もっとお嫁さんさせて欲しいの
双方の両親を納得させるまでの間にかなりすったもんだがあったりもしたが、花江りこと俺は婚姻届を出すところまでなんとか漕ぎ着け、この四月から二人暮らしをはじめた。
実を言うと、最初のうちは俺は婚姻届は出したふりをすればいいんじゃないかと思っていた。
俺は、婚姻歴のことをどうとも思っていないけれど、花江りこの人生においては汚点になってしまうだろうから、それを心配していたんだ。
けれど、その案を打ち明けると、花江りこは「私のことを思ってくれたのはうれしいけど……」と言った直後、すんっと鼻をすすって俺の前から逃げ出してしまった。
それから三日間避けられた。
何がいけなかったのか必死で考えて、ハッとした。
結婚したふりをして、書類を提出せず同居するとなれば、両親に対して嘘をつくことを彼女に強いることになる。
俺は発想が安易すぎたことを反省し、花江りこはどうしたいか、俺はそれに合わせるつもりだと彼女に伝えた。
「新山くんが結婚したくないわけじゃない……?」
と尋ねられたので、「嫌なわけじゃない」と否定した。
まさか「むしろ結婚したい。どんな事情であれ可愛い嫁さんができるの大歓迎」という本音まで口にすることはできなかったが。
花江りこは、「新山くんが嫌じゃないなら、私は新山くんとちゃんと結婚したいな……」と言った。
本当にそれでいいのかと何度念を押しても、彼女の気は変わらなかった。
よっぽど親に嘘をつくのが嫌なのだろう。
そして花江りこの出した結論どおり、俺が十八歳になった四月三日に婚姻届を提出して、俺たちは本当の夫婦になったのだった。
結婚生活がスタートして、一ヶ月、最初のうちはあれこれ問題が発生して、バタバタした出来事の連続だった。
ようやく落ち着いて、細々したことにも目がいくようになったのは本当にここ数日の話だ。
恥ずかしいことにそうなってみて初めて、花江りこに甘えまくっている自分に気づいた。
たとえば、今日も。
朝、アラームの音で目を覚ますと、微かな味噌汁の匂いが鼻孔をくすぐった。
花江りこの作ってくれる美味い味噌汁の味が脳裏を過ぎり、その途端、腹がぐうっと鳴った。
一人暮らしをしていた頃は、面倒だからという理由で朝食を抜いていた。
自炊はできないし、朝からわざわざコンビニに行く気にもなれない。
そんな俺の自堕落な生活を、花江りこは美味い朝食で一変させてくれた。
彼女は一緒に暮らし始めた日から、毎日欠かさず俺より早起きして、朝飯の支度をしてくれている。
もちろん俺は遠慮して、そんなことまでしてもらうわけにはいかないと伝えた。
すごくうれしいけれど、俺の気持ちなんてこの場合どうでもいい。
だって俺たちは契約結婚だし。
そもそも今の時代、嫁さんが旦那の面倒をみなければならないなんて考え通用しない。
ところが花江りこは、微笑んでいた。
「私、湊人くんのお嫁さんするの楽しいよ」
俺はその言葉のあまりの破壊力にノックアウトされ、それ以上何も言えなくなってしまった。
で、そのまま申し訳なく感じながらも彼女の作ってくれる飯を食べさせてもらい、今日まで来てしまったわけだ。
……人間って心の弱い生き物だよな。
毎日、「今日こそ、ご飯の準備しなくていいよ」と言うべきだって思うのに、笑顔で料理を作る花江りこを見ると、
「もう一日だけ……明日には必ず言うから」と引き伸ばさずにはいられなかった。
だって、料理をする花江りこ、可愛すぎるんだよ……。
エプロンもよく似合ってるし、高い位置でひとつに縛った髪がふわふわと揺れるところも、なんというか……とてもいい。
でもさすがにいい加減にしないとな。
そう思った俺は、その朝、身支度を整えてダイニングキッチンに向かうなり、花江りこにこう言った。
「おはよう、花江さん。今まで毎朝、朝飯作らせちゃってごめん。早起きするのも大変だろうから、今日で最後ってことで……。言いだすのが遅くなっちゃったのもごめん。花江さんの飯が美味すぎて、つい自分を甘やかしてしまいました。本当にごめんなさい」
テーブルに並んだ美味しそうな朝食を見ると、また心がぐらついてしまいそうだった。
だから自分の足元を見つめたまま勢いまかせに謝罪すると、一拍おいて、花江りこの柔らかい声が問いかけてきた。
「私の作るごはん、そんなにおいしいと思ってくれてたの?どうしよう。嬉しいなぁ」
「あ、えっと、うん。めちゃくちゃ美味しかった。でも俺が言いたいのは、これ以上無理をさせるわけにはいかないってことで……」
「無理はして欲しくないんだ」
いつか無理がたたって、ここを出て行きたくなってしまったら……。
俺はそれが怖かった。
契約結婚なんだから、終わりがあることくらい承知している。
多分、一年後、俺たちが高校を卒業するとき辺りだろうか。
大学生の女の子の一人暮らしに関してなら、花江りこの両親も強くは反対しないだろうし、そうなれば俺の存在は花江りこにとって何の需要もなくなる。
でも、その時が来るまでは、せっかく手に入れた彼女との生活を失いたくはなかった。
付き合ってるわけじゃなくても、彼女が俺をなんとも思ってなくても、好きな子の一番近くに居られる。
それは俺が想像していたよりずっと、楽しいものだったから。
「やりたいことだけやって、自然な感じで暮らしてくのがストレスを少なくていいと思うし」
「私がやりたいことをやっていいの?」
「も、もちろん!」
「それなら私、朝と夜だけじゃなくて、お昼のお弁当も作らせて欲しいな!」
「えっ。べ、弁当……?」
「そう!さすがにそれは出しゃばり過ぎで嫌がられちゃうかなって思って言い出せなかったんだけど」
話が予想外の方向に転がりはじめてしまった。
俺が驚きのあまり何も言えずにいたせいで、すぐに花江りこの顔に心配そうな表情が宿った。
「……だ、だめかな?」
「だめっていうか、面倒じゃないの?」
「ううん、全然! 本当にやってみたかったから」
「弁当作りを?」
「というか……な人に……心のこもった愛……当を作るのが夢で……」
「え?」
俯いてしまった花江りこが、エプロンの裾をいじりながらモジモジとしている。
彼女の言葉のほとんどは声になっていなくて、俺には聞き取れなかった。
「とっ、とにかくね! 私は新山くんにお弁当が作りたくて仕方ないので、新山くんは遠慮せずどうか召し上がってください……っ。お弁当だけじゃなくて、朝ごはんも夜ごはんも。新山くんの体が私の作ったごはんで元気に健康になってくれるなんて、こんなにうれしいことないから……。お、お願い……。これからも私のごはん、食べてください……っ」
……すごいな、花江りこ。
他人に飯を振る舞うことがそんなに好きなんて。
もしかしたら、将来はコックとか栄養士になりたいのかもしれない。
だったら断るのも微妙か。
甘え過ぎだと思ってたのに、まさか今以上に面倒を見てもらう流れになってしまうとは……。
俺は複雑な気持ちを抱きながらも、花江りこに向かってペコっと頭を下げた。
「それなら……お願いします」
「うれしい……! 美味しいお弁当が作れるように、私がんばるね!」
花江りこは瞳をキラキラさせて、はしゃぎながら言った。
……ああ、もう、可愛いすぎか。
だんだん自分でもわかってきたけど、こうなるともう俺には現状を受け入れることくらいしかできない。
花江りこが可愛いのでもうなんでもいいという思いがすべてになってしまうのだから仕方ない。
それに彼女が負担に感じていないだけでなく、楽しんでくれているのなら止める理由はない。
しかし俺の人生、なんでこんな怒涛のごとく幸せが押し寄せてくるようになったんだ……。
「幸せすぎて怖い」という恥ずかしいセリフに対して、今の俺はわりと本気で共感を寄せられる。
花江りこのことを「なんかいいな、可愛いな」と思い、憧れてる時点でこんな有様なのだから、本気で好きになってしまったら一体どんな状態になるのか。
正直、ちょっと心配ではあった。
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