人狼の大咆哮
「死奴隷鳥だぁ……? 隷属って……あいつら、あたしらを奴隷にするつもりなのか?」
辺りに響き渡る鳥たちの大合唱の中、ウルはぺたんとさせた耳を軽く押さえながらそう言って、特に耳を塞ぐ様な事もしていないローアへ目を向ける。
「まぁそういう事であるな。 此奴らは獲物に二つの選択を迫り……隷属を選んだ場合は、ある程度痛めつけてから自分たちの巣に運び、奴隷とするのである」
「……何の為に?」
ローアが右手の人差し指と中指を立てて苦々しい表情のまま鳥たちの生態を説明すると、いまいち要領を得ていない怪訝そうな表情を浮かべたハピが、首をかしげて彼らの生態の意味を問いかけた。
「戦力の増強、小鳥たちの噛ませ、新たな獲物の誘導……など、鳥に出来ない事をさせる為であるな」
するとローアは今度は左手の親指から中指までの三本を立て、かつて適当な人族や亜人族で実験した事があるらしく、その結果を自慢げに語ってみせる。
「……まぁいい、殺られる前に殺りゃいいんだろ? ここはあたしが──」
……そうしている間にも段々と彼女たちを囲む鳥たちの輪は狭まっており、苛ついたウルは軽く舌を打ってから低い声で呟き、いつも通りに……いや、触媒の影響でいつも以上に赤く輝く爪を展開しようとした。
「……それで済むのなら、とうに我輩が手を下しているのであるよ、ウル嬢」
「……あぁ? どういうこった」
しかし、そんな自分に明らかに呆れた様に溜息をついたローアに、カチンときたウルが語気を強める。
「死奴隷鳥には、決して手を出してはいかぬのである。 例えばこの場にいる個体をあまねく狩り尽くしたとしても、それで終わりとはいかぬ」
「……きりんか、とかいうのと関係あるのかしら」
「……ほぉ」
一方、自分たちを囲む鳥たちに目を向けてローアがその理由を説明しようとした時、おずおずと何かの名を呟いたハピに彼女は思わず感嘆の息を漏らした。
「それも視えているとは……その通りであるよ、ハピ嬢。 此奴らは短い生涯でたった一種、そしてたった一度だけ魔術を行使する。 外敵に命を奪われた場合に限り二度目の生が約束される──『輪廻殺傷』を」
「……あーあー、そりゃ凄ぇな。 で? 生き返ってくんならまた殺っちまえば──ん?」
顎に手を当てながら長々と鳥たちの扱う固有魔術について解説したローアの言葉を切って捨てる様に、ウルが再び爪に魔力を込めたその時……彼女は何かに気がついたのか、小さく疑問の声を上げてしまう。
「一度手を出してしまえば半永久的に此奴らを敵に回す事になる。 最も確実な対策は出くわさぬ事なのであるよ。 まぁ……時既に、というところではあるが」
ローアは首をかしげた彼女の反応を見て、気がついた様であるなと口にしつつ頷いて、実に面倒な事である、と付け加えながらウルと同じく舌を打ち、再び血走った目をした鳥の群れへと視線を戻す。
「あ! いるかさん、このまえのこもりうたは!?」
そんな折、あまりの煩さに這いつくばってしまっていたフィンを抱きしめていた望子が、ドルーカの領主からの指名依頼で向かった洞穴にて遭遇した百足の魔蟲を眠らせたフィンの魔術を思い出して声をかけた。
「……え? あ、音入か……うーん、あれ結構疲れるんだけど……まぁ、みこが言うなら……」
しかし、どうやらフィンにとって例の魔術は随分と体力や魔力、気力を消費するものであるらしく気が進まない様子だったが、フィンはそう呟いてふわっと浮き上がり、魔道具を展開しようとする。
「あー……待て待て、やっぱあたしがやる。 お前はあのシャボンでミコ守ってろ」
……その時、そんな彼女を手で制したウルが何故か妙に自信有り気に、そして使命感に溢れていそうな表情を見せて、以前から何度も目にしているシャボン玉を脳裏に浮かべつつフィンに望子を任せようとした。
「……話聞いてた? 傷つけちゃ駄目なのよ」
とはいえ普段のウルの粗暴さをよく知っているハピとしては、彼女がこの状況をどうにか出来るとはとても思えず、貴女じゃ無理よとばかりに心底呆れた様子で、近寄ってくる鳥を睨みながら低い声音で告げる。
「……いいから任せとけって。 フィン、頼むぜ」
「まぁボクは楽が出来るならそれで──泡沫」
だがウルは、ハピの心配など何処吹く風といった様にシッシッと手を振って返答しつつもフィンに魔術の行使を頼み、フィンは至って気怠げにウルを除く全員を包む様に大きなシャボン玉を展開した。
──その時。
『『『──死ね! 死ね!! 死ね!!!』』』
フィンの魔術の行使を隷属の意思無しと捉えたらしい死奴隷鳥の群れは、一羽、また一羽とその鳴き声を変化させ、彼女たち目掛けて一斉に飛びかかる。
「──はっ、殺れるもんなら殺ってみやがれ!」
ウルは挑発するかの様に叫び、それまで装着し続けていたマズルガードの様な触媒、大牙封印を勢い良く外し、右の爪に魔力を集め──。
「ぐ、うぅぅ……グルル……!」
あろう事かその爪を、混血の亜人族としては太めの首に当て、傷つかない程度に力を込めて絞め始めた。
『おおかみさん!? なにしてるの!?』
その行動に目を剥いて驚いていた望子が叫ぶが、極めて遮音性の高いシャボンの外には届かない。
『『『──死ね! 死ね!! 死──』』』
鳥たちの大合唱も最高潮に達し、今にも彼女に群がらんとしたその時、ウルは首を絞めていたその手を解放して瞬間的に大きく大きく息を吸い、ギラリと光る牙の生え揃った口から放たれたのは──。
『──ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──────……ッ!!!』
……ともすれば山を越え、先にあるという港町にまで届くのではないかという程の遠吠えだった。
『『『──!!? ギャアッ! ギャアッ!』』』
それを耳にした死奴隷鳥の群れは、銘々ブルリと身を震わせたかと思うと、悲鳴にも似たけたたましい鳴き声を上げつつ我先にと山奥へ飛び去っていく。
……だが、その吠え声の影響を受けたのは何も鳥たちだけでなかったらしく。
『う、嘘でしょ!? シャボン越しに……っ!』
本来ならば高い防護性と遮音性を誇るフィンの泡沫だが、ウルの放つ轟音はあろう事か彼女の魔術を貫通し、フィンの体内の魔力をビリビリと大きく揺らす。
『いるかさん!? だいじょうぶ!?』
『ほぅ、これは……』
今にも割れてしまいかねないシャボン玉に手をかざし、汗を流し苦々しい表情で魔力を注ぐフィンに、かたや望子は心配そうに声をかけ、かたやローアはすっかり興味が泡沫からウルへ移ったのか、顎に手を当てシャボンの向こうへ愉しげな笑みを向けていた。
「げほっ、けほっ……へへ、ざまぁねぇぜ」
「ウル、今のは……?」
しばらくして、漸くウルの咆哮が収まったかと思えば、喉を酷使した為か大袈裟に咳き込みつつも、泡を食った様に飛び去っていく鳥たちを見て嘲笑したウルに、彼女の翠緑の瞳にはその咆哮の正体が映っているものの、一応確認の為にとハピが聞いてみる。
「──ん? あぁ、『王吠』っつってな? 吠え声であいつらの身体ん中の魔力を揺らしてビビらせたんだよ」
「成る程、龍如威圧と似て非なるものなのであるな。 尤も、こちらの方が遥かに強力であろうが」
その後、息も随分整ってきたウルが先程の咆哮に付けた名を口にして簡素に説明すると、ローアは興味深そうに頷きながら、かつて王都にて望子たちと交流した龍人が放った武技を例に挙げた。
……が、正直なところ彼女の王吠、ドルーカでの修練の際に修得したものと、今放ったものとでは随分と威力も範囲も違い、後者の方が圧倒的に強く大きい。
本来であれば、フィンの泡沫を破壊しかねない程の力など無い筈であり、いかに彼女の触媒……大牙封印が彼女に与える影響が大きいかを分からせた。
「おおかみさんすごい! かっこいい!」
「……へへ、だろ? もっと褒めてもいいぜ!」
そんな中、キラキラと目を輝かせた望子が大活躍したウルを称賛する一方、彼女は望子を抱きかかえ、頭より高い位置まで持ち上げて満面の笑みを見せる。
「うー……耳痛ぁい──ぅん?」
翻って、意地でも望子に被害が及ばぬ様にと泡沫を何とか制御していたフィンの耳……の役割を果たしている鰭には、未だにウルの咆哮が耳にキーンと残っており、そこを優しくさすっていたのだが。
(今のって……さっきの鳥がまだいたのかな)
脳内でそう呟いた彼女の鰭は、先程まで嫌という程聞こえていた鳥の羽音の様なものを捉えていた。
結論から言えば、音の正体は鳥ではあったのだ。
……死奴隷鳥では、なかったが。
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