開口一番にそう言い放った。

 蓮自身、前人未踏の挑戦をしている最中だというのに、わざわざ俺を励ますために貴重な時間を割いて……。

『私、勝手だけど愛斗の分も背負って戦ってるつもりだから』

『それは……本当に勝手だな』

『おかげでここまでなんとかやってこれたよ。ありがと。もし私がプロになれた暁には、ワシが育てたって言いふらしていいから』

『育ててないし、仮にそうだとして、他人の功績で胸を張るやつ、俺大嫌いだから』

 追体験として再現された世界を俺は傍観する。ただ、居心地のよさに身を任せて。

『いくらなんでも、私と愛斗の仲で「他人」はひどいんじゃな~い? ねえねえ』

 テーブル越しに前のめりになると、蓮はツンツンとこちらの肩を小突いてくる。

『じゃあ友人として言わせてもらうけど、こんなところで油売ってていいのか? プロになるって話、ただの夢物語に終わっちまうぞ』

『さっきまでこの世の終わりみたいな顔してたくせに。強がらなくていいんだよ~だ。私の時間を価値あるものだと思うんならさ、私が何にそれを費やす判断をしたのか、汲み取ってくれてもいいんじゃない?』

『…………』

『おお、いつも中々落ちない油汚れみたいなツンデレムーブが、こんなにも簡単に剥がれるなんて……!』

『何感動してるんだよ。俺でも傷心するときぐらいあるんだよ』

『ツンデレは否定しない、と』

 ニヤッと生暖かい目を向けてくる蓮。居心地の悪さに俺は目をそらした。

 てかツンデレってなんだ。

『真面目な話。愛斗はもう少し、根を詰めたときの力の抜き方を覚えたほうがいいと思うよ。……あ、今「言ってることちぐはぐだろ~」とか思った?』

『……心読むのやめろ』

『くすっ。長い付き合いですから、このぐらいは自然とできちゃうんですわ』

『俺からはできないんだから、本当人間力の差を感じさせられるよな……』

『それは単に愛斗が私に興味ないだけ。すぐ才能とかのせいにする人、私は好かないな」

『俺もそれはそうだけどさ。……でも、その理屈は強者特有のものなんだって、最近思うようになってきたよ』

『それ負けたから弱気になってるだけでしょ』

『…………』

 図星を突かれ、またも俺は言葉に窮した。

『当たり前じゃん。何かを言い訳にして努力しなくなった人が、歯を食いしばって努力し続けてきた人に勝てないのはさ。そこに才能なんて関係ないよ。才能を言い訳にしていいのは、自分のポテンシャルをこれ以上ないまでに発揮したって、そう胸を張れる人だけなんだから』

 ――ああ。やっぱり蓮は……すごいな。

 いつだって俺の先を行って、俺より多くを考え見据えている。いつの間にか、こんなにも差が歴然となっていた。

 方や負け犬、方や将来を有望視される天才。

 過程も結果も残酷なまでに順当。運の要素なんてなくて、ただただ自らの行いが正当に反映されている。……目をそむけたくならない、と言ったら嘘になる。

 ――本当、敵わないな。

 心の底からそう思った。だから将棋を辞めた。

 でも、こうして別々の道を歩いていても……地力の差がありありと結果となって現れる。だから俺は、またここでも思い知らされるんだ。

 敵わない、と。

『……それ、あんまり気心知れたやつ以外に言わないほうがいいぞ』

『ん、なんで?』

 ケロッとした表情で、こちらの気も知らず蓮はあっけらかんと言う。……でも、不思議と嫌悪感は湧かなかった。

『その正論は強すぎる。反論の余地がなさすぎて、それでも反発心だけは持て余して……最悪暴力沙汰、なんてことにもなりかねない』

『つまり愛斗は今、とてもムカついてる?』

『心読めるくせに、そういうところは履き違えないでくれよ。俺は自分の弱さには心底落ち込むけど、他人の強さには心底惚れ込む性分なんだ。見くびらないでくれ、な、師匠』

 ポンポン、と今度は俺が前のめりになって、テーブル越しの蓮の肩を叩く。

『はい? 今なんて……』

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのはまさしくこんな表情を指すんだろうなと思った。

『だから師匠。蓮の生き様は力強すぎて、俺みたいに惚れ込むやつが出てくるんだな~』

『惚れ込む……それでも師匠はないでしょっ。同い年だよ!? 幼馴染だよ!?』

『だからこそ、みたいなところはあるけどな。スタートが同じでこんなにも差が開くって、そりゃもう尊敬の対象でしょう』

『差って……私と愛斗の間にそんなもの――』

『人にものを辞めさせたやつが言っていいセリフじゃないぞ、それ。背負ってくれてるんだろ、俺の分まで。ならさ』

『うん……ごめん。でも、それで師弟関係になるのは話が別! 断固拒否します!』

『そんなに拒絶するものか? お前には敵わないっていう服従のポーズじゃないか』

『師弟関係をなんだと思ってるの……。何が悲しくて幼馴染に師匠扱いされないといけないんだか~。私にはおばさん扱いされてるようにしか聞こえない』

 ため息交じりに蓮は言う。

『――よう、起きたかボウズ。具合はどうだ』

『その発言もどうなんだ……? まあ、わかったよ。お互いが認めなければ成り立たないもんな』

『――この世界には日本という地域は存在しない』

『……それにさ、なんだか距離感遠くなるじゃん? 師弟と幼馴染だと』

『――私の知る限り、元の世界に戻れたって話は聞いたことがない』

『そうか? 俺のイメージだと師弟のほうが家族っぽくて近い印象だけどな』

『――死んだんだよ』

『……わからず屋』

『――この世界で一生を終えたの。一度も故郷へ帰ることな――』

「うるせえっ! 入ってくんじゃねえ!」

「ちょっ、何やってるの!?」

 そんな声が聞こえたとき、気づけば俺は窓から身を乗り出していた。

『死んだんだよ』

 その言葉が再度蘇る。

 もしかしたらそれで元の世界に戻れるかもしれない、ふとそんな考えがよぎった。

 ――ここから落ちれば……。

 元の世界に戻る手段が死だと言うのなら辻褄も合う。

 異世界人はみんな死んで、誰も帰っていない――シアはそう言っていた。だが死ぬことが唯一のすべなら、それも当然のことだ。

 ――それに何より、これが手っ取り早く楽になれる……。

「だから何してるの!」

 宙へ身を預けんとした俺の腕は取られ、あえなく屋内に引きずり込まれる。

 しかしそれもつかの間、俺を待ち受けていたのは――

 パシン!

「…………」

 頬にビンタを受け、俺は放心する。……そこでようやく、自分が息切れしていることに気がついた。そして同時に、肩で息をする自分に、さきほどまでのような発作的な症状が見られないということにも。

「ちょっと!? 大丈夫?」

 力なく床に倒れ込むと、彼女が声色を変えて駆け寄ってくる。

 鈍い衝撃はどこか遠く、それ以上に己の荒い呼吸音が鬱陶しい。

「ごめん、ついカッとなっちゃって……」

「つらいんだ。昔を、届かない何もかもを思い出して、俺の中には失ったものしかないから……」

 自然と言葉が溢れていた。

「うん……。だからもう、私は簡単に『これから』なんて言わないよ」

「…………」

「でもね、マナトくん。私はあなたに生きていてほしい。それには前を向くことが必要だと思ったから、私なりにだけどがんばってみたつもり」

 逆効果だったけどね、とシアは微笑む。

「私にできることは限られていて、それも不器用だからマナトくんのこと傷つけちゃって……だからこれも自己満足なのかもって怖がりながらだけど」

 そう言っておそるおそる彼女が差し出してきたのは――

「今の私が考えつく精一杯、少しでも気休めにしてくれたらいいなって」

「それ、……アケコン――」


『これで優勝してきてよ』

『あとこれ、私が勝って稼いだお金で買ってるから。縁起いいでしょ』

 そう声をかけてくれた人と会うことは、もう叶わない。


「会いにきてよ、そんなこと言わずにさ。私、ちゃんと待ってるから」

 ――え?

 ふと顔を上げた先、長い黒髪をなびかせ、凛とした双眸が柔らかく俺を見据えていた。

 白一色の空間で、ともすれば光にかき消されてしまいそうな危うさの中で、彼女は――蓮は朗らかに笑い、再度口を開く。

「――――――」

 発した言葉が耳に届く前に、光へ吸い込まれていく。それを認識したときにはすでに、彼女の姿はなくなっていた。

 残された空間で一人、俺は目をつむり天を仰ぐ。

「やるだけやる――そうだよな? 蓮」

「え、何。どういうこと?」

 気づけばそこは、元の宿の一室だった。……視界ではシアが、不思議そうな顔でこちらを見つめていた。

『会いにきてよ、そんなこと言わずにさ。私、ちゃんと待ってるから』

 その言葉だけは記憶の焼き増しじゃなく、はっきりと耳で――魂で聞き届けた気がした。

 たしかなことなんて何もないこの世界で、けれど疑心が入り込む余地なんて一切なく、その言葉だけは確信することができた。

 俺はその言葉だけで進むことができる。

 その言葉に依って立つことで、俺は再び前を向くことができる。

 根拠はない。理由もない。

 ただ結果として、俺はそうするだけの力を、活力を手に入れることができた。それだけで十分すぎる。

「もしも~し。大丈夫? 聞こえてる?」

「協力してくれ。俺はこれから生きて元の世界に戻る」

「……え? 今なんて――」

「生きてりゃ文句ないんだろ? あと戻る方法についてだが、確認だ。今現在見つかっていないだけで、今後開発される可能性が閉ざされてるわけじゃない、よな?」

「う、うん。そうだけど……どうしたの? 急に人が変わったみたいに」

「実際変わったんだよ」

「え?」

「あ、そうだ。アケコンありがとな。これまでのどの気遣いよりも助かったよ」

「……言い方ぁ」

 苦笑交じりに言うシアを横目に、俺は随分と久しい笑みを浮かべた。……彼女の瞳が涙に濡れていることについては、見て見ぬ振りをすることにした。

 ――会いに行くよ、蓮。

 もう一度だけでいいから、会って話がしたい。そう思える人がたくさんいる。

 IVOには全てを懸けて臨んだ。それがもはや手の届かないものとなってしまったことに、心から絶望した。懸けた全てが、木羽愛斗という存在がダメになったと思った。

 ……でも、ただ会うだけならまだ間に合う。

 IVO壇上への未練がないと言えば嘘になる。

 脚を失ったことにも、まだ向き合えたと言えるか正直怪しい。

 だけど、俺の唯一の望みが叶うなら、いくらでも目をつむってやる。

 そう、割り切れるようになれた。

『会いにきてよ、そんなこと言わずにさ。私、ちゃんと待ってるから』

 再度俺は、その言葉を胸の内で反芻した。



 蓮。

 俺、この世界でも勝負してみるよ。

 お前との時間がここで通用するのか、精一杯、やるだけやってみる。

 将棋をやめて、格ゲーに乗り換えたんだ。また数ある勝負の中から選び直すと思えば、なんてことはない。

 だから、必ず辿り着く。

 再会のときは、お互いに吉報を持ち寄ろう。約束の土産話だ。




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