尽くしたい彼女と戸惑う俺
それから花江りこは俺の鞄を持ってくれて、いろんな面で俺をサポートしてくれた。
たとえばエレベーターのボタンを押したり、鞄から鍵を取り出したり、扉を開けたり。
正直本当に助かった。
普段の日常では難なくこなしている行動も、熱があって気怠い体にはすごく堪えるのだ。
しかも俺は自分が思ってる以上に、ふらふらしていて、もたれかかって立ってるだけならなんとかなるんだけど、花江りこが支えてくれなければまともに歩けないような状態だった。
だけど、それが尚更俺の熱を上げたのは言うまでもない……。
「あれ? 新山くん、もっと体重かけていいよ……?」
「だ、だけど」
「よいしょ……。はい、こうやって私の肩に掴まってね……?」
「……っ」
花江りこが俺の両手を取って、自分の肩にしっかり回させる。
こんなのもうほとんど抱きしめてるのと変わらない。
やめろ、意識するな俺。
善意で触れてくれている彼女に失礼すぎるぞ……。
必死に自分を叱りつけて、なんとか気をそらそうとする。
でも彼女の髪から薫るシャンプーの香りや、触れられたときの柔らかい感触が、なけなしの理性をあざ笑ってくるのだ。
「……ね、新山くん……。この体勢、ちょっぴり照れくさいね……?」
そういうこと言っちゃダメだって……。
余計意識するから……!
◇◇◇
花江りこに助けられながら、リビングのソファーまで移動した後。
彼女は家事まで引き受けてくれると言い出した。
「冷蔵庫に食材はある?」
「……いつもコンビニ弁当で済ませてるんだ」
「えっ。毎日?」
「恥ずかしながら……」
「キッチン道具はある?」
「一応、親が使ってたのが」
「じゃあ私、ささっと買い出し行ってくるよ」
「えっ……。いや、それはほんとに悪すぎるよ……」
「私ごはん作るの好きだから、気にしないで」
「でも外すごい寒いし、雪だし」
「寒いのも好きだから大丈夫。――それに今日、教室で澤くんたちとお鍋が食べたいって話してたでしょ?」
「……!」
澤、いつも声がでかいんだよ……。
「好きなお鍋の味ある?」
「……し、塩とか。あっ、でも、鍋なら基本なんでもいけるから……」
「ふふ、でも今日は塩味にしよっかな。お風呂はどうする? やめといたほうがいいかな」
熱でふらついている時に風呂に入るのはあまりよくないと思うが、昇降口で転んでパンツの中までずぶ濡れになった身としては、さすがに着替えるだけでは済ませたくない。
幸い点滴の効果も出てきていて、体調不良ピークの時のように熱に浮かされているような感覚はしなくなった。
少し休んだあとなら、風呂ぐらいなんとかなるだろう。
「転んで汚れたから、サッと入っちゃうよ」
「ほんと? 大丈夫……?」
点滴の効果について伝えると、花江りこは心配そうにしながらも納得してくれた。
「それじゃあまずお風呂の支度をしちゃうね」
「しまった。それが風呂はもうずっとバスタブを洗ってなくて。だからシャワーだけで――」
「お掃除道具はある?」
「それも母さんが置いて行ったのだったら、そのまま残ってるはずだけど……」
「じゃあ、それ借りちゃうね。新山くんはくつろいでてね。ベッドで横になってるほうが楽? それともソファーに座ってるほうがいいのかな」
花江りこに家事を任せて、自分だけ寝室で寝ているわけにはいかない。
そう思ってリビングにいると答えた。
すると花江りこは、俺が楽な体制で横になれるようにソファーの上にクッションを重ねて、寝場所を整えてくれた。
「お風呂とごはんの支度ができるまで、ここで休んでいて」
「俺も何か手伝――」
「だめだよー。新山くんは病人なんだから。ここでじっとしていて下さい」
腰に両手を当てた花江りこが、幼児を叱るような口調で「めっ」と言ってくれる。
俺は思わず「あ、はい」と答えてしまった。
「寝室の場所教えてくれる?」
「なにかかけるものを取ってくるよ」
俺が聞かれたことに答えると、花江りこは寝室までわざわざ毛布を取りに行ってくれ、それを丁寧な手つきで俺の上にかけてきた。
「寒くないかな?」
「あ、うん」
首の周りまでちゃんと毛布が届くよう、整えてもらいながら、何度目かわからないお礼の言葉を伝える。
本当に感謝をしているのに、「ありがとう」「ごめん」ぐらいしか伝えられない口下手な自分を情けなく思った。
「それじゃあはじめるね」
花江りこは制服の袖を腕まくりしてから、長い髪をひとつにまとめはじめた。
両手の親指で耳の上を撫でながら髪を集める仕草、ゴムを咥えた口元、ひとつになった髪がサラッと流れるときの動き。
そういうものに釘付けになっていた俺は、慌てて彼女から視線を逸らした。
それから彼女は風呂掃除を済ませて、湯がたまるまでの間に買い出しに行き、夕食の下準備と米を炊くところまで済ませてしまった。
しかも俺たちが家に帰ってきてから、まだ一時間も経っていない。
俺は花江りこの手際の良さに衝撃を受けた。
そういえばマンションのエントランスで話したとき、家事全般こなせる的なことを言っていたもんな。
でも、こなせるどころか、家事マスターか? ってくらいの腕前だったのはさすがに予想外だった。
「すごいな……。一体どうやったらそんな短時間であれこれできるんだ?」
俺がそう問いかけると、花江りこは口元に指先を当てて少し考え込んだ。
「……多分、慣れとあとは修行?」
「家事に修行なんてあるの?」
「あるよぉ。だって、はな――。あっ、う、ううん。なんでもない……! それよりお風呂が溜まったから入っちゃう? 私、手伝うね」
ん?
ん!?! 手伝うって……!?!!!
「風呂を手伝うとは……」
混乱しながらそう呟くと、花江りこはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「体や髪を洗ったり? 支えたり? 他にも新山くんがして欲しいことがあれば、なんでもするよ」
なんでも――。
一瞬、考えるより先にやましい想いがポッと浮かんできたが、慌てて首を振る。
だめだ、花江りこに「なんでもしてもらえる俺」なんて、まったく現実的じゃない。
「だって、え、お風呂だよ……? わかってる……?」
もしかして天然なのかと思ってそう尋ねてみたら、花江りこは恥ずかしそうに俯いて「わ、わかってるよ……?」と呟いた。
「あっ、待って! 私、痴女とかじゃないよ……?!」
「……っ」
なんつうことを言い出すんだこの子は……。
しかも本人は至って真剣らしく、痴女という言葉を口にしたことに照れながらも、真面目な顔で拳をきゅっと握り締めている。
「介護についても通信教育で勉強してあるの。だから何も気にしないでね……!」
花江りこにとっては介護と変わらないのかもしれないけれど、俺はそんなふうに思えない。
だからこそ、絶対に手伝ってもらうわけにはいかなかった。
そんな善意に付け込むようなことをして、万が一、花江りこに俺の下心がバレてしまったら……。
きっと彼女は俺のことを心底軽蔑するだろう。
花江りこにゴミ屑を見るような視線を向けられるところを想像して、ブルッと震え上がる。
下心の言いなりになる勇気すらない俺を笑うがいい。
俺は女子から嫌われることが本気で怖いのだからしょうがない。
「気持ちはありがたいけど、他のことと違って風呂を手伝ってもらうのはやっぱりまずいよ……。花江さんが俺のことを意識してなくても、俺はやっぱり気にするし……」
「なんで私が新山くんのことを意識してないって話になってるの……?」
「……? だって、介護って言ってたから」
「それはそう言わないと新山くんが、私を受け入れてくれないかなって思ったからで……っ、……でも、意識してないとかじゃなくて……っ」
「えっ」
「あっ、な、なんでもない! 今のは忘れてね……! と、とにかくお風呂行こ!」
「待って待って、それはほんとだめだから」
「うう……。……わかった。具合が悪い新山くんを困らせるようなことはやめておくね……。代わりに、ご飯のお手伝いはさせてね……!」
ご飯の手伝い?
作ってくれるとは言ってたけど、配膳とかそういうことか?
それで引き下がってくれるなら、ここは承諾しておいたほうがいいだろう。
「わかった。それは花江さんに頼むよ」
「う、うん……! 任せてね……!」
なぜか花江りこは、さっきと同じように恥じらいながらそう言った。
なんで照れてるんだ……?
あまり回らなくなっている頭では深く考えることができず、俺は風呂場へ向かった。
寒い脱衣所で震えながらジャージを脱いで、バスルームに繋がる扉を開くと、湯気と一緒に暖かい熱気が全身を包み込んだ。
バスタブの中のお湯は、乳白色に染まっていて、ミルクのようないい匂いがする。
うちに入浴剤のストックなんてなかったはずだから、花江りこが食材の買い出しの時に、一緒に買ってきてくれたのだろう。
湯船に浸かることに対して全然思い入れなんてなかったはずなのに、あんまりに気持ちよさそうで早く沈みたくて仕方なくなってきた。
今日は動きが重いせいで、なかなかスムーズに体を洗えないのがじれったい。
「……よ、よし。やっと終わった」
さてと……。
ふらついて情けなく倒れたりしないよう、一応、壁に手をついてバスタブを跨ぐ。
冷えていた右足がお湯に触れると、なんともいえない感覚が全身を駆け抜けた。
「おおう……」
絶妙な湯加減で妙な声が出てしまった。
そのままゆっくり体を沈める。
ああ……、たまらない……。
思わず心の底からの「はあっ……」というため息が零れ落ちた。
体が芯から温まっていくのを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
風呂ってこんな気持ちよかったっけ……。
それに熱のせいで痛んでいた関節が明らかに楽になった。
しかもなんだかホッとする。
風邪のせいで気が張っていたのかもしれないと、この瞬間に初めて気づけた。
シャワーでザッと体を洗うだけじゃ、こんなふうにはならなかっただろう。
「風呂、最高か……」
この数年忘れていた喜び。
それを思い出させてくれた花江りこに対して、また新たな感謝の想いを抱いた。
◇◇◇
――二十分後。
湯上りでポカポカとする体をパジャマ代わりのスウェットに包み、リビングに戻ったところまではよかった。
しかしそれからわずか五分後の今、俺は猛烈なピンチに見舞われている。
「はい、新山くん。お口開けてください。あーん」
「……っっっ」
隣にぴったりとくっついて座った花江りこが、レンゲを俺のほうへ近づけてくる。
俺は視線を忙しなく動かすことしかできない。
なんだこれ、どうしたらいいんだ……。
ていうかなぜこんなことになった……!
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