「不束者ですが末永くよろしくお願いします」
「お料理は和洋中、どんなリクエストにも応えられるようにしてきました……! お掃除も好きだから、家事全般なんでも任せてください……! 何かの時に役に立つかもしれないので、DIYの知識も一通りあります。そっ、それから、あ! 虫が出た時もがんばってどうにかします! 蜘蛛はちょっと苦手だけど…でも湊人くんを守るためなら、戦えます……っ。メンタルケアと、リンパマッサージと、護身術と、栄養学と、漢方養生と、キャンドルマイスターは通信講座で習得済みです! 他にも必要なものがあったら、しっかり学ぶので!! ……だから……、お願いです……。湊人くん……どうか私と結婚してください……!」
「…………………………とりあえず」
「は、はいっ!」
「…………キャンドルマイスターってなに?」
いけない。
あまりのことに思考がついていかず、つい妙なところに食いついてしまった。
聞くべきことはもっと他にあるだろう、俺。
しっかりしてくれ……。
「キャンドルマイスターはいいとして、ちょっと待って……。えっ、け、結婚……?」
問い返した声が情けなく裏返る。
「俺と花江さんが……?」
「うん……」
くそ。
恥じらうように俯く仕草が可愛すぎて、全部どうでもいいから「よろしくお願いしますっ」と言って手を差し出したくなる。
可愛さという無敵の武器を持っている花江りこが、だんだん恐ろしくなってきた。
とりあえず咳払いをして、なんとか冷静さを取り戻そうと努力する。
あんまり上手くいかないな……。
「結婚ってどこから出てきたの?」
「新山くんの家に居候させてもらえないかと思って」
「うん、そこまではわかる」
「一緒に住まわせてもらうなら結婚しないと……!」
「うん、そこから理解できない」
俺が首を傾げて腕を組むと、それを拒絶の現れだと受け取ったのか、花江りこは追いすがるように俺の服の裾をキュッと掴んできた。
「ま、待って。順番を追って説明するから……っ。つ、つまり、障壁として立ちはだかるのが私の父なの。私が結婚したいってことは関係なくて、あ、ち、違う……! 今のは失敗だから、聞き流してね……!? それで、ええっと、父を突破するためには、結婚一択なの……っ」
よし、困った。
全く順番を追えていないどころか、さっきより余計ややこしくなっている。
花江りこは多分、慌てると混乱する癖があるのだろう。
昇降口で俺がふらついた時も、取り乱して膝枕をしようとしたくらいだし……。
「花江さん、ちゃんと聞くから落ち着いて。いちから話せる?」
できるだけ彼女の気持ちが鎮まるように、穏やかな口調で諭すと、花江りこは真面目な顔でコクコクと頷いた。
「まず深呼吸しようか」
「は、はいっ。すうーはぁー。すうーはぁー」
「よし。それで、どうして一緒に住むには結婚しないとならないの?」
「それはえっと、うちの父が昔から事あるごとに『同棲は無責任だ!』って言ってるから、絶対許可してもらえないと思ったの」
「……同棲に反対するほど固い人なら、学生結婚なんてもっと無理なんじゃない……?」
「説得するのが簡単なわけじゃないけど、うちの父が好きな言葉は『本気』と『責任』なんだ……」
俺は彼女のわかりやすい説明から、花江りこの父親の人間像を察して引きつり笑いを返すことしかできなかった。
恐らく俺とは真逆のタイプの熱血漢なのだろう。
想像しただけで、ぶるっと寒気がした。
娘はこんなにおっとりしてるのにな…….。
……って、それよりまず最初に突っ込むべきポイントが今あったよな……?
「同棲っておかしくない? 同居だよね?」
男女とはいえ恋愛関係にない間柄なら一緒に住んだとしてもそれはあくまで同居であって、同棲ではない。
俺がそのことを指摘すると、花江りこは指先をもじもじとすり合わせた。
「たしかに今の時点では同居になると思うけど……同居が途中から同棲になることもありえるでしょう? そうなっちゃった瞬間、一緒に暮らせなくなっちゃうってことで……それは……やだな……」
ん!?
んんんっ!?
今なんて言った、花江りこ!?
「なんかおかしいこと言ってるよね!? 俺たちの関係が同居から同棲に変化するかもしれないって!? ……いやいやいやいや、そんなのありえないよ!」
なんの冗談だと笑う。
笑ったのは俺一人だったから、すぐに気まずくなって笑顔は引っ込めたが……。
でも笑う以外どんな反応を取ればよかったんだ。
学校一の美少女と、この俺だぞ。
「天と地がひっくり返ったって、俺たちの間に何かが起きる可能性なんて皆無だよ」
勘違い野郎だとは思われたくなくて、もう一度、全力で否定したら、なぜか花江りこは唇を震わせて俯いてしまった。
あ、あれ。
何かまずいことを言ったか……?
「新山くんと私って、ありえないんだ……」
「う、うん。花江さんだってそう思うでしょ」
「……」
花江りこは黙り込んでしまった。
俺はどうしたらいいのかわからず無意味に頭を掻いたりしてみた。
なんで花江りこは俺たちの間が進展する可能性なんて百パーセントないって言い切らないんだろう。
あれか?
俺に気を遣いまくってくれてるのか?
他の理由なんて考えられないもんな。
そうまでさせてしまう俺って本当にダメなやつだな……。
……空気を変えるために、話の方向転換をしなければ。
「……多分、花江さん焦ってるんだよね。その気持ちは分からなくもないけど、一緒に住む相手は慎重に選んだ方がいいんじゃないかな。誰でもいいって感じだときっと後悔するよ」
「ごめんね……。変なこと言って……。嫌な気持ちにさせちゃったよね」
「えっ。そ、そんなことはないから……!」
動揺しまくったけれど、どんな理由であれ花江りこに結婚して欲しいなんて言われて嫌な感情を抱くわけがない。
はっきり言って、余計なことを一切考えなければ、二つ返事でお願いします!と言いたい案件だ。
ただし俺は根暗で臆病で余計なことばかり考えるタイプだから、そういう行動には出れなかったけれど……。
「新山くん、無茶なお願いをして本当にごめんなさい。でもね、これだけは信じて。私、誰でもよかったわけじゃないよ」
「……」
わかってる。
俺が一人暮らしで、無害そうで、余った部屋を持っていて、彼女に手を貸す術を持っている人間だから選ばれただけだって、ちゃんとわかってる。
そしてわかったうえでなお、俺は彼女を受け入れたいと思ってしまった。
気持ちに歯止めをかけるためにも、離れ離れになったほうがいいのだと考えたのは数分前の話だっていうのに。
目の前に転がり込んできたこの奇跡を、どうしても無駄にしたくなかった。
そのせいでこの先、恋の苦しみを味わうことになるとしても……。
「そのー……花江さん的にはどうなの?」
「え? 私?」
「うん。つまり、その……本当にいいの? 俺なんかと結婚しちゃって……」
信じてほしいとでもいうように、花江りこが上目遣いで俺を見てくる。
それから恥じらうように視線を逸らして、掠れた声で呟いた。
「新山くんがいいんだよ……」
……くそ、反則だろう。
だって、こんな表情見せられたら、俺が守ってやりたいって思ってしまう。
そうだよ。もういいよ。なんでも。
花江りこが俺を頼っていて、俺にしてやれることがあるのに、何を迷う必要がある?
なんでとか、信じられないとか、そんなことはどうでもいいじゃないか。
だって今、現に俺は学校一の美少女から逆プロポーズされるという事態に遭遇しているんだ。
夢みたいでも、これは現実。
え、現実だよな?
古典的な方法で、花江りこに見られないよう太ももの辺りの肉をつねってみた。
やったぞ。痛い。
よし、もうこれで迷う必要はない。
宝くじにでもあたったと思って、この奇跡的な状況を受け入れてしまおう。
怖気づいて投げ出すのはもったいなさすぎる。
だいたい、彼女いない歴年齢の地味メンが何を躊躇してるんだ。
ここで機会を逃したら、一生独身ルートほぼ確定のようなやつなのに。
そうだ。
未来に誰かと出会い結婚できる確率ゼロパーセントの俺には、誰かのために婚姻歴をまっさらにしておく義務もない。
でも今、花江りこを受け入れれば、手に入るはずもなかったお嫁さんを獲得できるんだぞ。
この瞬間まで、話の内容に動揺しすぎてまったく機能していなかった想像力が初めて目を覚ました。
エプロンを着ためちゃくちゃ可愛い俺の嫁。
リビングのソファーで隣に座っているめちゃくちゃ可愛い俺の嫁。
朝、洗面所の前で並んで歯磨きをしてくれるめちゃくちゃ可愛い俺の嫁。
一瞬で、『可愛い嫁とのワンシーン』が五十個ぐらい頭の中を駆け巡った。
最高か。
それが契約結婚でも何ら問題ない。
可愛い嫁との疑似生活を送れるだけで、神だ。
そうして腹を決めた俺は、勇気を出して言ってみた。
「じゃあ……する? ……け、結婚……」
しまった。
問いかけ口調で言うのはなかったよな……。
まったく煮え切らないダサすぎる言い方に、自分自身でもげんなりした。
ところがそんな決まらない俺の残念な返事に対して、花江りこは信じられない反応を返してくれた。
澄んだ瞳が大きく見開かれ、朱色の小さな唇がパクパク開かれる。
それから両手で口元を覆い、長い沈黙の後、ほとんど聞き取れないような声で「……夢みたい」と囁いたのだ。
まるで大好きな人からプロポーズされた時のような反応だ。
そんなわけじゃないとわかっているけれど、俺はすごく幸せな気持ちにしてもらえた。
……ここまで喜ぶほど、日本にいたかったのか。
だったら俺の選択は間違っていなかったんだな。
「色々大変だとは思うけど、俺はできる限り協力するから、一緒に頑張っていこう」
「……! うん……! 新山くん、本当にありがとう……。私、今日のこと一生忘れない……」
花江りこはうれしさのあまり感激しているのか、潤んだ瞳を細めてにっこりと笑った。
「それじゃあ、こほん……。――新山湊人くん、不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします」
俺の部屋のフローリングの上に、ちょこんと正座をすると、花江りこは生真面目な顔でそう言ってから、頭を下げたのだった――。
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