昇る龍の音 月の弦 銀の色 紅蓮がうねる夜
秋月 忍様主催の『和語り』企画参加作品です。
暴れ焼き尽くす大きな火に追われた事がある、怖くて竦む思いもあるが、揺れる踊る真紅の火は好きだ。姉さまにつながるから。
バチバチバチバチ!轟轟!爆ぜる音、朱に染まる夜、その明かりを背にした姉さまは、逃げまどった為にひどい身なりになっていても、とてもとても綺麗だった、踊り狂う火の粉が舞い上がる空を見上げた姿は、今でもはっきりと覚えている…………。
「坊、火は怖かないか?ほう、大丈夫か、水は?お前は流されて来た、ん?怖かない、そうかそうか、小さいのにえらいぞ、お狐様のお子だな」
おっとうに大きな手で頭を撫でられた。おっかあが、ほら猪をお食べと、木地の椀に、囲炉裏にかけられた鍋からすくい入れてくれる。チロチロと囲炉裏の火は大人しい。
山の中の小さな村、辺鄙な場所にも関わらず、粗末ながら床が貼られ、土を塗り込められ、屋根を杉皮で葺かれた小屋の夕餉の時。里に降りれば床も上げていない雨風が凌げるだけのものが多い。豊かな集落の隠れ里。
「坊、いい、なにも言わなくても、大きくなれ、強くなるんだ、ここではそれでなくては棄てられる、弱い子供は、淵へ捧げられるんだ、龍神さまの供物にな………」
おっとうにそう言われた。薪一本、山菜一つ知らない子供だった、しかし代わりに少しばかり字を読め笛を嗜み、剣術が身に付いている、言葉使いも所作も違う子。子供だった俺を目の前にして長は話した。
「そうか、おそらく笹倉のお子だな、姉と共に死んだと聞いておるが………、しかしお狐様が知らせたのだろう、そちらに、お狐様の授け物、ならば手渡してはならん、知らぬ顔して育てたら良い、ここは隠れ里、外には長のワシが上手くやるから心配ない」
ささくら、ドクリとした。口を開こうとしたら、怖い目で首を振りシッ!と唇に指を立て見てきた。わからないが、何かを察して、こくんと頷いた俺に笑顔を向けた村長。
「いい子じゃ、何も言ってはならぬ、そなたはここの産まれ、今までお狐様の元で修行していたのだ、よう戻ってきた、おっとうに達に孝行するのだよ」
居場所が出来た。おっとうと共にきちんと座り平伏した。
隠れ里には小さいが立派な祠があった。九尾の狐様をまつっていると聞いた。知恵にたけ姿を自由自在に変幻するお狐様、村の守り神様。その御使いぎつねが銀狐。俺はそれに縁があった。
銀の波が夜風になびく薄の原っぱ。おい立つなかにしゃがみこめば、すっぽりと大人の身体さえも隠してしまう。立ちのまま、空を見上げればそこには、丸いお月様。
ぽっかりと薄が広がる地、相棒の狐の銀と一緒に、時々に訪れ笛を吹く、一度焼かれたこの場所。今では銀の尾のような花を持つ、すすきのみが元の姿を取り戻している。木々はまだ細く幼い。
流れる高く細く、空に昇る。あれからにすると随分上手くなっているかと思う、幼い時に拙く奏でいても、姉さまは琵琶を打ってくれた。俺の持つ『風花』姉さまが持つ『月花』今なら、と思う。俺の中でその音が響く。
姉さまもうすぐ、あの時のあねさまの年に追いつく。二人で逃げた夜を思い出す。クゥと鼻を鳴らす銀。
「これを持って先に行け、お前、この子を頼みます」
そう言って俺の懐にそれを押し込むと、川へ突き落とした姉さま、それと同時に飛び込んだ俺に寄り添う銀狐。俺をヒュルリト空を鳴らし追い越し先に水音を上げた、大岩が組み合わさって出来ている深い淵、どろりとした黒い水面、それは小さい俺には口を開いているかのように見えていた。
さぶん!………ゴボ………冷たい黒に沈む。絡みつく力。あねさま、あねさまと手足を必死にもがいて動かした。ゴフゴフと大小の泡が俺の周りで産まれて上がる、苦しくなり、見えなくなり、そして力が抜けていった。それからしばらくの事は、よく覚えていない。
「あんた!この子目が覚めたよ、火に追われたのかい?かわいそうに」
パチパチと爆ぜる音、誰か?乾いた草の匂いがする中で気がついた。体を動かすとカサリと音がする。木綿の着物が分厚く敷かれた茅の上に広げられ、寝かされていた。
「おう、坊、大丈夫か?起きれるか?湯を飲めるか?」
「熱くないかね………、大丈夫だ、ほら蜂蜜をとかしたよ、甘いよ、ああ、ああ!そのままでいい。飲ましてやるよ」
それを口元に匙に入れ運んできたくれた、おいしい、うすら甘いのをこくん、飲み込むと涙が出てきた。
「お狐様が助けてくださった、よかったよかった、元気になったら村長さまのお許しをもらいにいこう」
「そうだよ、お前さん、坊やが戻ってきたんだよ。あんた、そうだよね、あの淵で………、あの淵で、ああ………そうだよ、坊や戻ってきたんだね、お狐様が強い子にして返してくれた、おっかぁだよ、坊や、坊…………」
暖かく手を握られる、女の人でも硬いんだ、そんな事を思った。ぱちと、火の爆ぜる音。飲み込んだそれから甘さが広がり、幼い俺はとろりと眠りについた。
それからうつろうつろとした繰り返しの記憶がある。国守の屋形での日々、おぼろげな母上の顔、はっきりとした、紅葉、菊野、佐太郎、父上、姉さま…………、薄と炎と、銀狐。
目が覚めて、しばらくは腑抜けた様になって過ごしていた、ある日外で座り笛を吹いていた、同じ年頃の子達が寄ってきた。
「お前、お狐様が見つけたって?強いんだろ?強くなきゃ水の底に帰れよ!」
意地の悪い事を言いながら、棒切れを手渡された、わからぬままに手合わせをした。木の棒を打ち合った、それは幼い時から、屋形で日々教え込まれてきた事、一本取ればお前の勝ち、と言われていたので、それをこなすのは簡単な事だった。
「おい、病み上がりを…………なんだ?お前ら負けたのか?」
「おじさん!つっえー!この子すげーよ!なな、明日から教えてくれよ、俺強くなりたいんだよ!なな、仲間になろうぜ!」
わっと皆に囲まれた、それを目にしたおっとうは、何かに気がついたのか、深くは聞かずに、その日の内に俺を村長様の元に連れて行った。その途中どこからともなく、あの銀狐が姿を表し俺の側に身を寄せた。
「なんと、銀狐様が………本当にそちらに知らせて来たのは、御使い様だったのは本当の話だったのか!」
ざわざわと里の大人達が集まり話した。弱い子供を産んだ事で、村の中で外れ気味だったおっとう達が、俺の養い親になった事で再び村の中に入れる事になった。
俺におっとうにおっかあが出来た。しかしそれまで育った場所での所作、言葉遣いは忘れるな、紛れるのに役に立つと言われた、姉さまから預かった錦の袋のそれは、おっかあが紐を付け首から下げるようにしてくれた。
銀狐は俺が外に出ると姿を表し側にいた。その事が俺に強くなければならないと、荷を負わせた、弱いとおっとうににも迷惑をかける。なので、俺は里で生き抜くために、様々な事を学んで過ごした。あっという間に日が経った。
「これを持って先に行きなさい」
別れた時を思い出す。姉様、俺はここに来ている、会いたい、一度だけで言い、ひと目でいいから会いたい。別れた時に預かったソレは大切に持っている。
ザザザァと冷たい風が葉を揺らす、銀色の穂を揺らす、笛の音がそれに混ざり、青白い月光が黒を染める空へとのぼっていく。唇を離して月を見た。
「さあ、お前に出会えたのも、おっとうに拾われたのも、全てはお狐様のお導き…………、銀。行くぞ」
笛をしまい込む、先程から首筋に、背中に、右ひだりに感じる目の気配。生国を裏切るソレを携えている俺、拾われた山里の任務。
「敵の敵は味方…………、佐次郎太、そう教えてくれた」
剣術、兵の動かし方のほんのイロハを教えてくれていた、彼の生真面目な顔はまだ覚えている、何処かで会えるのか、手練なアレが倒れたとは思っていない。姉さまも、紅葉も年老いた菊野ですら武家に仕える者として、得物は扱えていたのだから。
生きている、皆何処かで、俺は次に出逢う時までに誰よりも強くなっていなければ、そう思い信じて生きている。
薄の原を進む、懐に忍ばませている里からの文を確かめる。手持ちの物を確認をする。顕になる人の気配。銀もそれをがわかっている。フサフサとした彼を見下ろす、姉さまが小さい頃に、銀狐を助けたと話したことを思い出す。
ザワザワと葉を揺らす風、何も変わらぬソレを耳にすると、昔がそのままここにある様。
「昔………、きれいな銀狐を助けた、お前はソレの子か?わたくし達を助けてくれるの?」
しゃがみ込んだ俺達に近づいてきた銀狐、フン、と首を縦にふった、逃げ切れるかどうかは、わからなかった。きな臭い風が届いてきたから。
…………探せ!探せ!逃げ込んだ!逃げ込んだぞ!くっそ!薄が邪魔だ!そうだ!火を放て!追い詰めろ!
「若君は、大事な質だ!生きて捉えよとの命だ!」
声が近づく、ガサガサと背の高い草を掻き分け、踏みしだく音、こわいあねさまと、抱きついた、ふるえる身体を抱きしめ、姉さまは、そろりとその場にしゃがみこんだ。くすんくすんと泣き出した幼い俺、口元をそろりとでふさいだ手のひらの柔らかさ。
唇が、頬が、まだそれを覚えている。
「しすかに、太郎丸、鬼に見つかってしまいますよ」
息を殺した声、静かで強いその声。今なら姉さまを助けることなど容易いのに、と悔しく思う。
カサ…………殺した音がひとつ、また一つ…………。近づく。数を数えていく。それが増えるに連れ、今に戻っていく、銀がソロリと離れた。
「…………ふう、月がきれいだな」
そう声を出した、居場所をわざに知らせるために、ふらふらと空を見上げて歩く。雲が僅かに月にかかる、どうせなら月夜がいいな、すませよう、と首に巻いている布を目の下まで引き上げる。
にこりと笑みが浮かんだ、くつくつと、ペキリ、ガサリ カサカサガサガサ………、位置を教えたからか、距離を詰めてくる。銀………上手くやれ、相棒を思う。
俺は薄いなめし革の手袋をはめた手を、腰に下げている袋の中にチャラリと軽い音を立て入れる。
ガサガサ!ガサ!…………ギャァ!あ、足を、足首を何かに食いつかれ!
それが始まりの狼煙、思った通り忍びでは無い、むき出しのそこが物語っている。ギャァァンと甲高い狐の鳴き声が響いた。
カチリと抜く音が聞こえる、狙うもの、俺が手にしている覚えている限りに教えた屋形の見取り図、それに里の皆が調べ上げた国境の守り、父上を裏切った新しい国守の叔父上から、国を奪おうと考えている村谷の輩に渡す物を狙っている。
「おいわっぱ、懐の物を出せ」
あーあ、こう出てくるか、余裕綽々で姿を見せている四人は、俺を四方から取り囲んでいる。問答無用で殺してから奪う、その考えは無いようだ。
臍の上ほどでゆるく腕を組んでいる。右手は柄を握りしめ、左手の中には、先に取り出したマキビシ、軽く握っている。それには南蛮渡来の薬が薄く仕込んである。
「差し出せば命は助けてやる」
ぬけぬけと言ってくる大人達は、頭ひとつ分高い。彼らは俺を見下ろしている。それは油断を産み勝機を伴う。怯えた素振りを見せてから………、クッと視線を落とし頭を下げる。
体勢を下げた、それと同時に抜刀すると共に、一握りを撒き散らす。チヤッと落ちる前に、空いた左手を柄に添え下段に構えると、男に向かい大きく一歩を踏み出す!
「ぬ!」
声を上げ目の前迫る男が振り上げた!先ずはひとり!がらんどうの場所に下から一突き、急所をつく。折る膝に力をためる。
刀を上に捻るように抜く、ゴ!骨の音、ザシュ!傷口が広がり血潮が吹き出す。それをかぶらぬよう、落ちたそれを踏まぬ様、俺は身体を起こすと共に跳んで避ける。
耳に届くザザザパシパシ、茎葉が折れる音、ズシャと音立て倒れる。小癪な!声、斬りかかる気配。振り返るり
「ギャ!」、「グ!な!」
二人がそれを踏んだ。ぺきべきと音立て薄を折り、尻をつく、月明かりの下顔をしかめ、足の裏を確かめている。苦痛に歪む顔、深く入り込んだそれを、ヒイヒイ声上げ必死に素手で抜こうとしている。
終わったな、俺は逃げた一人を追う。
大きく回る、逃げる後ろ姿を追う、銀がギャァァンと甲高い声を上げ続けた、相棒は知っている、だからここに住まう者に逃げる様にと鳴く。ザザザ、ザザザと薄の中を駆ける。
ガサ!銀がつかず離れすの位置来た、鞘に刀を戻す。刀はいらない、気を付けていたのだが、深く刺さり上に抜く時に骨にどどいた、歯こぼれをしている、後は………投げるか、懐の飛苦無を取り出す。
がむしゃらに逃げる背を追う。走れ、そら、走れはしれ、逃げろにげろよ、お前の息が続く迄追い掛けてやるからさ………。
「銀、先に回れ!」
キヤァン!一声上がる、横目にふさふさとした太い尾が上に跳ねたのを確かめた。
薄の中をかける、駆ける走る走る!銀狐と共に、昔が蘇る。姉さま!姉さま、姉さま!自然にその名を心で呼んでいる。逃げた、煙に巻かれて、熱くて暑くて苦しくて、苦しくて、顔に、手足に、首元に薄の鋭い葉で切れ、血にまみれ、ぴりぴりと痛い中を追われて逃げた。
何処を狙う、アレを撒いた、あの二人は今頃痺れて倒れているだろう、罪無き者が入り込み踏んではいけない。空に暮らす烏が、鳶が、それにより死んだ肉を、地に住む獣がそれを喰らうてはいけない。
火に炙れば毒は抜ける代物。薄の原は再生が早い。ならば全てが終えたら………。
チュッチッチッ!足元をカヤネズミが走る、カサカサとタヌキも狐も、山猫も逃げる。薄の原を寝床にしている猪も鹿も逃げる、逃げる、明るい月の下、小鳥がチチチと夜なのに飛び去る。ギャァ!ギャァと鷺の声。
月明かりの中で全てが駆ける、目の前に男の背、捉えた、足を狙うか、背を狙うか、どちらにせよお前は終わっている。月が味方をしている、外れることなく投げたそれは空を切り進んだ。
「うぐ!ぐぁぁはっ!」
首筋を抑えて男が倒れた。そこにたどり着く。だらりと男がうつぶせで、ヒクヒクと末期の時を迎えている。広がる赤は黒い、薄を染め地面に染み込んでいく。一本を拾うと血糊をぬぐう。
し、んと、している原、微かに音を立てているのは、銀が食いついた奴と、毒が回りかけた二人だろう。懐から布に包んだ物を取り出す。火打ち石だ。この石は普通のより火花をよく散らす、なので布に包んでいる。拾ったそれでカチリと飛ばす。飛び出す僅かな朱の光。
あの淵の側に立つ、轟轟と空に紅蓮が昇る。赤い龍がうねりながらのぼっている、バチバチ、ざんざわと音立て上がる。肌身離さない笛を取り出す。唇をあて弔いの音を奏でる。
「これを持って先に行きなさい」
素肌に押し込まれた、姉さまがただ一つ持ち出したもの『月花』の撥、俺は笛を、姉さまは撥を、どうしてと聞いた。悲しそうに微笑んで話した。
「背におうて逃げればこの子は壊れてしまう。撥があればそれでいい、縁あれば再び逢えるから…………」
それをあの時ここで託された。肌には姉さまの手の熱さ、目には朱を背負い空を見上げる顔貌、耳には声と、月花の弦の音がくっきりと残っている。
風花を吹く。月花の色、琵琶の音が俺の中で蘇り響く。
バチバチ、ザザァパチパチ、赤の火の粉が、俺の目の前で、銀の目の前で、風花の色に混ざり踊り地を飛び立ち、空に天に、月へと旅立って逝った。
――― 終。